エピローグ 特別徴税庁長官・斉藤一樹


 帝国暦六一〇年五月一〇日

 〇八時四八分

 帝都ウィーン

 ライヒェンバッハ宮殿

 パンジーの間


 モーニングコートに身を包んだ小柄な男性が、姿見の前でややふて腐れたような顔をしていた。 


「長官、準備は済んだ?」

「堅苦しいのは好きじゃないんだけどな」


 シックなフォーマルドレスに身を包んだ女性は、長官と呼んだ男の蝶ネクタイを整えてやった。


「長官は親任官なのだからこの程度は当然でしょ。ほら、背筋伸ばして、姿勢が悪いと余計に小さく見えちゃう」

「ハイハイ……」

「ハイは一回」

「はい……」

「長官、まもなく親任式の時間です」

「わかった……じゃあ、行ってくる」

「はい、いってらっしゃい」


 

 同時刻

 東部軍管区

 ローテルビッヒ自治共和国

 ラルズール公営ヨットレース場

 食堂


 ラルズール公営ヨットレース場はローテルビッヒ自治共和国、軍管区首都星ロージントンからは五光年ほど離れた星系に位置している。開発当初より採算ラインに乗せられるほどの有望な鉱物資源もなく、開発により居住可能な惑星も一つだけということで財源が乏しい星系だったが、首都星ラルズールの衛星軌道上には巨大なリングが存在しており、これがこの星系の運命を定めた。


 つまり、東部軍管区随一の規模を持つ公営ヨットレース場星系としてである。 帝国ヨットレース協会、IYAの公営ヨットレース場は観客席や事務部門、ヨット整備場や選手控室などを備えた軌道都市を中心に、各種の障害を設置したコースで構成されていた。


『本日帝都標準時九時より行なわれる親任式では、新たに設置される特別徴税庁の長官も任命されるとのことです』

『これまで本来任務である国税当局施設の警備が特別徴税局設置法にあったわけですが、これを各地の施設警備課に委譲する代わりに、悪質な納税拒否や滞納について実力行使する組織として本格的に再編されたわけですね。今後の特別徴税庁の活躍に期待するものです』


 第一レース、ディンギー級C1クラス(五〇〇万下)が開始される前の食堂には、種銭を増やそうという浅ましい欲望に満ちた光のヨットレースおじさん達が和気藹々わきあいあい、あるいは殺気立った雰囲気を漂わせつつハンバーガーやらサンドイッチやらうどんを貪っている。


 スポーツ紙やヨットレース紙の電視ディスプレイを見ているものも、ニュースの内容に一瞬、食堂内の大型モニターに目を移した。しかし、すぐに目の前の食事やら出走表に意識を集中させた。


「おう、テレビそんなに気になるかい?」

「ん? まあ、ちょっとね」


 六〇代半ばといった風体の男が、テレビを熱心な目で見つめていた。


「へぇ、珍しいねえアンタ。皆第一レースの予想でてんてこ舞いだってのに」


 男の隣に居た朝からアルコール臭のする老人が、物珍しそうにその男に声を掛けた。


「レース直前になって買い目をあーだこーだしてる時点でダメでしょ?」

「おっ、いいねえ肝が据わってて。アンタヨットレース歴長いでしょ?」

「まあ若いときからだからねえ。大学の講義中に舟券買ってたよ」

「あはは、そりゃあいいや」


 ズルズルと汚い音を立てて一杯四二三帝国クレジットのうどんのダシを飲み干した老人は、よたよたとその場を離れていったが、男は相変わらず、テレビの画面に映る帝都ライヒェンバッハ宮殿の空撮映像に釘付けだった。


「斉藤君、上手くやってるなあ」


 男の名は永田閃十郞、特別徴税局元局長。定年退職の後、東部軍管区のヨットレース場をハシゴする悠々自適の老後を過ごしていた。



 〇九時〇〇分

 野茨の間


 野茨の間には、先月に行なわれた下院選挙により次期政権の座を取り返した帝国民主党の鄭珉和チョンミンファ代表および各省大臣と長官、そして政権を譲り渡すことになった帝国自由共和党、現政権を預かるローズ・ロワ首相をはじめとした関係者が揃っていた。


