第10話-④ 特徴局の冬休み

 帝都ウィーン

 ドナウシュタット地区

 帝国大学 法経一号棟


 帝国大学は帝国大学令により設置された国立大学の一つで、他の国立大学と異なり、帝国の名を冠する唯一の大学であり、帝国最高学府としての機能を持つ。受験資格は問わないが、要求される学力は文字通り帝国最高峰。


 法・経・理・工・医の五学部が設置されるが、入試時は一括募集され定員三八〇〇名。学部へは二年生への進級時に学科単位に募集をして割り振る。正規では卒業まで六年、医学部は八年を要するが、特に許された学生には飛び級も制度化されている。また学部の上に研究科が設置され、三年間の修士課程と五年間の博士課程が存在する。定員は各学部の二分の一程度と広く、多くの学生が研究科進学を目指す。


 斉藤は経済学部行政経済学科を税理士合格を単位認定されで卒業した後、経済学研究科修士課程行政税税務専攻に進み、税務大学校卒を単位認定され二年で卒業している。この進級はエリートが集う帝大内でも異例中の異例。恩賜の銀時計を受け取ったエリート中のエリートである。


「変わらないな……」


 斉藤は自分で言っておいて馬鹿馬鹿しいと笑った。四月の特別徴税局入局からまだ一年にも満たないし、わずか一年ほど前には帝大学生だったのだから、変わっている筈もない。しかし、そんな事実をもってしても、今の斉藤が置かれた環境は、帝大に居た頃がもう何年も前のような錯覚に陥らせていた。


「先生、お久しぶりです」


 実家でもどこか居場所がないような気がして、斉藤は予定を繰り上げて帝都から宇宙に上がるつもりでいたのだが、そんな斉藤が帝都を発つ前に訪れたのは、恩師であり帝国大学経済学部学部長、アントン・チモフェーエヴィチ・ジェルジンスキー教授の研究室である。


「斉藤か……!? どうした、私のところなどへ。まあいい、座っていろ。今コーヒーでも煎れる」


 研究論文に目を通していた教授は、斉藤の姿を認めると跳び上がるようにして立ち上がり、斉藤を応接セットのソファに座らせた。卒業式で見た彼の姿と打って変わり、やつれたようにも見える姿にも驚いたのもあるが、彼が手がけた卒業生の中でも、もっとも就職後の経過が気になっていた学生が斉藤だからというのもある。


「こんな時間に来るなんて、ほかの連中はどうした。正月休みで飲み歩くくらいはするだろうに」


 教授の言葉に、斉藤は苦笑いを浮かべた。その表情を見た教授は、斉藤が予想以上に特別徴税局に馴染んでいるのだろう事を察した。


「その様子だと、ずいぶん特徴局に染まっているようだな。まさか君が、あそこに行くとは思っていなかった」

「僕も思ってもみなかったです」

「税の公正な徴収は公正な国家の礎だ。確かにあの特別徴税局という組織は必要なものだ……必要悪、というものが具現化したらああなるのかもしれん」


 斉藤は、恩師の言葉に苦々しいものが混じっていることに気がついた。必要悪という事なら、確かに特徴局の為にあるような言葉だと、苦みに全ステータスを振ったようなコーヒーを口に含んだ。


「……先生は、僕が特別徴税局に行ったことをどう思われるのですか」

「どうもこうもない、官吏とはそういうものだ。辞令が出ればそこで働くしかなかろう……もう少し早くわかっていれば、私から国税省に手を回せたのだが」


 帝国最高学府の学部長ともなれば、政府や財界中枢とのパイプを持っているのが普通で、銀時計組であればそれらのツテを頼った就職も思いのままだった。しかし、斉藤はそれら一切を断り、独力で国税省入省の資格を勝ち取った。まあ、結局特別徴税局へと配属され、彼にとっては些か、未だに不服ではないと言えば嘘になるのだが。


「いえ、それでも僕は……」

「……そうか。君はいつもそうだった。それでもいつでも、君は最高の成果を上げた」


 ジェルジンスキーは斉藤の性格を良く理解していた。斉藤は他人からの便宜や軽減策の類は断って、実力だけで事を為そうとするがある。そして実際に自力でなんとかしてしまっていた。ジェルジンスキーには、それがひどく意固地で不器用にも見えたが、彼はそうすることで、自分の力を他人に認めさせてきた。


