第26話ー③ 臣民最大の悲しみに送られて(公式発表)
装甲徴税艦カール・マルクス
局長執務室
「……ところで局長、今回はどういう名目で帝都に向かうんです?」
斉藤は先ほどはぐらかされたいいことの正体を確かめておくことにした。
「名目、ね。斉藤君、性格悪くなってきたんじゃない?」
「四六時中局長やロードの指示を受けていたらそうもなります」
「お、言うようになったねえ。感心感心」
永田は満面の笑顔で頷いた。
「表向きはヴァイトリングの重整備と、皇帝崩御に伴う弔問および儀仗兵派遣……ということになる。で、大公殿下が戒厳令布告して皇帝選挙延期したら国税省を占拠掌握してほしい」
「……はい?」
永田の言葉を一度では咀嚼できず、斉藤は思わず聞き返した。
「国税省を制圧――」
「待ってください!? どういうことです!? 戒厳令とは?」
「戒厳令とはって、そりゃあ戒厳だよ」
帝国における戒厳令は、皇帝、もしくは摂政が議会に要請して発動する皇帝大権の一つで、戦時またはそれに準じる非常事態を想定したもので、国民が本来持つ権利や自由を大幅に制限することが可能になる。また、国事行為についても皇帝、摂政の一存で決裁できる。
「まあ僕も戒厳出すなんてところ見たことないけど、これは高い確率で起きうるシナリオだ」
永田はガサゴソと机の上を漁り、合成紙に出力したリストを斉藤に差し出した。
「これ、去年の今頃の皇帝選挙の有名ブックメーカーのオッズ。どれもマルティフローラ大公が一.七倍前後。これが今年」
ヨットレースの出走表のようなリストには、永田が何事かを書き込んでいたが、去年も今年も大公に消し、とメモがなされていた。
「三.五倍……去年二番人気のギムレット公爵が二.三倍で逆転していますね。でも投票するのは皇統の方々でしょう? 一般臣民の、それもブックメーカーのオッズで決まるわけではないでしょう」
ブックメーカーはある意味世論を映す鏡ではあるが、所詮は賭け事。人の欲が入るから正確な世論ではない。しかし賭ける対象への期待、というのが大きな割合を占めることもある。
「ちょっと違うな。オッズに影響するくらいギムレット公爵が皇帝にふさわしいと世論が形成されているんだよ。世論というものは当然、皇統も無縁ではない。皇統だって人間だし、憲法上、皇帝は帝国臣民の信任を得てその地位を許されているんだよ。斉藤君はどう思う?」
「領土拡大政策を支持しない臣民が多いことは理解出来ますし、ギムレット公爵の鮮烈さは世論形成の一助となっているでしょうが……」
永田が見せてくれた国防省の机上演習の結果は、詳細を省いたりぼかした形で既にニュースとして広がりつつあった。
「僕の見立てでは、最終的にギムレット公爵は六割から七割程度の得票率になると思う。ただ、その皇統選挙がまともに行なわれればの話だけど」
「選挙の不正でもするのでしょうか?」
「選挙自体の無期限延期」
「まさか、局長はマルティフローラ大公が摂政として、戒厳令で延期を行なうと? しかしどんな法的根拠で?」
自分が皇帝選挙で負けるのが戒厳令布告のための根拠と言われても、誰も納得しないと斉藤は憤慨した。
「帝国って、実はいつもちょっぴり非常事態なんだよ。版図の外縁部では賊徒がうろちょろしてるし、自治共和国では分離独立運動が度々起きてる。連中が支援する帝国内の協力組織も多い。これを事由として戒厳令を布告する」
「まさか!?」
「議会は政権与党が上院も下院も過半数。やるならこのタイミングしかない。流石に葬儀を終えてからでないと、外聞が悪いなんてもんじゃないけどね」
「いつまでも、そんなことができるわけがありません」
「戒厳令中に公爵を
「殺っちゃ……暗殺ということですか?」
「大公殿下がなんで内務省押えてるか考えたら分かるでしょ。政敵暗殺。まあ覇道だし修羅の道だねえ」
永田は暢気に湯飲みの茶を飲み干した。彼自身、内務省の手のものに狙われていたというのに暢気すぎると、斉藤はいつものことながら、自らの上司の胆力、あるいは鈍感さに敬服するやら唖然とするやらだった。
「そんなことしたら……」
「まああんまり明るい治世にはならないだろうねえ。帝国始まって以来の粛清の嵐が吹き荒れるかも。で、僕らも多分お払い箱だよ」
「そこまでするとお考えですか」
「半年くらい前に特別徴税局は所属不明艦に攻撃されたでしょ? その前には電子攻撃も受けた。皇帝になった大公殿下は大手を振って僕らを排除できる。特に僕なんかは、辺境の税務署にでも飛ばされた後、不幸な事故死だろうね」
「使途不明金問題も闇に葬れる、ということですか」
永田は斉藤の言葉に、ニヤリと笑った。
