第10話-③ 特徴局の冬休み
極東管区 日本州
州都 東京市
斉藤家
久々に実家の風呂に入ったあと、しばらく家族の団らん――やや堅苦しいものだったが――を終えた斉藤は、自分の部屋へと戻っていた。帝大在籍時最後の冬期休業の際に帰郷してからそのままの部屋は、それでもきれいに掃除されているようで、埃一つ落ちていない。普段から母親が斉藤がいつ帰ってきてもいいようにと掃除を欠かさなかった結果である。
それはそうと、斉藤は自分の携帯端末を自宅の回線に繋いで、最近はまともにやりとりしていない恋人との通話を試みた。以前の帝国政策投資機構の税務調査以来、二人の間はギクシャクとしたまま改善を見ていない。しかし、今は仕事中ではない。私事の電話であれば、少しは違うだろう。斉藤はそう考えたのだ。
「クリス?」
『一樹君!? 今ご実家にいるんでしょう? どうしたの?』
クリスも驚いた様子だったが、それも当然である。まさか斉藤から電話があるとは思っても居なかったからだ。
「年末年始休暇だよ、一応ね」
『そうだったの……そうと分かっていれば、帝都にいたのだけれど、今ニューヨークに来てて……』
「君のところはいつもそうだったじゃないか。気にしないで」
『お母様はお元気? 何も言われなかったとしても、きっと心配してるでしょう? 家にいる間くらいは親孝行してあげてね』
なお、すでに斉藤は母親から根掘り葉掘り特別徴税局での仕事内容を聴取されていた。
「わかった。ごめんね、ご家族と一緒の時に」
『ううん、いいの、気にしないで。そっちにはいつまでいるの?』
「二日まではいるつもりだよ。多分入れ違うでしょ?」
『そうね……また時間が合うときに電話するね』
「うん、待ってる」
短い会話が終わり、斉藤はぐったりとうなだれた。かつて恋人と話すのにこれほど疲れたことがあっただろうか、と。
そんな斉藤の通信端末に着信があった。大学時代の同期だった。
『おう、斉藤。日本に戻ってるって?』
「ああ、今実家」
『州都にいるんだろ? 暇だったらジェルジンスキー教室にいた連中が何人かいるから、一緒に飲まないか?』
「いつ?」
『二日がいいんじゃ無いかって』
「いいね。僕も行くよ。場所は――」
マルティフローラ大公国 首都星シュンボルム
センターポリス郊外 ケージントン伯爵邸
「……まったく、貴族になどなるのではなかった」
特別徴税局徴税三課課長のアルフォンス・フレデリック・ケージントンは年末年始休暇を利用して、普段は放置しっぱなしの自分の家へと戻っていた。家と言ってもタダの家ではない。彼の生家は帝国貴族ではあるが、古くはマルティフローラ大公の直参として領邦の管理運営を司る一家だった。
様々な事情によりそれらから退いた現在でも、マルティフローラ大公国有数の名家であり、保有資産の額だけで言えばその辺りの皇統男爵や子爵など比較にならないという。
「お館様。いつもいつも申し上げていることではございますが、お仕事の方はいい加減後身に身を譲って、家の運営に専念されてはいかがでしょう」
バトラーのウォーズリーは慇懃丁重に主君に進言した。深く刻まれた皺だらけの顔、眉毛すら真っ白になった老人だが立ち姿は一切の乱れがない。
「誰に譲るというのだ。そもそも放っておいてもケージントン家は私の代で終いだ。ロード・ケージントンの名前など一片の価値もないではないか」
そもそも当代ロード・ケージントンは独身であり、今更結婚する年でもない。
「何を仰います。確かにケージントン伯爵家が、マルティフローラ大公国の国政から退いてもはや三代」
「そもそもマルティフローラ大公家も入れ替えやら代替わりで、我が家の必要性は低いだろう」
