第五夜 鬼術

陽の光が片鱗へんりんを見せ始め、もうすぐ夜が明けるのが分かる。

(地獄にも陽が昇るんだな…)

そんな事を考えながら窓の外を見つめた。

昨日のことが気がかりでなかなか寝付けなかった。

(今日からリャンと行動を共にするのか…)

俺が何か梁の気に触れることでも言ってしまったのだろう。はたから見ればそんな素振りは隠している様に見えるが、現世での処世術ゆえ壮馬は他人の考えを察知する能力にけていた

(もう二度と地獄ここでは誰にも夢の話はするまい…)

壮馬はひとり心に誓った。



数時間後、軽快なノックと共に梁が迎えにき

「おはようございます。改めまして今日からよろしくお願いいたしますね」

梁が初めて会ったときのように優しい笑みを見せる。

(良かった。昨日のことは気にしていない様子だ…)

ほっと息をつき俺も頭を下げる。

「今日から壮馬様には私の補佐として行動を共にしていただければと思います。それと、これから地獄を見てまわりますので目立たないようこちらを着ていただけますか?」

梁は俺に黒い布を手渡してきた。

言うまでもなく地獄ここへ来てからはずっとスーツしか着ていない。死んだ時の格好がそのまま地獄の自分に反映されるのことには俺自身、違和感は湧かなかった。まぁ、それ故にすぐ自分は死んだと自覚することができなかったのだが…。

それに部屋の中に簡易着は用意されていたので寝るときも困らなかった。


「では外におりますので着替えが終わったらお知らせください」

そう言って梁がきびすを返す。

梁から手渡された服を見てみると、梁や姜が着ている漢服のようなものだった。

(これは日本人が初見で着られるものじゃないな…)

服のパーツはいくつにも分かれている

俺は早々に諦め、外にいる梁に助けを求める。

「悪いが着替えるのを手伝ってくれないだろうか…」

大の大人が着替えの手伝いを乞うという事実に少し羞恥を感じながら、俺は梁を見上げる。

梁は嫌な顔一つせずに快諾してくれた。慣れた手つきでするすると紐をくぐらせる。

「すまない。こんなこと本当は従者に頼むべきことなのだろう…」

少なからず、『閻魔補佐』に頼むことではないと言うことだけは人間の俺でも理解できる。

しかし、梁は楽しそうな笑みを浮かべ、

「構いません。ここには壮馬様と私しかおりませんし。それに普段は着せ替え《こういったこと》なんて滅多にできませんので私も楽しいです。まぁ、キョウに見つかったら小言こごとを言われてしまいそうですが…」

秘密ですよ、なんて言って人差し指を口元に当てる姿はなんとも悪戯好きな子供のようだった。

俺もつられて笑顔になる。

梁のおかげで着付けはものの数分で終わった。また、明日は俺がひとりでできるよう、丁寧にやり方を教えてくれた。

「それでは私についてきてください」

俺は梁に礼を言い、言われた通り後に続いた。


部屋を出て長い廊下を進む。

「今日はこれから外に出ましょう。あなたに見せたいものがあるのです。」

俺は拷問中のグロいもんでも見せられるんじゃないかと内心気が気じゃなかった。

リャンが足を止め、術言で廊下の突き当たりにある大きな閻魔堂の門を開く。

(俺が初めて地獄に来たときにいた場所…)

少し冷たい外の風が頬を撫でる。

––そういえばもう何日ここにいるのだろう。あれから随分と日が経ったように感じる。

門から一歩踏み出しあたりを確認する。

暖かい陽の光が冷たい風を和らげる。先には砂利の混ざった一本道があり、周りにはいくつもの木々が連なる。

(これらは全て梅の木か…?)

「いかがされましたか?」

立ち止まった俺に梁が声をかける。

「いや、地獄も俺がもといた世界もあまり様子は変わらないんだなって思って」

「あぁ、そうですね…。私も仕事柄、人間の世界や上界に行くことがありますが、いずれも大きな差はありません」

「上界?」

「あなた方の世界で言う天国のような所です」

梁が再び歩みを進める。

(天国があるのか!)

