第6話(下)暗闇の決闘、忘恩の刃
いいように斬り込まれ、消耗していたアルノーが、技の繋ぎの隙を見付け攻撃に転じた。
右手の小剣を一閃。それを剣で受けるジェラール。
アルノーがそれを軸に回り込んで突っ込むが、ジェラールが先に踏み込んだ。飛び込まれるはずのスペースを自ら消し、なおかつ腕をたたみ剣を縦に振り下ろす。
アルノーにバックステップを踏まれるが、ジェラールは見えていた。
相手が後方へと跳んでいる今、右腕が伸びきっていて、隙だらけなことを。
その腕目掛けてジェラールは下段から斬り返し、アルノーの小剣が弾かれて飛んでいく。
アルノーの顔が僅かに歪み、たまらずにといった様子でさらに後退する。
「逃がさない!」
好機とばかりにジェラールがさらに踏み込む。
そのときジェラールの頭には、何とかして捕らえることは出来ないかという考えが浮かんだ。
殺さねば殺される。そういう次元の闘いではあったが、だからこそ何故こんな暴挙に出たのか理由を知らねば気が済まなかった。
それでも手加減はしなかった。ここぞとばかりに乾坤一擲の一撃を放つ。
「あれだけでかい口叩いたからには、このくらい耐えてみせろ!」
相手も腰に下がった予備の剣を抜き、反撃に出ようとしている。だが手遅れだ。
このまま行けば、ジェラールの方が先に入る。
「遅い!」
そう叫び、今まさに剣を水平に振るおうとしたジェラールだったが、その瞬間気付いてしまった。
見えてしまった。アルノーの体が僅かに発光しているのを。
「水術? だがもう、水はどこにも」
さらに驚愕が続く。足下には、いつの間にか水溜まりが出来ていた。
その水がツタのように、ジェラールの踏み込んだ右足に絡まっている。
姿勢が崩れ、前のめりに倒れかける。
何とか左脚だけで踏ん張るも、それは致命的な隙となった。
がら空きの胸に、アルノーの剣が突き刺さった。
「……ああ。
一撃目も二撃目も、威力には大差はない。
水の防御があると分かっていたので、どちらも本気で剣を振り下ろしたのだ。
それなのに明らかに二撃目の方が、大きく鎧を砕いていた。
砕かれた鎧に紛れさせて、自ら水を分離させていたのだ。
「血溜まりはブラフだったんだね」
「
そのために暗殺者を用意し、自ら葬った。
冷酷な話だが、そこまでして暗殺を成し遂げようとする徹底したやり口に、ジェラールはある種の感心を覚えた。
そして。彼の口腔から、おびただしい量の血液が吐瀉された。
致命傷。仰向けに倒れつつも、ジェラールはあくまで冷静にダメージを分析した。
だが死ぬ前に、どうしても彼は訊いておかねばならないことがあった。
「一ついいかな」
「何です」
「宰相の手先では、ないんだね」
これ自体は聴くまでもないことだった。アルノーは常日頃から宰相へ怒りを向けていた。今日の昼間も、挙兵を勧めてきたばかりだ。あれが演技だとは考えにくい。
「一体何故こんなことを。何をしようとしているんだい」
その質問にアルノーは押し黙った。僅かに考え込むような仕草をするが、結局ゆっくりと口を開きだした。
「この国を変えるんです。歴史の中でどれほど賢王が現れても、根本的に変えようとする者はいなかった。知らないし気付こうともしないんです。民は略奪の対象ではない。正しく教え導けば、智恵を芽吹かせるものがたくさんいる。だが王宮で登用されるのは、貴族か金を積んだ商人ばかり。国政に参加できず、陳情もろくに聞かず。決まった者達で既得権益を握り、民には一向に門戸を開かない」
「いきなり、何もかもは変えられないよ」
「一介の民草ならばそうでしょう。だけど俺は地位も力も得てしまった。虐げられる者がいるのを知りながら、助けられる力を持った人間が何もしないのは、どうしても我慢できません。地位を得て、王国に生まれた者の責務として俺は」
