第22話ー④ 冬来りなば……
翌朝
ホテル・ベルヴェデーレ
エレベーターホール
「あっ」「れ?」「まあ……」「あらら」
翌朝、レストランの朝食に出かけようとした斉藤、ソフィ、ハンナと永田はあろうことかエレベーターホールでばったり鉢合わせした。同じフロアにいたとは思わず、四人はしばし顔を見合わせて凍り付いていた。
「あっ、いやっ、これはっ、そのっ」
「なぁに斉藤君、ソフィちゃん部屋に連れ込んでたのぉ? 案外隅に置けないわねえこのこの」
ハンナがニヤニヤしながら斉藤の肩を指で
「あら~、これはまあ、なんというか、ねえ、エイケナール君」
「局長、若い二人を邪魔しちゃ野暮ってもんですよ」
「あはは、それもそうだね。あはは。うふふ」
口に手を当ててニヤニヤ笑う永田にハンナ。斉藤とソフィは顔を真っ赤にするしかなかった。
「いやっ、ちょっ、待ってください! ホントに何にも無かったんですよ!?」
エレベータに乗り込んだ四人。斉藤とソフィの弁解はレストランの入口まで続いた。
レストラン・ブルックナー
「お二人さん、相席よろしいかしら?」
レストラン・ブルックナーの朝食はビュッフェ形式だった。斉藤とソフィがぎこちない朝食をしているところへ、ハンナが再び現れた。
「ど、どうぞ」「お、おはようございます、ハンナさん」
「うふふふ、さっき挨拶したじゃない」
ギクシャクとした反応を楽しむように、ハンナは朝食のプレートをテーブルに置いて、円卓の椅子に腰掛けた。
「ごめんなさいねえ、あなた達そんな関係だったなんて」
「違います!」
「あっ、ソフィちゃん、首にキスマークついてる」
「えっ!? いえそんなはずは!?」
ソフィの反応を見たハンナはクスクスと笑いながらコーヒーカップに口をつけた。
「ウソよ、冗談。ホントに何もしてないのかぁ……斉藤君の甲斐性無し」
さらに、斉藤に生温い視線を送ることも忘れないハンナだった。
「なんでですか!?」
「趣味が悪いですよ、ハンナさん……」
「ええ、悪いのよ、趣味……ところで、どうして同じ部屋に?」
「実は――」
昨日の夜、エレベータ前に公安の人間が張り付いていたことを斉藤が説明した。
「ああ、やっぱり付いてたんだ、監視」
なお、ハンナはワインをしこたま飲んだ後寝ていたので朝まで何も気付いていなかった。
「気味悪くて……」
「ここでは付いてないから、多分局長の道連れになってたわね……なんで同じフロアにいたんだか」
「それもそうなんですが……」
「今年はどうも普段より内務省の仕事納めが遅いらしいな」
「うわぁっ!? 課長!? どうしてここに!?」
斉藤は自分のすぐ後ろの席で聞き覚えのある声が聞こえた気がして振り返り、仰け反った。ロード・ケージントンことアルフォンス・フレデリック・ケージントン徴税三課長が優雅な朝食を取っているところだったからだ。
「ここの朝食ビュッフェは美味いからな」
「課長、今年はご自宅に戻らなかったんですか?」
「帝都で昔の同僚連中と忘年会があったので、そのまま帝都滞在だ」
斉藤もロード・ケージントンの前職が内務省の内国公安局だということは知っているだけに、露骨に顔を顰めた。
「内国公安局の……なんだかゾッとしませんね」
「中々スリリングだったよ」
無論、斉藤もソフィもハンナも、ただの飲み会とは思っていなかったが、その内容が帝都にいる特別徴税局局員の襲撃に動いた公安局の人間を簀巻きにして真冬のドナウ川に放り込むことだとは思わなかった。
ラインツァー・ティア・ガルテン
ギムレット公爵別邸
「そう、内務省の連中が」
「ホテルの周りを嗅ぎ回ってましてねえ。邪魔くさくて敵いませんよ」
永田はホテルを離れ、ギムレット公爵の招きを受けて朝食を共にしていた。皇統貴族とは言え無限の贅沢をするわけでもないから、その朝食はレストラン・ブルックナーのものよりも多少豪華、という程度のものではあった。
「人気者ね、あなた達」
「VIP対応は皇統貴族にでもなってからだと思ってましたがねえ」
「あげましょうか? 皇統の爵位」
「遠慮しときます」
永田は公爵の提案を笑って拒絶した。皇統になどなっても面倒ごとを背負い込むだけだと分かっていたからだ。
