第27話-① 特別執行、開始

 帝国暦五九〇年三月二四日

 帝都標準時〇九時四五分

 クリサンセマム大聖堂

 

 帝国国教会は、帝国建国後に既存宗教の影響力を削ぎ、既存宗教が帝国の運営に影響を与えることを防ぐために作られたものだが、既に帝国建国から五〇〇年以上経って、民衆の信仰心というものは本物である。


 その総本山たるクリサンセマム大聖堂は皇帝廟と皇帝の居城であるライヒェンバッハ宮殿の中間にある国教会の総本山だ。


 重厚な石造りで、細かな彫刻が施された伝統的建築物に見えるが、ほぼすべてが大規模建築用の躯体プリンタで成形された近代建築だ。しかし、それでもすでに建造後五〇〇年以上経過し、国有文化財として登録されている。


「鰯の頭も信心からってね。国教会がこんなに帝国臣民に広がるなんて、すげーことだよなぁ」


 マクリントックは特徴局儀仗部隊を率いて大聖堂前の各方面の儀仗兵と肩を並べていた。帝国中央軍、近衛軍、東西南北方面軍に加えて、領邦軍や星系自治省治安維持軍、国土省交通機動艦隊、自治共和国軍防衛軍など多岐にわたる。


 なお、葬儀当日である三月二四日は臣民の休日となったので、大聖堂から離れた公園などではパブリックビューイングが行なわれているし、大聖堂の周囲も数万の群衆が集まっている。


「そろそろ大公殿下らの車列が来るようです。総員気をつけ!」


 マクリントック達と同様、儀礼用の礼服に身を包んだゲルトが特徴局儀仗部隊に号令を掛ける。


「あいよ。ところでゲルトちゃん、斉藤の野郎はどこ行った?」

「中央税務署ですって」

「あんにゃろ逃げやがったな……」

「来ますよ……ささーげーつつ!」


 皇統達の乗るリムジンの車列に、儀仗部隊が次々と捧げ銃の姿勢を取る。葬儀の開始まで、あと一五分。



 〇九時五五分

 帝都中央税務署

 第四会議室


 マクリントックに逃げたと言われた斉藤だったが、彼には葬儀よりも重要な仕事があって中央税務署に来ていた。


「久しぶりだな、斉藤君」

「お久しぶりです、アングブワ統括官」


 出迎えたアングブワ統括官とは、帝国政策投資機構の税務調査で一緒に仕事をして以来の再会となる。


「永田局長とロード・ケージントンから話は聞いているよ。まさかあの問題にケリが付くときが来ようとは」


 アングブワが会議室のモニターに出した資料は、マルティフローラ大公国以下領邦国家の歳入データだった。


「この通り、いずれの領邦も領邦国税、領邦国債、領邦交付金、国庫支出金、領邦国営企業の収益で賄われている……が、マルティフローラ大公国、フリザンテーマ公国、コノフェール候国はこのデータ通りではない、というのがそもそも永田局長が使途不明金問題を見つけたきっかけだったそうだ」


 斉藤が永田が託したデータを自分の端末に読み込ませてモニターに転送する。


「国庫から引き出された使途不明金は現時点で四五〇兆帝国クレジット。これらは帝国からの国庫支出金、領邦交付金の会計の中に巧妙に仕込まれていた。しかし、これらを歳出と照らし合わせると、どこにも出て行っていない未執行予算のはずだ。これらは国庫に返還されるか繰越予算として翌年度の予算に反映されるのが通例で、そうなっている筈だった」


 アングブワ統括官はそう言うと首を振った。斉藤は頷いてアングブワの言葉の続きを引き継ぐ。


「すべての資料の数字を操作して、返還されたように見せかけていた、と」


 通常、未執行予算の返還がなければ、次年度への繰越予算となる。その分翌年度の交付金や支出金で調整されるものが、されていない。すべての未執行予算はいずこかへ消えていた。


