最終章
今日はフリージアが店へと遊びに来る日だ。
彼女は度々店を訪れてはお茶を飲み、談笑して帰る。
時折アンドレの作る料理を目当てに早い時間に店を尋ねることもあった。最早ソレイユの常連というよりはアンドレの常連客に近しい。
「こんにちは!」
いつものように軽快な足取りで、いつものように明るい笑顔。
「やぁ、いらっしゃい」
「あれ、今日はお一人なんですか?珍しいですね」
キョロキョロと店内を見回し、アンドレを探している。
「えぇ、すみませんね私しかおらず」
「あら、そんな言い方ずるいですよ」
ムッと頬を膨らませ、拗ねた顔をするフリージア。
あの恋人がいなければ、本当にアンドレ目当ての客だと思っていたかもしれない。
そうでなければ、こんなにも頻繁に醜い顔の男と会おうとは思わないだろう。
「はは、冗談ですよ。それより丁度いいところに来ましたね」
「丁度いいところ?」
「はい。実は人形が完成したところでして、是非フリージアさんにも見てほしいと思っていたんです」
「まぁ! 本当ですか!」
「えぇ、まだ地下の部屋にあるので案内しますよ」
こちらです、とレジ奥の扉の先へ向かう。
フリージアを地下室へ入れるのは初めてだ。だからなのか、少しぎこちない笑顔を浮かべてしまった。
気を緩めれば今にも顔が強ばってしまいそうだ。
「な、何だか独特な匂いがしますね」
フリージアは地下室に蔓延る鉄錆と薬品の匂いに思わず呻き声を上げ、眉根を寄せている。
「すみません、慣れてない人には耐え難いですよね」
使ってください、とハンカチを差し出すとフリージアはありがとうございますと言ってハンカチで鼻を抑えた。
「あの、人形は……」
ソワソワと落ち着きなく辺りを見回しているフリージア。自分やアンドレはこの匂いに慣れすぎてしまっているため、彼女のような反応は新鮮に思えた。
「それなんですが、少しの間目を閉じていてもらえませんか?」
「えっ、どうしてですか?」
フリージアの眉間のシワが更に濃くなった。一刻も早くここを出たい、と彼女の顔が訴えている。
「ちょっとしたサプライズですよ、フリージアさんはそういうのお好きかと思いましてね」
サプライズという言葉に彼女の眉がピクリと反応を示した。それならば、とフリージアは目を瞑った。
こうも扱いやすく単純な性格であったことが私にとっては救いであり、彼女にとっては重大な罪だろう。
「そのまま、安らかに眠っていてくださいね」
「えっ……」
彼女は目を開けようとした瞬間、その場に倒れ込んだ。先程渡したハンカチには薬を染み込ませていた。
「よっ、と」
フリージアを早速台の上に載せ、服を脱がせる。
今回は普段のように遺体を使うわけではないので慎重に作業に取り組まなければいけない。
台の下にある棚から、鋸のような大きさの包丁を取り出す。途中で下手に目を覚まされては困る、先に首は切り落としておこう。
高く振り上げた刃の先が、彼女の白い肌に突き刺さる。ドン、と台まで突き抜けた音と共に首元からはまるで噴水が溢れ出すように血が勢いよく噴き出した。
あぁ、生きている人間を殺すというのは面倒だな。あちこち血塗れだ。まぁアンドレを呼びつけて掃除させればいいだろう。
後日、いつものようにジムノペディ第一番を聴きながら、芳しいコーヒーの香りを楽しんでいる朝のことだった。
新聞の見出しには、女性の殺害された遺体が発見されたという記事が載っていた。顔は原型を留めないほどに潰されていたが、所持品や服装などからフリージア・ルブランであろうと書かれていた。
「先生、手紙が届いてますよ」
「依頼か?」
「いえ、クローカスさんからです」
差出人の名前を聞いてすぐに内容を察した。わざわざ手紙を送ってきたということは、恐らくバレてはいないのだろう。
「葬式の招待状みたいですが、どうします?」
「いつあるんだ」
「ええと、今日らしいです。急なことなので宜しければと書いてあります」
随分と手早いものだ。まぁ死体が見つかったのは既に何日も前とされているからこんなものか。
「手向けに花でも持っていこう」
「分かりました」
葬式の場に辿り着くと、雨の中ずぶ濡れになりながらフリージアの親族や友人らが大勢で彼女の棺桶を囲って涙を流していた。まるで雨までもが彼女の死を悲しんでいるかのようだ。そこにいるのが、フリージアではないとも知らずに。
「あぁ、ノアさん達も来てくれたんですね……」
後ろから声をかけられ、振り返るとそこには顔がやつれきって頬骨が浮き出かけているクローカスがいた。目の下はクマができており、足元もおぼつかない様子。もう何日も寝ていないだろうと言った感じだ。
「ク、クローカスさん大丈夫ですか」
「大丈夫です。彼女の苦しみに比べたら僕なんか」
その後にもぶつぶつと何かを言っていたがほとんど聞き取れはしなかった。フリージアが亡くなった事が余程ショックだったと見える。
一応会話が成り立つだけマシだろう、と思い本題を切り出すことにした。
「クローカスさん。私達は今日、貴方に用があって来たんですよ」
「僕に、ですか?」
「はい、フリージアさんの依頼の件について」
そう言うと、クローカスはしばし返答に困った様子で考え込んでいた。
「今回の依頼はクローカスさん宛の人形を、との事でしたから。良ければ後で店へ来てもらえませんか」
「フリージアが……分かり、ました。後で店へ行きます」
お待ちしております、と返すとクローカスはぎこちなく頷き、その場を立ち去った。あれではまるで喋る骸骨だな、と思ったが口には出さなかった。
カランカランとベルが鳴り、店の扉が開く。
のそ、のそと亀のように重い足取りでクローカスはやって来た。
「いらっしゃいませ、お待ちしておりました」
アンドレがクローカスを椅子に座らせ、お茶を差し出す。雨に濡れ、冷えきった顔は青ざめており、より一層死人のような顔色だ。
「今、奥から持ってきますね」
そう言うと、アンドレはレジ奥の扉から地下へと向かった。
しばらくして、アンドレが一メートル程の大きさをした棺を抱えて戻ってきた。
「ふぅ、重かったぁ」
「クローカスさん、こちら開けてみてください」
言われるがままにクローカスが箱の蓋を開けると、中を見た瞬間に目を大きく開いた。
口をパクパクと開き、震える手で彼女に触れた。
「ふ、フリージア……! フリージアが!」
クローカスはその人形を抱きかかえると、その場に泣き崩れた。
人形は、ノアが初めて出会った時のように純粋で、穢れのない無垢な笑顔を浮かべていた。
ベラドンナに口づけを @yae_tya6
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