そこでアルノーは一度言葉を切る。その先を言うことに、今でも躊躇いを持っているかのように。
しかし迷いを秘めた瞳はすぐに消え去り、代わりに鋼鉄の意志が映し出される。
「王に成ります」
その言葉を聞いて、ジェラールは自分の責任だと胸の中で後悔する。
彼の才能に魅せられるあまり、彼を異例の早さで昇進させてしまったのはジェラールだ。
結果、彼の心には本来芽生えるはずのなかった野望が生まれ、見るはずのなかった夢を見せた。
まだ二人が出会ったときならば、彼にこれほどの野心はなかっただろう。
悪いことに、アルノーにはその夢を目指す権利があることも、ジェラールは知っていた。全ては自分の失態だと己を責める。
そんなとき、ジェラールは気付いた。目の前の青年に訪れた異変に。
これが最後になるだろうと諦観混じりに、彼は最後の疑問を投げかける。
「後一つ訊いていいかな」
「何ですか」
さっきまでと何ら変わりない冷め切った口調。
だが確実に、さっきまでと違う何かが、彼の周りに漂う。その原因は彼の顔を流れるものにあった。
「何故泣いているんだい」
「何のことです。泣いてなんかいませんよ。訳の分からないこと、言わないでください」
「そうか」
これ以上は聴かなくてもジェラールは分かった。
これからこの青年がするであろうことも、何故自分を殺そうとしたのかも。全ては彼の持つ資格所以のことだ。
全く、ひどい拾いものをしたものだ。やり残したことが山ほどあるというに。
国のこと。
宰相のこと。
妻のこと。
目の前にいる弟子のこと。
守らなければならなかったのに、自分が受けるべき苦難を押しつけてしまった、大事な人のこと。
今までの短い人生の中で出会った、縁深い者達の顔がよぎっては、霞のように消えていく。
最期まで他人と国を憂いつつ、王太子ジェラールはゆっくりと息を引き取っていった。
どうやら、思ったよりズレて入ったようだとアルノーは思う。
相手の剣を受けすぎて手が痺れたせいか、刺突が心臓からずれ、一撃で決めることが出来なかった。
早くこの場を離れて、工作する必要があるというのに。
だが、何故かとどめを刺す気にはなれなかった。ジェラールに質問を許したのは、あくまで残った体力を奪う為だ。
意識が朦朧としていたのか最期におかしなことを言われたが、上手く誰かが来る前にジェラールを死なすことが出来た。
あくまで闘って乗り越えることにこそ、意義があるとアルノーは思う。
勝ってさえしまえば、後は宰相の放った手先のせいにできるのだから。無論、それさえも己の仕込みではあるが。
だが思ったほど達成感が味わえないことに、彼は不思議さを感じていた。せっかく己にとっての最大の障壁を乗り越えたというのにも関わらず。
王太子ジェラールはまさに壁だった。
彼がいる内は、王に成れないのはもちろんのこと、騎士団でどれだけ功を積んでも、それは団長であるジェラールの功績となる。
せめて、彼が挙兵の決意をしてさえくれれば。
圧政を敷く宰相を打倒し、派閥を束ねる覚悟さえしてくれれば。
自然と国は、よい方向へ転がったかもしれない。
アルノーが王を目指す必要はなかったかもしれない。
だがそうはならなかった。
それがジェラールを殺した理由。
左腕が痛む。体中刻まれまくったが、左腕が特に深かった。早く手当てする必要がある。
しかし対価を考えれば、些細な痛みだともアルノーは思う。
これでまた一歩、王の座に近付けたのだから。
王に成る。そして国を変える。
それがアルノーの夢。
腕がまだ疼く。
しばらく使い物にならないかもしれない。
それには少し困らされた。
彼としてはまだ、やるべきことがたくさんあった。
そして最後までアルノーは、頬を伝い流れるものに気付くことはなかった。
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