第15話-⑧ 特別徴税局らしさを体現した者

 〇三時四一分

 ブリスゴー名品街


「アルヴィンさん、しっかり……!」

「すまねえなあ……肝心なときにお荷物たぁ、俺もヤキが回ったもんだ……」


 薄暗い非常証明の明かりでも分かるほど、アルヴィンの顔色は悪かった。斉藤とソフィに肩を借り、どうにか歩いているアルヴィンが力なく、それでいてなんとか普段通りの飄々とした台詞を吐く。


「大丈夫です、もう少しで工科大学ですから……!」

「……置いてけ。ここに」

「何言ってるんですか!」

「聞こえるだろ、後ろから来てる。追いつかれたらお前らが逃げられない」

「できません」

「そうしろっつってるんだ! ソフィちゃんまで死なせる気かよ……!」


 斉藤とソフィの腕を振りほどいたアルヴィンが、その場に座り込んだ。べちゃっ、と湿った音がして、斉藤はおののいた。夥しい出血で、アルヴィンの戦闘服は暗がりでも分かるほどに濡れていた。


「たしかステガマリっつーんだよなこれ。二人がカール・マルクスに戻る時間くらいは稼いでやらぁ」

「アルヴィンさん、私は大丈夫だから、ね、早く行きましょう!」


 ソフィも同じ事に気付いていたが、それをできるだけ表情に出さずにアルヴィンの手を握っていた。


「僕はアルヴィンさんを見捨てられません! ほら、捕まって!」


 斉藤とソフィの言葉に、力ない笑みを浮かべたアルヴィンが腕を伸ばす。


「ったく……俺の後輩指導、どっかで間違ってたのかなあ……伏せろ!」


 アルヴィンが思い切り体重を掛けてソフィと斉藤を押し倒すと、先ほどまで身体があった空間を銃弾が飛び抜ける。


「見つけたぞ! 貴様らにはルガツィン閣下から捕縛命令が出ている!」

「……」


 叛乱軍の四人の兵士が斉藤達にジリジリとにじり寄る。アルヴィンを引き起こそうと必死のソフィ。斉藤はその二人の前に立って、叛乱軍兵士達の銃口に睨み付けられていた。


「いいから逃げろ……こいつらの相手は」

「ダメです……! それ以上近付くな! 近付くなら……撃ちます!」


 斉藤は震える手で拳銃を構える。当然こんな抵抗は無意味だった。斉藤が一人撃ち殺せても、残りの数人から一瞬で制圧されてしまう。斉藤を狙う銃口は全部で四つ。とても斉藤だけでは無力化出来ない。


「抵抗する気か……!」


 上空には帝国艦隊が迫っている状況下、叛乱軍兵士の精神状態は張り詰めていた。捕縛が命令だったものが射殺にすり替っていくのも無理からぬことではあったが、斉藤の蛮勇がさらにそれを加速させた。一人の兵士が斉藤の額に照準を合わせた。斉藤には見えないが、レーザードットが斉藤の額の中心に光っている。残りの兵士達は銃を向けている兵士を止めようと口を開いたが、やや遅かった。


「斉藤君!」


 ソフィの悲鳴と、乾いた発砲音が響いたのはほぼ同時だった。



 同時刻

 ブリスゴー名品街 中央コンコース


「近いな」


 同じ頃、カール・マルクスから降下したマクリントック率いる救出部隊は地下街に響く銃声を聞いていた。


「撃ってるってことは斉藤達がまだ地下に居るってことか」


 すでに二個小隊ほどを遭遇戦で撃破してきた特徴局救出部隊も無傷とは言えなかったが、負傷者を内火艇に戻して残った人間だけで斉藤達を探していた。


「姐さん、急ぎましょう! あと二〇分です」


 マクレンスキーが腕の携帯端末を見て顔を顰めた。日頃の買い物にはほどよくても、時間制限がある救出ミッションを行なうには、ブリスゴー名品街は余りに広く複雑な構造だった。


