第12話-② 密約
ピヴォワーヌ伯国政庁ビル
五階 領主公邸
「ところで、陛下のご容態があまり良くないの」
「それはお労しい……」
言葉面こそ帝国皇帝への畏敬の念を込めたものだが、何せ発言者が永田では白々しいことこの上なかった。
「まあ、歳も歳だしね。それはいいんだけど……」
なにせ皇統公爵御自らがこの調子では、永田の軽い口調も薄らぐというものである。
「その都合で、マルティフローラ大公が近々摂政に就任する」
「それはまた。しかしマルティフローラ大公が……」
「何か思い当たる節があるのかしら」
「いやまあ、とりあえず公爵のお話を聞いてからで」
永田にはその点について思い至るところがあったが、今はまだ自分のカードを見せるタイミングではないという事で言葉を濁した。
「すでに陛下は所領のリンデンバウム伯国へお戻りになってご静養中。その間、帝都で大公が摂政として帝国の内政を掌握する」
「……それと特徴局の関係は?」
今までの会話を聞いた上で、永田はますます自分がここに呼び出された意図が分からなくなった。
「単刀直入に言うわ。マルティフローラ大公国と、そこに連なる領邦、皇統貴族の財務状況を調べてほしい。領邦については領邦財務も含めて」
「わざわざこの場で言われると言うことは、税務署が行う定期的なものではなく、秘密裏に探ってほしい。おまけに、出来れば致命的なものを……ですか」
ようやく永田は理解した。自分達は、メアリー・フォン・ギムレットという公爵によって帝位争奪戦に巻き込まれるのだ、と。
「話が早いわね。もちろん、これは非公式の要請であって、断ってもらっても構わない。それによって私は特徴局が不利益になる行為を働かない。告げ口するよりはいい取引と思わない?」
「それも、非公式のことでしょう?」
永田の切り返しに、公爵は手にしたワイングラスを一度机に戻した。鋭い目線が永田を射貫くが、当の永田は飄々としたものである。ワインを一口含んで、アルカイックスマイルを二人の皇統に向けた。
「私が証人だが、私がメアリー……ギムレット公と昵懇の仲というのは知っているだろう? 信じるか信じないかは局長、あなた次第だ。血判でも必要なら押そうか?」
こちらも余裕綽々と言った様子の伯爵は、手酌でワインを自分のグラスに注いだ。ピヴォワーヌ伯爵家であるアンプルダン家と、ギムレット公爵の生家であるパイ=スリーヴァ=バムブーク侯爵家は縁戚関係にあり、伯爵も公爵も幼少の頃からの付き合いだ――と、永田も事前情報として調べはつけていた。
「見返りはなんです?」
やはり手酌でワインをグラスに注いだ永田を見たギムレット公爵は、唖然としてその様子を見やり、深い溜息をついた。
「……あなた、肝が据わってるというか図々しいというか」
「いやあ、それだけの仕事だと思いますがね。野茨ネタはゴシップ誌くらいしか取り上げませんし」
この男が並みの官僚でないことはメアリーも様々な風聞から察していたが、ここまで来るともはや感動を覚えていた。メアリーに対してモノを言う官僚は少なくないし、メアリーとしてもそういった人間こそ信頼に足ると考えていたが、永田のそれは度を超している。しかし、不思議と不快ではない。どちらかといえば、幽霊とか伝承上の動物を目の前にしたら、そういう感覚を覚えるのではないかと考えていた。
「金かしら、それとも地位? 生命の保障? 女って顔じゃなさそうね、あなた」
「露骨ですね」
この物言いには、今度は永田が唖然とした。露骨、あまりに露骨で品がない。おまけに女に興味が無いという永田のパーソナリティーをも暴かれ、些かの驚きがあった。実際永田は独身生活を続けているし、そのことについて何らの不満も覚えていない。
「人間の欲求なんてせいぜいそのあたりでしょ? それとも特徴局の格上げ? 国税省から分離して特別徴税省なんて面白そうね」
「はー、それは魅力的ですな」
「えっ、ほんとに?」
先ほどから永田とメアリーは互いの発言に唖然とするばかりであった。
「その方が動きの制限を受けにくくなりますからね。特別徴税大臣、うん、なかなかよさそうだ。職員の給料、人員配置、予算。全ての面で今より良くなりますし……省は無理でも庁にして権限拡大も美味しいところです。いかがです? 私はそれでも構いませんよ」
