第13話-③ 人の口に戸は立てられぬ


 監理部 オフィス


「失礼します。斉藤一樹参りまし――――」


 斉藤がオフィスのドアを開けて、オフィス内に入ろうとした瞬間である。

 かすかな破裂音と同時に鼻をつくオゾン臭、そして焦げ臭さが斉藤のこめかみ数センチ横の壁から漂った。それがセシリアの腰に下げられていた長銃身レーザーライフルによるものだと気付くのに、斉藤は二秒ほどの間が必要だった。


「斉藤君! 私はあなたがそんな下品で下劣で卑怯な人間だとは思いませんでした! 私は悲しいです!!」


 涙をボロボロと流しながら、セシリアは机の下に隠れていた部員達を気にも留めず、ライフルを投げ捨て腰に下げられた愛刀宗定を引き抜いた。あまりの事に直立したまま硬直している斉藤の背後から、アルヴィンがロボットのような動きで歩み出る。


「ぶ、部長、斉藤に関する噂ですが、事実と異なる点があると思われるのであります!」

「あなたは下がっていなさいアルヴィン君」


 普段の柔和な笑顔は消え去り、一睨みするだけで相手方の渉外担当者が一個小隊吹き飛ぶとまで言われたセシリアの眼光は、それだけでアルヴィンが気絶するほどの気迫を見せた。


「あなたがそのような下衆な人間だとは気付きませんでした。ソフィさんのような女性を力尽くで手込めにするなんて、男の風上にも置けません。ここは一息にあなたの命で犯した罪の一切合切を――!」


 上段に振り上げた刀はそのまま斉藤に振り下ろされるかに見えた。まさかこのようなことで自分の命を終えるとは思わず、斉藤は目を瞑ることしか出来なかった。


 しかし、無限にも思えた一瞬の後、斉藤に刀が振り下ろされることはなかった。恐る恐る目を開けた彼の目の前には、自分より数段背の高い女性が立っていた。


「待ってくださいセシリアさん! 斉藤君が私を襲うなんてこと、あるわけないじゃないですか!!」

「ソフィ……」「ソフィさん……」


 斉藤とセシリアは、ほぼ同時にその女性の名を口にしていた。


「大体、斉藤君に私が押し倒されるなんて、おかしいと思いませんか? 私、斉藤君より力強いですし」

「あっ……」


 あまりに間の抜けた声が、セシリアの口から放たれた。

 いくら男とはいえ、斉藤とソフィでは体格差がありすぎる。ソフィがその気になれば、斉藤などはね除けるのは容易である。


「そもそも斉藤君に女性を襲うなんてことできるような根性ありません!」

「ああ、そりゃそうだな」


 今度はアルヴィンがほっとした面持ちで口を開いた。斉藤はその評価に些か不満ではあったが、今はとにかく命が助かったことを感謝するしかなかった。


「なんだか変な噂が流れてるみたいですけれど、事実無根、根拠薄弱、なんでこんなことになってるのか……セシリアさんだっておかしいと思わなかったんですか?」

「あ、ああ……私、なんてことを……」


 その場にへたり込んでしまったセシリアは、自分の自制心と判断力の無さを恥じていた。冷静に考えれば斉藤がそのようなことをする人間ではないというか、物理的に不可能であろうことも見抜けず、斉藤を撫で斬りにするところだったのだから当然である。


「ごめんなさい、ごめんなさい斉藤君、私は……」

「い、いえ、誤解だと分かっていただければまあ……」


 これは首と胴体が泣き別れになった後、一時的に見えている幻覚ではないだろうか? などと、思いながら斉藤は自分の首筋をなでていた。幸い、首はまだつながっていた。


「それにしても、じゃあどこからこんな噂が流れたんだ? 誰か聞いたやつ居るか?」


 アルヴィンの問いかけに、口々に調査部の人間が話していたが、いずれもバラバラの経路であった。ただし、情報ルートをある程度絞り込むことには成功した。


「皆昼食の時に食堂で聞いたのは確かだな」

「私は、食堂でそのようなことを聞いたと皆が言うものですから、つい……」


 恥じ入るしかないというセシリアの言葉が終わると共に、血相を変えた西条調査部長が監理部オフィスに突入してきた。


「斉藤君! 君は何という愚かなことを! 君は、君だけはそのような男ではないと吾輩は思っていたのに!」


 斉藤の胸ぐらをつかんで激しく揺さぶる。西条もまた、斉藤がソフィ・テイラーを強姦したという噂を耳にした一人である。


「男ならば! そのようなことをした場合の覚悟もあってのことであろうな! 男たるもの力のみで女を手籠めにするとは恥の極みだ!」

「さ、西条部長、落ち着いてください。斉藤君は」

「ソフィ君! 君の心中察するに余りある! この下郎めにはしっかりと――」

「えいっ」


 ソフィは腰から引き抜いたスタンガンを西条の広い額に押し当てたと同時に、激しく痙攣した西条がその場に崩れ落ちた。


「ソフィちゃんて、たまに乱暴だよな」


 アルヴィンが間の抜けた声で言ったのと時を同じくして、今度はミレーヌ・モレヴァン総務部長が愛用のリボルバーを片手に監査部に飛び込んできた。なにかを察したアルヴィンや一部の監理部員は頭を抱え伏せたと同時に斉藤へ発砲した。銃弾は辛うじて斉藤の首筋三センチのところを通り過ぎ、監理部のキャビネットに着弾した。


