第13話-④ 人の口に戸は立てられぬ

 徴税三課 オフィス


「ははは、見ろよあのターバン」

「まったく……最初からやるなってのに……」


 ターバンことスブラマニアン・チャンドラセカール・ラマヌジャンに下された処分は、特別徴税局内規違反のうち局員プライバシー侵害および業務妨害による三ヶ月間の減給五割、戒告および一ヶ月間業務後二時間のカール・マルクス艦内の清掃作業である。


 清掃中はご丁寧に首から『私は斉藤君とテイラー君のプライバシーを侵害し局内での風説を流布し業務に多大な混乱をもたらしました』と書かれた札まで下げられている。ちなみに、艦内の監視カメラによりターバンのリアルタイムの清掃風景が中継されており、アルヴィンとハンナは呆れた様子でその画面を見ていた。


 また、フランソワーズ・ベルトランにも清掃作業以外はターバン同様の処分が下された。他の局員に対するプライベートへの干渉および風説の流布は許さない、ということだった。


 さらに、監理部長と総務部長の連名により今一度、局員同士のプライバシーを侵害しないこと、万が一そういった類いのものを見たり聞いたりしても口外しないことなどが文書と艦内一斉放送により周知徹底された。


 学生かという落胆の声もあったが、事実局内が下らない噂により混乱――していたのは一部の人間だけだが――したのは事実だった。


 それにだけに留まらず、西条の調査により噂を広めた者が多数に上ることから、全徴税艦内におけるアルコールと甘味類の販売を三日間取りやめ、同時に艦内での飲酒を禁止するなど、局員全員への制裁も行なわれた。ただし、医務室の診断書によりアルコール摂取が義務付けられている実務二課長は対象にはならなかった。



 局長執務室


「やあ永田。総務部長のお説教はどうだった?」


 ミレーヌが永田へのお説教を終えた頃を見計らって、笹岡はいつもの茶飲み話をしに来ていた。


「ああ、こりゃあやっぱ効くね。いい年してお説教されると、こうなんていうか、心に来るよね」


 四〇過ぎの男が一回りは下の、形式上は部下に説教されるというのは常識的に考えてあり得ない筈なのだが、それが実現するのが特別徴税局である。


「反省の色があまり見られないな。もう一度総務部長を呼んでこようか」

「いやいや! 笹岡君はミレーヌ君のお説教を聞いたことないからそういうことが言えるんだよ!」


 笹岡のジョークに――九割方本気だったかもしれないが――永田は珍しく狼狽えた。


「そういうことをしなければいいんじゃないかな。君は仮にも特徴局の局長、他の局員の模範になるべき人なのだからね」

「キツいなぁ、笹岡君……」


 こういうときに正論で永田を諫めるのも、帝大以来の付き合いの笹岡だからこそ可能な芸当である。


「まあ、それはそれとして……僕も噂を聞いたときはびっくりしたよ。まさかあの斉藤君が、とね」

「はは、今になってみればそんなことあり得ないなんて分かるんだけどねえ」


 そもそも永田からして噂に惑わされてこのザマなのである。権謀術数けんぼうじゅっすう詐謀偽計さぼうぎけいを食い物にしているような永田が、こんなゴシップネタに引っかかるとは不思議ではあるが、本質的に永田は面白い話が好みで、場をかき回すタイプだった。


「噂というのは怖いものだ。特に多方面からやや違う情報が飛び込んでくると、それが信頼している部下や上司、同僚からのものとなると、人間どうしても判断を誤る。改めて人間とは脆いものだと痛感したよ……こんな話題で認識はしたくなかったけどね」


 もっともである。これが局員間のプライベートな話題だったからいいという問題ではない。


「うん。ゴシップの類いは緊張感が薄れるから仕方が無いさ。色恋沙汰の話はうちではあまりないからね。皆飢えてるんだろうねえ」


 男女合わせて五千名近い局員を要するとは言え、半数以上は渉外班の懲罰兵などであり、まともな一般職も一癖あるものが集う特別徴税局では、局内交際など起きることは希だった。