「斉藤君。僕はね、最初からこのために特別徴税局を再建したと言っても過言ではないんだ。戦闘艦を揃え戦闘員を集め、武器を溜め込んでいつでも使途不明金問題で帝国のトップ達を殴りつけるつもりでいた」
永田はたばこを咥えて火を付けた。鼻を突くツンとした香りが、執務室に満ちる。
「今を逃せば今後はマルティフローラ大公を糾弾するのが難しい。皇帝となったマルティフローラ大公は、帝国を意のままに動かせるのだからね。今ならまだ、領邦軍と本国軍だけ相手にしていれば済む。方面軍のことは、恐らくギムレット公爵殿下が何か手を回しているだろうからね……」
永田が吐きだした紫煙は、ゆっくりと揺らいで昇って、天井の換気口に吸い込まれていった。
「使途不明金の使途だって、明らかになればいずれもマルティフローラ大公やその周囲の皇統グループを吹き飛ばすだけの威力がある。だから僕個人を、先日は特別徴税局ごと先に消してしまおうということだったんだけど……」
永田はそう言いながら、背広の内ポケットをまさぐって、斉藤に小さなデータチップを内蔵したカードを差し出した。
「これは使途不明金問題のすべての情報を詰めたものだ。この帝国に二つしかない。一つは僕が、もう一つは斉藤君に持っておいて欲しい」
「僕がこれを……!?」
名刺サイズのそれが、帝国上層部を吹き飛ばすような威力を持っているとは思えず、斉藤は永田の真意を疑った。
「斉藤君、今後、恐らく大公殿下が戒厳令を布告した段階で、ギムレット公爵が叛乱を起こす。少なくとも僕はそれに加担し、公爵が戴冠するのを援護する。それがこの事案の解決に繋がるからだ。でも、失敗したら僕は内乱罪とか色々な罪で裁かれるだろうし、ひょっとしたら艦隊戦の最中に死ぬかもしれない。だから、僕が死んだときは、君がこの使途不明金問題に決着をつけてほしい」
永田の言葉に、斉藤は息を呑んだ。いつもの緊張感のない声音ではあるが、永田の目は真剣だった。
「しかし……僕で大丈夫でしょうか?」
「帝国にもまだまだ心ある人はいるだろうからね。皇帝戴冠後でも、これが明るみに出ればマルティフローラ大公は吹っ飛ばせるはずだ」
「……分かりました。でも、大公殿下を逮捕するのは局長自身でやってほしいですね」
「あはは、そうしたいところだけどねえ……帝都に着いたら、中央税務署のアングブワ統括官に声を掛けてもらえば大丈夫。話はついてるよ。こちらから指示があり次第、大臣以下幹部を拘束して、ビル内外の出入りを制限。地下の電算室を押えてもらえば準備完了ってこと。ま、細かいことはあとで作戦案送るんで――」
つけっぱなしのチャンネル8の、皇帝の容態速報は相変わらず意識不明の四文字が並んでいた。永田はそれを見て、徴税一課オフィスである第二艦橋に通信を入れた。
「秋山君。もうそろそろ斉藤君達に出て貰うよ。準備はどう?」
『はっ! 派出艦艇、人員選定は完了しています』
「了解、ありがとさん」
永田は通信を切ると、斉藤に手を差し出した。
「じゃ、斉藤君、帝都側のことは任せるよ」
「分かりました……局長、生きて帝都で会いましょう」
「うん。斉藤君も気をつけてね。死んじゃダメだよ」
斉藤は永田の手を握り返し、そのまま執務室を後にした。
巡航徴税艦ヴィルヘルム・ヴァイトリング
艦橋
「浮きドック、エリダヌス1292との接合完了」
機関出力が低下しているままのヴィルヘルム・ヴァイトリングは、単艦での長距離航行が出来ない。そこで浮きドックに接合して、帝都まで運航されることになった。
「浮きドックがついてると舵が重たくなってイヤなんだよなあ……」
「不破艦長、出られますか?」
ぶつくさと文句を言いながら出港準備をしている不破艦長に、斉藤は声を掛けた。
「あ、はい! 強襲徴税艦部隊からも、準備完了の報告が」
「了解。徴税特課、帝都に向けて発進」
斉藤はそう命じつつ、カール・マルクスの姿を次に見るのはいつだろうか、あるいはこれが最後のなるのだろうかと考えていた。
装甲徴税艦カール・マルクス
局長執務室
「よくもまあ、斉藤君を帝都に送る気になったな」
「何だか執務室が広く感じるよ。僕にも人間らしさがたっぷり詰まっていたんだなあ」
斉藤を送り出した後、永田は人寂しくなった。こんな感覚は人生で初めてだと、彼は笹岡に話していた。
「……いよいよだな、永田」
「そうだね……」
巡航徴税艦ヴィルヘルム・ヴァイトリング
徴税特課オフィス
「しっかし儀仗兵ねえ……アタシらでホントによかったのかあ?」