「皇帝陛下、ご入来」


 典礼長官――皇帝に関わる儀式を司る――の声と共に、野茨の間に皇帝が出御しゅつぎょする。深紅の軍服にマントを羽織ったメアリーⅠ世だ。すでに在位二〇年となり、五〇歳を過ぎ若々しさは失われたが、代わりに周囲を圧する貫禄を湛える姿となっていた。


「鄭珉和、前へ」

「はっ」


 典礼長官の言葉と共に、鄭珉和が歩み出た。


「鄭珉和。卿を、内閣総理大臣を任ずる」


 帝国議会が指名した内閣総理大臣、俗に首相および、首相が指名した各大臣、長官を親任するのが親任式の形式だった。まず、新政権の首相に対して皇帝から任命が行なわれ、前政権の総理大臣から任命書を受け取り、その後の大臣への任命書の授与については新政権の総理大臣から行なわれる。迂遠な儀式である。


 幾人かの大臣、長官が呼び出され、皇帝に任命されたのち、いよいよ呼び出されたのが特別徴税庁長官だった。元々国税省の外局である特別徴税局の任務と権限を整理し、大規模に再編成したメアリーⅠ世の治世の中で行なわれた省庁再編の目玉の一つである。 

 

「斉藤一樹、前へ」


 そして、その初代長官は特別徴税局生え抜き、入局後から最前線で活躍してきた斉藤一樹が任じられることとなった。庁長官人事は帝国ではその庁の一般職より選ばれることとなっていたが、特別徴税庁については五年前から局長の任にあった特別徴税局局長が横滑りで就任した。つまり、斉藤は初代特別徴税庁長官であり、最後の特別徴税局局長でもあった。


「はっ」


 帝国宰相に名を呼ばれた男は、周囲の大臣や長官と比べればかなり若く、そしてひときわ小柄だった。


「斉藤一樹、卿を特別徴税庁長官に任ず」


 皇帝の勅を受け、斉藤は恭しく最敬礼を行い、キビキビとした足取りで鄭珉和首相の下へ向かう。


「期待しています、斉藤長官」


 短いが期待を込めた鄭首相の言葉に、斉藤は頷いてから任命書を受け取り、皇帝へ向けて最敬礼しつつ任命書を捧げ持ち、元の位置へと戻った。


 その後、残りの任命も終わったところで、皇帝のお言葉を賜ることとなった一同は直立不動となる。


「議会により指名された鄭珉和内閣総理大臣と、その内閣の誕生を、皇帝として歓迎する。議会と内閣、皇帝の三者の関係が良好であることを、切に祈る」


 定型文であり、いずれの皇帝もこの言葉を発することで、ようやく内閣は動き出すことが可能となる。皇帝の入御をもって、親任式は完了した。



 一一時四九分

 首相官邸


「それでは、閣僚撮影に入ります。皆様カメラのほうをご覧ください」


 首相官邸玄関ホールの大階段での大臣級閣僚の撮影の列を遠目に眺めながら、斉藤は笑みを浮かべていた。


「どうしたい長官。随分とご機嫌だねえ」


 斉藤の肩に馴れ馴れしく手を回し頬を突いた優男を、斉藤は睨み付けた。


「ラポルトか。びっくりさせるなよ」

「いやあ、君も出世したねえ」

「お互い様だろ? 事務次官閣下」

「いやあ、照れるなあ。何度言われてもいいもんだね」


 斉藤もラポルトも今年四五歳。斉藤にしてみれば、自分が特別徴税局に入局した当時の永田局長と同い年ということで、感慨深いものがあった。ラポルトは一〇年ほどで特別徴税局徴税特課主任、係長、徴税三課長を経由したあとに本省へ戻り、領邦課長から順調に出世を重ね、今や事務方のトップである。


