第22話ー⑤ 冬来りなば……
欧州管区ブリテン州
ウィンザー・メイデンヘッド特別区
ボルトン・アベニュー
テイラー家
「ほらほら一樹君、遠慮せずに食べてちょうだい。たくさんありますから」
「あ、あはは、どうも」
「さあさあ飲んで飲んで」
「ど、どうも」
「自分の家だと思ってくつろいでくれて良いのよ」
「あ、ありがとうございます」
「斉藤くん緊張してる? 気にしないで、いつもうちはお客さんが来るとこうなの」
「いや、嬉しいよソフィ」
斉藤とソフィは家に着くなりエリザベス、つまりソフィの母親による歓待を受け続けていた。ちょうどティータイムに到着した二人だったが、クッキー、ケーキ、アップルパイを振る舞われ、さらに帰省してきたソフィの兄チャールズの妻であるソフィの義姉フレデリカが持参した大量のチョコレート菓子に加え、ソフィの叔母アビゲイル・マコーネルが持参した酒の数々を振る舞われる間にエリザベス夫人による夕食がテーブルを埋め尽くしはじめたのだった。
兄弟姉妹が居らず、祖父母は幼少期に既に他界している斉藤の実家は年末年始でも静かなものだが、それとは正反対のテイラー家の物量と賑やかさに圧倒されっぱなしというのが今の斉藤の状況である。
「しかし帝大卒のエリートが特別徴税局なんて大変だねえ。銀時計組なんだろう?」
チャールズは三五歳。帝国本国第五宙域、リシテア重工トーバック工場に勤務するエンジニアだ。テイラー家の中では一番恰幅が良い。
「いえ、そんな大したモノでは……」
「謙虚ねえ。それにしても、まさかソフィがこんな可愛い子を連れてくるなんて」
ソフィの叔母のアビゲイル・マコーネルは今年で四五歳。南米管区ブラジリア大学教授で専門は経済学。大酒飲みのおおらかな女性だ。
「しかしらなあ斉藤君、最近の特別徴税局の動きはあまりにガサツに思うのだが――」
「もう、お父さん仕事の話はやめましょうよ、せっかくの年末なんだから。ほらビール」
「リズ! これは我々納税者の問題だぞ、そもそもだなぁ――」
いい感じに出来上がっているのはハインツ・テイラー。ソフィの父親で総務省欧州局の行政監理部次長を務めており公務員。ソフィの特別徴税局勤務を一番反対していたのは彼である。
「ソフィが特徴局の飲み会であれだけ酒や飲み物を勧めてくる理由がようやく分かったよ」
斉藤は苦笑いを浮かべてソフィを見やった。
「え? どういうこと?」
「いや、別に……」
斉藤が言い淀んでいるうちに、キッチンに居たエリザベスが戻ってきた。
「あら、そういえばそろそろ日付が変わるんじゃない?」
「ホントだ。そろそろ外に出ようか」
「何かあるの?」
「日付が変わるとにウィンザー城で花火が上がるんだ。ほらほら、斉藤君こっちこっち」
「ちょっ、引っ張らないで! 上着着させて!」
ソフィと斉藤がテラスに出て行った後、テイラー家の一族は顔を突き合せた。
「……どう思う?」
「良い子じゃないか。ソフィが好きそうなタイプだ」
エリザベスがチャールズに小声で聞くと、チャールズはビールを呷ってから応えた。
「あいつはああいう控えめなやつがタイプだからな」
「ソフィちゃんが連れてくるくらいですもの。悪い子じゃないのでしょう?」
チャールズの言葉にアビゲイルが相槌を打った。
「しかし特別徴税局に入るようなやつだぞ。どうせ碌でもない奴だ」
ふて腐れたような様子でハインツがアップルパイを頬張るのを見て、エリザベスが溜息を吐いた。
「あなた、娘もまとめて碌でもない奴扱い?」
「あ、いやそうではないんだが……」
エリザベスの鋭い目線を受け、ハインツはやや畏まった様子で目を逸らした。
「まあ、ともかく私達が口出すことではないでしょう。それにあの斉藤って子がソフィに気があるかどうか、まだ分からないし」
姪っ子の恋路を面白がるように、アビゲイルが笑みを浮かべた。
「そうかあ? 態々女の実家まで来るようなやつだぞ?」
「ほら、他にも事情があるかも。何せ特別徴税局の局長付とかいうエリートでしょ?」