死んだ人間は閻魔の裁きで地獄送りか転生かの二択だと聞いていたので驚いた。

「天国は転生途中で魂の交換が行われる場所でもあります。そこには私と同じ鬼もいるのですよ」

「天国にも鬼がいるのか…!」

「はい。上界の鬼とは定期的に顔を合わせますので、壮馬様も近いうちに顔を合わせることになるかと」

本当に知らないことばかりだ。天国の鬼だなんて聞いたことがない。


その後の梁の話では、天国は転生もとである魂が行き着く先であり、もとの肉体には新しい魂が宿るそうだ。その魂の管理を行っているのが天国の鬼の役割らしい。

俺の世界では鬼は地獄のイメージしかない事を伝えると、こいつはあっけらかんとした様子で理由を教えてくれた。

「たしか…数百年前、一人の人間が三途の川を渡らず引き返して命を吹き返したという例があります。ちょうど時を同じくして、補佐官に就任のしたばかりの私は脱獄しようとした罪人を悪鬼の姿で追いかけ回しておりまして…。その人間が対岸から私を見たゆえにそんな言われが生まれたのです」


なんてこったい。お前のせいで鬼に悪いイメージが織りなされたというのか。天国にもいるってのに、『桃太郎』や『一寸法師』なんていう童話には悪役でしか登場できなかったなんて不憫ふびんすぎるだろ…。

しかし、当の本人はあのときは若かったなぁ…なんて言いながらしみじみ振り返っている。

ひとまず俺は悪鬼になった梁を想像してみたが、すぐ余計なことだと考えるのをやめた。


――ほどなくして梁は湖のほとりで立ち止まる。

「では壮馬様、私から離れないように」

そう言われ、俺は言われた通り梁に数歩近づいた。

梁が何かを唱え始める。すると俺らの足元には転生の時のような陣が現れた。

梁の片手が俺の肩を抱き、胸元までグッと引き寄せられる。

耳元で「よく見ていてください」とささやかれ、梁がもう片方の手を振り上げる。

刹那、強い風と共に雪が舞い始めた。

(これは…!)

いきなり降り出した雪はどんどん威力を増し、湖を凍らせてゆく。

「壮馬様、いきなり驚かせてしまい申し訳ありません。これは鬼術きじゅつといわれるものです」

猛烈に吹雪ふぶく中、呆気にとられている俺に梁は、

「私の術、『とうじゅつせつ』はどのような場合でも冬を生み出します。雪や氷、気温でさえもすべて作り変えるのです」

そう説明した後、手を降ろし俺の手を握る。

さっきまで雪を操っていた梁の両手はひんやりとしていた。俺からの反応をうかがうかのように目をじっと見つめられる。

「えっと…。何から言えばいいのか…。とにかく梁がもの凄いってことは分かった!」

語彙力のない俺に梁は声を出して笑った。

俺はそんな梁を不覚にもかわいいと思ってしまった。

「では、先に進みながらもう少し詳しく説明いたしますね」

梁は笑いを隠そうともせず、俺の手を握ったまま楽しそうに歩き出した。


道中、梁は『術』について様々なことを教えてくれた。

術は選ばれた者しか使えないこと。そしてその中でも梁やキョウみたいに鬼が操るものは「鬼術」と呼ばれているのだそう。

「術も色々な種類に分かれていて、使う者によっても効果が変わるのです。私は冬術とうじゅつの使いなので、基本的に雪や氷を使うものになります。姜も私の門下ですので、冬術の使い手です」

「じゃあ、冬ってことは春とか夏もあるのか?」

梁の顔が少しだけ陰る。

「はい」

梁は寂しそうな顔でそう答えたきり、あとは何も言わなかった。

少しの間、沈黙に包まれる。

(梁の感情はいつも読めないな……。だが…)

俺は自分の右手を見る。こんな時でも梁は俺の手を離さなかった。

歩幅も背の低い俺に合わせてくれているのが分かる。

考えている事を察するのは人間と比べてだいぶ難しいが、多分俺のことを考えてくれている故の行動なのだろう。

––そう、自分に都合よく解釈させてもらうことにした。



「ーっどうして」

急に歩み止めた梁が不安げな声をもらす。

先を見ると数十メートル先を濃い霧が覆っていた。その霧は段々と俺たちの方へ向かってくる。

「相馬様、少しまずい状況が起こっています。絶対にこの霧に触れてはなりません」

俺に忠告したあと梁はすばやく陣を出し、氷柱を霧に向けて放つ。が、霧のスピードは依然として俺たちを捕らえるが如くスピードを上げてくる。

「ひとまず転移して避難します」

そう言うや否や俺を抱き寄せ足元に陣を作り出す。そして梁は俺を抱えながらその中へ一気に飛び込んだのだった––。













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