第六夜 未練



––ドォォォォッ


大きな音を立てて俺とリャンは地面へ倒れ込んだ。はたから見れば、なだれ込んだとも言える。

しかし、俺の身体はどこも痛みを感じていない。

倒れ込んだ衝撃でつむった目を恐る恐る開けて確認すると、梁が俺をかばうような態勢で下敷きになっていた。

「––っすまない!」

俺は慌てて身を起こすが、梁は笑いながら

「大丈夫ですよ。鬼は丈夫なので」

と爽やかに答えながら立ち上がる。

服に着いた草をはらいながら、

「私よりも相馬そうま様が心配です。大事なですので」

そう言って俺を確認する。

「いや、俺はもちろん無傷だ。問題ない。それより俺を庇ったお前の方が心配されるべきだ」

一見傷はなさそうだが、に傷をつけたらキョウや閻魔からどんな罰を受けるはめになるのか…。考えただけでゾッとする。


「急にどでかい音がしたと思ったら梁、おめぇだったのかよ」

「いつも冷静なあなたが一体どうしちゃったのよぅ…」

急に目の前に現れた二人が声をかけてきた。

梁がすぐさま俺を隠すように前に立つ。

(この二人いつの間に…。誰だか分からないがオーラが普通じゃない)

褐色の肌に赤混じりの髪、見た目からして気が強そうな奴と、色白で淡い髪色の二人組。

二人して長身で、とんでもなくツラが良い。

(なんだ…?梁の知り合いか…?)

俺が警戒して様子を伺っていると、

「お久しぶりです」

梁がうやうやしく挨拶する。

「相変わらずだな。以来だが、お前ももう大丈夫そうだな」

褐色の男からの言葉に「えぇ」と答えながら梁が俯く。

「シャオ、いくら同僚とはいえ口を慎むべきよ」

すかさずもう一人の色白の者が制した。

(このひと、口調が女性的だが声が低い。男か?)

俺の視線に気がついた色白が、興味津々で俺の顔を覗き込む。

「あら梁、こちらの方は…?」

「お二人にご紹介します。こちらは人間の壮馬殿です。現在訳あって私と行動を共にしております」

「ど…どうも」

俺も二人のオーラに押されながら、なんとか声を振り絞り挨拶する。

「壮馬様、こちらは上界の鬼、シェンシャオです」

(上界…。ってことはこの二人が梁が来る時に言っていた天国の鬼か…)

暁といわれた褐色の男は、怪訝な顔で俺を爪の先から頭の先まで舐めまわすように見る。

「よ、よろしくお願いします…」

視線に耐えきれず、俺は勢いよく頭を下げた。

「おい梁、がいなくなって気でも狂ったか?なんだってまたこんな人間なんかを…」

人間というのが気に食わないのか、暁は鋭い目で俺を睨みつける。

「暁、久しぶりに梁に会えたんだから険悪なムードはダメよ。梁も壮馬クンもごめんね。彼に悪気はないはずだから」

(仙ってやつ、こいつは優しそうで助かった…)

俺が少しほっとしている間に、今度は仙と暁とで押し問答が始まってしまった。


「壮馬様、安心してください。二人はいつもああなんです」

梁が俺にそっと耳打ちした。そして二人をなだめるように手をたたき、

「そういえばそうと、お二人とも今日はどういったご用件で地獄こちらへ?」

二人が口論をやめ、暁が一歩前に出る。

「お前とお前の父上に話があって来た」

「この前の死者選別中に興味深いものがあってね。その報告よ。あなたの父上にはもう会ってきたから、ちょうどあなたを探していたトコロ」

仙がちらりと俺を見る。

「とりあえず場所を移しましょ。梁と一緒にいるってことは壮馬クンはとっても大事なお客サマなんでしょ?かなり長い話になると思うし、梁の代わりに私が壮馬クンを見守るわ。」

そう言って仙は梁と暁に「いいわよね?」と声をかけた。

梁は少し心配そうな顔を浮かべたが、

「壮馬殿を何卒宜しくお願いします」そう言って頭を下げた。



あれから俺たちは梁の転移陣で閻魔堂に帰ってきた。

「じゃあ暁、任せたわよ。地獄の侍女ちゃんたちに目移りしちゃだめだからね」

そう言いながら仙が暁の頬にキスをする。

(!?)