 特別徴税局の特別徴税庁への改組、長官人事にはラポルトの意向が大きかったという。


「それにしても、斉藤からキチンと祝いの言葉を頂けるなんて、感激だなあ」

「茶化すなら二度と祝わない」

「まあまあ……ここまで長かったなあ。国税省は押さえ込めても、他の省庁の横やりがスゴいこと」


 ギムレット公爵がメアリーⅠ世として戴冠して二〇年余。肥大化した内務省、星系自治省の権限の整理と再編をはじめとして、その中の一つである特別徴税局の拡大再編成がようやく完遂された。


 これには以前から武装艦隊を持つ特別徴税局を危険視する国防省などから大きな抵抗を受けていたため中々実現出来なかったが、特に反国税省、反特別徴税局の意識が強い帝国自由共和党が勢力を落としたタイミングで、メアリーⅠ世が帝国宰相府などを用いて些か強引に実現させた背景があった。


「ま、皇帝陛下の豪腕っぷりは未だ衰えず。君に掛かる期待はスゴいからね。是非、活躍してほしいものだ。推薦した僕の顔も立ててね」

「分かっているよ。ラポルト」


 大臣級の撮影が完了し、今度は新たに任命された長官、副大臣級の撮影に入ると言うことで斉藤達も呼び出されたところで、斉藤はラポルトの肩を叩いて、大階段へ向かった。



 一四時一〇分

 マルティフローラ大公国

 首都星シュンボルム

 ケージントン伯爵邸


「笹岡次長、ようこそお出でくださいました」

「元ですよ。いつまでも癖が抜けませんね、ロード・ケージントン。今日は特別徴税局ハレの日だと言うことで、一つ昼酒でもご馳走になりにきました」

「お互いに癖が抜けませんね。特別徴税庁ですよ」

「それもそうですね」


 笹岡元次長――局時代に新設された副局長的ポスト――は定年退職後、シュンボルムに移住。悠々自適の生活を過ごしていた。ロード・ケージントンは笹岡より先に退職し、マルティフローラ大公国で貴族として老後を過ごしている。なお、彼がロード・ケージントン邸を訪問するのは初めてのことではない。


 メイドがショットグラスとウイスキーを運んできて、ロードと笹岡は互いのグラスに琥珀色の液体を注いだ。


「特別徴税庁に乾杯」

「斉藤長官誕生に乾杯」


 二人は軽くグラスを掲げて、ウイスキーを飲み干した。


「権限と予算が拡大して、人員も増やされた。これで斉藤が目指した公正な徴税という職務がより一層確実になる。彼は帝国貴族に叙されるだけの功績をしましたな」

「ロードは彼を貴族にしたいのかい? 彼は嫌がりそうだけどねえ」


 笹岡はロードから進められた葉巻――市販品である――を断り、自分の背広のポケットからタバコを取り出し火を付けた。


「今となっては、永田と特別徴税局を再編した日々が夢のようですよ」

「悪夢で無くてよかった」

「それもそうだ。僕にとってはね、皆との仕事が本当に楽しかった。斉藤君もそうであったならいいのだが」

「彼は元々仕事を楽しめるタイプです。それも自分であれこれ決めて周囲を動かす、出世するタイプですよ」


 ロードは愛飲の葉巻に火を付け、初登庁した斉藤が映されたテレビを優しげな笑みで見つめていた。



 一四時一九分

 国税省

 特別徴税庁 オフィス


「庁に格上げされても、独自の庁舎はなしか。本当にいいのか?」

「あったってここには最低限の連絡部門しか置きませんよ。西条さん」


 六〇歳定年の特別徴税局だというのに、西条昌樹さいじょうまさき元調査部長は延長雇用で調査部員として勤務していた。部長の時のように調査部を主導する立場では無いが、むしろ個別案件、難所の税務調査などに精を出せるので部長時代よりもイキイキしているという証言もある。

 

