第25話-④  パラディアム・バンク


 巡航徴税艦ヴィルヘルム・ヴァイトリング

 艦橋


「艦長! とりあえず最低限の航行能力は回復できました」

「機関出力三割、主砲荷電粒子砲および誘導弾は安全装置が働いて使用不能……これじゃ大気圏外に出るのも一杯一杯だし、戦闘も無理ね」

「すみません、今ある資材じゃこれが精一杯で……」


 艦のメンテナンスを担当する機関長は、申し訳なさそうに頭を下げた。これと同時に艦内の重力制御が回復し、艦の姿勢も正常に戻った。ただし、動力炉の出力低下および推進機の損傷は如何ともしがたい状況で、速力は平常時の半分も出ないという有様だった。


「いやいや、機関長はよくやってくれましたよ、ね? 課長」

「そうですね。機関長、お疲れさまでした。早く本隊と合流しましょう」

「ですね! それじゃ抜錨――」


 艦長が指示を下そうとした時だった。


「艦首前方二〇〇メートルに着弾! 戦車砲です!」

「えっ」

「敵陸上部隊接近! 数は……戦車もしくは戦闘歩兵車と思しき戦闘車両五〇両!」

「一個連隊規模の襲撃かあ……! 課長、どうしましょう」

「どうするも……とりあえず、カール・マルクス呼んでみます?」

「そうしましょうそうしましょうったらそうしましょ、カール・マルクス出てくれるかなあ」


 程なくして、第一艦橋の秋山一課長が荒い通信画面に現れた。


『不破艦長、どうした?』

「敵陸戦部隊の襲撃を受けてます~! 大体一個連隊くらいですかねえ」

『一個連隊!? 敵の陸上兵力のほぼすべてじゃないか!』

「こちら、まだ浮いてるだけで一杯一杯なんですが」

『わかった! 今からそこの近くに隕石を落とす! 衝撃波に気をつけろ!』

「隕石を?」

『局長の発案だ! 敵陸上部隊を排除できたら、こちらに合流しろ。座標は後ほど、隕石落着後の通信擾乱が治まり次第送る。それまで持ちこたえろよ!』


 不破艦長はあまりの提案に硬直し、斉藤も唖然として画面の向こうの秋山課長の正気を疑ったが、局長発案と聞いて合点がいった。


「と、とりあえず防戦しましょうか……」

「はい、よろしくお願いします……」



 徴税特課 オフィス


「えっ、隕石落とすんですか?」


 艦が危急存亡の時とは言え、一般職、総合職に出来ることは少ない。良くても退艦指示が出たときに迅速に指示に従うくらいだった。だからソフィやアルヴィン達はオフィスで大人しく職務に励んでいる。


「らしいぞー。それで外に群がってる陸戦部隊を薙ぎ払うつもりらしい」

「私達大丈夫なんでしょうか?」

「艦は大丈夫だと思うが……」

「無茶苦茶ですね、特別徴税局って」

「他人事みたいに言うなあ、ソフィちゃん」


 笑いながら話してる私達のほうが、余程他人事なんだよなあとハンナは考えつつも、前の強制執行のレポートを作成しつつ考えていた。



 艦橋


 暢気なアルヴィン達に比べて、艦橋は蜂の巣をつついたような騒ぎだった。


「艦底部第一、第二スラスター群破損! 第二装甲帯まで貫通されました!」

「ダメコン! 充填剤! 艦底部火器で敵部隊を蹴散らして!」

「艦長! シールド展開できません! 戦車砲でも致命傷になる恐れが!」

「艦長! 高度もう少し上げましょう! 陸戦兵のスラスタユニットでも飛んでこれる高度です! 取り付かれたら白兵戦じゃ不利ですよ!」

「ひー、歩兵随伴の機甲部隊くらい、いつもなら一撃なのにー!」


 現代艦艇の防御装置であるシールドは、荷電粒子砲や電磁砲弾に絶大な効果を発揮し、通常航行時でもスペースデブリや宇宙塵から艦体を保護する役目を持つ。これには膨大なエネルギーを必要とするのだが、そのためには対消滅炉の完全稼動が必要となる。炉の出力が低下したヴァイトリングはいい的でしかなかった。


