第13話-① 人の口に戸は立てられぬ
装甲徴税艦カール・マルクス
共用通信室 通信ブース
超空間通信は実用化から三〇〇年ほど経った現在でも、人の背丈ほどもあるコンピュータと対消滅炉から発生する莫大なエネルギーが必要で、個人用の携帯端末にこれを搭載することはまだ実現されていない。
カール・マルクスでは共用通信室として、局員が非番中などに使用できるように超空間通信機のブースが設けられていた。客船なら私室へクライアント端末が設置されるが、軍艦だとそこまでする必要は無い、という判断だ。この通信室の他は、唯一、局長執務室や艦橋からは、直接超空間通信の送受話が行える。
その一室で、斉藤一樹は画面に目を向けていた。相手は遙か数千光年離れた恋人、クリスティーヌ・ランベールである。
『ごめんね。忙しいところ連絡しちゃって』
「特徴局に入ってから帝都のアパートも引き払っちゃったからね。しょうが無いさ。どうせ戻る暇もない」
『そう……あの、ね。話があって』
「奇遇だね、僕もだよ」
『そう……』
斉藤自身も何を話すか決めていたし、相手も偶然だが同じ事を考えているのだろうと察した。奇遇だねなどという、普段ならキザな冗談にも聞こえる言葉が、上滑りして斉藤の耳に届いていた。
『別れてほしい』
予想通りの言葉が斉藤の耳に届いた。彼女が言わなければ自分から言い出していたであろう言葉。その響は、斉藤にとっては驚くほど無味乾燥なものに聞こえた。
「……そうか。僕もちょうど、同じ事を言おうとしていた」
何せこの一年で彼らが顔を合わせて話したのは僅かに十数分。それも斉藤らが特別徴税局として帝国政策投資機構に査察に入ったときであり、瀟洒なレストランでも、ムーディーなバーでもなく、あるいは互いの家でもなく、無味乾燥なオフィスの一角だった。
学生時代はそれなりに充実したカップルとしての交流があった二人が何故このような状態になったのか。
当然、二人がそれぞれの進路に進み、斉藤は宇宙を飛び回る徴税吏員としてたまの休みに帝都に帰ることもままならないことが影響している。
しかしそれ以上に、クリスティーヌ・ランベールには斉藤一樹の変わり様が受け入れられなかった。
『一樹君にとって、今の仕事が幸せなら、私もうれしいわ。でも、あなたの考え方そのものが特別徴税局に入って変わったのなら、私はそこも含めたあなたを愛することは出来ないの』
「僕の考え方が変わった?」
デートもしない、連絡も出来ない、性交が稚拙、ファッションセンスがないなど男として不満があるというのなら、斉藤にも受け入れる余地はあった。しかし考え方が変わったなどと言われる筋合いは、彼にはなかった。
彼は彼なりに特別徴税局の仕事について価値を見いだしているし、その正当性も理解している。無論、その手法については改善の余地があると考えてはいたのだが。
『以前のあなたなら、特別徴税局の強制執行のやり方に賛同するなんて思えない……ごめんなさい。私は税を納める帝国臣民であり、でも人間なの。特別徴税局の仕事そのものは否定しないし、組織として必要なのは理解しているのは、分かって』
「僕が特別徴税局の徴税吏員をやっているのが気にくわないってこと?」
『……そう、なるわね』
「それは君のいる帝国政策投資機構に査察に入ったから?」
『そういうことじゃないの。学生時代のあなたはもっと優しかった!』
「僕が一度だって君に優しくなかったことがあるか!?」
『この一年間、あなたが私に何度連絡をくれた? 優しい言葉を掛けてくれた? 私の誕生日もあなたは仕事に夢中だったじゃない!』
「仕事と私、どっちが大事ってやつかい? 君からそんな安っぽい言葉を聞くことになるなんて思わなかったよ」
『なんですって!?』
売り言葉に買い言葉。斉藤にしては珍しい短絡的な受け答えだったが、これは斉藤にとって本当に落胆を隠せない言葉だった。少なくとも彼女はそんな二者択一を迫るような安っぽい女性ではなかったと考えていたからだ。彼女は斉藤には及ばないものの帝大卒業時の席次ではトップクラスに入る、帝国でも一、二を争う秀才だった。
その彼女をして、安っぽいメロドラマのような台詞を吐き出すのか――斉藤の落胆はかなりのものだった。
「……僕が今、何を言っても君には届かないだろうし、君の気分を害するだろう。僕に不満があるのなら、僕は身を引く。無理強いはしたくない」