「わーってる! 音がした方向に向かう! 出てきた敵は全員ぶっ殺せ! 時間最優先だ!」



 同時刻

 ブリスゴー名品街


「斉藤君!」


 時間は、ブリスゴー名品街に一発の銃声が鳴り響いたときまで遡る。ソフィの悲鳴と銃声が重なり、斉藤は自分の死を覚悟して目を閉じた。


 しかし、身体を貫く銃弾の痛みは訪れず、斉藤は自分が即死したのだとも考えたが、そもそも即死なら考えるいとまもない。斉藤は恐る恐る目を開いた。


 敵兵四人は全て倒れていたが、斉藤からは見慣れた背中しか見えなかった。


「アルヴィンさん……!」


 斉藤に当たるはずの銃弾は全てアルヴィンが受け止めたのだった。それを見届けたアルヴィンもまた、崩れ落ちた。


 敵兵を撃ち抜いたのはマクリントック達で、わずかに遅かった。もう一〇秒、いや五秒到着が早ければ、アルヴィンが身を挺して斉藤を守る必要は無かった。


「アルヴィンさん!」

「特徴局参上ぉ! 斉藤、ソフィちゃん、アルヴィン、無事……か……いや、遅かったか……クソッタレ!」


 アルヴィンの身体からは残り少ない血液が止めどなく溢れていた。止血のしようもない。ボディアーマーには何カ所も大穴が開いていた。マクリントック達は周辺の店舗の陳列棚で即席の担架を作り、アルヴィンを乗せ、地上へと向かった。


「お前の代わりに。俺がヨゴレを、やってやる……お前がぶっ殺されそうに、なっても、俺が絶対に、守ってやる……そう、言った、だろ……」


 アルヴィンの冷たくなりつつある手を、斉藤が握りしめていた。アルヴィンは今や気力だけで生きている。斉藤にもその程度のコトは分かっていた。


「おいおい……斉藤、なんだぁそのツラぁ、ソフィちゃんに、笑われるぞぉ」

「アルヴィンさん、もう大丈夫ですから、内火艇に乗りました。すぐ医務室に行きましょう」


 内火艇の操縦席ではマクリントックが医務室に連絡を取り緊急オペを要請していた。ただ、彼女にはアルヴィンがもう助からないことは分かりきっていた。しかしそれでも、放置することはできなかった。


「斉藤! アルヴィンに呼びかけ続けろ! マクレンスキー、鎮痛剤だ! せめて痛みだけでも……! 凍結処理剤だ! 傷口を塞ぐんだよ!」


 マクリントックの指示で、マクレンスキーがアルヴィンの首筋に応急キットの鎮痛剤を打ち込んだ。苦悶の表情が幾許かは和らいだ。しかし、急速に血の気を失うアルヴィンの顔に、マクレンスキーはその場に自分しかいなければ叫びたい気持ちで一杯だった。それは、他の渉外班員も同じだったが。


 内火艇の中で行える処置などたかが知れている。止血も身体の外から瞬間凍結剤で行なうだけで、体内はもはや手をつけようがない。


「アルヴィンさん、まだ僕、アルヴィンさんに教えて貰わなきゃ行けないことがあります。まだ助けて貰ったお礼だって出来てません! 酒をおごるって、約束したじゃないですか! 女遊びでも、風俗街巡りでもいい、まだ僕は――」


 アルヴィンは力なく頷いたり、小さく相槌を返したり、微笑んだりしていたが、その反応も徐々に乏しくなる。斉藤は現世にアルヴィンをつなぎ止めようと、必死で呼びかけ続けた。


 〇四時一三分

 装甲徴税艦カール・マルクス

 第二格納庫


 内火艇はほぼ突っ込むようにしてカール・マルクスの第二格納庫に着艦した。すでに待機していた医療班にアルヴィンは引き継がれた。


「むぅ……これは……」


 アルヴィンを見た瞬間、医務室長のコンラート・ウリヤノヴィチ・ヤコブレフは呻いた。簡易スキャナーでもわかるほど、アルヴィンの身体には無数の銃弾が食い込み、臓器をズタズタにしていた。むしろ今までよく生きていたと言えた。