やや不満げなメリッサ・マクリントック特課渉外係長は、カール・マルクスで支給された金モールがつけられた儀仗用の礼服を斉藤に見せびらかしに来ていた。特別徴税局は本来制服の存在しない部局だが、航路保安庁のものを徽章を取り替えて用意していた。
渉外班はこれを着て、葬儀の際は儀仗隊として参加することになる。
「
「おっ、この野郎言うねえ! このこの!」
斉藤の言葉は嘘偽りなく事実ではあったが、マクリントックは満面の笑みを浮かべながら斉藤にヘッドロックをかけた。
「痛っ! マクリントックさん痛いですって!」
「あぁ? 斉藤はこういうのも好きなんだろこのこの!」
「おー、あんまりサカるなよメリッサ。発情期のメス猫じゃあるまいし」
「ひっかくぞアルヴィンコノヤロー」
斉藤を解放したマクリントックは、今度はニャー! とアルヴィンに爪を立てた。
「ふははは効かぬ効かぬ」
「遊ぶなら外で遊んでくださいよアルヴィンさん、マクリントックさん」
「ごめんソフィちゃん……」
「す、すまねえな」
年度末ということもあって、ソフィ達総務部からの出向課員は仕事が山積み。ソフィの氷のような冷たさを湛えた声と貼り付けたような微笑みを向けられては、さしものアルヴィンとマクリントックといえども、蛇に睨まれた蛙だった。
「斉藤、とりあえず渉外班員への儀仗の説明は終わらせたわ」
渉外班員へ儀仗兵としての役目を説いてきたゲルトが、疲れ切った様子でオフィスに戻ってきた。
「ちゃんと並んでくれるかな」
「さあ……まあダメなら後ろから――」
「撃ち殺すなんて言わないでくれよ。皇帝の葬儀で死者が出たなんてシャレにもならない」
「わかってるわよ。まあ、皆軍隊経験者だからなんとかなるでしょ」
その時、時期が時期だけにつけられていたチャンネル8から、緊急放送チャイムが流れた。
「緊急放送……いよいよかな」
帝都への移動中、斉藤達特課は本来の所属部署の仕事をこなしていたが、緊急放送チャイムが鳴り響き、全員がオフィスのモニターに釘付けになった。近くの部署にいた艦の運行に携わるクルー達も、特課オフィスに詰めかけて緊急放送を見ていた。
『チャンネル8、帝都中央放送、ウィーン放送センターです。放送予定を変更してお伝えしております。これより宮内省より、重大なる発表がございます。帝国臣民の皆様は、可能な限りこの放送をご覧頂きますよう、お願いします。繰り返します――』
何が報じられるかは分かりきっていた。チャンネル8のアナウンサーは黒を基調とした暗い色調のスーツに着替えていた。
『宮内省より中継です』
『――宮内省より、帝国全臣民の皆様にお知らせいたします。皇帝バルタザールⅢ世陛下におかれましては、本日、三月一八日、一七時五五分、リンデンバウム伯国領主公邸にて、崩御あらせられました。繰り返します、皇帝陛下は、本日一七時五五分――』
宮内大臣の言葉に、徴税特課オフィスは静まりかえっていた。
『宮内省からの中継でした。ウィーン放送センターより、皇帝陛下が崩御あらせられましたことを、お知らせいたします。宮内省より、皇帝陛下は二日間、リンデンバウム伯国にて領民とのお別れを済ませられた後、帝都ウィーンに近衛艦隊がお連れするとのことでございます。ご葬儀日程など、詳しいことは、まだ決まっていないとのことです。このあと放送スケジュールを変更し、特別報道番組がございます。そちらでも詳細をお伝えいたしますが、その前に、皇帝賛歌の演奏が流れますので、ご承知おきください』
画面が切り替わり、帝国の紋章、リンデンバウム伯カイザーリング家の紋章――野茨の縁取りに巣籠もりする鳩を象ったもの――をバックに、在位五五周年の際に撮影された皇帝の姿が映し出され、帝国第二国歌いわゆる皇帝賛歌の演奏版が流れ始めた。
「……」
徴税特課のオフィスは珍しく、誰も冗談を言うようなことはなかった。彼ら彼女らは、産まれたときからバルタザールⅢ世の治世の下で生活してきており、深層心理に皇帝への敬意というものがすり込まれている。あのマクリントックさえ、いやマクリントックだからこそ、国教会の印を切って小声で死者への鎮魂詞を唱えていた。
皇帝賛歌の演奏が終わり、皇帝崩御に伴う特別番組が開始されると、斉藤はオフィスの全員に呼びかけた。
「さあ、仕事に戻ろう」
皇帝が崩御しようが、本来特別徴税局は何ら仕事が変わるわけではない。彼らが帝都に移動している間にも、他の実務課は強制執行を行なっているし、報告書や納税調書を作成しなければならない。彼ら
そう、本来は、無関係で、一連の行事が終わればいつも通りの新年度を迎える筈だった。この時までは。
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