「何があるか分からないのがこの帝国貴族社会でございます。我々使用人も、何時の日かお館様が大公殿下にお呼びが掛かることを心待ちにしておるのです」
バトラーの言葉に、ロードは鼻を鳴らした。
「よく言ったものだな。使用人と言ってもバトラーとメイドとガーデナーにショーファーの四人しかいないではないか」
「それでも、でございます。ではこちらの書類が終わりましたら、こちらの金融資産報告書に目をお通しください」
「粉飾などしておらんだろうな」
「もちろんですとも。第一、その辺りはお館様が詳しゅうございましょう?」
冗談めかして言ったバトラーに、ロードは露骨に顔をしかめて不満げだった。
「斉藤たちは今頃休暇でのんびりしているだろうに、何故こんなことに」
「それがお館様のおつとめにございますから」
「まったく……」
ロードがいつもの葉巻に火を付けると、バトラーはいつのまにか持ってきていたガスマスクを着用していた。
東部軍管区
ザイデルリンク星系
ゲフェングニス129
帝国の辺境開拓初期に開発された惑星の中には、十分な居住要件を満たさず、植民惑星として用いられなかったものがいくつかあった。これらを刑務所や収容所として使用するようになったのは、辺境惑星連合の跳梁が目立ち始めた帝国暦一〇〇年代後半からである。
その中の一つ、ゲフェングニス129は初期の無計画な開拓の象徴であり、これを契機に惑星開拓庁が設立され、初代アンプルダン伯爵シモンがその長に任ぜられた。
そんな惑星開拓史など知ったことでは無いとばかりに、フランチェスカ・セナンクールは収容所の談話室で死にそうな顔をしていた。
「ああああああ。暇で死ぬ、今死ぬ、すぐ死ぬ、一分一秒の遅滞もなく死ぬ」
「姉御、そうあからさまに言われると俺達もへこみますぜ」
だだをこねるガキのようだと、実務一課長の将棋の相手を命じられていた巡航徴税艦グッド・ホープ渉外班長のハーヴィー・プロウライトは思っていた。
「だーってさあー、私だって一応課長なのよ? なのにあんたら冴えない囚人のゴロツキ共と保養所って言う名前の収容所惑星に流刑だなんて」
他の実務課長は囚人兵ではないので当然である。何せセナンクールは帝国領内での反帝国活動、海賊行為により終身刑が言い渡された身である。刑が執行されずにある程度自由行動が許され、特別徴税局で実務課長などしていられるのは、永田があれこれと裏から手を回したからである。
しかし、正月休暇といえども彼女を野放しには出来ない。艦に置いておけば何をしでかすか分からない。そういう訳で例年、他の囚人兵同様に、彼女も休暇を名目に収容所惑星ゲフェングニス129に放り込まれたのである。
「まあ、そらそうですがね。外は猛吹雪。頼みの温泉も芋洗いじゃあねえ……おっ、イチカチョウは戦術を知らぬようだ。教育してやれプロウライト」
横からセナンクールとプロウライトの対局を観戦していたラディズラーオ・アルカイーニ――彼は装甲徴税艦インディペンデンス渉外班長である――は、盤面を見てにやりと笑っていた。
「姉御、王手ですぜ」
「がーっ!」
プロウライトがドヤ顔で宣言すると、セナンクールは将棋盤を勢いよくひっくり返した。
「ああ、ひでえ事しやがる!」
「うっさい!なんでショーギって一ターンに一コマしか動かせないのよ。全部隊で押し上げれば一気に揉み潰せるのに」
「そういうゲームじゃないんですが」
「はあ……暇。どっかでわくせーかんせんそーでもおっぱじめないかなー! あーあー! へーわとかクソ食らえ! もーいっそ叛乱軍にでもなっちゃおーかなー!!」
「いやあんた叛乱軍だったじゃないですか。海賊ですけど」
「おう姉ちゃん。さっきからガタガタうるせえなあ?」
