第七夜 復讐


――深夜。


リャンは静かに壮馬そうまの部屋へ入る。

寝ている壮馬を起こさぬよう、明かりはつけずゆっくりとベッドへ近づいた。

窓からの月明かりが血をまとった梁の姿があらわにする。


「―ジャン。すまなかった」

壮馬を前にして、力ない声を出す。梁の頬に涙がつたった。

梁は込み上げる嗚咽を必死にこらえ、静かに部屋を後にした。





朝起きて窓を開けると、灰がかった大きな雲が天を覆っていた。

「やっぱ曇りになることもあるんだな」

地獄へ来てからはずっと晴天が続いていた。俺は少し肌寒さを感じ窓を閉めた。

間もなく梁が迎えに来る時間だ。

(昨日、仙が梁は人間界に降りたって言っていたけど無事帰って来れたのかな…?)

昨日のことが気がかりで、そわそわしながら迎えを待つ。


数分経ち、軽快なノックが聞こえた。

返事をしてドアを開けると梁が立っていた。

「おはようございます」

「っ梁!」

俺は梁の顔を見てたまらずほっとした。どこも変わった様子はなく、いつもの梁だった。

「昨日は申し訳ございませんでした」

梁が深々と礼をする。

「いや、シェンキョウもいてくれたから俺は何も問題ないし…。それより梁、人間界に行ったって聞いたけど大丈夫なのか?怪我とかないか?」

梁を部屋へ招きながら質問を重ねてしまう。

「私のことなら何も心配ありませんよ。なにせ鬼ですから、ね?」

そう言ってにっこり笑うが、「もう何も聞くな」というような威圧を感じる。

「そうか…、なら良かった」

俺はそれ以上何も聞けなかった。

とにかく梁は無事帰ってきたという事実だけで一安心だ。俺は余計な詮索はしないよう努めた。

「壮馬様、それでは本日もよろしくお願いします」

そう言って梁と俺は部屋を後にした。



今日はまず執務室での書類のチェックから始まった。

執務室に入った時点でテーブルの上にはおびただしい量の書類が山となっていた。

そして部下だろうか、梁の承認を待っているたくさんの従者たちが部屋の前に列をなしていた。

「やぁみなさん、今日もご苦労様です。ただ今確認していきますのでお待ちくださいね」

そう言って梁は一枚一枚、書類に目を通していく。

「私は今からこちらの書類に目を通しますので、壮馬様は手前のソファでおくつろぎください」

そう言われて俺はおとなしく梁の机の手前にあるソファに腰かける。

何をすることもなく暇だったので、しばし梁を観察していたが梁の働きぶりは想像以上にすさまじいものだった。

何年も社畜を経験してきた俺でさえ卒倒しそうな量の書類を流れるようにさばいていく。

そして大きなテーブル全面を覆って山積みになっていた書類が、次々と列をなしていた者たちへ渡されていくのだ。なんというか、まるで大人気のラーメン屋のごとくだ。

書類に目を通している間も、部下からの相談にアドバイスをやったり、修正を入れたりしている。

(聖徳太子かコイツは…。人間界なら間違いなく出する男だ…。)

俺は若干のジェラシーを感じつつ、俺の同僚だったらなんて最高だっただろうと感心していた。


ものの数十分であの山の書類を片付けた梁は、疲れた様子など一切見せずに今度は視察と称して血の池、マグマが渦巻く谷へと俺を連れまわした。

到着するたびに罪人らしき者の叫び声が聞こえてくる。

最初のうちはぞっとしていたが、隣にいる梁がその様子を嬉々として鑑賞するので俺は外の音を拾うのをやめた。

「次は針山へ行きますよ!」

なんてだんだんと気分が高くなる梁を見て、こいつが鬼であることを改めて実感させられた。


だがそれにしても―、

(こいつの体力は底なしか…)

現在俺は絶賛針山はりやま登りをさせられているわけだが、そろそろ体力が限界に近づいてきている。

俺はぜぇはぁと息を切らしながら険しい坂道を上る。

「壮馬様、少し休憩いたしましょうか」

俺の様子を見かねたのか梁が提案してきた。

「あぁ、ぜひ…そうしてほしいものだな…っ」

俺は切れ切れの息で応答する。

そして俺たちはそこから数メートル離れた位置にある大きな岩に腰かけた。

「…この山はいつまで登れば良いんだ?」

この視察自体が一体いつまで続くのだろうか…。恐る恐る聞いてみる。

「朝からたくさん連れまわしてしまって申し訳ありません。この後の予定は、閻魔堂での転生作業だけですのでもう歩き回ったりしませんよ」

「人間と違ってやっぱり鬼は体力あるんだな…」

術で転移できるなら、はたしてこんなに歩く必要があったのかと梁を睨む。

「申し訳ありません。術はエネルギーを多く消費しますので、緊急時に備えて普段はあまり使わないのです。それに、こうした運動はトレーニングにもなりますしね?」

やはり俺の考え間違いなくコイツに見透かされている。

何はともあれ、もう動き回らなくて済むのはありがたい。罪人の叫び声ともおさらばだ。

「それではそろそろ閻魔堂へ戻りましょうか」

梁が俺の手を取る。慣れない岩場を下りながら、俺たちは閻魔堂へ無事帰還したのだった。



閻魔堂へ移動しても梁は休むことなく転生の儀を行っていく。

手順は俺の時と同じだが、違うのは梁が発した術の光に包まれるとみんな必ず消えていった。

(―俺は消えずに残ってしまったということか…。)