「真面目な話をするとね、来年は少し大人しくしておきなさい。大公殿下はまたぞろ碌でもないことを考えてるようだから」
「ほほう。そりゃあ、興味深い。一体なんだって言うんです?」
「特徴局の解体よ」
ホテル・ベルヴェデーレ
ラウンジ
「課長、お話とは……?」
「まあ慌てるな。吸うか?」
「いえ、結構です」
「そんな目で見るな。市販品だよ、これは」
朝食後、斉藤はロード・ケージントンに連れられてホテルのラウンジに入っていた。さすがに公衆の面前ではロードも特注の葉巻を吸うはずはなく、通常のものを咥えていた。
「ラウンジに入るのは初めてです」
「中級ホテルとはいえ、さすが帝都のホテル。ラウンジでの一服は男の嗜みだ。覚えておいて損はあるまいよ」
ロード・ケージントンはゆったりと紫煙を吐き出し、コーヒーを飲んでいた。
「斉藤、休暇中は帝都を離れるかカール・マルクスに戻っていろ」
「え?」
突然の帝都からの退去もしくはカール・マルクスへの
「これは忠告だ。テイラー君も連れてな」
「どういうことです、課長」
「昨日、局長が内務省の連中に襲撃された。直前で救出されたらしいが、のっぴきならない状況だ。斉藤は実家が極東だろう?」
この局長救出劇はロード・ケージントン自らの手による物だったが、彼は斉藤にそのことは伏せておいた。
「実家ですか……」
重苦しい父親、世間知らずの母親がいる実家に帰るのは斉藤としてはあまり気が乗らない選択肢だった。
「連中も民間人宅に乗り込んでいくような監視や暗殺は出来ない。別にどこでもいい。何ならテイラー君のご実家に挨拶でも行ったらどうだ? 昨日の晩のこともあるし」
「なっななななんで課長まで知ってるんですか!?」
「カマを掛けてみたんだが、大正解だったとはな」
「て、手は出してません!」
「分かっている。そんなことをするような君ならテイラー君も君の部屋に泊ったりしないだろう」
ロード・ケージントンのジョークと自身への評価に、斉藤は溜息を堪えた。
「それに、彼女は君の巻き添えを食っている可能性が高い。責任持って実家にでも送ってやれ。本来事務職の局員など監視対象になるはずが無い」
斉藤は入局からまだ二年目で本来なら内務省が監視をつけるほどのものではないが、局長付という役職を拝命し、様々な案件を処理してきた実績が悪い意味で評価されているということだった。
「なるほど……」
「忠告はしたぞ、では年明け無事に会えることを祈っている」
テーブルの端末に自分のシグネットリングを読み込ませ、会計を済ませたロード・ケージントンの背中を見送りながら、斉藤はどうソフィに伝えたものかと思案していた。
二時間後
ロンドン=クイーン・コーネリア空港
インペリアル・エアラインズ
ウィーンーロンドン航路四八九便
対消滅反応炉と重力制御機関、慣性制御機構を備え、大気圏内から深宇宙まで航行出来る大型航宙艦が実用化されてからも、惑星大気圏内の移動手段は自動車、船、航空機、自転車や徒歩と多岐にわたる。中でも大気圏内を比較的近距離で結ぶ航空機は、軌道エレベータ経由の低軌道リングリニアラインでカバーできていないエリアを結ぶ主要交通機関として、鉄道線と共に活躍している。
『ただいま当機は、ロンドン=クイーン・コーネリア空港に着陸しました。現地時間は一二時二一分、天候は晴れ、気温摂氏七度――』
ロード・ケージントンからの指示通り、斉藤は高飛びもといソフィを実家に送り届けるため帝都を発ち、ロンドンに到着したところだった。
「うーん……あ、もう着いた?」
「うん。ぐっすりだったねソフィ……」
ウィーン空港を発した頃にはすっかり寝入っていたソフィが目を覚ますと、斉藤はすでに起きていた。
「斉藤君私より早く寝てたよ」
「昨日寝れてなかったからね」
「私も……」
「ウソだ。あれだけぐっすりと、おまけに――」
「おまけに?」
「……いや、なんでもない」
「何? 教えてよー」
「秘密。君の尊厳のためにも」
「余計に気になるじゃない!」