「……君は君の思うところがあるのだろう。信じる道を進めばいい」

「はい」

「帝国の官僚組織は、帝大とは比べものにならない伏魔殿だ。今までの君のようなまっすぐさだけでは、何時しか折れてしまう。柔軟さも、時には大切だ」

「その点、特徴局には参考になりそうな人が多いですから」

「そうか……」


 その後も、学生時代の思い出話、帝国税制に関する短めの討論などを挟んだ頃、時計は一五時を指していた。


「そろそろお暇します」

「何だ、もう行くのか。もう少しゆっくりしていけばいい」

「……結局のところ、僕にはもう、帰る場所があそこしかないのかもしれません」

「斉藤……まあ、もし職に困ったら私のところへ来い。優秀な助手としてこき使ってやる」

「先生の助手ですか。それはぞっとしませんね」


 恩師のジョークに、斉藤は笑って見せた。しかしその顔に、ジェルジンスキーは背筋が凍る思いだった。


「では先生。またお目にかかれるのを楽しみにしています」

「あ、ああ。達者でな……たまには顔を見せに来い」


 斉藤が退室したあと、ジェルジンスキーは自分の端末に入れてある教え子達の写真を見つめていた。年次ごとに整理されたそれを二〇年ほど遡ったところに、目当ての写真があった。


「……あの顔……なぜだ斉藤君。なぜ君が」

「それは運命、というヤツでしょう」


 ジェルジンスキーが顔を上げると、いつの間にか応接机のソファ、先ほどまで斉藤が座っていた位置に中年の背広姿の男が座っていた。


「ノックをしたんですがね。気付いておられないようでしたので」

「永田! 貴様どの面下げてマティアス門を潜ってきた!」

「ひどい言われようですなあ、ジェルジンスキー助教」


 そう、斉藤と同じく、特別徴税局局長永田閃十郎もまた、ジェルジンスキーの授業を受けていた一人である。ただし、その頃はまだジェルジンスキーは助教授だった。ちなみにマティアス門は帝国大学の正門で、創設時の皇帝、マティアスⅠ世に因んだ命名だ。


「助教助教と五月蠅い。今は教授だ」

「あのときの助教授が、今や経済学部の学部長とは。いやはや、時が経つのは早いですねぇ」


 『あ、これお土産です』と永田は下げてきた紙袋から菓子を取り出すが、ジェルジンスキーが興味を示さないと見るや、自分で包装紙を破いて中身を食べ始めた。帝都でも人気の菓子店、寅屋本舗の詰め合わせだが、永田はここのどら焼きが好きだった。


「……貴様の悪名はよく聞き及んでいる。帝大の面汚しとな」

「そこまで憎まれているとは光栄の極みですなあ。いやー、僕としては職務に邁進しているだけなんですけどねえ」


 芝居じみた動作で手を広げて見せた永田を、ジェルジンスキーは睨み付けた。彼の悪行の数々は、帝大教授陣の心胆を寒からしめるに十分だった。皇統の暗部にちょっかいを掛ければ何が起きるか分かったものではないというのにである。ジェルジンスキーは思い出すのもおぞましいと、それらの記憶の再生を中断するように努めた。


「荒っぽい稼業だってことは分かってますけどね。それもこれも納税を渋る不届き者がいるからですよ。それに、税の公正な徴収は公正な国家の基礎と仰ったのは助教じゃないですか」


 そう、ジェルジンスキーは確かにそう言った。しかしそれが帝国軍にも迫るような重武装艦艇と歩兵を用いたものになる必要は本来無いはずなのだ。現物徴収と言えば聞こえは良いが、彼らのやり方は被害補填の方が大きくなる恐れもある。