「我々の職場は、あそこでしょう」


 斉藤はオフィスの天井を指さしたが、無論国税省庁舎の上層階という意味では無い。


「ところで、遅ればせながら、長官就任おめでとうございます、と言っておこう。吾輩が見込んだ男だけはある。君ならば、こうなると信じていた」


 肩をバシンバシンと叩く西条の癖は相変わらずで、斉藤は余りの衝撃によろめいた。


「ありがとうございます。西条さん」

「では、吾輩達は先に戻っている」

「はい」


 斉藤は僅かばかりの事務職――本省と特別徴税庁本隊を繋ぐ役目を持つ――がいるだけのオフィスを見渡した。


「では、こちらは頼みますよ」

「承知しました、長官」


 斉藤に答えた女性は、腰に軍刀、レーザーライフルを下げたスーツ姿だった。


「どうにも慣れないですね、長官と呼ばれるの……」

「仕方がないでしょう? エラくなったら相手の敬意を受けるのも仕事の内ですよ、長官」


 監理部のセシリア・ハーネフラーフ部長は三年ほど前に長年の特別徴税局監理部部長の職を離れ、一時本省広報広聴室長に戻っていたが、再び斉藤に請われ、本省内のオフィスにて特別徴税庁次長の座を預けられることになった。次長の地位は長官に次ぐものであり、万が一の時は長官に代わり庁トップとなる。皇統男爵として社会的な地位もあり、本省への抑えも十分というのが理由だ。


 人員数は少ないが、本省との折衝は魑魅魍魎の伏魔殿に対するものであり、セシリアの役目は重大だった。


 斉藤はこの重職を、庁組織が安定するまでは気心が知れている者に委ねたのだった。


「わかりました。ともかく、万事本省対応はよろしく頼みます、ハーネフラーフ次長」



 一四時四五分

 講堂


「長官登壇! 総員傾注! 頭ぁ中!」


 トリスタン・アルヴィン・マーティン・ウォーディントンⅡ世、とはいえ本体である大脳等の生体ユニットは生前と変らず、基本フレーム構造からリニューアルされたアルヴィンは、恒例となった軍隊式号令を張り上げた。


「アルヴィンさん、もう少し穏便に」


 号令が終わって仕事を終えたとばかりに壇上から引き揚げるアルヴィンとすれ違いざまに、斉藤は苦言を呈したが、いつも通り冗談の範疇だった。


「はっ! 長官閣下のご命令通りに、ってね」

「イニシャライズしますよ」


 アルヴィンは二〇年前と見た目も言動も変らない。斉藤にはそれがありがたかった。対する自分はすでに中年。それでもアルヴィンが斉藤に向ける目は変らない。


「おー恐っ……へへっ、行ってこい、斉藤」


 壇上へ上がった斉藤が第一声を発するのを、一同が注視する。


「改めて、特別徴税庁、長官の斉藤一樹です」


 ついに斉藤は公務員として、官僚としては最高に近い地位にまで上り詰めた。これより上は、本省事務次官の席を狙うというルートもあったが、斉藤にそのつもりはなかった。


 国税省の講堂には、特別徴税庁の主立った内部部局の長と今回人事異動で特別徴税庁所属となる国税省職員が集められていた。


 総務部、徴税部、調査部、監理部、実務部といった部局は特別徴税局時代からあるものだが、人員はこれまでの三倍近く増員された。


「庁と名が変っても我々の仕事は一切変らない。国税における不正を許さず、義務を果たさないものには実力行使で国税を納付させるのが我々の任務だ」


 斉藤の活躍により、特別徴税局に対するイメージも大分変化し、今や出世の登竜門のハードルートと呼ばれるまでになった。これにはラポルトが若くして事務次官まで出世したことも大きく影響している。そのほか、若手が一旦放り込まれ、本省に戻るとさらに実力を増しているという事例は少なくない。