俺も初めて自分以外の転生の儀を目の当たりにしたが、滞りなく終わっていく儀式に、やはり自分は異例イレギュラーだと終始突きつけられた気分だった。


そして数十名ほどの儀式が終わったころ、

「次の方が最後ですかね」

そう言って梁が息を吐く。

さすがにずっと術を使い続けていれば疲れるのだろう。梁自身、顔にはださないものの、さすがにしんどそうだ。

扉が開き、本日最後の転生者となるものが従者と共に入ってくる。

「――っえ?」

その姿を見て、俺は驚きを隠さずにはいられなかった。

そこに現れたのはかつての俺の上司だったからだ。

先輩は 従者に激しく抵抗しながら怒声を散らしている。

「―え?なん…で?」

俺は梁の方へ顔を向ける。すると梁は

「壮馬様が心配されることはなにもございません。これはですから」

そう言って優しく微笑んだ。

(ちょっと待て、天罰?梁は何を言っているんだ…。というか先輩は死んだのか…?)

次々と不穏な疑問が浮かんでくる。

そう考えている間に、従者に引きずられた先輩が陣の前まで来ていた。従者が先輩の身体を抑えつけひざまずかせると、さすがに身動きが取れなくなったのか抵抗をやめた。

顔を上げた先輩がすぐ近くにいた俺に気づく。

「―っ。おい!壮馬じゃねーかよ。死んだはずのお前がなんでここにいんだよ!」

先輩は一瞬驚いた顔をしたが、すぐに怒鳴り声をぶつける。

国島くにしま先輩…」

思わずあの日々がフラッシュバックする。先輩の顔を直視できない…。

「おい壮馬ァ。聞いてんのか?なんでこんなところにお前もいんだよっ!ここはどこだなのか、なんでこんなことになってんのか説明しろ!」

先輩の声で少しずつ現世のトラウマが思い起こされる。震えがおきる…。

だんだんと呼吸が乱れ、過呼吸になりかける俺の肩に温かい手が触れる。

「壮馬様。ここは私にお任せください」

そう言って梁は俺の前に立ちはだかった。

「国島様。私が説明いたしましょう」

俺がきいたことのない冷ややかな声で梁は先輩を睨みつけると、今度は先輩の顔色がサッと変わった。

「お、おま…お前はの…!」

そう言って先輩は俺とは比べものにならないほど、がたがたと震えだす。

「私は国島様あなたがここへ来るのを心待ちにしておりました」

梁は先輩に一歩ずつ近づくが、先輩もまた後ずさる。

(どういうことだ…。先輩は梁のことを知っていたのか…?)

初めて目にする怯えた先輩の様子に、ただ事ではないと感じる。

「さて。先ほどのご質問ですが、あなたは現世でお亡くなりになられました。だからこうして地獄ここへいらっしゃった…。」

「-はぁ?」

梁の声を遮って先輩が声を発するが、梁も言葉を止めることなく

「まぁ、あなたは査定する必要なしに地獄堕ちとなりますがね。父上、この者は私が責任をもって処分を下しますが、…よろしいですね?」

そう言って梁は閻魔を一瞥する。閻魔も黙って首を縦に振った。

「それでは…」

「おい!てめぇ!ちょっ…待っ」

先輩が助けを口にする間もなく、梁の術によって黒い渦に飲みこまれていった。


「さぁ、壮馬様。今日の業務はこれにて終了です。今日はいつも以上に術を使いすぎました。一緒に美味しいものでも食べましょう」

まるで何事もなかったかのように梁が振舞う。そんな梁を俺は静止する。

「梁、待て。聞きたいことがある。…分かるな?」

俺がそういうと、梁は叱られた子犬のようにシュンと眉を下げ黙って頷く。

「まず、俺の上司はどうしてここへ来たんだ」

「壮馬様と同じです。あの方もお亡くなりになられたからですよ」

何をいまさらという澄ました顔で答える。

「じゃあ、ここと現世の時間軸はどれくらい違う?ここでの数日は現世での何十年にも該当するのか?」

「いいえ、地獄も現世も時間の経過に違いはありませんよ」

なおも澄ました顔を続ける梁に苛立ちが募ってくる。

「なら、なおさらだ。先輩はなぜ死んだんだ!」

別に先輩をかばいたいわけではない。ただあんな人でも俺の唯一の上司だ。新人の頃から世話になった人が死んだと聞いたらどんな人であろうと普通の気持ちではいられない。

「私が彼を殺しました」

梁が俺をまっすぐ見据えて言い放つ。

「―え?」

(梁が…?国島先輩を……?)

思いがけない言葉に頭の処理が追いつかない。

「な、なん…だって…」

「あれは、私からの復讐なのです」

梁は冷たい目ではっきりと言い切る。

「…は?復讐だって?お前が…?」

(あの梁が……先輩ヒトを殺した…?)

俺は梁のまなざしに耐えきれず後ずさる。そんな俺を梁はただ黙って見据えるだけだった。

俺はただ黙って梁から逃げた。


梁は追いかけてこなかった。

俺は自分の部屋に戻り、ただただ考えた。

(やっぱりどんなに俺に優しく接してくれようとも、所詮あいつも鬼に変わりないのか―。)

先輩が殺されたことはとてもショックであったが、それよりも俺の中では梁にという悲しみの方が大きかった。

(他のみんなは大丈夫だったのだろうか…。)

先輩以外にも梁に殺された人はいなかっただろうか…。だんだん不安が募っていく。

(―っ、もし深澄みすみにも危害があったら…。)

この日俺は、梁にすぐにでも問い詰めたい気持ちと、二度と顔を見たくない気持ちが拮抗きっこうした長い夜を過ごした―。





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