「ちょっと斉藤君居る!? 話があるんだけど!!」

「話の前に撃つのはやめていただけませんか!?」

「……ていうか、どうしたのこの惨状は」


 床に崩れて痙攣している西条、へたり込んでさめざめと泣いているセシリア、呆気にとられた監査部部員達を見て我に返ったのか、ミレーヌはいつもの冷静さを取り戻すことに成功した。ただしリボルバーの銃口は斉藤の眉間に合わせられたままである。


「つまり、かくかくしかじか」

「まるまるうまうま……そんなことが……ごめんなさいね、斉藤君。そんなことになってるなんて。部下のことだから思わず冷静さを欠くところだったわ」


 ソフィからの説明で、ようやく事態を把握したミレーヌはようやくリボルバーを華麗にガンスピンさせて腰のホルスターに収めた。


「すでに欠いていたような……」

「何かしら?」

「いえ、なんでもありません」


 蛇に睨まれた蛙である。ミレーヌの笑みに斉藤は気を付けして答えた。


「だとすれば、こんな噂の出所を調べないと……なんだか特徴局中で、斉藤君がソフィを襲ったなんて噂が流れてて……さっき通路でそんな話を聞いたものだから」

「総務部長はその線か。となれば出所はカール・マルクス艦内の筈ですがねぇ」


 アルヴィンの言葉に、ソフィは心当たりを思い出した。


「あっ、ベルトランさんなら何か知ってるかもしれません」

「ベルトラン? ああ、うちの……」


 解決の糸口が見え始めたとき、ようやく床に崩れ落ちていた西条が目を覚ました。


「はっ、吾輩はどこ? ここはいつ?」

「西条さん、なにこんなところで寝てたんですか」

「いやそれが……そうだ斉藤君だ! モレヴァン部長! 実はかくかくしかじかで」


 西条はミレーヌと斉藤を交互に見ながら事態の説明をしていた。


「その噂は全くの嘘で根拠がないようです。ソフィの証言もあるし」

「言われてみれば……斉藤君の体躯でテイラー君を組み伏せるなど、どだい不可能だった。吾輩としたことが、一生の不覚……!」


 短刀でも与えれば切腹するのではないかという西条が、その場に土下座した。頭を打ち付ける鈍い音がした。


「すまん斉藤君! 吾輩ともあろうものが噂などに惑わされ君という人間を疑い、まことに申し訳ない! 許せぬと言うなら今すぐ吾輩はここで腹を切って――」


 背広を脱いで、シャツのボタンごとランニングシャツを破り捨てた西条が正座してどこから取り出したのか白鞘の短刀を握りしめていた。


「い、いえ、誤解だと分かっていただければいいので! 頭を上げてください!」


 そもそも監理部オフィスで調査部部長が切腹など、監理部の人間からしてみれば迷惑というほかない。すでに被弾したキャビネットの扉の処分や壁の銃痕の処置などを始めていた監理部の局員は溜息を吐いていた。


「西条部長はどこからその噂を?」

「吾輩は先ほど、総務のベルトランが食堂で話しているのを聞いてだな。ちょうどハーネフラーフ部長の放送があったものだから……」


 アルヴィンの問いに、勢いよく頭を上げた西条が答えた。


 西条の言葉が決定打となり、急遽ベルトランを呼び出すことになった。舞台は相変わらず監査部オフィス。通常業務中の部員にとってはとにもかくにも迷惑な話である。


「あなたがこんな無責任な噂を広めるものだから、特徴局中いまその話題で大混乱よ! あなた一体どこで何を見たの!」

「徴税四課のターバン君が、ソフィさんと斉藤君が口論してたって……」


 ミレーヌの叱責に肩をすくめたベルトランは、やや不服そうに真犯人の名を告げた。


 それはある意味、ミレーヌ、西条、セシリア、ソフィ、アルヴィン、そして斉藤が納得するものであった。


「あのターバン頭!!!!」

「あのターバンか。あり得る話だ」

「ラマヌジャン君……! なんて無責任な……!」

「ターバンさん……」

「あのエセターバン、ロクなことしねえな……」

「あの頭に火を付けてやりたい」


 落胆、憤怒、奇妙な納得。しばらくして、ミレーヌは監理部長のデスクに据え付けられたマイクを手に取った。


「セシリア、艦内放送借りるわよ」


 ミレーヌは息を大きく吸うと同時に、艦内放送のチャイムを鳴らした。


『ターバァァァン! スブラマニアン・チャンドラセカール・ラマヌジャン! 今すぐ監理部オフィスに出頭なさい! 隠れたってムダよ! 艦内装甲全部引っぺがしてでも見つけ出してやるんだから! 今すぐ! 走ってきなさい! 来ないとどうなるかわかってんでしょうね! 草の根分けてでも探し出して、爪先から一ミリずつ刻んでお前自身に食わせてやる! 以上!』


