第八夜 修復
––翌朝
俺は日が昇る前に目を覚ました。
やっぱりというか昨夜はなかなか寝付けなかった。
日が昇るのはまだだいぶ後だろう。外はまだ闇に包まれていた。
俺はベッドから身を起こし窓を開ける。
ヒヤリとした風が部屋に入ってきた。
(今はなんだか梁の顔を見ることができないな…。)
俺はスーツに着替え、行くあてもないまま部屋を後にした。
別にこれは決してただの気まずさゆえに梁から逃げたわけではない。
外の空気を吸って自分の中にある
誰にも気付かれないようにそっとドアを開閉する。念のため足音も立たないよう靴は手に持っていく。
(良かった、術がなくても出られるな…)
今までの体験として、各入り口には術が認証代わりとして必要だったが、退出するときには魔力のない俺でも可能だった。
俺は帰ってくるときの事は何ひとつ考えず、閻魔堂の入場門を押し開けた。
(
そう思いながらまだ薄暗い夜明前の外へ足を踏み出す。
前に見た梅の木を
(帰り方が分からない場所へ行くのも困るし梁にも流石に怒られるかもしれないな…)
ここ最近の中で十分な睡眠が取れなかったせいなのか、怒られても良いかと安易な方向へ考えが向いてしまう。
会社員時代は毎日のように短時間睡眠だったのが懐かしいなと思いだすと同時に昨夜の
(先輩、相変わらずだったな…)
久しぶりの再開でも先輩の態度は何ひとつ変わってはいなかった。
(きっと俺が死んだときも悲しみとか責任とか微塵も感じなかっただろうな…)
別に俺の死に責任を取って欲しいとかいうわけではない。
ただ…、ただ俺の死で何か変わってくれればなんて思ってしまっていた。
部下の
でもあの様子じゃ何も変わっていなかったのだろう。
俺がいなくなった後の世界にぞっとした。
そう考えている間に湖へたどり着き、俺は湖の脇にある大きな岩に腰を下ろした。
湖の周りは前に梁が術をかけたとは分からないくらい木々が茂っていた。
「はぁ〜〜〜」
今ある自分の中の懸念を吹き飛ばすように大きく息をついて俺は岩の上へ寝転んだ。
「こりゃデッケェため息なことで」
聴き慣れない声が聞こえ、俺は慌てて身を起こす。
(まさか、もう追手が来たのか…?)
そう身構えたが声の先には男ひとりしかいなかった。
日に焼けた肌に俺と同じ短髪、身につけている衣も露出があり明らかに閻魔堂の者ではないと分かる。
(それに何より…)
男の頭頂部に目を向けると立派な獣耳が生えていた。
俺が警戒をあらわにしていると、男は鋭い目で俺を睨み、
「おい、ずいぶん久しいじゃねぇか。人間の姿でお戻りか?」
とドスの効いた声で話しかける。
「あ、あの人違いではないですかね…?俺は人間の
「いやいや人違いなんて冗談が苦しいぜ。しばらく会わないうちに嘘も下手になったのか?俺には人間なんざの誤魔化しが通じねぇのお前も知ってんだろ。つまらねぇから術なんか使わねぇで早く元の姿にもどれ」
苛ついた様子で男が俺ににじり寄る。俺は反射的に後ずさった。
「っておい、何逃げてんだよ」
逃げると男の怒りがさらに高まる。
(本当に誰だよ…。獣耳が付いてるやつなんて初めて会ったに決まってる…!)