「国税の公正な徴収は公正な国家の礎。諸君ら、天翔る徴税吏員達の活躍を期待する」


 斉藤の極めて簡潔な訓示の後、新たに配属された職員への辞令交付が行なわれるが、これは総務部長により行なわれる。


 斉藤は演壇の上に用意された椅子に腰掛け、辞令交付を眺めていた。



 一五時二〇分

 ヴィルヘルミーナ軍港

 装甲徴税艦カール・マルクスⅡ


 二〇年を経て、特別徴税局――今日この日から特別徴税庁と呼ばれる――の装備も更新されていた。近衛軍の退役艦を改修した当時の徴税艦も度重なる強制執行にさすがに老朽化が激しく、ラポルト事務次官の後押しで新造艦の配備が進められた。


 現在帝国軍でも主力を務めているインペラトリーツァ・エカテリーナ級戦艦をはじめとして、当然の如く徴税二課が改修を加えた徴税艦は、やはり帝国艦隊標準編制を遙かに超える火力を誇り、迅速な執行業務を可能としている。


 特に新造旗艦のカール・マルクスⅡについては電子戦能力、対艦戦闘力が大幅に増強されていた。


 ヴィルヘルミーナ軍港の空いたスペースに、相変わらずの紅白塗装が施された徴税艦が勢揃いしていた。


「局ちょ……じゃねえ、長官、お帰りなさいませ」

「ただいま」


 舷門警備に当たっていた渉外班員は、斉藤に挙手敬礼をした。斉藤もそれに答えて艦内に入る。相変わらず渉外班員は懲罰兵や服役囚からリクルートしていたが、特別徴税局時代から渉外班員として刑期を終えた者の再犯率が極めて低いことからこの施策の評価は高かった。


 出航前に斉藤は、艦内各所の巡視に出向くことにした。

  


 一五時二四分

 調査部 オフィス


「局長、お帰りなさい」

「長官ですよ、ハンナさん」


 調査部長には斉藤が徴税三課時代から先輩として指導に当たっていたハンナ・エイケナールが就任していた。彼女が部長になってからはすでに五年が経過している。西条に請われての就任で、徴税三課時代の調査能力の高さから推挙された。


「まさか、あの斉藤君が長官だなんてね」

「実感があまりありませんね。何だか気分だけは特課時代と変らないんですよ」


 斉藤にとってはハンナはいつまでも先輩である。こうした軽口を叩ける人間も、徐々に減っていくのだろうと斉藤は少し寂しさも感じていた。


 ハンナも今年で五八歳。あくまで徴税庁組織が動き出してから体制が固まるまでの繋ぎである。


「退職までに、斉藤君の人使いと、西条さんの大音量に耐えうる調査部長も探しとかないとね」

「そうですね、頼みます」


 そう言いながら、国税徴収のなんたるかを新米職員達に大音量で説いている西条を見て、斉藤は苦笑いを浮かべた。



 一五時二九分

 徴税四課 電算室


 カール・マルクス時代からさらに強化された電子戦、情報処理能力を持つメインフレームを保守管理する徴税四課だが、斉藤が入局したころとは雰囲気が打って変わっていた。


「しっかし特別徴税庁って言いにくいなあ、ちょくべつとうぜいちょう? ちょくべちゅちょうぜいとう?」

「ターバン黙って仕事出来ねえのか」

「は!? ワシ課長やで!?」

「いいから黙って仕事しろターバン!」

「そうだそうだ!」

「はい……」

「相変わらずですね、ターバンさん」

「おー! 長官はん来はったん! なんやまあ斉藤はんが長官とかすごいなあ」


 瀧山元徴税四課長は五年前に退官。延長雇用を申し出た斉藤に対しては、


『電算室はターバンに任せて問題ねえ』


 と一言言って退官してしまった。瀧山の言うとおり、運用自体には問題はないが、課長となったターバンの人となり故、斉藤は不安を感じていないわけではない。


 なお、瀧山は郷里で過ごしているという。アイドルおっかけ、プログラミングなどに精を出しているというのが、斉藤に届いた私信に書かれた彼の老後の生活らしい。


「ターバンさん、庁になっても仕事に変更はないですからね、頼みますよ」

「なんや心配しいやな長官はんは。このターバンに万事任せはったらよろしおす!」

「それが一番不安なんだよな……」

「えぇ……」



 一五時三二分

 徴税部長執務室


「あっ、あの! やはり私が徴税部長というのは些か荷が勝ちすぎているものと……」

「何を言ってるんだ。僕が太鼓判を押しただろ? 君の能力は皆が知るところだ」

「で、ですが……」


 現在の徴税部長はノルベルト・シュタインマルク……かつての国税大臣オットー・シュタインマルクの長男が務めていた。政治家を希望していた父の願いを無視して国税省の門を叩いた彼の志望動機は、父を助けた――利用したとも言う――斉藤に興味を抱いたこととは無縁では無かった。


