第26話ー② 臣民最大の悲しみに送られて(公式発表)
装甲徴税艦カール・マルクス
局長執務室
「ダ・メ・で・す」
「えー」
永田の無茶な考えを、ミレーヌがダメの一言で粉砕するのはよくあることで、局長執務室と徴税三課オフィスを行ったり来たりしながら仕事をしている斉藤にも見慣れた光景だった。
「えーじゃありません。六六六でカバーできるのは国税徴収に関する行動であって、日常的な装備の維持については範囲外です」
今回永田が
「いやだからさー、適当な造船所強制執行してさー」
それは本省に予算申請して作るものではなく、既存の造船所を接収しようというものだった。そもそも強制執行時に徴収した資産は国庫に納められるべきものであり、特別徴税局が勝手に使うことはできないのだが、永田にとってそれは些末なことだった。
「そんな滞納額あるような造船所あるんですか? 無駄に艦隊動かして余分な予算出るのは反対です。大体工員の給料とかどこから出すんです? うちの予算だって無尽蔵じゃ無いんです。無茶苦茶言わないでください」
「でもー」
「デモもスモモもありません。ダメ。絶対に、ダメです」
「えー」
「えーって、子供じゃないんですからダダこねないでください、局長……」
さすがに斉藤が永田に苦言を呈したが、そんな局長執務室に突然の来客が訪れた。
「局長! あっ、失礼お話中でしたか。いえ、それどころでは」
普段ならノックをして名乗ってから入ってくる礼儀正しい秋山徴税一課長が、泡を食ったように執務室に飛び込んできた。
「秋山君、落ち着いて、どうしたの?」
「て、帝都中央放送を!」
それを聞いていたミレーヌが、執務室のモニターをテレビモードに切り替えた。
『――えー、それでは、宮内大臣より臨時会見をはじめさせていただきます、大臣お願いします』
「宮内省からの中継ですか?」
斉藤の言葉に、肩で息する秋山が頷いた。
『本日、帝都標準時一八時すぎ、皇帝陛下におかせられましては、リンデンバウム伯国領主公邸にて、ご
ヴァルナフスカヤ宮内大臣の発表は努めて機械的に発せられた。元々鉄面皮で有名な大臣ではあったが、だからこそ強ばった表情と口調が際立っていた。
「危篤……ついに、ですか」
「まあねえ、蘇生措置も臓器移植も断られてたから」
「来るべきものが来た、というところですか」
「……冷静なんですね、皆さん」
秋山は不思議そうな顔をして永田達を見ていた。
「帝国の官僚が皇帝不予くらいで狼狽えてたら、帝国なんてバラバラになっちゃうよ」
永田の言うことは尤もで、帝国を日常的に動かしているのは事実上中央政府の官僚組織と領邦国家のこれまた官僚組織、自治共和国の官僚組織であり、これらが皇帝の危篤程度、もしくはこの先訪れる崩御で機能停止することなどあってはならないことだった。
「ちょうどいいや、秋山君。万が一の時は特課を本国へ向かわせる。儀仗兵代わりに行ってもらうことになると思うから、徴税四課から強襲徴税艦二隻、渉外班二個中隊くらいつけて送り出す算段で考えといて」
「はっ、承知しました。編成を進めます。斉藤君、あとで編成は共有するよ」
「はい、よろしくお願いいたします」
任務が与えられればそちらへ集中するのが秋山の軍人らしさだった。一度は腰を浮かせた一同が再び席について、なんとも言えない空気でテレビを見ている。
「まあ、狼狽えないとは言うけども、僕らも皇帝崩御なんてことになったら初めてだもんなあ」
当代皇帝ゲオルク=バルタザールⅢ世は在位五五年の式典を去年執り行ったばかり、つまり今特別徴税局にいる人間の中で、先代皇帝である第一二代皇帝、ナディア・ファイサル・アル=ムバラクの崩御をリアルタイムでを知るのはハーゲンシュタイン博士のみとなっている。
