第10話-② 特徴局の冬休み
軌道エレベーター 低軌道リング
第四区画 帝国軍艦政本部工廠
装甲徴税艦 カール・マルクス
第二艦橋
「今年も一年、なんとか無事に終われてよかったなあ」
艦橋に持ち込まれたこたつを囲み日本酒やら焼酎やらワインを酌み交わしているのは本部戦隊、つまり特徴局本隊の各艦長達である。カール・マルクス艦長の
特徴局本部戦隊の各艦艇は、年末休暇を利用して全艦が機関部から武装、艦内の照明管一本に至るまでを調整・交換する大整備を行っていた。当然他の戦隊の艦艇も、帝都地球各地で分散して整備に入っている。
主立ったキャリア組や一般職が抜けた後、各艦艇を預かるのはその艦の運用スタッフ達である。特に本部戦隊カール・マルクスの乗組員にとっては、何を言い出すか分からない局長が不在の今、一年のうち最も平穏な時間が訪れていた。
「今年も強制執行が多い年でしたからね」
特徴局準旗艦、フリードリヒ・エンゲルス艦長の
「しかしまあ、なんだ、俺達も地上に降りてちったあ良い酒が飲めればいいんですが」
そうぼやくのは装甲徴税艦ジョン・M・ケインズ
「まあ、そうもいかないわよ。自分の艦が整備中に離れるのも気持ちが悪い」
装甲徴税艦フィッシャー・ブラック艦長の
「何せ整備の指揮をあのマッドサイエンティストが取ってるんだ。自分の艦に何が取り付けられるのかと思うと、ゾッとしませんね」
装甲徴税艦エマニュエル・ダーマンを預かる
「変形してロボットになるとか言われたらどうします? それかドリルをつけたぞ! とか言うかもしれない」
「馬鹿言わないでください。言霊ってのがあるんですから」
巡航徴税艦ジャネット・イエレン艦長、
「まっ、自爆装置でも無い限り、とりあえずは大丈夫じゃない?」
そんな暢気なことを言ったのは、巡航徴税艦ヴィルヘルム・ヴァイトリング艦長の
徴税二課 工作室
「それでは本年の業務も終わりましたので、私は休暇に入らせていただきますが……博士はどうするんです?」
徴税二課の本来の業務は特別徴税局の兵站部門を取り仕切ることであり、それらの手配が終わった今、徴税二課長補ラインベルガーは冬期休暇に入ろうとしていたが、図面と向き合いああでもないこうでもないこうすればさらに! などとブツブツ言っているハーゲンシュタイン博士に、一応年末の挨拶を済ませていた。
「ワシのことなど忘れてゆっくりしてくればいい。科学者に休息など不要。科学の真理を追い求めることこそ我が心の安らぎとなるのじゃ」
一切の嘘偽りのない言葉だが、それがさらに不気味。ラインベルガーの博士への印象はその一点に尽きる。
「はぁ……くれぐれも無許可でよくわからない装備を付け足すとかやめてくださいよ」
「……」
「なんで黙るんですか!?」
帝都ウィーン
レオポルトシュタット地区
レストラン・下田
一方その頃、帝都で忘年会としゃれ込んでいた特徴局幹部達は解散の時間を迎えていた。
「んじゃ皆、良いお年をー」
方々に分かれた幹部たちだが、一人、ミレーヌだけは永田の顔をじっと見つめていた。
「おや? もしかして二次会のお誘い?」
「変なことしたら張り倒しますよ」
「帝都で発砲は勘弁してね。庇いきれないから」
適当なパブでもないかと首を巡らせ、目当ての店を見つけた二人はとりあえずそこへ腰を落ち着けることにした。
「ギムレット公を推すという局長の案、私は反対です」
ビールのジョッキがお互いの目の前に揃うと同時に、ミレーヌは話を切り出した。
「おや、その心は」
ジョッキの半分ほどまでを喉に流し込んでから、永田はミレーヌに問い返した。ミレーヌが答えるまでには、やや時間がかかった。
「……個人的な感情論です」
彼女にしては珍しい、掴み所の無い抽象的な答えに、永田は頷いた。
「なるほどねえ。ま、君の出自を考えたらそうもなるかなあ……」
「では、"あの女"がどういう人間かはご存じの筈です。アレを帝国皇帝なんて、帝国の寿命を縮めることにもなりかねません」
確かに感情論だ、と永田は肩をすくめた。
「でも、今の皇統貴族には人材がいないじゃない」
「そうでしょうか?」
「そりゃあ、お勉強は出来るかもしれない人はごまんと居るよ。でも、帝国という巨大な官僚機構を動かすに足る人物で、かつ帝国の象徴としてのカリスマを兼ね備えた人って、必ずしもそういう人達が務まるモノかなあ」
永田の言うとおり、現在の帝国における皇帝は政治力だけでも自らの身体能力だけでも、まして軍事力だけ秀でていても務まらない。少なくとも即位時には程度の差はあれ、文武両道かつそれなりのカリスマ性を要求される。
今、それらを兼ね備えた人物が皇統貴族に少ないことは、ミレーヌも承知していた。
「それにほら、帝国政府内での僕らの立場って基本的に目の上の癌細胞だし」
「敵の敵は味方ということですか?」
「ギムレット公も皇統貴族社会では僕らと似たようなものでしょ?」
「それは否定しませんが」
「でしょ? だからこそ、僕らは僕らを守ってくれそうな人につこうかな、と」
「長いものには巻かれる、ですか。でも、巻かれた結果絞め殺されたらどうするんです」