「あなた、一介の皇統貴族にそれが出来るとでも?」
「一介の国家公務員よりもよほど簡単でしょう?」
事もなげに言った永田は、ワイングラスを手に取った。芳醇な香りのラ・ブルジェオン産ワインの香りを楽しむ余裕を見せた目の前の役人に、ギムレット公爵は鋭い目を向けたままだった。
「省庁格上げ、新規設置は陛下が勅令を出す必要がある。その点についてはどうクリアするつもりかしら。私が上奏しても受け入れられない場合は?」
ギムレット公爵はワイングラスを一気に呷り、永田の回答を待った。永田はニタリと粘着質な笑みを返した。
「では、公爵殿下が皇帝になればいいんですよ」
これで相手の動きが見られればいい、くらいの気持ちで永田は言った。これだけのことを言えば、たとえ相手がギムレット公爵であろうと、言葉の裏を読めるのではないか。
しかし、一拍後のギムレット公爵の様子は、永田の予想をある意味超えていた。
「あっははははっ! 永田、あなたってなかなか面白いじゃない! ねえオデット! そう思わない?」
ギムレット公爵は隣に座るアンプルダン伯爵の肩を叩きながら、周囲に人の目がなければ床に転げ回るのではないかというほど笑っている。
「あのー、まさかとは思いますが、本当に――」
まさかこれほどの反応を得られるとは思わず、永田にしては珍しく戸惑いを隠せなかったうえに、取り繕うこともせずさらに問いただしてしまった。
「当たり前でしょ。でなきゃ他の皇統の財務状況を、特別徴税局に調べさせようなんて考えないわよ。強請るネタを集めとけば後々役立つもの。いずれ私が皇帝の座についたら、あなたの願いを叶えてあげる」
「あー、なるほど――こりゃあババを引いたかな」
これで完全に引けなくなった。目の前の皇統公爵は本気で帝権を手に入れるつもりだ。永田としても覚悟を決めるときだと考えた。
「……実は、もうあるんですよ、爆弾ネタ」
永田の声のトーンが低くなり、ギムレット公爵もアンプルダン伯爵も話を聞く姿勢を整えた。
「私はかつて、本省の領邦課長を務めていました」
永田は自らの過去をあまり他人に話したがらなかった。永田が特別徴税局局長になる前の経歴をしっかりと把握している者は、局内でも一部の幹部と、物好きにも国税省の官僚名簿を調べたものだけである。
「領邦課長か……そのまま行けば、事務次官当たりのポストも狙えたでしょうね」
ギムレット公爵が言った出世の予測コースは、永田も当時は自分が通るものだと疑わなかった。同期の中でも、彼は卓越した能力を持ち、自らの力でその地位に就くことは、自らの政治力、官僚としての能力的にも十分可能だと判断していた。
領邦課は、各領邦の歳入管理、脱税などが行なわれていないか、帝国税法にない税目を勝手に運用していないかなどを監視する役割をもち、国税省でもキャリア官僚の登竜門と言われる部署である。しかし、永田にとっての本省出世コースは、そこで途絶えた。
「もう一〇年になりますか。当時私は、帝国中央から領邦へ流れる予算を調べていたんですよ。まあ、年次調査の一環だったんですが……」
いつもの癖でタバコに火を付けようとして思いとどまった。代わりに永田はワインを口に含んだ。
「見ちゃったんですよ。訳の分からない、名目不明の金が中央からとある領邦に流れていて、おまけに税収の計算が合わないことを。これを使途不明金として、調査を始めました」
「羨ましいな。うちにもそういう金を流してほしいものだ」
「オデット」
「冗談だ。続きをどうぞ、永田局長」
冗談めかして言った伯爵を公爵が肘で小突いた。悪びれない様子で肩をすくめた伯爵が、永田に続きを促す。
「まあ、極端なことを言えば、使途不明金とは用途指定がなされていないだけです。それを受け取った領邦国家が、用途を定め、報告し、歳入として記録していれば話は終わりです。あとからきちんと使用用途を示すのは、あまり褒められたものではないですが、精査の結果認めざるを得ないということもあるでしょう」
「しかし、記録されていなかった……」
「それも意図的に、か」