このままじゃ無意味な追いかけっこが続くだけだ。俺は怒られる覚悟で勢いよく頭を下げ謝罪する。
「––っほんっとうにすみません!俺!あなたの事本当に知らなくて!」
土下座が
顔を上げられないので相手の顔が見られないが、男はため息をついて
「それはマジで言ってンのか?」
と少し驚きを含んだ声で尋ねてくる。
俺はすぐさま
「はいっ!」
と被せ気味に返事をする。
すると男はまたため息をついて
「まじかよ…。」
とうなだれる。
「とりあえず顔上げろ。つか、ならお前誰だよ。人間の野郎がなんだってこんなところにいる?」
と言いながら至近距離で俺の顔を覗き込む。
この男が喋ると鋭い牙がぎらりと光っているのが見える。
俺が恐怖で怯えていると、またまた男はため息をつき俺の隣の岩に腰掛けた。
俺はこの状況をどうにかしようと早口で今までの境遇を話した。
「…冗談じゃねぇんだな?」
男が真剣な顔で俺の目を見据える。俺は全力で首を縦に振った。
すると男はここ一番の大きなため息をつき、頭をガシガシとかく。
「じゃあ、今度は俺が話す。長くなるが、まぁ聞け」
そう言って話を始めた。
「俺は
「獣人…」
「あぁ、
人狼はクックッと笑う。その無邪気な笑顔に安心して俺もつられて顔が緩む。
「俺はもともと孤児だったンだが、この森に捨てられていた俺を梁が見つけくれて面倒見てくれたんだ」
「人狼も梁を知っているのか?!」
「知ってるも何もアイツとは長い付き合いだ。それに地獄の世界でアイツの名前を知らない奴はいねぇよ」
人狼はカカカッと喉を鳴らして笑う。
「カンリニンってのはアイツが俺にくれた
お前もだろ?と言うように人狼が俺に目配せする。
「梁は本当に良いやつなんですね」
「あぁ、全くだ」
ふと人狼に目を向けると彼は少し顔を曇らせた。
「お前…、上界の鬼に会ったんだよな?てことは地獄にも梁ともう一人鬼がいたってことも知ってンのか?」
「うん。梁から聞いたよ。確か蒋って名前だって…」
そういうと人狼はうつむき耳を下げる。
「えっと…」
俺が人狼の様子におろおろとしていると、人狼がぽつりと呟いた。
「においが…」
「えっ…?」
「お前からは蒋と同じにおいがする…」
思ってもみない言葉に少しだけ緊張がはしる。
そんな俺を見て、人狼はまたゆっくりと言葉を紡ぐ。
「俺は最初、湖から蒋のにおいがしたから慌てて確認しにきたんだ。でも確かに匂いがあるのに蒋の姿は見えなかった。代わりにお前がいたからてっきり蒋のやつが術で成り代わってんのかと思ってさ…。鬼は色んな術を使いこなすし、変化していても別に驚くことじゃない。でも俺ら獣人はとびきりハナが利くからな、お前の匂いが蒋と一緒なのは間違いない」
そして人狼は懐かしむような顔をしてこう続けた。
「梁と蒋はな、誰が見ても良い『友』だった。同じ役職ゆえに仲が良かったし、たとえ喧嘩したとしても仲良いうちの何とやら…。数刻後には関係は元通りになっていたさ。そしてそんな二人は俺をずいぶん可愛がってくれたし、俺もあいつらに懐いていた。あの時代は今より獣人の扱いが酷かったからな…。そんな時でもあの二人だけは俺を対等に見てくれたんだ。本当にあいつらは地獄にいるのがもったいないくらいに心が清らかだったよ」
本当に良い関係だったのだろう。人狼は目を嬉しそうに細める。
「だが、数十年前に蒋のやつは突然姿を消した…。理由は誰にもわからねぇ。けど閻魔堂の内情をしらねぇ俺でも、あの日に蒋の匂いも消え、もうあいつは地獄にいないってことだけは理解できた。あれから梁はずっと気丈を努めているが、あくまで振舞っているだけだ。一番つらい思いをしているのは間違いなくあいつだ。俺はもしまたあの野郎のにおいがしたらなんで突然いなくなったのかあいつが泣くまで問い詰めてやるつもりだったんだぜ?」
人狼はふっとさみしそうに笑う。