『……』
「楽しかったよクリス。今までありがとう」
『ちょっと待っ――』
強制遮断した通信画面は、特別徴税局の紋章が写る待機画面へと切り替わった。
「何だって言うんだ……僕が何をしたって言うんだ!」
通信ブースのデスクを殴りつけた斉藤は、クリスティーヌ・ランベール、ほんの数分前までは恋人だった女性の言葉を理解できずにいた。帝国省庁に居る者が、その職において定められた業務を行なうことに対して何故そんなに不満があるのか。なぜ人間性まで否定されなければいけないのか。
しかし斉藤には足りない視点があった。恋人だというのなら、たまには甘えたい、優しい言葉の一つでも掛けてほしい時があるのだということを。
光速の壁を超え、半径一万光年にもわたる生存圏を実現した人類にも未だ超えられない距離の壁。多くの人類が超えられずにいた壁を、斉藤自身も乗り越えるには至らなかった。
「あっ」
「うわっ!」
通信ブースを後にした斉藤が居住区に入り、ちょうどソフィ・テイラーと鉢合わせ、出会い頭にぶつかって転んだ。
「ごめんごめん。斉藤君、大丈夫?」
なにせ体格差がある。ソフィは軽くよろめいただけだったが、斉藤は尻餅をついた。斉藤は、差し出されたソフィの手を取ることもなく立ち上がった。
「こちらこそごめんね。それじゃ」
それだけ言って斉藤はその場を立ち去るつもりだった。しかし背中越しに呼び止められて、足を止めた。
「ちょっと待って斉藤君!」
「なんでもない。それ以上聞かないでくれ」
「できないよ、そんなこと……」
ソフィは当然、斉藤が通信ブースで恋人との別れ話を済ませた後などということは知らない。だが、斉藤のただならぬ様子を感じた彼女は斉藤を放っておけなかった。斉藤はソフィに振り向きもせずに歩いて行くがフラフラとしている。
「いいよ、別に」
「落ち着くまで、ここにいよう? ね?」
居住区を進み、丁度自分の部屋に差し掛かったところでソフィは斉藤の手を引いて部屋に引き入れた。
「いいから! 放っておいてくれ!」
初めて入るソフィの部屋。しかしそのことを気にするような余裕は今の斉藤になかった。ソフィの手を振り払い、初めて彼女に向き直る。
「放っておけないっていってるじゃない! なんでそんなに強がるの!」
「強がってなんかいない!」
「強がってるよ! だって斉藤君、泣いてるじゃない!」
斉藤はソフィに言われて初めて自分が涙を流していることに気がついた。自分は今、失恋してショックを受けているのだろうか。恋人がいなくなって寂しいのだろうか。いやそうではない、と思うほど、斉藤の目からは止めどなく涙が流れていた。
「どうしたの? 何かあったんでしょ? 私でよければ相談にのるよ?」
ソフィからすれば普通の言葉。斉藤にとってはまるで自分の今の境遇を見透かされた上でのお節介。そう感じた斉藤は、ソフィの顔を見上げた。
「じゃあなんだよ! 君がクリスの代わりになってくれるとでも言うのか!?」
斉藤はソフィを押し倒した。斉藤よりもずっと身長が高いソフィも、突然のことに簡単にバランスを崩し、ベッドに組み伏せられた。憤怒に満ちた瞳がソフィの顔に向けられたが、当のソフィはまっすぐに斉藤の顔を見返していた。
斉藤はそれ以上動けなかった。憤怒に満ちていた瞳はいつの間にか怯えを孕んで揺れている。自分が今、何をしようとしていたのか理解できていなかった。
そうしているうちに一分は経ったが、斉藤は全く身動きできないでいた。
「……意気地なし」
ソフィは一言、そう呟いた。斉藤は驚愕した。ベッドに押し倒し、あまつさえレイプしようとでもしたとしか思えない状況である。その相手から出た言葉が意気地無しの一言だったことに、斉藤は驚愕した。
「っ!」
斉藤はソフィの部屋を飛び出した。
ぐしゃぐしゃになったシーツに身をくるんだソフィは、そこで初めて自分が震えていたことに気付いた。
見ず知らずの男ではない。普段の業務や非番の時間を通じて少しは理解できていたと思っていた斉藤に押し倒された。第三者が見れば、そのまま強姦されていたのではないかという状況である。生まれも育ちも平凡な家庭に生まれた彼女にとって、初めての経験だった。
「……っ!」
斉藤は自分が今何を考えているのか、何をすれば良いのかも分からず、廊下を走っていった。通路の影で五体投地している影にも気付かないほど、動転していた。