本国にしろ領邦国家にしろ自治共和国にしろ、歳入は一旦国税省により国庫に収められ、財務省と帝国政府が予算編成を行ない、領邦と自治共和国には交付金という形で分配される。
インフラ規模や人口、防衛軍などの軍事組織の規模などに応じて予算は編成されるが、歳入にない交付金があれば、その領邦、ないしは自治共和国だけ有利になる。
「財務省や国防省にもツテはありましたからね。同期の連中と調べを進めたんです」
「叩けばどこでもホコリは出るものだが……度を超していた、と?」
伯爵はワイングラスを揺らしながら、顔を顰めた。
「ええ。フリザンテーマ公国、コノフェール候国、そしてマルティフローラ大公国。この三つの領邦に使途不明金が流れているのが判明したんですが、即座に調査中止、記録を抹消しろと上からのお達しがありましてね」
「上から、ねえ……先代の国税大臣の鼻の穴に指突っ込んで振り回してやりたい」
「おそらく、マルティフローラ大公らからの反発などを考えたのだろう」
呆れた様子の公爵と伯爵は、互いに互いのグラスへワインを注ぐ。呆れすぎて酒でも飲まないとやっていられないという調子だ。
「会計年度あたり約四五兆帝国クレジットが流れている。それがもう五年も続いていたんですよ、その時点で」
「もう一〇年になるってことは……ざっと、もう一個くらい方面軍が作れるわね」
「特徴局に流されてからも、私的にこれらの調査は続けていました。細かな動きはさすがに六角に居るときほど正確に掴めませんが」
「ちょっと待って……? 一〇年前って、帝国国防要項が改訂した頃じゃない?」
「はい。帝国国防戦略、帝国安全保障戦略、国防整備計画、これらの改訂により、領邦軍の軍備は従来より拡張することを許されました」
「それじゃあ、あなたの結論としては」
「現状では推測ですが……マルティフローラ大公以下、拡大派は弱腰な帝国中央政府に代わって、辺境宙域への侵攻を考えている。そのために帝国中央政府から使途不明の四五〇兆円を引き出し、現在も引き出し続けている。いかがです? 帝位継承を諦めさせるだけの威力はありますが」
「……どう思う、オデット」
永田の結論に、さすがのギムレット公爵も即答は避け、最も信頼できる同志の意見を聞くことにした。
「あり得る話ではないか。少なくとも、それだけの予算を秘密裏に使う理由が思い付かない。いくら大公でも、それをポケットマネーにするほど小さい人間ではないだろう」
「違いないわね。永田、その予想を確証に変える気は?」
「え? はぁ、まぁ、一応は」
ポロリと出た永田の言葉に、ギムレット公爵は頭を抱えたくなった。
「……なんかこう、あなたって肝心の所でそういう気の抜けた返事を返すのね」
「ははは、それほどでも」
「今日はありがとう、面白い話を聞けた。それじゃ、また近いうちにそちらにお邪魔するわ」
マントを翻し、迎えも付けずにギムレット公爵は部屋を出て行った。
「なんというか、とんでもないお方ですね」
ギムレット公爵の足音が十分遠ざかったことを確かめて、永田は溜息交じりに言った。気楽そうなフリはしていても、永田をしてギムレット公爵の相手というのは極度の緊張を強いるものだった。
「……永田局長、一つ忠告しておこう。そうやって他人事のように言っていられるのは今のうちだ」
伯爵の言葉に自嘲のようなものを感じた永田は、愛想笑いを返しておいた。
ラ・ブルジェオン 低軌道
アスファレス・セキュリティ 護衛艦隊
巡洋艦エトロフⅡ
アスファレス・セキュリティ株式会社は帝都に本社をおく、帝国のごく一般的な中小民間軍事企業の一つだ。ただ、この会社は数年前からとある大口顧客からの案件を極秘裏に請け負っていた。
「今戻ったわ」
「お帰りなさいませ公爵殿下。御身の無事の帰還をお待ちしておりました」
深紅のマントを翻しながら個人用の小型コミューター機を降りてきたギムレット公爵に、恭しく頭を垂れている男がいた。彼の名は柳井義久。アスファレス・セキュリティの常務であり、護衛艦隊を預かる司令官。ギムレット公爵の非公式な任務に借り出される便利屋である。
「まどろっこしい挨拶はするなっていつも言ってるでしょ」
「部下の前では示しがつきませんので」
「ま、それもそうか。ちょっと話があるの。部屋を用意なさい」