「本部戦隊の言ってた隕石はまだ!?」

「入井艦長から入電、小惑星の突入コースを送るので退避されたしとのこと!」


 地図に着弾地点と衝撃波、熱球の範囲が投影されると、不破艦長は悲鳴を上げた。


「直撃させないって言ってたのに、ここ爆心地じゃない!?」

「あれですね」


 斉藤が艦外映像を拡大させると、真っ赤に燃えたぎった小惑星がブリザード越しに赤々と輝いている。


「ひぃー! 機関長! 推進機吹っ飛んでも構わないから全速! 急いで!」 


 不破艦長の指示で現状出せる最大戦速を発揮するヴァイトリング。地上に展開した機甲部隊と歩兵もこれに気付いたのか一斉にヴァイトリングへの攻撃体勢から退避に入るが、巡航徴税艦と陸上兵器では機動力に大きな差があった。


「小惑星、落着します!」

「全員、念の為姿勢固定! シートベルト再確認! 無理な人は何かに捕まって!」


 その直後、地殻ごと砕くような衝撃が惑星アーカディアを襲い、ヴァイトリングは渦巻く乱気流に翻弄されることになった。



 装甲徴税艦カール・マルクス

 第一艦橋


「オブジェクト、着弾確認」

「全艦最大戦速! 敵武装都市を殲滅する! 揚陸部隊は砲撃後に発進!」


 秋山徴税一課長の号令で、それまで雪原に巨体を休めていた徴税艦が急浮上を掛ける。


「先刻の都市からの砲撃で敵砲台の位置は大体割れている。集中的にそこを狙え。軌道上の徴税三課に爆撃要請! 敵都市が地平線を越えたら直ちに砲撃開始!」


 小惑星落下の影響で、万年ブリザードのアーカディアのブリザードが晴れるくらいの衝撃波が生じていた。


「局長、ルフレンス・レイザックなる者が局長に交渉を求めていますが」

「あとでとっ捕まえてから話を聞くって伝えといて」


 そこまで言ってから、永田はニヤリと笑って通信士に顔を向けた。


「あっ、いやちょっと待って、通信繋いでもらえる?」

「分かりました」

『特別徴税局の永田局長とやら、交渉を要求する……』


 虎の子の陸上戦力を失い、レイザックは戦意喪失、意気消沈といった有様だったが、永田からすれば、まだ自分達の立場を理解していないように見えた。


「交渉? 要求? なんか勘違いしてません? 前もって言いましたよね? 抵抗するなら執行に入ると。アンタ達の招いたことだ、受け入れて貰いましょうか」


 ざまあみろ、あっかんべーとでも言いたげな永田だったが、彼には彼なりの良識が備わっており、そのフィルターを通した言葉を発した。


「お話なら、あとでゆっくり伺いましょ。まあ僕が聞くんじゃなくて、内務省なり交通機動艦隊の取調官かもしれませんが」

『ちょっと待――』


 永田は一方的に通信を切断した。


「ざまあみろってね。秋山君、徹底的にやっちゃって」

「はっ!」



 巡航徴税艦ヴィルヘルム・ヴァイトリング

 艦橋


「み、みなさーん、大丈夫ですかー?」


 風に揉まれる木の葉のように舞っていたヴァイトリング艦内は、スタン・カノンの直撃を喰らったときよりマシとは言え、滅茶苦茶な有様だった。


「死ぬかと思った……」


 斉藤の呟きに、艦橋にいるほぼ全員が頷いた。


「被害報告」

「航行に支障なし、本部戦隊から直ちに合流せよとのことです」

「まったくこっちの気も知らないで……さて、鬼が出るか蛇が出るか……」



 中央都市ブロック


「しかし、開拓庁の支援もなしにここまでの都市を作り上げるとは」


 斉藤達が中央都市ブロックに降り立ったころには、すでに本部戦隊ならびに実務一課、二課、三課、四課により都市が制圧されたあとだった。残り少ない戦闘員もすべて武装解除され、見た目ではアーカディアは完全に抵抗を諦めたように見えた。