「それにしても――」


 永田は自分のタバコに火を付けながら、鋭い目を笹岡に向けた。


「笹岡君はどう思う? 斉藤君、うちの女の子なら誰がタイプなんだろうね」


 この男、全く反省していない。一度や二度ミレーヌの説教を食らったくらいで大人しくなるのなら、彼も国税省の官僚などになっていない。


「君はやっぱり、もう一度くらい総務部長のお説教が必要なんじゃないかな」


 溜息をつきながら笹岡もタバコに火を付けた。


「あえて言うなら、やはりテイラー君、デルプフェルト君が候補だろうな。年も近いし、人間性も善良なものだ。斉藤君にはぴったりだろう」


 笹岡も人の子である。そもそも永田とつるんでいると言うことは、趣味嗜好も似ていることを意味していた。


「そうか……まあ、そうなるかなあ。でもエイケナール君とかもいいんじゃないかな。頼りがいのある先輩に惚れる後輩。よくある話だ」

「それをいうなら、ハーネフラーフ君や総務部長だって対象になるだろう?」


 再び調子に乗ってきた永田に、笹岡も相槌を打ち、それに対して永田は膝を叩いて笑っている。永田の背後の扉が開いたことに気付いた笹岡は、タバコを揉み消していち早く逃げの態勢を整えた。


「ははは、年上の女性か。そりゃあ面白い!」

「何が、面白いんですか?」


 冷たい声が局長執務室に響く。声の主は、腕を組んだまま鋭い目をオッサン二人に向けていたミレーヌであった。


「じゃ、僕はこれで」

「あっ、ちょっと笹岡君!?」


 ミレーヌの照準が永田に向かっている間に、笹岡は素早く回避運動に入った。永田も笹岡を呼び止めようと、ついでになんとかこの場を逃れようとドアの外に駆けだした。


 しかし、それを見逃す総務部長ではない。ミレーヌは、永田の肩をむんずとつかんでこう言った。 


「局長、お座り」

「あー……はい」


 局長執務室の硬い床の上で、永田はお説教を二時間の追加で受けることとなった。



 居住区


「……」


 一連の騒動が終息したころ、斉藤はソフィの部屋の前にいた。


「ソフィ、いるかい」

『あっ、ちょっと待ってね!』

「いつでもいい。あとで展望室にきてくれないかな」


 あのような事件の後なのに、ソフィの声音は普段と変わらない。斉藤はそのことに感謝しながら、必要な事だけ告げてその場を立ち去った。



 展望室


 旧左舷側防空指揮所を改装した展望室は、戦闘艦とは思えないほど開放的な空間だった。職住一致の徴税局員の精神衛生安定の為の設備である。


「あの、斉藤君……」


 ソフィは展望室のソファに腰掛けた斉藤に、恐る恐る声を掛けた。ソフィの声に気付いた斉藤は、ゆっくり彼女へ歩み寄ると、頭を下げた。


「ごめん!」

「えっ!?」


 何故自分が謝られる必要があるのかとソフィは戸惑った。斉藤にしてみれば、恋人との別れ話の後の荒んだ気持ちが、ソフィの気遣いを無碍にしてしまったことを謝罪しなければ、というところである。


「ソフィ、僕は君の親切心を仇で返すようなことを……最低だ、僕は」

「違う……違うの! 私は、ただ――」


 ただ、の後に続くべき言葉をソフィは言い出せなかった。いや、言い出せなかったというより、適切な言葉を思い浮かべることが出来なかった。ただ放っておけなかったからなのか、ただの気まぐれだったのか、それとも。周囲から見れば全会一致の答えが出ているのだが、彼女は天然がやや入っていた。


「と、とにかく、何か悩んでいることがあったら私にも相談してね。私は斉藤君の先輩なんだから」

「はは、そうだったね」

「そうだったねってちょっと酷いなあ」

「ごめんごめん」

「もう……!」


 二人の間に入りかけた亀裂は、結果的に一連の騒動のおかげで回復出来たと言えた。一件落着――とはならないのが特別徴税局である。


「はわわ……こりゃあえらいこっちゃ……!」


 懲罰の窓拭きをこなしていたターバンは、懲りずにまた噂を流し、清掃二週間と今年度賞与の九割カットが追加されたのであった。

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