「先生……」


 すがるような渉外班員やソフィの目線に、ヤコブレフは首を振った。


「すぐに医務室へ……斉藤君達も来るがよい。徴税三課のロード・ケージントンとエイケナール君を呼んでくれ、せめて痛みだけでも……」


 ヤコブレフはその後に続く言葉を飲み込んだ。言う必要は無い。斉藤以外の全員が気付いていた。いや、斉藤も気付いてはいた。認められなかっただけである。


 医務室に入るが、医務室長は斉藤達の同伴を許していた。オペを行なうのなら部外者は入れないのが当然で、つまり、医務室長はすでにアルヴィンの臨終が近いことを悟っていたのだった。


「アルヴィンさん……! お願いです目を開けて……! カール・マルクスまで戻ってきたんですよ……!」

「悪ぃな……ああ、仕事がまだ山積みだってのに……ハンナにまた叱られる」


 いつもの軽口は、か細く、苦しげな呼吸音が混ざって酷く聞き取りづらかった。


「僕も手伝いますよ……だから、だから!」

「……なぁ、斉藤、オレのポケットに、タバコ、入ってるだろ……ヤニ切れだぁ、今日は、仕事、長かったから、なあ……」


 医務室には禁煙と書かれた表示があったが、斉藤は構うことなくアルヴィンの戦闘服のポケットをまさぐった。血に濡れたシガーケースと、今時珍しいオイルライターも取り出す。


 アルヴィン愛飲のタバコ、トライスターは本来樹脂製のソフトケースで、彼はそれを嫌ってわざわざシガーケースに移し替えていた。斉藤はそのケースから、タバコを取り出して、アルヴィンに咥えさせた。


「火、つけてもらえねえかな……」


 オイルライターを見て戸惑った斉藤に、マクリントックが手を伸ばした。


「ほらよ……つけてやんな」


 火の付いたライターを、斉藤がアルヴィンの口元のタバコへ恐る恐る近づけた。火の付いたタバコが、弱々しい煙を上げたのを見て、ライターの蓋を閉じて火を消す。


「……ぁ……」


 もうアルヴィンにタバコの煙を吸い込むような力は無い。わずかな呼吸音とともに、少しだけタバコがチリチリと燃え、煙が細く立ち上る。


「アルヴィン……!」

「アルヴィン! 大丈……夫……」


 渉外班員の一人が呼びに行ったロード・ケージントンとハンナが医務室に付いたとき、すでにアルヴィンのタバコは、半分ほど燃え尽きていた。


「……なぁ、斉藤……おれぁ……お前みたいな後輩……嬉し――ありがと、う」


 アルヴィンの口から、タバコがポトリと床に落ちた。床に滴った血だまりに落ちたタバコの火は、小さな音を立てて消えた。


「……アルヴィンさん? ねえ、アルヴィンさん、どうしたんですか……アルヴィンさん! アルヴィンさん! 目を開けてくださいよ!」


 斉藤はアルヴィンの身体にすがりついた。彼の濃紺の背広は血で濡れ、赤黒い染みを作っていた。


「斉藤君……アルヴィンは、最後に君に礼を述べていた……せめて、安らかに見送ってやらないか」


 ヤコブレフは、そっと斉藤をアルヴィンの身体から引き離した。

 

 特別徴税局徴税部徴税三課所属。

 トリスタン・アルヴィン・マーティン・ウォーディントン。殉職。

 帝国暦五五八年四月一日、帝国標準時午前四時二三分四九秒、享年二八歳。


 医務室長がカルテにアルヴィンの死亡時刻を書き込もうとした瞬間だった。


「ちょっと待ったぁぁぁぁぁぁ!!!!!!!」


 白髪にモノクル、義眼に白衣のハーゲンシュタインが手術室に飛び込んできたのは、まさにその時だった。

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