 一礼としては領内惑星開拓予算を割増ししたり、デベロッパーへの支払額を水増ししていた。古典的だが分散すればするほど気付かれにくい。永田がまとめた資料にも数万社に渡る細かな財務記録が集約されていたが、国税当局個々の企業の税務調査だけでは、これに気付かないかも知れないと斉藤は感じていた。


「永田局長が当時、この問題に気付いたのはそれらの問題に関連した各企業の国税納付額を計算した現地国税局の計算と、本省領邦課で試算した額が合わないことが始まりだったそうだ」

「統括官も手伝っていたのですか?」

「それに気付いたのは、永田局長、当時の領邦課長が特徴局に島流しにされてからだったがね」


 アングブワは会議室に備え付けの冷蔵庫からコーヒーを取り出した。


「コーヒーでもどうだ?」

「いただきます」

「帝国政策投資機構の案件で君達と仕事したとき、遅かれ早かれ永田局長はこの問題にケリを付けるつもりでいたんだと確信したよ。有耶無耶になどしないと、そう決めていたんだろう……既に一〇年前、この問題は答えが出ていた。しかし、分からないこともあった」

「なんです?」

「それだけやって、隠した金の行く先だ。領邦軍の強化や行なうにしても、四五〇兆もの金をどこでどうバレずに使うかが、我々に残されていた疑問だった」

「正面装備や軍人の給与などに反映したらイヤでも分かる。しかし、その兆候は薄かった――」


 その時、鐘の音が会議室まで響いた。


「葬儀が始まったようだな」


 音の正体は、クリサンセマム大聖堂で行なわれている皇帝バルタザールⅢ世の葬儀の開始を告げる鐘の音だった。



 装甲徴税艦カール・マルクス

 第一艦橋


「しかしまあ、儀式ってのは肩が凝るねえ」


 カール・マルクス艦内では帝都クリサンセマム大聖堂での葬儀の中継が至るところで流されていた。とはいえ、大半のクルーや局員は日常業務に追われながら横目で眺める程度だったが。しかし、永田だけはフラフラと艦内を行き来して、最終的に艦橋のオブザーバー席、つまり執行中の普段の定位置に収まっていた。


「中継見てるだけじゃないですか」

「それもそうだけどさ」


 入井艦長に言われて、永田はへらへらと笑った。


『参列者の皆様、ご起立願います。皇帝賛歌を捧げた後、一分間の黙祷を捧げます』


 葬儀を進行するのは帝国国教会の国教会側最高階位にあたるウィーン大主教ミラ・ルジイマナで、黒々とした肌に年齢を感じさせない愛嬌のある顔立ちをした小柄な女性だ。


 ブリッジ内で仕事をしていたクルーや秋山が起立するのを見て、永田もやや面倒そうに立ち上がる。


 近衛軍軍楽隊の演奏で皇帝賛歌の斉唱が終わると、クリサンセマム大聖堂の鐘の中継に切り替わり、古びた青銅の鐘が打ち鳴らされる。それとともに、全員が目を伏せ、黙祷を捧げた。



 クリサンセマム大聖堂


 大聖堂のうち最大の容積を誇るクリサンセマム・ホールはには、皇統貴族のほぼ全員と帝国貴族のうち伯爵以上の位階を持つ者のうち希望者から抽選で選ばれ、帝国中央政府大臣級、各省庁事務次官級、それに領邦政府と自治共和国の代表が、各自の宮中席次に応じた席を割り当てられていた。


 特に内陣と呼ばれる主祭壇の近くとそれ以外の身廊しんろうは、巨大な内扉で区切られており、内陣に参列するのはごく一部の高位の貴族、首相や各省大臣、それに皇帝の家族と聖職者だけだった。