 そしてもう一つの疑念を、ジェルジンスキーは捨て去れずにいた。


 つまり、この永田閃十郎という男に、そのような重装備を与え、あまつさえ彼の裁量でそれを動かせるという自体が、帝国の内乱の引き金になりはしまいか、ということである。


「うちにあなたの教え子が来たのでね、ご挨拶をと思ったんですが」


 よりにもよって、この男の元に斉藤が行くハメになるとは思わなかったジェルジンスキーは、これもまた運命なのかと、運命の神様とやらは存在しないのだろうと天を仰いだ。


「貴様の顔など二度と見たくなかった……」

「そうですか。そりゃあ教え子に対して冷たくはないですか?」

「貴様を教え子と思ったことなど一度も無い」

「おお、嫌われたもんですな。まあ、それも良いでしょう……そういえば――」


 その次の言葉に、ジェルジンスキーは思わず周囲を見渡すことになる。


「帝大の面汚しと言えば、マルティフローラ大公も帝大出でしたね」

「……貴様と同列に語るなど畏れ多いお方だ」


 皇帝と皇統が象徴以外の何者でもなくなって帝国だが、近年はその動きも変わり始めている。まして次代皇帝の噂話など、帝大でしようものならどこで聞かれるか分かったものではない。


「ははあ、どうですかね。案外同じ穴のナントカかもしれませんし……帝大出が善人ばかりなら、帝国はもっと早くに死に絶えていたでしょうね」


 永田がジャケットの胸ポケットからタバコを取り出そうとするが、室内禁煙という文字を見つけたのが、やや落ち込んだ様子で元に戻した。


「悪人はいつでもどこにでも、一定数存在する。つまり君らは必要悪というわけか。だとして、お前は一体何を持って悪党になるというのだ。先ほど貴様は、自分が職務に邁進する公務員の鑑だと言ったばかりではないか」


 永田の言葉を引き継いで、ジェルジンスキーが問いかける。話に食いついた、とにやりと口角を歪めた永田に、ジェルジンスキーは舌打ちした。こちらの興味を引きそうな突拍子もないことを発言して注意を引くのは、彼の常套手段だったとジェルジンスキーは思い出していた。


「おや。公務員が悪党じゃないなんて、僕は一度も言ってないし思ってないですよ」

「なに?」

「公務員とは善悪を超越し、国家国民の為に公僕とあらねばならない。その為ならば、一時の悪党の汚名は甘んじて受け入れるものです」


 それはとんでもない詭弁だ。そう指摘したいジェルジンスキーだったが、それ以上に、そのときの永田の表情が気になっていた。


 いつもの掴み所の無い、笑っているのか呆れているのか、はたまた寝ているのかどうかはっきりしない顔が、満面の笑みだったのだから。


「貴様、何を考えている……?」

「いやいや、僕は帝国国税省の官吏として、やるべき事をやるだけですよ……そろそろ時間だ。お暇しましょう」


 用事は終えたとばかりに、永田がソファから立ち上がる。彼の時計が恩賜の銀時計だったことに、ジェルジンスキーも気付いていた。


『よくもまあ持ち歩けたものだ』とジェルジンスキーは苦虫をかみつぶしたような顔をしていたが、永田はそんなことを気にしていない。扉の近くのハットスタンドからコートを取り上げると、羽織ってから、永田は一度恩師に振り向いた。


「では、おさらばです。ジェルジンスキー先生」


 永田が部屋を出てから、言い表せない不安に駆られたジェルジンスキーはそのあとを追いかけようとしたが、すでに廊下に永田の姿はなかった。


「永田……奴め、まさか……」


もしかすると、永田と話をする白昼夢を見ていたのではないか、とジェルジンスキー教授は考えたが、机の上に一本だけ置かれた、まだ火を付けていないタバコが、永田がそこに居たことを唯一証明するものだった。

 


 帝都旧市街

 ベイカー街221番地

 ローテンブルク探偵事務所


「いやー、すいませんねえ、松の内も明けないうちから押しかけちゃって。引っ越し中ですか?」


 永田がこの事務所に直接訪れたのは初めてだったが、永田は散らかっている、と正直に言わなかったが、この事務所ではいつものことだった。


「いえいえ、いつものことですし、うちは年中無休二四時間営業ですから」

「さっきまでマグナムボトル口に詰め込んだまま船漕いでた奴がよく言うよ」

「ハンス、黙ってなさい」


 探偵のエレノア・ローテンブルクと助手のハンス・リーデルビッヒは近年、永田をはじめ特別徴税局とは取引関係にある。無論、表沙汰に出来ない取引も行なっており、今回永田は、ある情報を買うために事務所を訪問していた。