「しかしまあ、こんなクソ寒いところで暮らすのも楽じゃないだろうに。そんなに国家やら国籍に縛られるのがいやなものかね」


 アルヴィンがサイボーグのくせに防寒着まで纏って肩をすくめて寒がっている。余計な機能をつけたものだと斉藤はハーゲンシュタイン博士を小一時間問い詰めたくなった。


「特課長! パラディアム・バンクの中枢区画はこちらです」

「ホントに?」

「まあ、そう連中が言っているだけですが」


 渉外係の一人が捕虜となったアーカディア住民から聞き出した情報だと言う。斉藤はとりあえず、護衛の渉外係を連れてそちらへ向かうことにした。



 パラディアム・バンク本部


「なんのことはない。コンピュータとオフィスのどこでも見るような景色、か」


 斉藤達が入ったパラディアム・バンクの本部は、斉藤達がよく強制執行に入るオフィスと似たり寄ったりの風景だった。むしろ非合法組織の割りに、受付にはパラディアム・バンクのシンボルをかたどったレリーフなど飾られているし、そうと知らなければ銀行の受付窓口と大した違いは無い。


「違法ったって連中にとっては仕事なわけだ」


 アルヴィンはアサルトライフルを油断なく構えながら吐き捨てた。


「データの回収は?」

「先ほどターバンさんが来て、端末から根こそぎ持って行きました」


 徴税四課から出向している課員が答えて、斉藤は頷いた。


「なら、僕らの仕事はないな。いいとこ無しだな今回は」

「ま、特別徴税局総戦力投入ならこんなもんだろ。とっととヴァイトリングに戻ろうぜ。ステッピングモータが凍り付いちまいそうだ」


 その時、徴税四課の渉外係が捕らえたパラディアム・バンクの構成員を見て、アルヴィンが表情を硬くした。


「おい、ちょっと待て」

「アルヴィンさん、どうかしましたか?」

「……」

「あら……随分懐かしい顔ね」


 樹脂製の拘束具で縛られた女を見て、アルヴィンはその顔をまじまじと見つめていた。女のほうも何かに気付いたように、妖艶な笑みを湛える。


「お前、まだ生きてたとはな」

「そりゃあお互い様でしょ?」

「……あん時殺しときゃよかったぜ」

「それも、お互い様でしょ?」

「あいにく、もう死んだ身でね」


 アルヴィンは首を取り外して見せたが、女のほうは一瞬目を見開いただけで、すぐに余裕ありげな笑みを取り戻した。


「……そう、そういうこと」

「ああ。ま、刑務所で真面目に服役するこった」

「……そうね」


 斉藤は、自分にはうかがい知れない、女と男の情というものを感じた気がして、何も発言することはなかった。



 装甲徴税艦カール・マルクス

 局長執務室


「あーそう、それじゃ第八艦隊が先に来るんだ」

「随分押っ取り刀で駆けつけたようで、主力のみですね。第八艦隊からの情報共有では、あと一時間もしないうちに交通機動艦隊、治安維持軍も殺到するそうです」


 証拠品の押収などが一通り終わった段階で、アーカディア衛星軌道上に現れたのはラカン=ナエを拠点にする帝国軍第八艦隊だった。それも支援艦艇をほとんど切り離して主要艦艇のみで構成される主力艦隊のみでの到着で、いかに帝国軍としてこの惑星を放置していたことを不祥事として捉えていたかが分かる。


 秋山が執務室のモニターに映した宙域図には、すでにアーカディアの周囲に帝国の各部隊が殺到する様子が反映されていた。


「そっか。それじゃ第八艦隊に当地の治安維持は任せて、僕らはとっととロージントンに引き揚げようか。ヴァイトリングの補修もしなきゃならないし、しかしまたこれで戦線離脱する艦が出るなあ」

「しばらくは、残存艦艇のみでも執行に問題はありませんが」

「それじゃ困るんだよねえ後々」

「はっ?」

「まあまあいいじゃない。地上部隊を帝国軍の陸戦部隊と交代したら直ちに当地を離脱しよう」


 永田の言葉に、秋山は意外そうな顔をした。永田はいつも通り、適当な返事をしてはぐらかしておいた。


 一時間ほどで撤収は完了し、ヴァイトリングにいた斉藤達がカール・マルクスに戻るころには、特別徴税局全艦がロージントンへ向けて超空間潜航に入ったころだった。


「酷い目に遭いました」

「まあまあ、斉藤君もお疲れさま。ヴァイトリングが結果的に囮になってくれて、こちらも仕事が早く済んだよ」


 永田が珍しく自分でお茶を淹れて、斉藤に差し出した。


「パラディアム・バンクのデータも回収されたし、本部が移ったという形跡もない。二〇〇年のイタチごっこもついに終止符かな」


 アングラネット空間における情報はすでに徴税四課が監視していたが、特別徴税局によるアーカディア強制執行に伴い、パラディアム・バンクによる送金が出来なくなったと騒然としていたらしい、と斉藤は聞いている。