 それ以外の人間はそもそも大聖堂に入ることすら許されず、大聖堂周囲の広場などにいて、葬儀が終わった後の皇帝の棺を見送るために待ち続けている。


「いやぁ、案外寒ぃわ。もうすぐ四月だってのに」

「ウィーンはいつもこんなものですよ」


 露店でコーヒーを買ってきたアルヴィンが人並みを押し分け、その最前列にいたハンナとソフィの元へたどり着いた。


「……別にヴァイトリングで中継見ておけばよかったんじゃないの?」


 ハンナが元も子もないことを言うと、アルヴィンが芝居がかった仕草で首を振る。


「いやいや、こういうのは直接見るから記憶に残るんだってばよ」

「何がだってばよ、よ……ソフィちゃん、ゲルトちゃん見える?」

「うーん、分からないですね……あっ、あれじゃないですか?」

 

 ソフィはハンナにオペラグラスを渡した。ソフィの指さす方向には、寒空の下、立ったままの儀仗部隊が見えた。


「寒いのにゲルトちゃん達も大変ねえ。マクリントック班長も暇そうにしてるわ」

「手でも振ってみます?」

「振り返すような状況じゃねえわなあ……」


 アルヴィンが苦笑いしていると、大聖堂の大扉が開かれた。中からは聖歌隊による鎮魂歌の合唱が聞こえてくる。


「お、そろそろ出てくるか。よく見とくんだぞぉ」


 リンデンバウム伯爵の紋章旗に帝国宝物レガリアである冠、笏、頸飾が載せられた皇帝の棺を、近衛師団の士官が担ぎ、その後ろをマルティフローラ大公、フリザンテーマ公爵ら皇統のトップ達が続く。棺を乗せた馬車を先導するのは、騎馬したギムレット公爵ら近衛の騎兵部隊だ。


 重苦しい葬送行進曲が近衛軍軍楽隊により演奏されながら、皇帝の棺と皇統達が列をなして、皇帝廟までの一キロメートルほどの道を行く。


「次に見るのはまた半世紀後か。誰になるかは知らねえが、長生きして欲しいもんだなぁ」


 などとアルヴィンは宣ったが、そもそもアルヴィンの寿命はどうなっているんだろう、とハンナはその場で言うにはあまりにも不穏当だったので、心の内に留めておいた。


 隊列が過ぎ去り、人垣が移動を始めたちょうどその時、アルヴィン達の個人端末から通知音が鳴り響いた。


「おお? 非常呼集? なんじゃいな。とりあえず、ヴァイトリングに戻るとするか」


 アルヴィンはハンナとソフィを小脇に抱えて、人波を縫うように受けていった。



 ヴィルヘルミーナ軍港

 巡航徴税艦ヴィルヘルム・ヴァイトリング


「艦内待機ぃ? おい斉藤、マジで言ってんのか?」


 アルヴィン他、多くの局員は斉藤を囲んで詰め寄っていた。皇帝葬儀の後、一般臣民は特段やるべき行事はないが、葬儀にかこつけて呑むのが慣わしである。ましてお祭り大好き呑むのが人生の特徴局員が艦内待機を命じられれば、こうなるのは必然だった。


「理由はまだ話せませんがともかく指示に従ってもらいます。別に呑むな歌うなと言ってるわけではありません。酒保は解放しますし、僕が命じたら酔い覚ましを一服して貰えば済む話です」

「けどよぉ」

「酒代は局持ちです。少なくとも日付が変わるくらいまでは飲んでいてもらって構いません」


 斉藤が特課長に就任してから、このような形の指示が出ることは初めてだった。ともかく、酒代局持ちの一言は特に渉外班の荒くれ者達には効いたらしく、一時騒然となった艦内は落ち着きを取り戻した。


「斉藤よぉ、何か隠してないか?」

「アルヴィンさんに隠し事なんかしないですよ。ただ期日まで黙ってるだけです。さ、食堂で皇帝陛下の弔い酒でも飲みましょう」

「カッコつけてハンナやソフィちゃんやゲルトちゃんに潰されんじゃねぇぞぉ」

「分かってますよ」


 なお、この後斉藤とアルヴィンは食堂へ向かったが、その時点ではすでに皇帝万歳の掛け声と共に酒盛りが開始されていたという。

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