第27話-⑪ 特別執行、開始

 一五時二一分

 機関室


 カール・マルクスを稼動させるために必要なエネルギーを産み出す艦本式大型対消滅反応炉と、補助エネルギー源であるリシテア重工製コメット-492核融合炉を納めた機関室に、大公軍の戦闘員が雪崩れ込んだ。すでに特別徴税局側の整備員などは退避していたが、ここにも退避命令を無視して居座る者がいた。


「動力炉の管理室を制圧して、エネルギー供給を止めればいいだけだ! さっさと済ませるぞ」


 この部隊を指揮するのはマルティフローラ大公国領邦軍第三一陸戦師団所属の楊綜ようそう大尉は、四方に散っていく部下達の動きを注意深く観察していた。艦橋や電算室の確保に向かったチームは苦戦しているようだが、ここはスムーズに終えられそうだ……などと笑みを浮かべていた時だった。


『ふっふっふっ、ようこそカール・マルクス機関室へ。定命の者達よ』

「誰だ!?」


 薄暗い通路の奥から、白衣姿の老人が姿を現した。


「他人の家に入ってくるのにノックも無しとは。最近の若いもんはマナーも心得ておらんようだ」

「特徴局の者か!?」

「ふふふふ、まずは貴官の官姓名、ここに来た目的を告げるべきではないのかね?」

「……マルティフローラ大公国領邦軍、第三一陸戦師団所属、楊綜大尉だ。機関室は我々が占拠した。抵抗しなければ命は保証する」

「ほうほう、なるほどなるほど。占拠とはな。笑わせる! この特別徴税局徴税二課長、アルベルト・フォン・ハーゲンシュタインが手がけた艦だぞ。ネジ一本ケーブル一本まで貴様らに渡せるものか! うわははははははははははははははっ!」


 白衣をばさぁっとはためかせ、両手を広げたハーゲンシュタイン博士は高らかに告げた。


「あくまで抵抗するというのなら、排除するまで!」

「ほほう、殺すのか? こんな老人を殺すのは実に簡単じゃろうて……しかしいいのかな? 本当にワシを殺すのかな? その瞬間に……こうじゃ!」


 拳銃を向けられたハーゲンシュタインは、おどけた様子で肩をすくめて、指を鳴らす。その瞬間、機関室の複雑なパイプの一部が破裂して警報が鳴り響いた。


「な、なにをした!?」

「これと同じものが反応炉本体、反物質燃料槽に仕掛けてある。ワシの脳波が停止したら、自動的に起爆する仕掛けじゃ! 対消滅炉とその関連設備がどれほど精密で繊細な構造か、よもや知らぬなどということはあるまい?」


 信じられないことだが、反応炉は極めて微細な調整と、常に整備補修を行なう必要があるデリケートなもので、本来戦闘機動をするような戦闘艦に積むというのは自殺行為としか思えないものだ。ほとんどの艦艇では四基ないし三基、小型艦でも二基搭載して、常に補修を行なう必要がある。それでも人類が超空間潜航や超空間通信を用いるには、反応炉の大出力が必要不可欠だった。


 だから外側からの攻撃には極めて重防護を施されているが、往々にしてそういうものは内部からの一撃に弱い。


「き、貴様!? 脅しているつもりか!?」

「ほほう、信じぬか。貴様らが撃たぬのなら、ワシ自身が試しても良いのだぞ?」


 白衣の内懐から古風なリボルバー拳銃を取り出したハーゲンシュタインは、シリンダーを数回転させてからこめかみに銃口を突きつけた。


「うわははははは! ロシアンルーレットと言うらしいのう。弾は一発。六回後に死ぬか、このあとすぐか、ぐふふふふ、中々人間というのはこういう博打になるとワクワクするものじゃのう!」

「妙な真似はやめろ!」


 トリガーに力を込め、ハンマーが今まさに降りようとした瞬間、大尉が悲鳴のような声を上げて博士を制止した。


「抵抗せぬと言うなら、ここで大人しくしていろ! 総員後退せよ!」


 運転中の反応炉や反物質燃料槽が破損したら、帝都一帯が消し飛ぶ。その程度のコトは幼年学校の生徒でも分かる常識だった。とりあえず、戦闘員達を下がらせた博士が、白衣の襟を口に寄せた。


