第27話-⑥ 特別執行、開始
〇七時二三分
国税省
大臣執務室
『斉藤課長、木星戦線から本隊がこっちに来ます』
上空にいるヴィルヘルム・ヴァイトリングの不破艦長からの通信に、斉藤はホッと胸をなで下ろした。これで叛乱軍側が艦隊戦で負けるようなら、斉藤達が国税省を制圧した意味が消滅してしまう。
その場合、斉藤達の行いは叛乱への荷担で内乱罪適用が考えられる。
「そうですか。艦隊戦は終わったんですか?」
『博士の作った無人艦が特攻してって、総崩れだそうで』
不破艦長は朝食のサンドイッチを片手に報告していた。そういえば朝食がまだだったな……と斉藤は大臣執務室の壁掛け時計を見て思い出していた。
「ああ、そうですか……博士の妙な発明品もたまには役に立つんだな」
どんなものが投入されたかまでは斉藤は聞かなかった。聞いたところでゾッとするか呆れるかのいずれかだからだ。
「となると到着は昼頃ですか……まだ外に動きは?」
『第一機械化歩兵師団が動いてるようです。第一機械化歩兵師団はすでにプラーター橋まで来てますから、官庁街まですぐですね』
帝都ウィーンは旧世紀から続く伝統的ウィーン市街地、俗に旧市街と呼称される地域と、ドナウ川東岸の住宅街や農地を再整備して作られた新市街の二つで構成される。官庁街がある新市街ドナウシュタット地区には、旧市街からドナウ川を渡るプラーター橋を渡るのが最短距離である。
『どうします? 橋を落としますか?』
不破艦長の提案に、斉藤は首を振った。
「やめときましょう。状況が好転するわけでもないし……シュヴェヒャトからここなら砲兵の射程圏内です。一応、砲撃を受けないかどうか気をつけといてください」
帝国軍は基本的に航宙艦を中心としたナンバーズフリートと呼ばれる第一から第一二艦隊までを主力とした軍隊だが、陸上戦力も備えている。砲兵については大気圏内外を飛行できる艦艇が実用化されてからはそちらが兼任することが多いが、旧来の砲兵も存在している。
シュヴェヒャトの帝都防衛軍団に編制された第三二砲兵連隊は、主力兵器として三五八式一五五ミリメートル自走電磁砲ボナパルトを主力として対艦、対地攻撃を主任務としている。自走電磁砲は射程三五〇キロメートルを誇り、ドナウシュタット上空に浮かぶ徴税艦など目と鼻の先、外すことがない距離だった。
『了解』
「よろしくお願いします。ところでアルヴィンさん、機動隊はどうですか?」
「第一、第四機動隊は相変わらず突入準備をして待機中だ。アイツらも大変だな。夜は冷え込むってのに」
大臣執務室からは方陣を組んで真面目に突入態勢を取っている機動隊がよく見える。アルヴィンは窓越しにそれを見て、手など振っていた。戒厳令下でなければテレビ局やお調子者が個人端末で突撃取材でもしているころだった。しかし、戒厳令下の報道は極度に皇帝または摂政の制限を受けるもので、木星圏で大規模艦隊戦が行なわれていることも、余程の天文マニアやミリタリーマニア以外には知られていない。
「この分だと、大公殿下は大分迷ってるみたいだな」
「突入させるならさせるで早く決断すればいいのに」
斉藤はアルヴィンの言葉に、他人事のように笑った。
「マクリントックさん、そちらはどうです?」
『正門近くの装甲車と各出入り口には爆破装置をセットしといたぞぉ』
機動隊が展開したことを受けて、すでに特別徴税局渉外班は防衛ラインを国税省ビル内部に移していた。重装備については撤収させると動きが派手になるので、そのまま放置することとして、爆破させて敵の突入を阻止することを企図している。また、各出入り口も開けた瞬間にスイッチが入るトラップを設置した。
「了解。ゲルト、各階段エレベーター抗は?」
