第13話-② 人の口に戸は立てられぬ

 第二食堂


 カール・マルクス第二食堂は渉外班員――通称囚人兵、内訳は軍紀違反の軍人六割、軽犯罪犯三割、終身刑もしくはそれに類する長期刑囚人一割――専用の食堂である。いつもと同じく、俺のメシが少ないだのスープがヌルい、麺にコシがないだのと文句を言う連中が食事をしていた。


「そういえば、姐さん聞きましたかい?」

「あん? 何を?」

「徴税三課の斉藤が、ソフィちゃんに手ぇ出したらしいですぜ」

「なんだって!? そりゃ本当か!?」


 丼飯をかっ喰らっていたメリッサ・マクリントックは目の前に座っている渉外班員のサミー・スモールウッドの言葉に口から飯粒を飛ばしながら驚愕していた。


「ええ、なんでも斉藤がソフィちゃんの部屋に押し入って……」

「ふんふん。それでそれで!?」


 スモールウッドの周囲を、興味津々と言った様子の渉外班員達が十重二十重に取り囲んでいた。


「斉藤がソフィちゃんの部屋から走り出していくのを、四課のターバンが見たって」

「かぁーっ! あのチビスケ、ヤるときはヤる男だったか! うんうん、アタイも評価を改めなきゃね」


 もちろんこれは事実に十割増しくらいで尾鰭がついた内容なのだが、口伝てに噂が広がるごとに、そして伝える人間の主観と趣味が入り交じり過激なものとなっていた。特に人間としての程度の低い渉外班などは、その最たる例である。


「しっかしソフィちゃんを襲うたぁ、あのチビ隅に置けねえなあ」

「そういえば、斉藤の斉藤はデケえのか?」

「馬鹿野郎、ああいうヤツが意外と大型艦砲なんてよくある事だろ?」

「しかしあいつチェリーボーイだったと思ってたが」

「おめーじゃあるめえし」

「なにを!?」


 下世話にもほどがあるのだが、誰も止める者がこの場には居ないのである。


「おい! 誰か斉藤がシャワー浴びてるときに斉藤の斉藤見たヤツいねえのか!」

「あっ、それアタシも気になる! ねえねえどうなの? シールド付き? マシンガンなの? 重砲くらいある?」


 最低の表現だが、マクリントックにしてはよくオブラートに包んだものだとアルヴィンあたりなら評価するだろう。事実、その場に言わせた囚人兵達の少なくない数が、そう判断していた。


「姐さん、まだ斉藤襲ってなかったんですかい?」

「ったりめえよお。一般職に手を出すとうるさいんだから」


 下品、下劣のコンチェルトである。第二食堂を預かる副烹炊長のセドリック・ピオジェが止めるまで、第二食堂はその話題で持ちきりだった。


 特徴局の人員の大きな割合を占める渉外班員によって、これらの噂はさらにねじ曲がったままカール・マルクスから各艦艇の渉外班に伝わっていった。



 装甲徴税艦インディペンデンス

 ブリッジ


「はあ!? 斉藤がソフィちゃんをヤリ捨て!? なにその面白い話!」


 ブリッジで暇だ暇だとのたまっていたフランチェスカ・セナンクール実務一課長は突然降ってきた話題に興奮していた。


「面白いもんですか。さっき渉外の囚人共がしていた馬鹿馬鹿しい噂話ですよ」


 インディペンデンス艦長の吉富は上司の反応に露骨に顔をしかめた。


「でも……ないでしょう、あの斉藤一樹ですよ? 特徴局中でも一、二を争う常識人」

「そうよねー、あの斉藤一樹がねー……」

「本当なんでしょうか……?」

「……いやいや、あの斉藤一樹だし……でも……」 


 話しているうちに、ひょっとしてこれは本当なのではないかと思い始めた人間も、この時点ではかなり増えていた。



 装甲徴税艦ソヴィエツキー・ソユーズ

 食堂


「なに? 斉藤一樹が?」

「はい。何でも総務部の女性局員Tさんを孕ませた挙げ句堕胎させたとか」


 食中酒のウオッカを飲みながら、カミンスキー実務二課長は驚いていた。なお、食前酒はウオッカだった。


 ソヴィエツキー・ソユーズにカール・マルクスで発生した噂話が伝わる頃には、斉藤はとんでもないクズのような様相を呈していたからだが、カミンスキーにこれが噂なのか事実なのかを判断するだけの材料はなく、すでに事実のような雰囲気だったことが不幸だった。