「本来ならそれだけで叙爵されてもおかしくない功績ですね。皇統男爵くらいは狙えますよ」

「僕は願い下げだねえ。貰ったら斉藤君にあげる」

「僕も必要ないんですが……」

「それに、どうせタケノコみたいにこういうサービスは出てくるんだよ。その度に膨大なリソース使って叩き潰さなきゃならないんだから、まあアホらしいよねえ。まあ、それはともかく……この一番の大口顧客、どこだと思う?」


 永田がフローティングウインドウに表示させて斉藤に投げて寄越したのは、パラディアム・バンクの顧客データだった。暗号化されていたものを瀧山徴税四課長がメインフレームにぶち込んで解読した結果出てきたものだ。


「フランク・ギルベルト・マルク・ベーメ……帝国臣民籍にはいない人物のようですが」


 顧客データと言っても、パラディアム・バンクのデータなのでそもそも信憑性はゼロに近い。


「まあ実名でパラディアム・バンク使うバカはいないだろうから、偽名でしょ。それよりも、金の流れをたどっていくと、こいつの金の出本が分かる。どこかのタイミングで正規のシステムから金を引き出さなきゃいけないからね。最終的にたどり着いたのがマルティフローラ大公国の貿易会社、プフェニヒ商会」

「……それ、先月夜逃げされたっていう執行先ですよね」


 斉藤が監督官相手に四苦八苦していたころ、本部戦隊および実務課で行なわれた強制執行のいくつかは空振りに終わっていた。そのうちの一つだということに斉藤は目ざとく気付いた。


「そう。どうもにおうと思ったんで、西条さんに名簿の洗い出し、出張中のロードに営業実態の調査を頼んでるんだけど、他にも飛んだ連中が入ってるだろうねえ……しかしまあ、今回もとんでもない執行だったねえ」

「とんでもなくしたのは局長でしょう……どうするんですあの惑星。東部軍管区、東部軍、交通機動艦隊、国土省、近隣の自治共和国、関係各所からの抗議やら何やらが山積みなんですが、局長が――」


 惑星地表への意図的な大質量物落下は、航路法、交通安全法、環境保護法はじめ様々な法律により固く禁じられることであり、さらに言えば、貴重な資源でもある小惑星を無断で借用したことも資源法、国土保全法等々に触れる行いだった。


「あっ、ちょっと僕急用思い出しちゃった。それじゃあとよろしくー!」

「局長! 逃げるんですか! 待ってください!」


 抗議については丸投げというのが永田の悪癖。斉藤はこのあと二日間にわたってそれらへの対処に忙殺されることになった。



 帝都ウィーン

 首相官邸

 閣議室


 特別徴税局によるアーカディア強制執行が完了したころ、帝都は既に夕暮れ時を向かえていたが、この時間から珍しい全閣僚を交えた閣議が、非公開で行なわれていた。


「アーカディアの壊滅に伴い、パラディアム・バンクはついに活動を停止した……二〇〇年の長きに渡る戦いにも終止符か」


 首相のエウゼビオ・ラウリートは安堵するように、深い溜息を吐いた。彼の政権の公約だったものの一つが、パラディアム・バンクの壊滅にあった。無論、これは歴代政権が名乗りを上げて実現出来ず、政権終盤になるとフェードアウトしていく公約の一つでしかなかったが、まさかラウリート首相自身も、これが実現出来るとは考えていなかった。


「まあ、些かなし崩しの面も大きかったように思えますが……ともかく、これは次の総選挙にも大きな弾みになるでしょう」

「次の総選挙?」


 内務大臣藤田昌純の言葉に、首相は首を傾げた。


「帝国臣民最大の悲しみの後には、慣例的にも、そして現状我々の任期としても総選挙の時期でしょう」


 閣議室に集められた閣僚に、緊張が走る。閣僚は宮内大臣を除けば皆、帝国下院議員のうち与党議員から選ばれているのであって、当然自身が選挙に落ちたり、下院議会において下野するようなことになれば、その任を解かれる。その後、皇帝崩御の服喪期間が明ければ、下院議会は解散して総選挙になるのが慣例だった。