チャールズの妻、フレデリカが空き缶やら空いた皿を片付けながら夫に声を掛けた。
「いずれにせよ、せっかく来てくれたんだもの。お客さんは大事にするものよ、ね?」
エリザベスが手を叩くと、話はそれでおしまい。それがこの家のルールだった。
一方、先にテラスに出ていた斉藤とソフィはそんな会話が行なわれていることなどつゆ知らず、小高い丘の上にライトアップされたウィンザー城を見ながら年越しの瞬間を待っていた。
「ご両親、どう思ったかな、僕のこと」
「え? 気に入ってると思うよ」
「いや、急にその、君の実家にまで押しかけたような格好だし」
「誘ったのは私だよ。気にすることないって」
「そうかなあ……」
「……斉藤君、ごめん」
「な、なに? 急にどうしたの」
突然謝られて、斉藤は狼狽した。
「突然実家まで連れ込んじゃって……変な女だなと思ったんじゃないかって」
「そんな……あの時間から宿を探すのは苦労しただろうし、僕は助かったんだ。それに、ご家族もいい人ばかりじゃないか」
実際、斉藤はウィンザーや近郊のメイデンヘッド、ロンドン市内に宿が空いていないかを調べていたが、どこも満室で一番近いのがバーミンガムということで諦めていた。それに、斉藤にとっては大家族で賑やかな年越しというのも人生でほぼ初めての経験だった。
「……そう言ってもらえるなら、私も気が楽かな。ありがと」
「お礼はこっちが言いたいくらいさ。いい新年を迎えられそうだよ」
そうこうしているうちに、斉藤達の背後が賑やかになってきた。エリザベスを筆頭にテイラー家の一同がテラスに出てきた。
「いやあ寒い寒い。斉藤君、紅茶でもどうだね」
「あ、ありがとうございます」
「よその家もそろそろ出てきたわね。昔は城まで行ってたんだけど、人が多くてねえ。ほら斉藤君。これ焼きたてのホットサンド。熱いうちに食べて」
「いただきます」
ソフィはじめ、テイラー家の人間はどうも他人に食事や飲み物を勧めることに喜びを感じているのではないか……と斉藤は考えていた。
「斉藤君、ほらほら、あと一〇秒」
「んん?」
すでに頬張っていたホットサンドで口いっぱいの斉藤が、ソフィーに言われてウィンザー城のほうへ振り向いた。
「五、四、三、二、一――」
ソフィのカウントダウンが終わると同時に、ウィンザー城から花火が打ち上げられ、新たな年の訪れを告げた。斉藤は花火を見上げながら、今年こそは平穏無事な一年を遅れるようにと願わずには居られなかった。
「さあさあ、チャンネル8のニューイヤーコンサートでも見ながら飲み直しましょ」
帝国人なら大抵やることが無くなると年末恒例のチャンネル8ニューイヤーコンサートの時間となる。西暦時代から続く伝統あるウィーンフィルハーモニー楽団による演奏を聴きながら、多くの者は家族や友人などと談笑するのが一月一日に最初に行なう行事だった。
帝国暦五九〇年一月一日
帝国では一月一日は全土が休日に指定され、帝都地球以外の各惑星はセンターポリス地域は帝国標準時を採用しているし、航行中の艦船や軌道都市でも同じなので、当然休みになる。帝国が唯一静かな日である。基本的に商業施設でも、特に娯楽性の強いテーマパークや映画館を除けばスーパーマーケットなども休業しており、帝国人であれば誰でも一二月三〇日までに一月二日もしくは三日までの支度をしておくのが習慣づけられていた。
ウィンザー・メイデンヘッド特別区
クイーン・ヘンリエッタ聖堂
「スゴい人出だね」
「毎年こんな感じだよ」
ソフィに連れられ、斉藤は近所のクイーン・ヘンリエッタ聖堂で行なわれる年初の礼拝に参加していた。帝国国教会の聖堂であるこの聖堂の名は、連合王国最後の女王の名前から取られている。
地球帝国では曜日に関係なく一月一日は休日に指定されており、同時に帝国国教会の礼拝日とされている。