「こちらは時間を稼いだぞ。動力は確保してある」

『いやあ、すみませんねえ博士』


 永田の気軽な声に、さすがのハーゲンシュタインも苦笑いだった。


「あとはそちらに任せる。ワシは適当に逃げるぞ」

『よろしく頼んますわ。それじゃ、また後で』

「……本当に暢気だのう、あの局長は……まあよい、ふははははは!」


 博士は派手に白衣を翻し、弾が一発も入っていないリボルバーを投げ捨てると、機関室の奥へと消えていった。



 一五四五分

 向日葵の間

 特別徴税局特設野戦病院


 向日葵の間は宮殿でのパーティなどに用いられる一番広い部屋だが、今そこには、負傷した両勢力の人間が並べられ、呻いて、痛みから逃れようと蠢いていた。


「銃弾掠った程度の連中は鎮痛剤と消毒液でもぶっかけて廊下に並べておけ。キズが残る? いいでは無いか。名誉の負傷だ喜べと伝えてやれ。大公軍の兵士? 構わん連れてこい。トリアージを進めろ。誰であろうと命を失ってよいものではない。神は万人の命を救えと私にお告げになったのだ」


 カール・マルクス医務室長コンラート・ウリヤノヴィチ・ヤコブレフは、特徴局医療班を率いて宮殿内に野戦病院を構築していた。敵味方問わず応急処置から緊急オペまで行ない、できるだけこの戦いにおける死傷者を減らそうと奔走していた。


 見た目こそ怪しい呪術師シャーマンのようだが、医療技術だけは本物、ないのは医師免許だけだった彼だが、特徴局医療班の長として入局後は極めて真面目に、医者としての本分を全うしていた。



 一六時一一分

 装甲徴税艦カール・マルクス

 第一艦橋


「局長、局員の退避、大方完了しました」


 総務部オフィスから辛くも逃れたミレーヌが、局員の現在位置を確認して報告した。


「先ほど第三通路の西条部長とハーネフラーフ部長にも後退指示を出しました。二人が艦橋区画へ戻られたら、離脱可能です」


 秋山もホッとした表情で報告した。


「瀧山君達は?」

「まだ籠城中のようです。まあ博士がなんとかすると仰ってましたが……」

「サー達は?」

「もうこちらに来ています」


 秋山の足下には、サー・パルジファルをはじめ徴税部長室などを住処にしている猫たちがたむろしていた。猫に政争など無関係とばかりに毛繕いしたり、猫パンチの応酬をしたり、昼寝に勤しんでいた。


『こちら西条、ハーネフラーフ部長と共に艦橋ブロックに入った。後ろから連中が来てる、早く離脱してくれ!』

「よーしオッケー。離脱後はフリードリヒ・エンゲルスに全員移乗。戦闘可能な局員のうち志願する人は、突入済の渉外班に合流。大公の確保に向かう。艦長、よろしく」

「はっ。総員衝撃に備え! 艦橋区画離脱!」


 金属が擦れる音が響き、普段の重力制御機関とは異なる加速Gが掛かる。帝国軍艦は少しでも乗員の生存率を向上させるため、艦橋ブロックの切り離し機構を備えていた。これらは小型の反応炉を搭載し、独立した艦艇として移動可能なものだった。ただし、超空間潜航はできないのであくまで非常時の脱出艇としての能力しか持たない。


「うわぁ、ボロボロだなカール・マルクス。まだ修理できるかなあ」

「まあ、イステールの時に比べればかすり傷でしょう」

「じゃ、また戻るまでしばしお別れだね、カール・マルクス」


 永田はスクリーンに映し出されたカール・マルクス主船体に向けて、小さく手を振った。



 一六時一八分

 地下一階

 第四倉庫前


 ボロディン課長の指揮の下、犠牲を出しながらも特別徴税局突入部隊は地下へと大公軍部隊を押し込んだ。地上に比べて殺風景な内装の地下通路にいたボロディンは無線連絡に目を剥いた。