『全員を最上階へ避難させ終わったら、エレベーターはケーブル切って落として、縦坑と階段には爆薬を設置しておく。突入を確認次第爆破するわ。電算室への通路はどうする? 爆破して埋めてしまえば、当分電子妨害は続けられるけど』
「それやると後が大変だな。却下で」
『了解』
すでに斉藤の頭の中では国税省籠城については特別徴税局本隊が地球圏に来るまでと考えており、今行なっているのは完全に脱出の為の時間稼ぎだった。
「よし。それじゃあ朝食にしようか。大臣方もいかがですか?」
第三会議室から指揮所を執務室に移したのは、大臣達の監視を斉藤自ら行なうためだった。
「貴様ら何を考えているんだ! あれが見えないのかあれが! 警察機動隊に首都防衛軍団だぞ! 勝ち目などない!」
「当面突入はできませんよ。国税大臣閣下らの身柄を、帝国政府がトカゲの尻尾にするのかどうかに掛かっていますが」
「斉藤君!?」
大臣達は縮み上がった。マルティフローラ大公の性格上、そういう非道なことは好まないだろうが、政権幹部、特に内務大臣辺りが進言することは考えられた。
「皆さん、朝食ですよー」
緊迫感のある会話の最中、ソフィとハンナが朝食を持ってきた。ヴァイトリングの食堂製のサンドイッチセットだ。
「まあ大臣、政務官、官房長も事務次官も、食べながら話を聞いて頂ければ」
「よくもヌケヌケと……」
文句は言うものの、大臣達もハンストをしたところで意味が無いことは分かっていたので、サンドイッチやコーヒーに手を付けた。
「毒が入ってないかとか気にしないんですね」
「!?」
「冗談です」
飲みかけのコーヒーを吹き出しかけた大臣に、斉藤はヘラヘラと笑って見せた。
「そんなことしても僕に利はありません」
「斉藤君、冗談が過ぎるのではないかね……」
官房長は青ざめた顔でサンドイッチに手を付けた。
「よく考えてみてください。永田局長が糾弾しているマルティフローラ大公らの使途不明金問題とそれに関わる脱税や武器等集合準備罪、外患誘致罪、機密漏洩罪といった罪状は、大臣方が関与したものは少ないはずです。前国税大臣の代に調査を停止するように命じたそうですが、それこそ大臣方には伝家の宝刀が残っている」
「……知らぬ存ぜぬで押し通せと?」
事務次官の言葉に、斉藤は頷いた。
「はい。戒厳令が解除されたら、世間の批判は大公派の議員や国庫支出を管理する財務省、与党議員に向くでしょう。そこで国税省としては、永田局長の提出資料を基に、帝国政府に対して内部監査を行なうのです」
「政府に対してか?」
「なるほど。とりあえず国税省が巻き添えを食って火だるまになることは避けられるか」
斉藤は国税省幹部達に助け船を出した。政治家や官僚はこういった逃げ道についてめざとい。大臣と政務官、官房長と事務次官が目を輝かせた。
「マルティフローラ、フリザンテーマ、コノフェールの三領邦についても国税査察権を行使して、いち早く対処をすれば、少なくとも批判は最小限で躱せるかと」
「しかし、そんなことをしたら次の選挙は」
「どのみち与党は大敗しますよ」
斉藤の言葉に大臣と政務官は項垂れた。
「永田局長の提出資料が明るみに出たら、一〇年政権を担ってきたラウリート政権が責を問われるのが当然です」
「斉藤君……」
「議席に拘られるのであれば、やはり率先して帝国政府を内部から糾弾すべきです。財務省の鼻っ面を叩き折るにはいい機会でしょう」
元々国税省はジブリールⅠ世の御世に財務省から国税徴収権を分離する形で成立した官庁だ。そのせいか財務省官僚には、国税省を財務省の外局のように扱う不埒な者もいる。彼らは国税省のことを財務省国税局と言って憚らない。そういう連中に冷や水を掛けることにも使える、と斉藤は暗に示した。