「まさか……そのような大馬鹿者とは思えんが」

「ターバンが口論の現場を目撃したそうです。いやあ、あの子、やることはやってるんですねえ」


 絶句してウオッカを呷ったカミンスキーに、艦長の下尾希子(しもおまれこ)課長補佐が言った。彼女も片手にワインボトルをぶら下げて昼食中である。


「ううむ。人生の先達としては、あまり女性問題で横柄だと、人生を狂わせると言いたいが……人の恋路を邪魔するヤツは、首をくくって死んじまえだったか、古い極東のコトワザがあった気がする。あまり私から言うこともないだろうが」


 珍しく神妙な面持ちの二課長を見た下尾は、空になった上司のコップにウオッカを注ぎ入れる。


「おや、同志二課長も手痛い経験があるので?」

「若さ故のなんたらというヤツだ。あまり突っ込んでくれるなよ」


 なみなみとグラスに注がれたウオッカを飲み干したカミンスキーは、食後酒のウオッカを飲み始めた。



 徴税母艦大鳳

 三課長執務室


「いけませんねえ……噂で他人を推し量っては」


 実務三課長の桜田は、自室に入るなり深いため息をついた。


「どうされました?」


 副官のニールマンはいつになく暗い面持ちの上司を見て、首を捻った。


「徴税部員S君と総務部T君が淫行の上、痴情のもつれから口論……などという噂をしているのを耳にしまして」


 大鳳をはじめとする徴税三課は、本部戦隊から遠く離れた宙域で周辺警戒を兼ねた発着艦訓練中だった為、特徴局を席巻していた噂話が些か不完全な形で伝わった。


「なんです、それ……徴税部員でSっていうと……誰だ?」


 実務三課課長補のニールマンとて、特徴局中の人間を把握している訳ではない。それが現場の囚人兵や一般職ともなればさらに不完全に名前を思い出す。


「斉藤君、総務はテイラー君辺りですかね」


 少ない記憶から名前を導き出したニールマンに、桜田は悲しみさえたたえた瞳を向けた。


「それです。正体不明の噂から勝手に当てはまりそうな人名を当てはめる。愚かですよ……我々だって、噂のせいで帝国軍を追われた身ではありませんか」


 桜田もニールマンも、元々は機動航空軍のエースパイロットとして名をはせていたのだが、とある辺境惑星の叛乱鎮圧任務での命令不履行を発端に、軍内部でのスパイだ、反帝国派だのという噂が蔓延した挙げ句の不名誉除隊という過去がある。噂話が一個人の人生を破綻させることは彼らもよく理解していた。


「それもそうですね、失礼しました。艦内に不要な噂を流さぬよう、各部署長に通達を出しますか?」

「そうしてください。万が一の時は私が全責任を取って自害いたします」


 何かとすぐに自殺しようとするのも、彼は一度人生の破綻を経験したからだ。だからこそ、副官である自分が噂話などに惑わされてはならぬのだと再認識した。


「……周知徹底させますので、とりあえず拳銃はしまってくださいね」


 いつも取り上げているのに、どこから持ってきたのかと不思議に思いつつ、ニールマンは上司の拳銃を取り上げた。



 巡航徴税艦ガングート

 ブリッジ


「何ぃ? そんな噂を信じているのかね」


 ガングートをはじめとする実務四課はすでに次の執行先へ向けて進発していたが、定時連絡などの折りに、実務四課にも件の噂は伝わっていた。そのことについてガングート艦長の池田屋から共有を受けた実務四課長のボロディンは、心底不快そうに眉をつり上げた。


「しかし徴税部員と総務部員の間で痴情のもつれとは。特徴局内で色恋沙汰は珍しいですなあ」


 池田屋は心底不思議そうな顔だった。この辺りになると、大分噂の内容も不透明になっていた。


「まったく……明後日にはポーレン=マルダー自治共和国方面の強制執行がある。無駄話をしている連中はその場で射殺すると通達しておけ」


 ボロディンは、自分の拳銃の装弾数を確認して初弾を装填した。


「はっ!」


 実務四課戦術支援アンドロイドのオスカールは折り目正しい敬礼をして、上司からの指示を全艦放送にて通達した。




 装甲徴税艦カール・マルクス

 徴税三課 オフィス


「おい斉藤。お前ソフィちゃんになんかしたのか?」


 特徴局内を噂が一周したころ、アルヴィンはオフィスにいた斉藤に声を掛けていた。


「はい?」

「いやな、お前がソフィちゃんと口論になってたって話を、さっき小股に挟んでな……」


 アルヴィンはあえて噂の内容はぼかしたのだが、知らない方が斉藤にとっては幸せだっただろう。アルヴィンが聞いたときの内容は『斉藤がソフィを無理矢理手籠めにした。おまけにそれは彼が入局した頃からであり、ソフィは一旦堕胎を強制されている。そのことについて言い争っていた』という過激なものだった。