「はわわ……えらいこっちゃで……!」
電算室 徴税四課オフィス
「斉藤と総務のソフィちゃんが言い合ってたぁ? 本当か、それ」
徴税四課長の瀧山は、大仰な身振り手振り口振りで騒ぎ立てているターバンにタバコの煙を吹きかけた。
「ホンマやって。ワイ、その時間ソフィはんの部屋の近くで礼拝しててん」
「……なんで通路で礼拝してんだよテメェはよ」
「時間には厳格やで」
「テメェは都合が悪くなるとすぐ五体投地してんだろうがよ!」
時間では無く好奇心という欲望に忠実なだけであった。
「あ、腹が鳴ったからお昼やん。さっすが腹時計は正確無比でんな。昼飯食ってくるわ」
「ったく。とっとと行ってこい馬鹿野郎」
ターバンが退室した後、しばらくの間徴税四課員はターバンの噂の真偽について話していた。
「おいテメェら、いつまでくっちゃべってんだ? 簀巻きにして非可逆圧縮してやろうか? あ゛ぁ?」
明らかに苛立ち始めた瀧山の空気を感じ取り、その話題はそれきりとなっていた。
瀧山としては局員同士の恋愛大いに結構というスタンスだったが、あの斉藤一樹が? ないない、というところで落ち着いていた。
「……おい、ターバンが妙な真似したらすぐに俺に知らせろ」
「は、はい!」
どこか不安を感じていた瀧山は、近くに居た課員に声を掛けた。ターバンの性格上、こういう時は大抵こじれるのだと本能的に感じ取っていた。その予感は的中するのだが、神ならぬ彼にはその行き着く先までは予想できていなかったのである。
第一食堂
「なあなあフランはん、聞いた?」
「えっ? 何々ターバン君何か耳より情報でも持ってるの?」
特別徴税局総務部主任のフランソワーズ・ベルトランは特徴局一の噂好きとして知られる。特に男女の色恋沙汰が大好物。典型的な噂好きのお局である。
思わせぶりなターバンの言い方に、ベルトランは簡単に食いついた。
「いや、それがかくかくしかじか」
「かくかくうまうま、んまーっ! そんなことが!?」
人格崩壊人間と社会的つまはじき者の巣窟である特徴局ではなかなか浮いた話がなかったので、彼女は飢えていた。今、ターバンのもたらした話はまさに彼女の乾ききった心に降り注ぐ慈雨に等しかった。
それから一時間としないうちに、ベルトランから広まった噂は特別徴税局全体を席巻した。
第二艦橋
徴税一課オフィス
「斉藤君とテイラー君が言い争ってた? 本当か、それ」
「本当ですって!」
次の強制執行の作戦案をこね回していた秋山は、ゲルトから斉藤に関する噂を耳にした。
「お前なあ、人のプライベートな部分に入り込もうとするのは良くないぞ」
「べ、別に私はそういうつもりじゃありません!」
「ま、お前はその辺りが下手だからな。うんうん、若者はいいなあ」
全くもって若者は羨ましいなどと年寄りめいた感想を抱きつつ、秋山は珍しくゲルトをいじり倒していた。
「課長に言われたくないです! 大体、なんで私が斉藤なんか」
「お前なあ、意識せずとも斉藤斉藤、っていつも話してるじゃないか。それが答えだよ」
「し、知りません!」
顔を真っ赤にしてゲルトが退室したあと、ニヤニヤとこちらを見ていた副官に秋山は目線を向けた。
「どう思う、
「ありゃあ惚れてる女の顔だよ、間違いない」
副官の糸久三郎が《しくさぶろう》歴戦の恋愛の猛者のような口ぶりで言うものだから、秋山はそれを鼻で笑った。
「万年色恋沙汰じゃブービーのお前が言うことかい」
アルヴィンほどではないが女遊びが趣味の糸久。ただし釣果としてはあまりよろしくないことを秋山は知っていた。それを茶化してみたのだが、何せ嫌味合戦なら糸久のほうが一枚上手だった。
「おやおや、撃墜数マイナスの徴税一課長には言われたくはありませんなぁ」
「誰がマイナスか! 何だマイナスって!」
秋山誠一、三二歳独身。我が世の春は来世に持ち越し、恋人は強制執行作戦案と常日頃から自嘲する彼だったが、あけすけに言われるのは
「一課長殿、女を落とすには突撃しかないでありますよ?」
「お前みたいなポンコツAIに言われたくない!」
アンドロイドとは思えない満面の笑みでフィグ・サインを向けてきたを秋山は、血管が切れるのではないかというほどの大声を張り上げた。
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