「どのみち、五月には任期満了で選挙です。我々も気を引き締めておかねば」

「陛下の崩御が我々の任期より早いと言うのか」

「私はそう思いますね。ヴァルナフスカヤ大臣がいないので言いますが」


 宮内大臣は他の大臣と異なり、皇帝が指名して首相が承認するため、選挙とは無縁だった。それに、政権内部における皇帝の目と耳となる役割もあるため、ヴァルナフスカヤ大臣の意志と関わりなく、今回の閣議には召集されていない。


「問題は皇帝選挙のほうだろう。あれの動き次第で、世論は動く。拡大派と我々は一蓮托生。維持派と野党も同じ。さて、どうなるやら」


 現在帝国議会は上院も下院も与党、右派と称される自由共和連盟を中核に、星間連盟、帝国の絆、帝国による秩序、新星などの小規模政党も連立することで、この一〇年与党として君臨してきた。


 これらは帝国中央、特に太陽系を中心とした本国宙域で大きな支持を獲得している政党であり、現在の帝国において、未だに帝国辺境部の開拓が遅々として進まず、中央領域のみが発展していることの反映でもある。帝国の人口一兆人のうち、大半は本国と呼ばれたり中央領域と呼ばれる太陽系から一〇〇〇光年の宙域に五〇〇〇億人ほどが集中しているからだ。


 一方の野党は帝国民主党を中心として星間自由同盟、開拓者の声といった政党が中心になり、領邦、各軍管区、辺境部で強い支持を獲得している。辺境部開発、公共投資の増加を掲げるこれらの政党に同調する声は日増しに高まっているが、それでも現状は与党のほうが優勢だった。


「大公殿下が戴冠されるなら、我々は安泰。連立とはいえ八〇〇議席は固いでしょう」


 現在帝国議会下院の議席数は一五九二議席で、現在与党は八〇〇議席を確保している。上院も七九六議席中四〇二議席であり、上院下院共に安定多数とされている。


 ラウリート政権は一〇年にわたる長期政権だが、大きな失政は表向きしていない。辺境部の動乱も基本的に軍や星系自治省により即座に鎮圧されており、支持率も基本的には高い。


 しかし、これに大きな影響を与えるのが皇統選挙だった。帝国議会の方針は基本的に皇統会議、ひいては皇帝の意向と同義であり、ラウリート政権は摂政マルティフローラ大公の支持を暗に表明している。彼らも大公も中央、領邦指向であり、かつ、帝国の拡大には些か幻想に近い理想を抱いていた。


 強い帝国、広大な帝国、豊かな帝国、これを目指すには現状維持では無く、より拡大すべきなのだ、という彼らの思想は、やはり辺境部よりも本国や領邦で支持される考えだった。


 しかし、その際にもたらされる犠牲、特に帝国軍の補給拠点となる惑星では辺境惑星連合によるテロや偽情報の流布による政情不安が常態化している上、帝国軍が駐留することによる情報統制や警戒態勢が市民生活へ与える影響も無視できないが、本国や領邦、軍管区の中核星系に住んでいる人間には理解されづらい問題だった。


「下馬評では大公殿下が得票率六割を見込んでいるとのことですが」

「しかし、ギムレット公爵側も切り崩しを図っている。柳井皇統男爵が動いているようですが」

「あの男爵閣下は厄介だ。ギムレット公爵と違ってガツガツしていない分、広範な支持を集めやすい」

「無党派の皇統をどれだけ取り込むかが鍵になるんでしょうが、さて……」

「特別徴税局の動きも不気味だ。ギムレット公爵に大分すり寄っているというが……」

「連中は次の選挙が終わったらバラすのが既定路線だ。そうだろう?」

「まあ、それはそうなのだが……」


 閣僚達が口々に不安を表明するが、首相自身はそこまで不安視していない。マルティフローラ大公は、フリザンテーマ公爵、コノフェール侯爵の支持を得ているし、そこに連なる皇統も多い。簡単に崩れるようなことはないだろうと考えていた。


 政治家達の思惑とは裏腹に、事態は水面下で、思いもよらない方向に進んでいるのだが、ウィーン新市街の一隅で政争に明け暮れる彼らは、その時まで気付くことはない。

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