 まさか斉藤がそんな畜生道を歩むとは思わないアルヴィンは、ハナからそのような噂を信じている訳ではなかったが、ソフィと斉藤の間で何かがあったことは嗅ぎ取っていた。


「口論なんてしてないです」


 斉藤らしからぬぶっきらぼうな言い草に、アルヴィンは直感で噂の一部、ソフィと口論のようなことがあったというのは事実だと感じ取った。普段の斉藤なら、何もないならちゃんとツッコミを入れてくれるところだ。


「そうか、まあそりゃあそうだよなあ。お前がなあ」


 仕事に打ち込む姿はいつも通りではあるが、アルヴィンは、事件の原因もまた察していた。帝都に残したクリスティーヌ・ランベール嬢と破局したのではないか、ということだ。伊達や酔狂で女遊びをしている彼だが、その事もあって人一倍恋愛関係の悩みを見抜く能力は高かった。


「まあいいや。やましいことがあるなら、ちゃんとケジメをつけとけよ。俺やハンナみたいにアレコレこじれると、まあこれが面倒くさいったらねえんだから」


 『なあ、ハンナさんよぉ』などとアルヴィンが下卑た笑みを向けると、それまでフローティングウインドウを睨み付けていたハンナが般若のような形相で声を上げる。


「はぁぁぁぁ!? 私をアンタなんかと一緒にしないでちょうだい! 私はちゃんと方々との関係は清算してあります! アンタはこじらせるだけこじらせてもそのままトンズラするでしょうに! あと若い頃の話であって特徴局に来てからはそういうことないからね!」

「まあまあ、相手だって次の男との生活を見つけるには、俺の存在が薄れる方がありがたいと思うんだがね。男は引き際が大事だろ?」


 アルヴィンの言葉に、斉藤は神妙な顔をしていた。


「……そういうものでしょうか」

「ん? まあ、俺の持論だ。男女の仲なんてあっさりと終わるもんだ。いつしかビタッと噛み合う人がいるかもしれねえって思いながら、人はまた次の恋を探すのだ、うん」


 アルヴィン流恋愛理論を聞かされたところで、斉藤は自分の中にあったわだかまりが解けていく気がした。結局のところ、恋愛というものは一時の感情の高まりなのだ、とも言い表せるわけで、ここであまり悩んでいても仕方がないのだろう。


「呆れた。腰を落ち着けるどころか振ることしか考えてないくせに、よくもまあいけしゃあしゃあと」

「へっへっへっ。そういうハンナさんだって次の恋を探し始める頃合いじゃねえのかい」

「うっさい!」


 いつもの口喧嘩を始めた二人を見つつ、斉藤はソフィへの謝罪をしに行かなければと思った矢先である。突如艦内放送のチャイムが鳴った。


『監理部長より徴税三課斉藤一樹さん! 至急監理部オフィスまで出頭しなさい! 一〇分以内に出頭しない場合、渉外班を出動させて強制連行します!!  以上!!!!』


 スピーカーが破裂するのではないかというほどのボリュームで呼び出しを行なったのは、監理部部長のセシリア・ハーネフラーフである。今この状況でこの剣幕での呼び出しとなれば、特徴局内を飛び交う噂によるものだと、アルヴィンは気付いていた。


「おおおお、おい、今の声聞いたか?」

「き、聞きましたけど」

「めっちゃ怒ってんでアレ。どないしたらええんや!? はわわえらいこっちゃ!?」


 アルヴィンの狼狽え方は尋常ではなかった。顔は青ざめ脂汗が流れ、足は震え生まれたての子鹿のようである。おまけに口調はターバンのような帝都西部方言である。


「な、なんでアルヴィンはんチャンドラはんみたいになってるんですか」


 斉藤まで釣られてこの有様である。斉藤は入局以来、セシリア・ハーネフラーフがあのような剣幕で話すところなど見たことがなかった。


「お、おおせやな。せや、落ち着かなアカン。ヒッヒッフー……ヒッヒッフー……」

「そらラマーズ法や! ってなんで私までターバン口調なのよ。落ち着きなさいよアルヴィン」


 たまらずツッコミを入れたハンナさえもターバンチックな口調になっていた。


「だ、だけどよお、あの声のハーネフラーフ部長なんて、俺が監理部の女の子に粉掛けて回ってたのが見つかって以来だぜ」

「前科持ちだったんですね……」

「い、いやあのときもめっちゃヤバくてな。よくまあ生きてるもんだぜ、俺」

「そ、そんなにですか?」

「……い、行こう斉藤。とにかくお前が事実を否認するなら、とりあえず証言はしないとな、うん」


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