徴税二課 工作室
「ご危篤とはな。まさか二人目の皇帝が崩御するような歳まで人間のままでいるとは思わなかったわい」
「……え?」
珍しくテレビを見ながらなにがしかの液体を啜っている博士を見て、ラインベルガー課長補は上司を驚いたように見つめた。
「なんじゃラインベルガー、不思議そうな目でワシを見て」
「なんでもありません」
ラインベルガーとしては、自らの上司が自分のことをまだ人間と称していることに驚いていた。
「ワシが目指す人間の形は物質的なもので終わるわけではない。アルヴィンやXTSAシリーズなど足がかりでしかない」
「はぁ、それはまた
バルタザールⅢ世の先代であるナディアⅠ世、本名ナディア・ファイサル・アル=ムバラクはクラウディアⅠ世、エカテリーナⅡ世と続く帝国の女帝時代を築いた一人であり、第九代皇帝ジブリールⅠ世の孫。取り立てて業績はないものの、穏やかで温かみのある彼女は市民の人気も高かった。一方で、内戦以降一〇〇年近く版図の拡大は停滞していることに座視して変革をもたらさなかった点では、評価が分かれる皇帝とも言われている。
「そうじゃのう。ワシは世俗の細々した政策など興味はないが……あの皇帝は、自らの葬儀を極めて簡素に行なったことが最大の功績かもしれんのう。服喪は三ヶ月が通例。しかしナディアⅠ世は一ヶ月で済ませたのじゃよ」
「それは確かに短い」
博士から昔話を聞くのも初めてのことだ、とラインベルガーは驚きながら耳を傾けた。彼の個人的な日記には、このことが詳細に記されることになる。
「まあ皇帝本人は二週間でいいとも言ったそうじゃが、まあ普通の人間が人の死を悼むという行為を重要視するならば、それはさすがに短いと言うことじゃな。少なくとも、臣民に嫌われているようなお方ではなかったのう。ワシが帝国軍艦政本部の門を叩いたころ、丁度視察にいらしていたのじゃよ。優しげな目をしていた」
「博士でもそういう理解をしますか」
ラインベルガーの驚きの一つは、あの博士が皇帝の話をするときには流石に敬意を込めているところだった。人を人とも思わない、良くて実験対象程度にしか思っていないのだろうと上司のことを評価していたラインベルガーだったが、その評価を一パーセント程度は改めようかと考えていた。
「人類を新たなステージに移行させようというワシの野望はまだ中途。未熟な科学の徒であるワシは、人間をより理解せねばならないのだ! つまり――」
やはり評価を改める必要はないのかもしれない……と、いつもの調子で語り出した博士を放って、ラインベルガーは自分の仕事に戻った。
局長執務室
「しかし、儀仗兵とはどういうことですか?」
ミレーヌ達は元の仕事に戻ったが、斉藤は局長付としてまだ執務室に残っていた。そこで斉藤は、先ほど永田が秋山に命じた指示の真意を問うことにしていた。
「皇帝崩御となればそのあとは国葬だ。僕ら特別徴税局としても人を出さないわけにはいかないけど、僕が行くと警戒されるからね」
それ自体は真っ当だった。皇帝崩御ともなれば葬儀のために帝都には本国軍、東部軍、西部軍、北天軍、南天軍、各領邦軍、自治共和国防衛軍、それに加えて当然近衛軍は儀仗兵を参列させるし、交通機動艦隊、憲兵艦隊などもその列に加わる。星間戦争も可能な戦闘艦艇や戦闘員を揃えた唯一の一般官庁である特別徴税局も、儀仗兵を参列させるのが礼儀というものだった。
しかし、これは表向きの理由だ、と斉藤は睨んでいた。
「それに、帝都内に君達を潜り込ませるには好都合だ」
「……何をお考えなんです?」
「いいこと」