 現在三七歳の若さで特別徴税庁徴税部長を務めているのは親の七光りなどではなく、彼自身の能力を斉藤が見込んでのことだが、自己評価の低さが彼の欠点と言えば欠点だった。


「アクが強いうちの徴税部をまとめ上げてるんだ。誰も君の評価に疑いなど向けない。頼むよ」

「は、はい……」


 斉藤自身は自らの能力に一切の疑問を抱かないタイプだったので、こういう自己評価が低いタイプのサポートは一苦労だった。自分より遙かに上背があるシュタインマルク部長の背中をバシンバシンと叩いてから、斉藤は総務部へと向かった。



 一五時三八分

 総務部 オフィス


「ソフ……総務部長、問題は無いかな?」

「はい長官。問題ありません」

「そうか……」

「デレデレしないでください。長官の権威にキズがつきますよ」

「いや分かっては居るんだけれども」

「分かってないから言ってるんでしょ。ほら、背筋伸ばす。小さく見えるよ」

「小さくない!」


 総務部長はミレーヌ・モレヴァンから引継ぎソフィ・テイラー……つまり斉藤の妻が務めている。結婚したのは一〇年ほど前で、それにはゲルトやハンナ、ミレーヌ、セシリア、アルヴィンの


『いつまで待たせてるんだこの朴念仁』

『いい加減責任を取れアンポンタン』

『男だったら腹くくれ』

『これで裏切るなら天罰を下す』

『まあほら、ソフィちゃんいいコだし、お前にはもったいねえっいででハンナなにすんだよ!』


という説教、一部失言があったと言われる。


 最初結婚後は夫婦共に同じ職場は部下に示しが付かないとして、当時総務部総務課長にあった彼女を地上勤務にしたいという、当時徴税部長を務めていた斉藤の配慮で本省に新設される特別徴税局分室に配属することも考えられた。


 しかし、当時まだ局長だった永田の『別にいいんじゃない?』という意向、笹岡次長による『お熱いねえ』という茶化し、さらにソフィが『私がいなくなったら、誰が煩雑な徴税艦隊の総務を取り仕切るのか』と見得を切られ、総務部はじめ一般職からの『ただでさえ総務はオーバーワーク気味なのに最大戦力を外すのは勘弁して欲しい』という嘆願に斉藤が折れて現在に至り、カール・マルクスⅡの影の番人として君臨することになった。


「まぁ見せつけてくれちゃって……」


 ミレーヌ・モレヴァン元総務部長、現在は延長雇用で総務部、そしてカール・マルクスⅡのご意見番として勤務していた。年甲斐も無くイチャつく斉藤とソフィを茶化すのも、彼女の楽しみの一つである。


「総務部長も人の子ってことだよね、うん」

「お熱いですねえ、総務部長、長官」


 総務部の雀たちにはやし立てられた斉藤は顔を赤くして、ソフィにともかく頼むと言い残してその場を後にした。



 一五時四四分

 徴税三課オフィス


「香椎、状況は?」

「はい、問題ありません」


 斉藤の古巣、徴税三課は徴税特課の機能を併せ持つ部署として再編され、徴税部内にあって巡航徴税艦と強襲徴税艦、機動徴税艦二隻を組み合わせた局長、そして長官直属の特務部隊として活躍している。その長は斉藤の帝大時代の後輩、二〇年前に特課に配属された時から目を掛けてきた香椎理恵かしいりえが務めている。