俺はいきなりのことでフリーズする。

(えっ、い…いまキ、キスした…よな?)

暁の方も動揺を見せず、むしろ仙を抱き寄せ熱い抱擁を交わしている。

そんな俺に梁が

「あの二人、ああ見えて恋仲なんです」

ラブラブでしょ?なんて苦笑しながら耳打ちした。

「仙がついていれば問題ないかと思いますが、壮馬様、私がそばにいない間はくれぐれも気を抜かないでいてくださいね」

そう念を押して俺の手を握った。

「それでは…」そう言いながらなんとも名残惜しそうに、梁は暁と共に部屋へ入っていった。


俺も仙と共に隣の部屋へ移る。

「私は暁みたいに威嚇しないから心配しないでね」

そうウインクしながら、仙は奥にあるソファへ腰かける。

「じゃあ改めて私の方から自己紹介するわね。私は上界の鬼のシェン。さっきいたガラの悪いシャオってやつとパートナーなの。公私ともにね」

「えっと…失礼ですが仙さんって––」

「正真正銘、男よ?」

聞く内容がまるで分っていたかのように俺の質問をさえぎる。

「鬼の世界では性別なんて関係ないの。思いが通じた者同士ならだれでもつがいになれるのよ。壮馬クンはどうだったの?」

仙が目を輝かせて聞いてくる。この手の話が大好きなのだろう。

「俺は面白くないですよ。学生時代ぐらいしか付き合った経験はありませんし、大人になってからは恋愛する気持ちにすらなれませんでしたから…」

「そういえばあなた人間界で随分と過酷な環境にいたそうね。身体から抜き取った魂ですら『仕事が~』なんてうなされてたの初めてだったわ。あ、別に私たち死神なわけじゃないからね。これが私たちのなのよ」

仙が慌てて修正する。

「あぁ、そう言えば梁にもいたのよ」

「え?」

「番よ、パートナー!」

意外でしょ?何て言いながらくすくす笑っている。

(梁にも番がいたのか…)

俺がもっと聞きたいなんて顔をしてしまったのか、仙はもう少しだけ教えてくれた。

「あまり深くは言えないんだけど、梁のパートナー、実は急にいなくなっちゃったのよ…」

「えっ…」

仙が遠くを見つめる。

「壮馬クンは梁から私たちの術について何か聞いた?」

「えっと、確か鬼が扱う術は特殊で鬼術って呼ばれていて…。あとは術には種類があるって聞きました。さっき梁から冬の術を見せてもらって……」

「そう。鬼術は『春夏秋冬』に分かれてて、私は春、暁は秋に属してるの」

(仙が春で梁が冬、暁が秋ってことは…)

「あの、夏の術を使う鬼はいないのですか?」

この俺からの質問に仙はうつむく。

「…いたのよ。少し昔の話だけどジャンっていう鬼が」

(ジャン!夢に出てきた名だ…!)


自分の中での彼の記憶を辿る。

「彼はとても優秀だったのよ。ー今はもうここにはいないんだけどね…」

梁に夢のことを話した時、空気が変わったのはそのせいか…。

俺の中で少しずつピースがはまっていく。

「姿が見えなくなったのはここ数十年。彼の生死もはっきりしていないし、どこにいるのかも私は知らない。梁と蒋は小さい時から一緒に育ってきて、まるで兄弟のようだった…。だからこそ、梁は未だに彼を失ったショックが癒えていないんだと思うの。あの日からずっと気丈に振舞っていて見ているコッチが辛いわ。」