「もう出来ております」
貴賓室
「永田という男。殿下のお眼鏡に適いましたかな?」
「ええ、そりゃあもう。ああいう人間が欲しかったのよ」
ギムレット公爵は柳井が出してきた安物の紅茶を文句も言わずに飲んでいた。カップも貴賓室にあった骨董品を使えばいいのに……と公爵は不満顔だった。軽量セラミックのカップは実用性一点張りだった。
「はぁ、それは……相手にとっては不運なことだ」
柳井は永田閃十郎という、名前しか知らない男の未来を想像して溜息をついていた。
「軍事はあなたとうちの近衛がいればいい。今私に足りないのは帝国省庁内の味方よ」
五年ほど前に突然帝国皇統貴族社会に復帰したギムレット公には、政府と貴族社会における協力者が不足しがちであり、それらを補うため、公爵は精力的に人材を登用していた。
「それは殿下が毎回大臣室直撃して、速攻性のある対策を打たないと重荷電粒子砲撃ち込むと言うからでは?」
「そんなこと言ってないわ!」
実際のところ、これはあまりの剣幕に驚いた書記官などのコメントに尾鰭がついてものであるが、公爵の人となりをよく表していたため、ゴシップ誌などが好んで使う表現だった。
「まあ……人選は殿下がお決めになることです。私は今、タクシードライバー程度のものですから」
「極上の乗り心地よ、このタクシー」
一隻当たり年間数億帝国クレジットの運用費用がかかる巡洋艦をタクシー呼ばわりされるとは、部下の目の前では絶対に聞かせられないと柳井は溜息をついた。
「ねえ柳井。あなたどう思う?」
「使途不明金のことですか? さあ、私は一介の会社員に過ぎませんが……」
公爵が政庁から宇宙に上がるまでの短時間で手短にまとめた永田との会話のメモを一瞥して、柳井は数秒考え込んだ。
「本当にそんなものがあるのだとしたら、それは本当に軍備拡張だけに使っているでしょうか?」
「他に使い道がある、と」
「私のような小市民には理解いたしかねますが、高貴なご身分の方々は、それなりにお付き合いにも資金が必要でしょう」
その額四五〇兆帝国クレジット。方面軍がもう一つ作れるほどの金額とはいえ、本当に方面軍一つ分の軍備を整えれば、嫌でも人目につくはずで、軍備拡張が進むとはいえそれほどの規模ではないのであれば、残りの金額をどこかで使っていて、しかも裏工作のための賄賂として使っているのではないかというのが柳井の推測だった。
「それに……そのお付き合いされている方が帝国領内に必ずしも居住しているとは限りませんし」
柳井の言葉に、公爵は眉をひそめた。
「あなた、皇統爵位保持者が辺境惑星連合の人間と内通しているというの? 皇統侮辱罪で憲兵艦隊に引き渡してもいいのよ?」
皇統侮辱罪は懲役五年以下、もしくは一〇〇〇万帝国クレジット以下の罰金である。もっとも、この罪刑が定められてからは適用例がない。親告罪であり、いちいち皇統自身がそんなもの確認している時間もないからだ。
「この程度の戯れ言で引き渡すなら、殿下は私どもの会社、私の艦隊、私自身を使うことなど無かったでしょう。第一あれは親告罪。本人が居ないところで陰口叩く自由は、帝国臣民の崇高な権利ですよ」
「お見通しか。癪に障るわね」
そもそも、そういう発想が出来る男だからこそ、ギムレット公爵は柳井という男を登用し、公費はもちろん私費まで投じてアスファレス・セキュリティの大口顧客、そして筆頭株主になり、一部の艦艇を極秘任務に就かせるようなことまでしているのだった。
「永田という男がどこまでつかんでいて、また殿下にどこまで本気で話したのか次第ですが、私には四五〇兆もの大金を軍備だけに使っているとは思えませんね」
「……でも、辺境惑星連合に資金援助して、何の得になるの?」
「さあ、どうでしょう……しかし――」
柳井はわざとらしく考え込む演技をしたあと、とても記録には残せないようなことを口にした。
「あなた、世が世なら今射殺されても文句は言えないわね」
深い溜息をついた公爵は、手元のティーカップを手に取り、半分ほど残っていた紅茶を飲み干した。
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