ジタバタとしていたセナンクールの背後に、クマのような男が立っていた。セナンクールは何も反応しなかった。
彼の名はレオ・ビルケンシュトック。辺境惑星連合の一構成体である反帝国独立戦線の捕虜である。
「デケぇ乳ぶら下げやがって。今ここでF〇ckしてやろうか?」
男が言うやいなや、セナンクールの周りに居た数人の渉外班員の目の色が変わった。上官への侮辱はきっちり対応するのが彼らの流儀である。
「テメエ誰に向かって口きいてんだゴルァァ!!」
「ンだとコラァ! 帝国の囚人風情が俺達に勝てるとでも思ってんのか、ええ!」
「ああああん!? ヨタッイテッブチカマッゾッッラァ!」
ビルケンシュトックの周囲に次々と辺境惑星連合の捕虜達が集まってくる。双方から罵声の飛ばし合いが始まるが、徐々に人の言葉ではなく、獣の雄叫びのような声だけが囚人の談話室に木霊する。
「姉御、ここは俺らに任せてください!」
「待ちな!」
殺る気十二分の班長二人も立ち上がるが、セナンクールはそれを手で制した。無論、この場を収めるためではない。決め台詞を自分が言うためだ。
「売られた喧嘩は買わなきゃならねえ! それがアタシら特別徴税局ってもんよ!」
「なっ、特別徴税局!?」
辺境惑星連合の戦闘員にまで特徴局の悪名は轟いていた。ビルケンシュトックが狼狽えるのを見て、セナンクールは笑みを浮かべた。
「野郎共! 今更刑の積み増しなんざ気にしてないだろうねえ! いっちょ派手にぶちかましておやり!」
「おうさ! チャカもヤッパも要らねえ! ステゴロで十分だ!」
「掛かってこいやチンピラ共ぉ! 特徴局の怖さ、脳みその一ニューロンまで染み渡らせてやらあ!」
どっちがチンピラなのか分かったものではない。結論から言うと一片の救いもなくどちらもチンピラである。
「よぉぉぉしノッてきたアガってきた! 来た来たこうでなくっちゃ! 実務一課長より達っすーる! 総員執行ぉぉぉぉ開始ぃぃぃぃっ!」
久々の肉弾戦。とりあえず何か争いごとがおきれば自分は満足と言ったセナンクールが、意気揚々と進軍を指示した。
一二月三一日、日付も変わろうかという頃に収容所惑星ゲフェングニス129で発生した暴動は、収容所職員を含む関係者一二八三名、重軽傷者八三二名を出す大惨事となった。これ以降特別徴税局囚人兵の受け入れを、収容所惑星を管轄する内務省は本気で嫌がったのだが、永田がなんだかんだと丸め込み、とりあえず各所に分散して収容することと、捕虜とは別区画で預かるという形で落ち着いたのだという。
なお、事件に関わった人間は平等に懲役刑二年が積み増しされたのだが、もとより終身刑である首謀者のセナンクールにとっては誤差以外の何物でも無かった。
州都 東京
品川新市街
「おう! 斉藤、こっちだこっち!」
「久しぶりだなぁ斉藤!」
「榊原、正田!」
怠惰な一月一日を過ごした斉藤は、二日になってようやく人としての形を取り戻し、州都東京は品川新市街に繰り出していた。
「久しぶりだなぁ。お前だけ宇宙に飛んで行ってしまったからな」
「しかしまあ、元気そう……ではないな。どうしたそのやつれようは」
「いや、まあ……ね」
「官報を見たとき驚いたぞ。先に言ってくれていればなあ」
無論、斉藤としては友人達に配属先を伝える必要性を感じなかったわけではない。ただ、日々の業務に忙殺され、最近は心身の不調がそれを助長していた。
「今日は存分に飲も――」
榊原がそう言いかけたときである。斉藤の背後を数人の男が通過した。
「あれ? お前バッグはどうした」
榊原に言われて、斉藤は自分の左手に持っていたはずのトートバッグが消えていることに気がついた。
「へ? ちょっ! 待て! 泥棒!」