「庁になっても君達の重要性は変らない。期待しているよ」

「はっ!」


 特徴局若手の登竜門、その番人である後輩の笑顔に、斉藤は安堵した。



 一五時五九分

 第一艦橋


「局長、じゃなかった……長官、総員乗艦を確認。舷門閉鎖完了しました」


 装甲徴税艦カール・マルクスⅡの艦長を務めるのは、斉藤が特課課長時代に巡航徴税艦ヴィルヘルム・ヴァイトリングの艦長を務めていた不破凜ふわりん部長だ。入井艦長から特別徴税局総旗艦艦長職を引き継いだ彼女は、斉藤がもっとも信頼する艦長である。


 特課時代は二〇代だった艦長も、すでに四〇代の脂が乗りきった歴戦の船乗りになっていた。


「ごあーん」

「おお、よしよし……部長、おいで」


 斉藤はオブザーバー席に腰掛け、足下に居た猫を抱え上げた。


 サー・パルジファルⅢ世は初代カール・マルクス艦内で笹岡元徴税部長が飼っていたサー・パルジファル実務部長の子孫である。元々は実務部に広範な権限と自由行動をさせる為に永田が猫を部長にした経緯があったが、ゲン担ぎを尊ぶ船乗り達からは実は好評で、初代サー・パルジファルにあやかってその後も名誉実務部長としてサー・パルジファルⅡ世が就任――実務上の権限はキチンと正式の部長が任命された――し、そのⅡ世の子供がⅢ世ということになる。


 なお、艦内には他にもアーサー、ギャラハット、ベディヴィエールなどの猫が現在でも飼育され、ささくれやすい徴税部員達の心の癒やしとなっていた。


 斉藤が膝の上のサー・パルジファルⅢ世を撫でていると、実務各課から報告が入る。実務課の艦艇数は変らないが、これは過大な火力がなくても執行自体は可能という斉藤の判断だった。元々帝国領邦相手の戦争を考えていた永田時代とは違い、斉藤は現実的な強制執行を考えていたからだ。


『実務一課、準備ヨシ!』


 実務一課長は相変わらずフランチェスカ・セナンクールが実務一課長を務めている。彼女はさすがに帝国に対する敵対行為が罪状であったことから、度重なる恩赦によって刑期短縮されても放免とは行かなかった。残り刑期は一五四年とされており、彼女は悪態を付きつつも、実務一課長としての囚人兵ライフを楽しんでいた。


『実務二課、発進準備完了! 特別徴税庁に乾杯!』


 実務二課長も二〇年前と変らず、定年を延長する形でゲオルギー・イワノヴィチ・カミンスキー課長が務めている。この二〇年で彼は戦傷、疾病も含めて数度手術を受け、右の腎臓、左の肺、左足の膝から下、左腕の肘から先、右手の人差し指と中指、親指、右目を徴税二課謹製の人造臓器や義手・義足に入れ替えている。驚くべき事に肝臓は今でも生身であり、酩酊の神ディオニューソスの加護だろうと本人はうそぶいていた。


 この点について現在も医務室長を務めるヤコブレフ室長によれば、神の御業みわざあるいは悪戯いたずらと称している。なお、ヤコブレフ室長は定年を過ぎているが、本人の極めて強い希望で延長雇用されている。


 なお、次期二課長と目される下尾希子しもおまれこ課長代理、現在の二課旗艦オクチャーブリスカヤ・レヴォリューツィア艦長は、多聞に漏れずアル中である。


『実務三課、準備よろし』


 実務三課、特別徴税庁の航空戦力を統率するのは桜田政次郎さくらだせいじろうの後を継いだエルンスト・ニールマン課長。桜田元課長は今年で五五歳。さすがにパイロットスーツは脱いで、現在は実務部長代理として、実務部航空隊の練成に努めている。