「なるほど……」
「大臣と政務官は、次の選挙で改選議員ですよね? 政権は野党と交代するでしょうが、ミスター国税としてご意見番を気取るなんて道もあるのでは」
斉藤の笑みに、シュタインマルク大臣は見覚えがあったが、その場では誰の物か思い出せなかった。
斉藤が浮かべた笑みのオリジナルは、永田閃十郞のそれだと分かるのは、その二時間ほど後のことだった。
〇八時〇三分
ライヒェンバッハ宮殿
楡の間
「大公殿下! 木星戦線の戦況がようやく届きました!」
「通信が回復したのか?」
「超空間通信はまだですが、戦場から離れた伝令の艦艇から通常通信で……こちらをご覧ください……!」
木星から地球まで通常空間通信、つまり電磁波帯域を使った通信を行なうと、片道五〇分前後かかる。ようやく届いた戦況は、大公達を落胆、あるいは恐怖させた。
「本国軍は何をやっている……!」
総崩れとなった戦線の様子を見て、マルティフローラ大公は声を荒げた。とはいえこれは大公自身がギムレット公爵を侮っていたことに他ならない。彼自身が前線に赴いていれば、少なくとももう少し中央軍は自由な采配を無理なく振るうことも可能だった。
「敵艦隊後方から増援が現れ、体当たりを仕掛けてきたと……」
「無茶苦茶だ! 何を考えているのだ、ギムレット公爵は!」
フリザンテーマ公爵も怒りを楡の間の応接机にぶつけた。彼自身、まさかこの際に用いられたのが自分の領邦で秘密裏に建造していた無人艦が元になっているとは皮肉なことだったが、幸か不幸か彼自身がそれを知ることはない。
「大公殿下、第二波の通信です。木星軌道防衛線を突破した艦隊があります。本国へ向かっているものと」
カアナパリ参謀長の言葉に、コノフェール侯爵が顔を青ざめさせた。
「殿下……畏れ多いことながら、最悪の決断も……」
その言葉に、大公は唇を噛んだ。
「帝都放棄か……」
「ならん。それだけはならん。我々が撤退すれば、それそのものが我々の行動が不当行為だと認めることになる! 奴らは帝都を戦場には出来まい! 固守するのだ!」
フリザンテーマ公爵は断固、徹底抗戦を主張した。
「しかし! 敵艦隊の強襲降下が行なわれれば指揮どころではありません。ブラチスラバの代替予備施設への移行準備は進めるべきかと!」
「……」
マルティフローラ大公は決断に迷った。ここで帝都を放棄してブラチスラバの代替予備施設群に拠点を移せば、体制は立て直せるかもしれない。あちらには帝都よりもさらに分厚い防御を誇るシェルターもある。
しかし、戒厳令を布告し、賊軍討伐を命じた大公自身が帝都を離れれば自身の不利を印象づけてしまう。正当性を主張するには、涼しい顔で帝都に居続けなければいけない。最前線に赴かないのならばその位はしなければならないのが大公の立場だった。
「帝都でギムレット公爵を迎え撃つ。国税省は機動隊に任せておけ。シュヴェヒャトの首都防衛軍団には、宮殿周囲を固めさせろ」
大公はさらにもう一つの決断を下した。
「国税省に機動隊を突入させろ。直ちにだ。国税省職員は保護せよ。特別徴税局局員は、投降しない場合射殺を許可する」
「はっ!」
〇八時一六分
国税省前
機動隊臨時指揮所
四九二式移動現場指揮車の内部は異様な緊張状態だった。警察機動隊隊長、首都警察幹部達が一様に暗い表情をしている。
「大公殿下より直ちに国税省制圧を命じられた」
治安警察を統括する警察庁長官のヨッヘム・ツィーラーは、重々しく切り出した。
「しかし、連中は徴税艦を自爆させる用意まであると言うではありませんか」