ちっともいいこととは思えない……と斉藤は思いながらも、すぐどうこう出来る問題でもないので一旦思考の隅に置いて、直近の仕事を処理することに努めた。
日付が変わり翌日。帝国全土を揺るがした皇帝の危篤以降、帝都中央放送をはじめ、各メディアでは宮内省が発表する皇帝の容態を定期的に速報として報道していた。
「ダメだったみたいだねぇ、皇統会議は」
常になく真剣な表情で端末に向かっていた永田は、溜息交じりに呟いた。
「何を見ていたんです?」
「皇統会議」
「……あれは非公開では?」
帝国臣民への情報公開は臣民の権利であり帝国政府の義務であるが、例外も存在する。それが皇統会議での会話だ。これらは議事録も取られるが、基本的に当代皇帝の即位中には公開されない。無論、皇統会議の決定は帝国政府としての方針にもなるので、大枠は臣民でも把握可能だが、リアルタイムで伺い知ることができるのは、参加者を除けば一部の皇統と皇帝くらいのものだった。
「表向きはね。ちょっと内務省と宮内省の知り合いに頼んでみたんだ」
「盗聴じゃないですか……まあそれはともかく、どういうことです?」
斉藤は自分の仕事にキリをつけ、永田と自分の茶を入れて話を聞く姿勢を取った。
「拡大派は、自派から皇帝が選ばれたあかつきには、帝国の版図を拡大すると言っているんだよ」
「それは当然のことなのでは?」
斉藤の反応は、帝国一般臣民としては当然の事だった。帝国の国是の一つは、外宇宙への進出があるからだ。
「考えてもみなよ、今の版図にいくつの自治共和国があって、どれだけの税収がある?」
「東部軍管区なら、税収のうち八割は中核星系と直轄領からですね」
「そう、軍管区の領域の三割で八割の税収。正直言って自治共和国からの納税額って少ないよね? 自治共和国を包括する軍管区の税収は、東部、西部、北天と南天を合わせても大体五〇〇兆帝国クレジット。帝国の税収の約三分の一。これを得るだけにあれだけの領域が必要になるわけだ。超空間通信とか、連絡船とか、星系内インフラの維持費だけでも結構なモノでしょ? これをさらに広げてご覧よ、どうなると思う?」
超空間通信ネットワークはET&T《帝国電信電話公社》の、中核星系への連絡船はEPT《帝国旅客輸送公社》、そのほか惑星地表の交通機関をはじめ、帝国には国有企業が多数存在し、帝国という巨大なシステムを結着させるための重要インフラを担っている。
「そうですね……帝国の財政はそれに耐えられない、と?」
「少なくとも、今の辺境並にインフラ整えるのにいくらかかるか……そもそも勝てないだろうし」
「帝国軍が負けるんですか?」
斉藤は永田の言葉に驚きを隠せなかった。常勝不敗の帝国軍というのはプロパガンダではあるが誇張ではなく、辺境惑星連合相手の戦いに最終的に勝利してきたのは事実だったからだ。
「勝利条件をどこに据えるかだよ。斉藤君、ギャンブルってしないんだっけ」
「ええ」
「まあじゃあ話半分に聞いといてよ。僕はソーラーヨットレースが大好きでね」
ソーラーヨットレースは帝国の国営賭博の一つで、その中でも最大の規模と人気を誇る。太陽帆と小型イオンロケットを用いた小型ヨットを用いたレースで、宇宙空間に設置されたポイントを如何に短時間で効率よく通過するかで着順が決まる。
「舟券当てるだけなら簡単だよ? 単勝で出走全艇、全部買っちゃうわけ。でも、買い目を増やせば増やすほど、投資金額を回収することが必要になる。じゃあ全舟券を総当たりで全枠全式別買っちゃおうか。単勝、複勝、二連単、二連複、三連単、三連複、拡連複、とこれらに加えて
「あの、その話は別の機会に」