礼拝と言っても帝国国教会のそれは非常にシンプルだ。帝国国教会は歴代皇帝を崇敬対象とするものであり、帝都には巨大な皇帝廟が設けられている。ここから分霊した――という建前で――国父像もしくはレリーフに数秒黙祷を捧げることで礼拝したと見なすというのが教義になっている。
また、国教会へ寄進することで貰い受ける野茨の花を供えることも行なわれている。
このように教義や儀式の様式が非常に簡素化され、また世間に溶け込むことを重視しているのが帝国国教会の強みだった。
「
聖堂近くの公園などでは新年から出店が並び、お祭り騒ぎの様相だ。国教会自らも様々な飲食物の提供をしているのも、新年の礼拝日の特徴だ。
「いや、いい……昨日から食べ過ぎたよ。こりゃカール・マルクスに帰る頃には二、三キロくらい増えてそうだ」
昨夜は二時近くまで起きていてテイラー家の一同と
ソフィがこのように抜群のスタイルを保持するに至ったのも、この食事環境にあったのではと斉藤は自分より背の高いソフィを見ながら考えていた。
「お昼も母さんが腕によりを掛けるって言ってたよ」
「それは楽しみだ」
家族一同が座る大きなテーブルに、所狭しと食事が並ぶ光景を想像して、斉藤は若干胃もたれを感じた。
帝都ウィーン
国税省
地下三階 第三制御室
斉藤がテイラー家で膨大な量の食事を振る舞われている頃、新たな一年の始まりの日に、一人不景気なツラを下げて仕事に勤しむ者がいた。
「いいんですかねえこんなことしてて。こりゃ立派な犯罪ですよ」
国税省地下奥深く、中央コンピュータシステムのプルートを納めた格納区画――通称冷蔵庫――の制御室で、分厚い防寒着を着込んだ瀧山が不平不満を隠さず漏らす。彼の正面に広がる複層ガラスの向こう側では、大型コンピュータの集合体が液体窒素漬けにされて唸りを上げている。
瀧山は推しのアイドルグループであるレギオンシスターズ年末ライブをいつもの面子――ターバンおよび実務二課長カミンスキー――で鑑賞したあと、帝都のホテルにでも泊まってコンピュータ関連の論文でも読み漁ろうとしていた矢先、局長からの緊急呼び出しを受け、今ここにいる。
「まあまあ。今日くらいしか入り込む隙が無かったんだよ」
こちらも防寒服に身を包んだ永田がニコニコしながらホットコーヒーの缶で手を温めている。
「独身だからって便利に使いすぎじゃないですかねぇ?」
「でも徴税四課皆独身でしょ?」
「そりゃあんな大宇宙の監獄みたいな職場じゃあねえ……西条部長はどうやって夫婦仲維持してるんです?」
ほとんどすべての局員が独身者という特別徴税局において唯一の妻帯者である西条は、特別徴税局において特異点のような存在だった。あのエキセントリックな調査部長に嫁が居て娘が居る――瀧山自身、あの西条が、というのは偽らざる心境だった。
「こまめな連絡を欠かさないことが秘訣だってさ。執行配備でなけりゃ晩飯の内容から何から何まで報告してるって」
「既婚者は既婚者なりに大変なんでしょうがねえ……しかし今日は出入りの業者が多いから擬装しやすいって言ってもだなあ……いいんですか?」
他の制御室にも灯が入っており、省内コンピュータシステムのメンテナンスが行なわれている。ほとんどが自動実行の自己修復プログラムによるものだが、一部は人の手を必要としている。永田が目をつけたのはそこだった。
「ちゃんと休日手当は色つけとくからさ、ね?」
「へいへい……細工は流流、仕上げを御覧じろってね……いよぉし仕掛けは万端でさぁ」
「よしよし。それじゃあとっとと撤退しよう。瀧山君、お疲れさん」
「へいへい……」
「このあとビールでも飲みに行かない?」
「オッサン二人で正月から昼酒かっくらうたぁねえ……休日手当ってことでいいんですか?」
「うんうん、そりゃあもう」
制御室の端末の電源を落とし、照明を消した制御室を瀧山は振り返った。この細工が使われることがないように祈りながら扉をロックした。
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