「なに!? 局長がこちらにくる!?」


 バリケードに隠れながら応射していた渉外班員達は、ボロディンの言葉になんとも言えない顔をしていたが、一様に『またいつもの気まぐれか』という雰囲気ではあった。


「まったく、最後の最後まで……! 大公の居所は!」

「捕虜によれば、地下司令室にいるのは間違いないとのこと」


 強襲徴税艦タバルザカ渉外班長ジェルジンスキーの報告に、ボロディンは頷いた。


「よし! ジェルジンスキーは一個小隊率いて、カール・マルクスから出てくる局長達を援護!」

「四課長は!」


 バリケードの間を抜けた銃弾が二人の間を通り抜けた。


「構うな! ここは我々で確保する!」

「了解!」



 同時刻

 第一機械化歩兵師団 前線指揮所


 機械化歩兵師団の前線指揮所に、その場に似つかわしくないスーツ姿の男がたばこを咥えて愛想笑いを浮かべていた。


「しかし笹岡徴税部長。私は宮殿を警備せよ、と命じられておるわけで、その内部で特別徴税局が戦闘しているなら、介入せざるを得ないのですが」


 師団長のジェームズ・アルヴィン・ギルグッド中将は、全く交渉に来た風には見えない風体の官僚を前にして判断を迷っていた。実のところ、彼らが命じられたのは師団長自ら言ったように宮殿警備であり、特別徴税局を排除せよとは具体的には指示されていない。それを理由に、この政争に加わることは避けたいと考えた師団長の独断で、宮殿内への突入を先送りにし続けていた。


 命令違反の四文字がちらつかない訳でもなかったが、すでに木星圏での戦闘のケリが付き、月軌道にギムレット公爵の艦隊が出現したとあっては、事態の帰趨も大凡検討が付いていた。


 ならば、今まで育ててきた麾下の師団を消耗させるは愚策、と考えたのも致し方ないことではある。


「ですから、こうして自ら出頭して宮殿内での戦闘には加わらぬように、と要請しているんですよ」


 笹岡は艦内で白兵戦が繰り広げられていた中、単身脱出してここまで来ていた。すべては第一機械化歩兵師団他、帝国軍部隊を宮殿内での戦闘に介入させないことにあった。


「こちらは国税法六六六条に基づく執行中です。邪魔するならば我々とて、あなた方と一戦交える覚悟はありますが……それではお互い犠牲も大きい。大公はいずれ捕らえられる。今あなた方が出ても無駄死にでしょう」

「しかしだな……時間稼ぎをしにきているというのは分かっている。まんまと出し抜かれたよ」


 轟音を上げて飛び立ったカール・マルクス艦橋ブロックを見上げながら、師団長はヘルメットを脱いで頭を掻いた。


「ともかく、あなたの言うことは理解はするが、今現在戒厳令布告中で、大公殿下からの命令が下っている以上、我々にはどうしようもないのですよ。そもそも戒厳令中の国税法六六六条の有効性について疑義があると思うのだが」

「師団長! 今はそのようなことを言っている場合では!」


 師団長が法解釈の議論を始めようとしたので、後ろで控えていた師団参謀長の嶋田少将が流石に止めに入ろうとした。


「参謀長、これは極めて重要なことなのだ。我々はあくまで法の下で動く軍隊だ。法解釈についての十分な理解が必要ではないかね?」

「しかし……」

「警戒態勢の兵達に交替で飯を食わせておけ。機甲師団のカートライトにもこちらへ来るように要請してくれ」

「師団長……」

「言うとおりにしろ」

「……はっ」


 渋々引き下がった参謀長を横目に、師団長は大きく溜息を吐いた。


「……宮殿内の戦闘は大公殿下の配下でなんとかなるでしょう。我々は数が多すぎる。宮殿内に入れば部隊の行動が制限されるし、同士討ちの危険もある。特別徴税局には速やかな事態の収拾を望むということでどうでしょうか」


 笹岡はこの師団長のことを高く評価した。首都防衛師団は帝都を守る最後の兵力であると同時に、帝権を簒奪しクーデターを起こすには最適な位置にある帝国政府の仮想敵でもある。政治的に中立でいることが帝国軍人の美徳とされているが、首都防衛師団は特にその傾向が強く出る、という笹岡の予想は的中した。


「願ってもないことです」


 吸い殻を地面に放り靴で揉み消した笹岡は、テーブル越しに師団長と握手した。

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