 斉藤だけはこれが海賊仕込みの言葉選びなのかと関心と同時に恐れおののいていた。ともかくミレーヌ・モレヴァン総務部長にだけは逆らうのはやめておこうと心に刻み込んだ。


 ラマヌジャンが実際に出頭したのは放送から一〇分後。両手両足をロープで縛られ、瀧山以下徴税四課員に抱え上げられてのことである。ご丁寧に猿ぐつわまで噛まされていた。


「いややー!!!!!! まだ死にたくないー!!!!!」


 床に放り投げられたターバンは、陸に上がった魚のようにビタンビタントと床を跳ね回っていたが、リボルバーを構えたミレーヌに踏みつけられ、観念したかのように動きを止めた。


「うううう……悪気はなかってん。あんまりにも珍しいことやったさかい誰かに話したかってん。それは分かるやろ? ミレーヌはんだってそういうことありますやろ!?」

「言いたいことはそれだけかしら?」


 ガチャリとリボルバーの撃鉄を起こしたミレーヌが冷たく言い放つ。


「斉藤君とソフィさんの関係、個人の尊厳に傷を付け、プライバシーを侵害し、あまつさえ反省の色が見えない……覚悟は出来ておりますか?」


 ターバンの首筋に刀の背を当てたセシリアの声もまた、重く冷たい空気をまとっていた。


「まったく人騒がせなターバンだ……吾輩は仕事に戻る。すまないが両部長に処分はお任せする」


 呆れたように溜息をついた西条は、フラつきながらその場を後にした。まだスタンガンのショックから完全には回復していない様子だった。


「うちの部下がほんとすんません……せめて苦しまねえように一息にやっちまってくだせえ」


 瀧山もどこから取り出したのか数珠を取り出し手を合わせていた。もはや監理部オフィス内は葬式の雰囲気だ。はなはだ通常業務中の職員には迷惑千万である。


「ターバン、達者でな。そのうち俺も地獄で会うだろうさ」

「ターバンさん、僕はあなたの事を忘れません……」

「さよなら、ターバンさん……」


 胸の前で帝国国教会式の印を切ったアルヴィン。それに倣うソフィと斉藤。もはやターバンは死ぬことが確定しているかのような雰囲気だった。


 しかし、ここに来て一人、まったく空気を読まずに部屋に踏み込んできた者がいた。


「いやあー! 斉藤君、やらかしちゃったんだって? 君にそういう甲斐性があるだなんて僕びっくりだよ!」

「局長」

「結婚式の仲人は僕でもいいしロードでもいいし、いややっぱりここは笹岡君かなぁ……」

「局長」

「あっ、テイラー君、おめでとう! ちゃんと産休の申請をミレーヌ君に……あれ? 皆どうしたの? なんだか怖いなあ」


 その名を永田閃十郎。無責任と無気力が服を着て歩いていると形容される特別徴税局の長である。彼が聞いた噂は『ソフィが身籠もり斉藤が父親で結婚式の日程で口論になっていた』というもはや原型を留めていないものだった。


「……何しに来たんですか? 局長」


 三度にわたるミレーヌからの呼びかけに、ようやく永田はこの場の雰囲気と自分の話が全く噛み合わないことに気がついた。


「えっ、あっ、いや、ミレーヌ君? 僕はただ、斉藤君がソフィちゃんとアラアライヤーンみたいなウフフってことを聞いて……」

「局長にはあとお話がありますので、局長執務室でお待ちください」

「いやっ、そのっ、えーと、そういえば僕、今日は出張の気分だなぁ。ちょっとリゲル方面まで」

「ダ・メ❤ 私とゆっくりお話する日も必要ですよ」

「あ、はい……」


 ミレーヌのすごみのある言葉に、永田は部屋をあとにした。余談だが、このあと二時間にわたるミレーヌのお説教が待っていることを、永田は直感で察していた。


「はあ……気が抜けたわ。とりあえずセシリア、このバカの処分を決めましょう」

「そうですねえ……それではこのような形で」


 セシリアの提案に、ミレーヌ以下部屋の中にいた当事者――ターバンを除く――は同意し、冤罪事件の幕は下ろされたのであった。



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