古くはヒースロー空港と呼ばれたグレートブリテン島南部ロンドンの玄関口は、幾度かの大規模改修を経て帝国暦になっても運用され続けていた。特に大型艦着陸支援設備などを設置した帝国暦二〇〇年代の大改修は現在でも無数の計画変更と追加を伴いつつ続けられており、常に変化する需要に対応しながら修繕、拡張が行なわれている。
そこから空港前の無人運行のタクシーを捕まえて、さらにソフィの実家へと向った。
ウィンザー・メイデンヘッド特別区
「ウィンザーも一年ぶりだなあ」
ソフィが窓の外の景色を眺めて目を細めた。アルバート・ロードに差し掛かると、小高い丘の上に佇む古城、ウィンザー城が見えた。なお,現在でも旧イギリス貴族は帝国貴族として存続している家がいくつかあり、また旧王家も存続していたため、現在はバッキンガム皇統伯爵、儀礼称号としては永世大公として叙されており、ウィンザー城も所有物件の一つである。
「あっ、着いたね」
ボルトン・アベニューの表記がある路地の中程で、タクシーが止まった。
「うん。それじゃ」
「え?」
「え?」
一瞬斉藤とソフィの動きが止まっている。
「斉藤君……どこに泊まるつもり?」
「いや、中心街にでも行って探そうかと」
「この時期ホテルなんて空いてないよ。いいから泊まっていって」
「いや、でも」
「ロードの言ってたこと忘れたの?」
「ああ、いや、その」
ウィンザーは西暦年代からそこまでの大都市ではない。ホテルの数も限られているのだが、ともかくそんなことを調べようとしていた斉藤をソフィはぐいぐいと手を引いて玄関まで連れて行った。
コノフェール候国
首都星ラーディクス
センターポリス郊外
ハーネフラーフ邸
先代男爵のフレデリクはセシリアの父親で、御年七〇歳。生前整理も兼ねて一人娘に爵位を相続することを決定した。短い儀式の後、見届け人が帰ってから父と娘は久しぶりに食卓を囲んでいた。
「しかし、爵位一つで大層なものね」
「まあ、それが皇統になってしまった人間の義務というものだ」
父親の溜息交じりの言葉に、セシリアは苦笑いを浮かべた。
「私は二〇歳の頃に母から爵位を引き継いだ。私で七代目。これでお前は八代目のハーネフラーフ皇統男爵ということになる」
帝国貴族は爵位継承を放棄することが出来るが、皇統貴族の爵位放棄は制度としてはあるが、事実上継承者がいる限り常に相続することが不文律になっている。
「ところで……この時期引継ぎをしたのは、私の都合だけではない」
「どうしたの?」
「皇統の間ではここのところ選挙対策が盛んでな。正直面倒なのだ」
「選挙? 上院も下院もまだ選挙は先でしょう?」
「違う、皇帝選挙だ」
父の言葉に、セシリアはスープを口元に運ぶ手を止めた。
「皇帝選挙? 気が早いんじゃないかしら?」
「リンデンバウムの宮内省病院の
「本当に? また噂じゃないの?」
「陛下は一切の延命治療の措置を行わぬように、とすでに侍医に話しているそうだ。まあ、噂だがな」
「……呆れた。票集めの攻勢をこちらに逸らすつもり?」
「お前はいつも宇宙を飛び回っているからな。全部公務のためと言えば断れるだろう? 園遊会だ会食だ会合だの多くてたまらん。見てみろこの招待状の束を」
フレデリクは立ち上がってサイドボードの上に纏められた封筒などを娘に手渡した。
「皇統男爵になったからには、お前にも皇統選挙の投票権があるだろう。好きなところへ投票するがいい」
「お父様ならどこに投票するの?」
「候補者の顔ぶれを見ると、悩ましいな」
「候補者は、ギムレット公爵とマルティフローラ大公?」
「そうだ。お前なら、どちらに投票する?」
「ギムレット公爵ね」
セシリアは父の問いに即答していた。
「だろうな……マルティフローラ大公にはいろいろ黒い噂が耐えない」
「知っているわよ。その対象ですもの、
そうだろうな、といってフレデリクは娘の将来を案じつつ、ワイングラスを煽った。
「五八九年は無事に終わってくれたけれど、来年はどうなるのやら……」
帝国暦五八九年も残り数時間。セシリアは不安げな面持ちで、父親のワイングラスにワインを注ぎ入れ、自分も同じだけ注いで煽っていた。
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