「久しぶりにあいつの匂いがしたかと思えば、当のお前は別人だって言うし…。たぶん……お前はあいつの生まれ変わりなのかもな…」
そう言って人狼は俺の目をまっすぐ見据えた。
俺は人狼の言葉を頭の中で反芻させる。
今までみた夢のことや、梁の態度も『俺は蒋が生まれ変わった姿』と仮定すればなんとなくしっくりくる。
そうあればあるほど、俺のなかのピースがまた少し、そしてまた少しと埋まっていく…。
だがまだまだ俺の中で分からない点はいくつもある。
もっと人狼に詳しく話を聞こうと口を開いたとき、突然背後から誰かに抱きしめられた。
「私の壮馬殿に何の用で?」
「―っ梁!」
梁の力強い腕が俺と人狼の間に割って入る。
気が付くといつの間にか湖に陽が差し始めていた。
少しずつ眩い光が梁の顔を照らす。その様はまさしく『神々しい』と表現するにふさわしかった。
「久しいな、梁」
人狼が俺たちの様子を見て口笛を吹ながら意地の悪い笑みを浮かべる。
「人狼、あなた壮馬殿を傷つけるようなことを言ったりしていませんよね?」
そう言った梁の腕の力がだんだんと強まる。
人狼は俺たちの様子を面白そうに見る。
「いんや、俺はただそいつのにおいについて話をしただけだけ」
なっと目配せした人狼は俺にウインクを飛ばした。
そのこと聞いた梁はすぐにハッと声を漏らし、
「まさか…」
と声を震わせた。
「なんだ、お前も知ってたのか!まぁ、俺のハナを前に誤魔化しは利かないさ。俺は一瞬でそいつの正体を見破ったからな」
梁の驚いた顔を見て、人狼はふふんと自慢げに胸を張る。
「壮馬おれはもうこれ以上とばっちりを受けるのはごめんだ、梁が知っているなら詳しくはそっちに聞くんだな。なんせ俺はハナしか利かねぇし、あとの深い事情はなにも知らん!」
そう言って人狼は岩から立ち上がりすたすたと歩きだす。
そして数歩進んだところでまた立ち止まる。
「壮馬!もしまた鬼の許可なくここに来たらその時は食ってやるからな!」
そう言い残した人狼は、満足したのか大きな笑い声を上げ走り去っていく。
俺は梁に抱きしめられた格好のまま、ぽつんとその場に残された。
(やばい…、俺が何も言わずに抜け出したこと怒ってるのか…?)
梁から逃げ出したくなって外へ来たのにまさか真っ先に見つかるのが本人とは…。
先程から怒られるのが怖くて梁の顔を見られない。
(まずは謝るしかないよな…。)
そう覚悟を決め、俺はまずは梁の腕の中から抜け出すべく、ぐるりと身体をひねってみる。
が、ものすごい力で抱きしめられているため一向に身動きが取れない。
傍から見れば、もだもだと足をばたつかせる間抜けな俺の姿が見えるであろう。
(これは新手の罰なのか…?)
かろうじて息ができるのは梁が加減してくれているに他ならない。
「―梁?」
俺が名前を呼ぶと、梁は俺の耳元で今にも消えそうな声を出す。
「壮馬様…。昨日のこと怒っていますか?私のことを軽蔑しましたか…?」
俺は梁の思いがけない様子に驚く。
(てっきり怒りの声が届くのかと思ったが…)
なんというか梁の方が俺に許しを請うような形になっている。
「お、俺はもう怒ってないよ、しかもその、軽蔑もなにもそんな風に思ったこともない…」
俺が慌てて答えると、ようやく梁の腕がゆるむ。
「良かった…」
梁のほっとした顔が見えたのもつかの間、今度は正面から抱きしめられた。
「~っ梁、いくらここには俺たちしかいないからと言ってもこれはものすごく恥ずかしいんだけど…」
そう羞恥ゆえにもごもごと話す俺の声は、たぶん梁には届いていないだろう。
「説明もなしにあんな事情を話してしまい本当に申し訳ありませんでした…。でもどうか、どうかもう少しだけ、私の気持ちに整理をつける時間を下さい…。いつか必ず壮馬様にすべてをお話しします」
そう言って梁は俺をより一層強く抱きしめた。
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