荒れ野のリヴァイアサン~水の王、野望の騎士〜

濱丸

第一章 正義の騎士、裏切りの水使い

プロローグ 暗殺の夜、人形繰りの水使い

 人々が寝静まり、辺りが暗闇と静寂に包まれた新月の夜。


 街の中央の小高い丘では、篝火を侍らせた白亜の城が佇んでいた。

 城下を見下ろせば、石造りの家屋が所狭しと建ち並んでいる。白塗りの壁が月明かりを浴びて、ほのかに明るんでいた。


 昼間ならば市民がそこかしこにあふれ、喧騒で包まれている城下の街並み。

 だが今はすっかり夜も更け、賑やかな昼の様子が見る影も無くなっていた。


 それは城においても同様で、所々に哨戒しょうかいの兵士が配置されている以外、人の姿はほとんど見当たらない。

 そんな宵闇よいやみの中、ある一つの部屋で、幾度も金属がぶつかり合う音が響いていた。

 中では守衛と思しき男と、瀟洒しょうしゃな衣服を纏った貴族風の男が倒れている。二人は、方円状に拡がった血溜まりの中に横たわっていた。

 すぐ傍で、争い合う二つの姿があった。


 その片方、軍服の上に革鎧を重ねた男は、刀身が炎に包まれた剣を振るっている。

 柄に埋め込まれた魔石と呼ばれる特殊な石が、夜闇を照らすように赤く輝いていた。


 対するは、全身甲冑に身を包んだ者。赤い血で濡れた小剣を握り、燃える剣を巧みにいなしている。

 剣を交わすたび、甲冑が振動を受けた水面のように歪む。よく見ればその甲冑は、兜や具足その中身に至るまでが、水で出来ていた。

 水で人を模した等身大の人形、水人形と呼ばれるものである。


「おのれ公爵殺しの水使い、自ら戦うことすらできんのか!」


 燃える剣を持った男が、部屋の隅に向かって怒りを飛ばす。声の方向では、暗闇に隠れるようにしてもう一人の人間が立っていた。

 怒号を聞いても、その人間は何ら動くことはなかった。水人形同様、こちらも真っ黒な鎧兜と面頬めんぼおに包まれていて、その表情は読み取れない。


 かたや城に忍び込んだ暗殺者。

 かたや偶然現場に居合わせた守衛の騎士。


 それがこの場にいる二人の構図だった。


「陸の上で水人形など舐めおって。一息に灼き尽くしてくれる!」


 呼応するように、剣から炎がさらに激しく燃え上がる。柄の先から炎が噴出しているようだった。

 気合いの声と同時に、剣を頭上から思い切り振り抜く。剣身に渦巻いていた火炎が、水人形目掛けて飛んでいった。


 それまで沈黙していた暗殺者も動き出す。

 遺体がある血溜まりの方向に手を伸ばし、何かを呟く。

 瞬く間に変化が起こる。

 血溜まりから血液が吹き上がり、火球の進路軌道へと吸い込まれるように空を駆けた。

 火球と血の水塊が激突し、相殺し合う。水塊が砕かれ周囲に飛散し、暗殺者と騎士の間に血霧が生まれた。


「血を操っただと。それも水人形を操作しながら」


 必殺の一撃が防がれ、騎士が呆然とする。

 その隙に精巧な水人形は、騎士に向かって左腕を大きく振りかぶった。腕はまるで鞭のようにしなりながら伸びていく。

 人の体を模倣しても、あくまでも水。伸縮自在の左腕が、騎士を薙ぎ払った。

 騎士の体が飛び、壁に直撃する。

 不意の衝撃で、騎士の呼吸が一瞬だけ止まった。


 水人形が真っ直ぐ駆け出す。壁に寄り掛かったまま動けない騎士の真ん前まで移動し、小剣を容赦なく突き刺した。

 剣は鎧の縫い目を突き破り、腹部を貫く。

 数瞬立ってから、ようやく騎士から呻き声が発せられた。


 致命傷と理解してしまった途端、言いようのない不快感が騎士を襲う。

 その不快感は胸から喉を通り過ぎ口腔まで達し、赤黒い何かを口から吹き出させる。

 辺り一帯にじわじわと血の臭いが漂いだす。

 

 暗殺者はあくまで何も語ることなく、水人形に小剣を引き抜かせ、今度は喉を裂く。

 鮮血が勢いよく吹き出し、騎士はどこからか空気が漏れるような音を発しつつ倒れ込む。


「最初の仕込みで、よもや魔石使いの騎士と居合わせてしまうとは。お互い運がないな」


 やっと発した暗殺者の言葉を、しかし騎士は聞くことができなかった。

 自分の視線がどこに向いているのかさえ判らない。手や足も痙攣を引き起こしていた。


 その様子を見つめつつ、暗殺者は何やら深い溜息をつく。仕事終わりの一息なのか、相手に同情しているのか、はたまたそれ以外の感情か。

 兜と面頬に包まれた暗殺者の表情からは、何も読み取ることは出来ない。


「だがこれで状況は動く。全てはこの国の未来のためだ。許せ」


 暗殺者はそう言い放つと踵を返し、現れたときのように闇に溶けて消えていった。

 騎士は消えゆく意識の中、ただぼんやりと眺めていた。 

 

 そうして誰もが、いつも通りに眠り始めていく。

 いつも通りの、暗いだけの夜だと疑いもせずに。


 まだ誰も。

 これが国中を震撼させる、大きな内乱の始まりなのだと気付かなかった。

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