『実務四課、いつでもいけるぞ!』


 実務四課長はノンキャリア、それも囚人兵上がりのメリッサ・マクリントックが務めている。ノンキャリアは課長代理までが精々の中央官庁において、異例の出世となったのは特別徴税庁の任務の特殊性を鑑みても快挙と言えた。なお、前任のレオニード・アレクセーエフ・ボロディン元実務四課長は特別徴税庁への改組が決定した二年前に病没し、斉藤はその死に際に立ち会っていた。最後まで特別徴税庁の未来を案じ、部下達への配慮、斉藤の栄達を願いながらの最期だった。


「長官、全艦データリンク正常! いつでも突撃可能であります!」


 徴税一課長補佐、XTSA-444A6征蔵Mk-Ⅱ改セカンドCは二〇年前に稼動していた戦術支援アンドロイドをモデルチェンジした改良型で、より先鋭化した突撃思考と柔軟な突撃戦術を考案可能な、製造者の思想が色濃く出た設計となっている。なお、各実務課に配備されたものも同様のモデルチェンジが行なわれている。なお、形式名のCはChargeのCである。


「実務全課、準備完了。艦隊、発進準備完了しました」


 実務部長にはゲルトルート・フォン・デルプフェルト帝国子爵。彼女と斉藤、ソフィは一時三角関係とも噂されていたが、何事か本人に気持ちの切り替えがあったのか、斉藤とはよき同僚関係で安定した。


 前任の秋山徴税一課長は皇帝の推挙により近衛軍参謀長として栄転している。堅実な作戦案が評価された形だ。


「よし……」


 斉藤は立ち上がり、高らかに宣言した。


徴税艦隊タックス・フォース発進!」


 帝都の空に、鮮やかな紅白塗装と野茨紋章を備えた徴税艦が舞う。彼らは今後も、帝国の公正な税制を支える天翔る徴税吏員として、活躍を続けるのだ。


 特別徴税庁の歴史は、まだ始まったばかりである。






 同時刻

 工作室


 カール・マルクスⅡにも、初代カール・マルクス同様工作室が設けられたが、今回は徴税二課とは別になっており、二課は思う存分兵站管理や補修業務に集中できる環境が整えられた。課長代理としては新たにピヴォワーヌ伯国領邦軍の兵站参謀長、アントン・グリポーバル准将を迎え、定年退職したハインツ・ラインベルガーの築いたシステムを効率的に運用している。


 では、元々徴税二課が入っていた工作室は誰が使っているのか、課長は誰なのか。


 その答えは当然のことながら、あるいは残念ながら、もしくは不運な事に、または幸運なことに、特別徴税庁の誇る極彩色の脳細胞である。


「なあ博士? 今度はなにつけようってんだ!?」

「ふっふっふっ……よくぞ聞いてくれた!!!」


 手術台に固定されたアルヴィンが首を巡らせると、工作室の暗闇から目を比喩では無く、実際にギラギラと輝かせた白衣の老人が現れた。


「案ずるではない、ワシの改造でも使った小型反応炉の改良型じゃ! さらに小型化して出力は五〇パーセント向上。これでお主も重力波砲の発射が可能! 新生特別徴税庁の栄誉を背負って悪漢共をちぎっては投げちぎっては吹き飛ばし、時空構造諸共木っ端微塵にできるんじゃよ! まあ出力強化の代償に安定度が低下したきらいもあるが、気にすることは無い! 科学は失敗の山の上に成功という城を築き上げるものじゃ! さあ神妙に改造されるがいい! うわははははははは!!!」


 二〇年を経て、アルベルト・フォン・ハーゲンシュタイン博士は自らの理想にさらに一歩近付いた。彼は廃艦となった初代カール・マルクスメインフレームを強引に引き取り、そこへ自らのすべてを移行した。今動いているハーゲンシュタイン博士らしきものは、そのメインフレームから遠隔操作される端末に過ぎないのだ。


「助けてぇ局長!!! いや、長官!!! 斉藤ぉおおおおおおおおおおお!!!」


 アルヴィンの叫びは分厚い工作室のドアに阻まれ誰にも聞こえない。今日もアルヴィンは博士の改造の実験台となり、また得体の知れない機能が追加されていくのであった。



<徴税艦隊タックスフォース・本伝 完>

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