永田はニコニコしながら机の上に放り投げてあったヨットレース誌を取り上げたが、斉藤はそれを止めさせた。
「そうだった。まあともかく……戦争も一緒だって言いたいんだ。例えば、侵攻して勝利するだけなら、大火力大兵力を投入して吹き飛ばせば良い。でもホントにそれでいいのかな?」
「コストに見合う結果が得られないと、勝ったとは言えないということですか?」
「そう。舟券といっしょでね、儲けを得るためには買い目を絞るしかない。ガミるならまだしも、賭けた額を回収できなきゃね。だから賭け事ってのは面白いんだけど」
「戦争と賭け事を同じレベルで語ってはいけないと思いますが」
「その通りだね。でもまあ、分の悪い賭け事をしようとしてることに変わりは無いよ」
永田は斉藤が淹れたお茶を啜り、一息ついてから話を続けた。
「先日のことだけど、国防省で帝国政府と東部軍、それに近衛軍が参加して、辺境惑星連合の討伐について机上演習をしたらしい」
永田が出したレポートにはこれ見よがしに部外秘の印が打たれていた。斉藤には戦術的なことはあまり理解できなかったが、両軍の膨大な民間人死傷者数を見て顔を青ざめさせていた。
「帝国軍と辺境惑星連合の戦力比は五対一と聞いていましたが」
「ところがどっこい、これが赤軍、つまり帝国軍側が降参を申し出た」
夥しい民間人死傷者数を見て、斉藤は目眩がしそうになった。これが現実のものだったとしたら、と考えたからだ。シミュレーション結果でも一億人を超える民間人死傷者が出て、その半数は帝国軍との戦闘に身を投じた民兵、残りの半数は帝国軍による侵攻後、インフラ関連が破壊されたことによる餓死や凍死、伝染病の蔓延によるものだった。
「ま、僕らに直接政策介入する手段はないから置いとくとして、問題は皇帝選挙よりも、その後に行なわれる下院総選挙なんだよねえ」
「四年の満期で行なうのでは?」
「いや、代替わりしたら解散するのが慣例だね。まあ崩御一ヶ月前に任期満了で選挙したばかりとかならしないけど、今回は解散する流れだ」
「今のところ、ラウリート政権の三期目が既定路線ですが」
斉藤にしても下院選挙については以前から情報を集めていた。しかし、斉藤が初頭学校を出て中等学校に進学するころには、すでにラウリート政権の時代に入っていたから、これが負けるとは中々思えなかった。
「そこだよ。次の皇帝選挙でマルティフローラ大公、下院総選挙で現与党が続投となれば、第三次ラウリート政権は、特別徴税局の解体を命じることになる」
帝国の目の上の癌細胞、動く混沌とまで呼ばれる特別徴税局の存在を疎む声は多い。ましてマルティフローラ大公にとっては急所にナイフを突きつけられたに等しい状態を許すはずもない。帝国官公庁の統廃合は皇帝の一存で決めることも可能だったが、基本的にはその時点の議会の議決を経る必要がある。
「……だからギムレット公爵に味方するんですか?」
「ま、それもあるよ。自分らの財布の中身を探られるからって潰されるわけだからね。そんなことは許さない」
永田にしては凄みのある笑みを見て、斉藤は背筋を冷たい汗が伝うのを感じた。
「しかし、いつもの強制執行とは違います。叛乱に加担したとなれば、討伐される可能性も……」
「だから、皆には無理強いしない。君にも今から本省へご注進という選択肢がある」
永田の予想外に真剣な眼差しを受けて、斉藤は苦笑しつつ首を振った。
「……今更そんなことできるなら、とうの昔にやっています」
「だよね! いやあ、そう思ってたよ」
永田は緊迫感のない笑みを浮かべて、暢気に茶のおかわりを斉藤に要求した。
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