人混みの中、ひったくり犯を捕らえるのは簡単なことではない。そもそも斉藤はそれほど足が速いわけではない。
では、どうするか。
斉藤は特別徴税局局員であり、逃げる相手への対処は一つと決まっている。
「止まれ! 止まらなければ発砲する!」
言うやいなや空に向けて放たれたメッセレルE38の軽い銃声が、ビル街の中に響き渡る。年明けの賑やかな繁華街が一転、悲鳴と怒号が響き渡る戦場となった。
さらに逃げる――当然である――ひったくり犯に、斉藤は照準を定め、トリガーを引く。ちなみに斉藤は真面目に局員講習を受けており、アルヴィンらの指導により射撃成績はなかなかの向上を見せていた。とはいえ、走る目標に初弾命中とは行かなかった。足を狙って放たれた銃弾は、僅かに逸れてひったくり犯の足下を抉った。いや命中していたらさらに大変なことになるのだが。
「ひっ、ひいい……! か、返すから、返すから殺さないでくれ!」
まさかひったくり程度で発砲されるなど夢にも思わなかったのだろう。驚いて転倒したひったくり犯は、頭を抱えてうずくまっていた。
「だったら最初からやるな。ごめんで済めば警察は必要ない」
なに、この程度の悪党は可愛いものじゃないかと、斉藤は事もなげに差し出されたカバンを手に取ると、後ろに振り返った。
「お、おい斉藤……」
「お前、それ」
「え? ああ、これね……これは……あっ」
青ざめた顔で後ずさった榊原と正田を見た斉藤は、自分の右手に握られているものを見てハッとした。
そう、今は特別徴税局の強制執行中ではない。遠くから走ってきた警察官は、ひったくり犯でなく斉藤を取り囲んだ。
「貴様ぁ! 市中で発砲とはなんと言うことを! 銃を捨てて両手を頭の後ろに!」
「ちょっと待ってくれ、僕は」
「早くしろ!」
言われたとおりに銃にセーフティを掛けてから放り、斉藤は頭の後ろで手を組んだ。その間にも、警察官達は斉藤の服のポケットを乱暴にまさぐる。
「斉藤一樹……国税省特別徴税局……!?」
胸ポケットから出てきた野茨紋組国税省特別徴税局の身分証明書をスキャンした警察官達が、一斉に青ざめる。
「徴税局員は法律で常時拳銃の保持が認められています。私は自分の荷物が奪われ、犯人を制止するために発砲しました。それに帝国銃刀法では、心身及び所有資産の保護のための発砲は認められているはずですが?」
帝国銃刀法では、四五口径までの拳銃の所持は認められているが、余りに煩雑な所持資格審査のおかげで、ほとんどの人間がその必要性を感じていない、もしくは持つ気が無いという調査結果もあるほどで、警察官もそんなお題目を平然と唱える人間がいたのかと、唖然としていた。
おまけに相手はあの特別徴税局。変に関われば何が起きるか分からない。
「おい馬鹿何やってる! 特徴局員の方でしたか、失礼しました。銃をお納めください」
慌てた様子の巡査部長が、強ばった敬礼をしてきたので、斉藤も頭を下げた。
「どうも。お巡りさんもお仕事ご苦労様です」
「はっ、ひったくり犯については、現在追跡中ですので……おい、行くぞ」
「あ、ああ」
それきり、警官達は慌てた様子で走り去っていった。その様を見ていた斉藤の同期二人は、二人して顔を見合わせた。
「わ、悪い、俺仕事場から緊急で連絡来てたんだ、またの機会にな」
「お、おい! わ、悪いな斉藤、俺も緊急で呼び出しだ! またな!」
一人繁華街に取り残された斉藤は、手にした拳銃をホルスターに戻してから、空を仰いだ。自分が世間一般とは全くもって隔絶された環境にいて、なおかつそれに慣れすぎてしまったのだと言うことを自覚せざるを得なかった。
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