「とあるスジからのタレコミです。まあ、私掠船関連の情報提供です」


 エレノアは、うずたかく積み上げられた書籍の山を崩して壁のモニターを発掘すると、ある企業に関する情報を表示した。


「うちに流して貰えました?」

「ええ。こちらはすでに、特別徴税局の調査部に自然な形で渡るよう手配しました」

「あはは、仕込みがうまいなあ。ま、あまり公的機関が探偵から情報を買って動くというのは大っぴらにしたくないんで」


 永田はこの事務所に来る途中に買ってきたコーヒーを啜りながら半笑いで言った。


「でも、私掠船絡みの脱税なんですから、正直に言っても問題ないのでは?」

「いやまあ、僕はともかく、部下には公務員として後ろめたくないように仕事してほしいと思ってるんで」

「永田さん、意外と真っ当な人なんですね」

「え? 僕が? まっさかあ……まあカール・マルクスから話しても良かったんですけど、たまには面と向かって会ってみたいときもありまして、まあ今年もお世話になりますよ、エリーちゃん」

「特別徴税局はお得意様ですから。これからもどうぞご贔屓に、閃ちゃん」

「あははは、閃ちゃんだなんてまあ、この歳になると照れちゃうなあ、あはは」


 しばらくの雑談を挟んで、永田は事務所を後にした。


「相変わらず、目だけ笑ってねえんだよな、あのオッサン」

「こらハンス、お得意様になんてことを」

「事実だろうがよ。オマエも同じ目してる時あるから気をつけろよ」

「はいはい……」


 その時、会話のキリが付いたのを確認したように事務所の通信端末が着信を知らせる。


「はいローテンブルク探偵事務所……はい、既に情報は流してあります。永田局長も了承済みです……はい、予定通りですね。では、はい……」


 余所行きの口調で話し終えたエレノアに、ハンスが胡散臭そうな目を向ける。


「先方はなんだって?」

「これの手際を見てから決めるって」

「ふうん、あの局長さんも災難だな。あの毒蛇に目を付けられるとは」

「蛇の道は蛇とも言うし、永田局長なら殿のお眼鏡にかなうんじゃないかなあ」

「だから災難だな、と言ってるんだよ」


 

 第一軌道エレベーター ヴィルヘルム 

 大型艦用係留区画

 装甲徴税艦 カール・マルクス

 第一艦橋


「局長。全局員の乗艦を確認。舷門閉鎖しました」

「ご苦労さん。全徴税艦に放送を」

「はっ。特徴局全艦に達する、これより局長より年頭訓示がある、総員手を休めずに聞け」


 マイクを永田に渡した入井だったが、物々しい言い方の割に、永田の訓示が極端に短いことは知っていた。


「あけましておめでとー。収容所で過ごしたみんなも休み中は暇だったろうね。年明けからまた忙しくなるから、今年もよろしく。じゃ、そんなところで」

「全艦抜錨! 各艦指定序列にて単縦陣を形成。速度制限宙域を抜け次第、木星軌道への超空間潜行を行う」

「実務一課から四課、各艦発進完了」

「よしよし……」


 順調に発進準備が進むブリッジで、永田は一人満足げに頷いていた。



 徴税三課 オフィス


「……さて、今年は色々と忙しそうだ」

「どうかしたんですか? 課長」


 斉藤に問いかけられたロード・ケージントンは、自分のつぶやきの音量が存外大きかったのだと認識した。


「いや、何でも無い……虫の知らせ、というヤツだ」

「てっきりすでにトリップされているのかと思いました」


 斉藤のストレートな言葉に、アルヴィンが吹き出した。


「ははは! 一丁前に言うようになったなあ斉藤」

「口だけじゃなくて、能力的にもアルヴィンよりいっちょ前なんじゃない?」

「おいおいハンナさんよ、そりゃあ無いぜ」


 こちらもストレートな言葉を投げかけたハンナに、アルヴィンが苦笑いを浮かべた。


「まあ、何にせよ……三人とも、今年も頼むぞ」

「はっ!」

「承知しました」

「りょーかい」


 課長の言葉に、徴税三課員総勢三名が思い思いの返答を返し、帝国暦五八九年新年の業務が始まった。

 

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