第一機動隊隊長のマリクルス・オリベラの言葉に、第四機動隊長のマラート・トゥマーノフも苦々しい顔をしていた。
「そうでなくても、連中は囚人やら懲罰兵を揃えた愚連隊。機動隊側の損耗もかなりのものに……突入しろと命じるのならばそうするのが我らの仕事ではありますが」
機動隊側としては、上空に鎮座する徴税艦の爆沈に巻き込まれるのは御免だ、というのが総意だった。さらに言えば、もし本当に国税省諸共徴税艦が自爆した場合、指揮所にいる自分達も消えて無くなる、とツィーラー長官の脳裏には懸念があった。ブラフだとは分かっているが、それでもパンドラの箱を開ける気にはなれない。
「長官! シュタインマルク大臣より、警察庁長官と話がしたいと連絡が!」
補佐官が慌てた様子でメモを手渡す。ツィーラーは目を見開いた。
「すぐに繋いでくれ」
『国税大臣のシュタインマルクだ。警察庁にはこの件についてご足労をおかけして申し訳ない』
国税大臣は平素と変わらない様子だったので、ツィーラーは安堵した。
「ご無事でなによりです。何か危害を加えられたり、脅迫されてはいませんか?」
『特別徴税局は法に基づいた行動を取っている。ところで、そろそろ大公殿下より機動隊の突入命令が来たのではないか?』
「お察しの通りです」
『特別徴税局は一〇時を持って査察を終えると言っている。突入はそれ以降ではダメなのか?』
「直ちに、と言われておりますので」
『……ところで、長官は例の資料は見られたのかな?』
シュタインマルクが言う例の資料とは、永田が作成した使途不明金問題とその関連事項に関する資料だ。すでに帝国各官庁、各メディアに出回っている怪文書ではあるが、ツィーラーもそれを見ていた。
「見てはおりますが、警察庁としては真偽を確認出来ません」
『次の選挙のこともある。お互いここは穏便に運びたいものだが』
「……」
ツィーラーも当選五回のベテラン議員で、シュタインマルクの言うところは理解していた。今、大公に味方することが次の選挙にどう影響するのか、ギムレット公爵の叛乱が半ば成功しかけていることは自明だった。
『査察が終われば、穏便に特別徴税局は撤退する。突入をそれまで引き延ばせないか? ツィーラーさんのことは、私も弁護するから』
「……この内容は内密に。では」
ツィーラーは大公の命令と次の選挙の議席のことを天秤に掛け、後者を取ることにした。
「機動隊は全員、休息を取れ。一〇時から国税省内に突入する」
突入指示には従うが、その瞬間に特別徴税局は撤退。穏便に国税省ビルは開放された、ということにするシナリオがここに誕生した。命令に背いたわけではない、現場部隊の状況を鑑みてやむを得ないことだった、と一同は納得することにした。
「しかし、それでは大公殿下の命令に背くのでは?」
補佐官の言葉に、ツィーラーは苦笑いを浮かべた。
「これは手堅い賭けだよ。それに機動隊も突入命令を待ったせいで疲弊している。腹が減っては戦は出来ぬというだろう。精々ゆっくり朝食でも取ることだ」
ツィーラーの笑みに、第一、第四機動隊長はこれだから宮仕えはイヤなんだ、と互いの顔を見合わせながら、無言で互いの意思を確認した。
同時刻
国税省
大臣執務室
「これでいいのかね?」
「はい。一〇時を持って我々は撤退します。ご協力感謝します、大臣閣下」
斉藤の笑みに、シュタインマルクは背筋にイヤな汗が流れた。
「……これで私も君達の共犯だ。我々の弁護に君達が全力を注いでくれることを期待しているよ」
「はい、それはもちろん」
シュタインマルクの言葉に、斉藤は満面の笑みで返した。
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