小さなため息をつき、仙はさらにソファに身を沈める。

「今、暁が梁に話している内容はに関係するコト。私からは何も教えてあげられないけど、まぁ多分近々あなたも知ることになるわ。だからこの話はもうおしまい」

そう言ってニッコリ笑った仙の話に俺はうなずくしかなかった。


「そうだ、あなたのコトをもっと聞きたいわ。あなたの死因ってたしか過労死だったわよね?若くして仕事で死ぬなんて珍しいもの。何かやり残したこととかないの?」

急な自分への問いに俺は急いで頭を巡らせる。

「やり残したこと…は、死んだ時に残してしまった仕事ですかね」

自分の骨の髄まで社畜魂が染み込んでいるのだろう。地獄に来てまでも仕事の心配をしてしまう。自分自身に呆れて笑うしかない。

「んもう、おもしろくない子ねぇ」

仙が不服そうに口を尖らせる。

「あ、でも本当に一番心残りなのは職場の方々ですかね…。うちの会社、業務量が多いうえに上司の圧力がひどくて、パワハラなんて日常茶飯事でした。特に俺の直属の上司は自分の仕事は後輩にやらせるくせに、後輩が出した成果を自分のものにしたり、自分が気に食わない者には手をあげたりするんです」

思い出すだけでも胃がキリキリしてきた。だんだんと早口になる。

「入社当初は負けるもんか!って意地はって喰らいついていました。でもその向上心が気に食わなかったみたいで、俺は良い標的になりました。毎日上司のパワハラに耐えながら、えげつない量の業務をこなすんです。俺以外の同期はみんなとっくに辞めました。過去にはうつになって社会復帰できなくなった方もいます。亡くなる前には後輩の指導も請け負っていました。とっても素直な良い子で……あぁ、この子には絶対に仕事で俺みたいな思いさせたくないなって思いました」

次々に溢れ出る思いをき止められない。自然と涙が溢れてくる。


俺の直属の後輩である深澄みすみは真面目で人懐っこくて俺と同じように向上心があった。他の部署からの評判も良く、若手のホープになりえる存在だった。俺はなんとしてもこの若い芽を摘ませたくなかった。だから上司の前では深澄が目立つことのないよう全て俺が矢面に立ってきた。でもそれができなくなった今、俺にはどうすることもできない。悔しくて一層涙があふれる。

(クソッ。仙がいるってのに、なみだ、ぜんっぜんとまんねぇ…。)

仙は俺の話をただ黙って聞いてくれた。

「俺が死んだら次の標的は絶対深澄になるだろうから、それが嫌で…怖くて…。俺はあの時死んじゃいけなかったんです。まだ守らなきゃいけない奴がいたのに…っ」

嗚咽を漏らす俺に仙が優しく声をかける。

「辛いことを思い出させちゃったね。でも壮馬クン、もう大丈夫。君が案ずることはもう何も無––」


–––ドゴンッ

仙が言い終わる前に隣の部屋から爆音が聞こえてきた。

(––っなんだ?梁たちに何が起こった?)

急いで外を確認しようとドアへ駆け寄る。

しかしドアを開けるよりも先に暁が部屋へ入ってきた。

「良かった、お前らは無事なようだな…。仙、今の音で気づいているとは思うが梁が

「やっぱり。ま、予想はしてたからべつに驚きはしないけど、あんな音させるなんてよっぽどだったのねぇ…」

俺には状況がさっぱりだが、この二人にはこうなることが分かっていたみたいだ…。

(ちゃんと味方で良いんだよな…?)

この暁ってやつが梁に危害を加えていないのなら、今の音は一体…。

「壮馬クン、安心して。今の音は梁が『人間界へ降りた』という事。…ま、理由はじきに分かるよ」

(梁が人間界へ…?)

急な仕事だろうか…。何も言わずにここに取り残されたことに不安がこみ上げてくる。

その時、背後から聞き覚えのある声が届いた。

「仙様、暁様失礼いたします。ただ今梁様の命にて壮馬様の護衛を賜りましたキョウと申します」

「––っ姜!」

振り返ると姜が頭を下げて立っていた。

「ちょうど良い。俺たちも今から帰るところだ」

「姜クン久しぶり!あいにくこの後の仕事が押しててね。感謝するよ。壮馬クンのことよろしくね」

暁と仙はそう言い残して嵐のように行ってしまった。


「梁様ですが今日の夜、遅くとも明朝にはお帰りになられるかと思います。ひとまず部屋へお送り致しますので、本日のところはお休みください」

そう言って姜は案内を始める。

俺は部屋に着いたあともずっと梁が心配で気が気じゃなかった。

仙が俺に話した『蒋』について関係があることなのだろうか…。色々なことが交差する中、俺は一晩中梁の身を案じていた。




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