「絞め殺すには惜しいと思ってもらえるようにするか、相手の心臓にすぐにでも噛みつけるようにしておくかのどっちかだね」
永田の言いように、いつもの事ながらミレーヌは顔をしかめ、本気で辟易していた。とある事件をきっかけとして、ミレーヌは特別徴税局総務部長の座に落ち着いた訳だが、その決断を後悔しないと言えば嘘になると考えていて、特に今のようなときは本気でタイムマシンでも特徴局のマッドサイエンティストに開発させて、翻意するように説得したい気分だった。
「まあ、ギムレット公の政治思想的に、僕らみたいなヨゴレは重要視してくれると思うんだよね。軍でも警察でもないのに軍事力を持ってる。うちはそこが弱点でもあり強みだ」
「……分かりました。そこまで仰るのなら、私が言うことはありません」
「あっそう。それじゃ、そんなところで……ああ、そうそう。例の人事案通ったから」
ミレーヌは再び顔をしかめた。すでに来年度の人事など決定していたのにねじ込んだ永田の思いつきは、どういうルートをたどったかは不明だが、国税省の上層部を納得させるものだったらしい。
「六角はまた渋い顔をしたでしょうね……まあ、そのあたりはロードと笹岡部長が納得されているなら、私が言うことではありませんので」
ロードと笹岡が絡む人事ということは、特別徴税局徴税部、徴税三課のことである。その内容が公表されるのは、もう少し後のことになる。
「じゃ、納得してもらえたところで二次会といこうか。すいませーん、ビールおかわり」
いつの間にかジョッキを空にしていた永田を見て、ミレーヌは溜息を堪えてから残りが僅かになったジョッキの中身を飲み干した。
極東管区 日本州
州都 東京市
斉藤家
帝都で不穏な話を永田とミレーヌがしていた頃、斉藤は実家のドアの前に立っていた。斉藤の実家は極東管区州都東京市の帝国大学へ進学してからと言うもの、多忙を理由に帰ることを延ばしに延ばしていただけに、ドアを開けるのには少し勇気が必要だった。
「ただいま」
ドアを開けると、懐かしい実家の香り。何の香り、どの匂いというわけではないが、食事の匂い、家具の香りなどが渾然一体となった鼻腔をくすぐる匂いは、斉藤のような男でも、懐かしさを感じずには居られないものだった。
「一樹! あんた帰ってくるなら来るって連絡くらいしたらどうなの!」
斉藤がリビングに入るなり、母の
「か、母さん……いや、メールしたじゃないか」
「電話くらいしなさい! たまにメールが来るくらいで、子供の安全が担保されてるなんて誰が信じるものですか」
「それは言い過ぎだよ……」
「あんたったら、大学の時もそんなで。おまけに配属先が特別徴税局だなんて聞いたら、誰だって心配するでしょ」
「まあ、それは」
「お父さんは書斎にいるから挨拶しときなさい」
母はそれで私からの話は終わりだ、とばかりにキッチンへと戻っていった。
リビングの隣にある扉は、昔と同じく重厚で、ドアノブに触れるのも憚られるような印象を斉藤に与えていた。
「父さん、一樹です」
扉をノックすると、数秒の間を置いて父の声が帰ってきた。
『……ん、入りなさい』
「……」
『どうした、入ってこないのか?』
促されて、斉藤はドアノブに手を掛けた。しばらく見ていない書斎の風景は、大学進学前に入った頃と変わっていなかった。
「見ない間に痩せたか?」
斉藤の父、
「まあ、ね」
「どうだ、特別徴税局は」
「まあ、それなりに」
堅苦しいという文字が呼吸しているというのが、斉藤が父親に対して感じる第一印象で、時を経てもそれが変わることはなかった。特段厳しいとかスパルタな父ではなかったが、それでも斉藤は父親に対してどこか近寄りがたい雰囲気を幼少の頃から感じていた。
「そうか。あんなところに行くと聞いていたから、どうなることから思ったが……」
特別徴税局の悪名は、一般市民はもちろん官僚なら誰でも詳細に心得ている。斉藤の父も、息子がまさか特別徴税局に配属されるなどは夢にも思わなかったことだろう。斉藤自身は知らないが、父親はその知らせを妻から聞いたとき、手にしていた味噌汁碗を取り落としたという。
「僕は直接現場に出るわけじゃないからね」
当然嘘だが、このくらいは言っておかないと心配を掛けてしまう、と斉藤は考えたのだが、それこそ取り越し苦労であった。小なりとはいえ極東教育局で課長まで勤め上げている男であれば、官僚組織の職掌くらい、別組織のものでもある程度見通せる。そして特別徴税局の仕事内容も、その悪名と共に諳んじることが出来る。
しかしこの父親は、息子の心遣いを無為にするのは避けた。思った以上のやつれ具合の息子の顔を見て、仕事の話は避けた方が良かろうと判断したためだ。
「そうか……ゆっくりしていくのか」
「あさってには戻らなきゃいけない」
「そうか……」
『あなたー、一樹。晩ご飯できたわよー』
母親のリビングからの声に、二人の言葉少ない対面は終わりを告げた。
中欧管区
ゲルマニア州 フランクフルト市
ヴィンクラー・ホール
『皆ー! 良いお年をー! ほななー!』
「良いお年をー! ほななー!」
「ええライブやったなあ瀧山はん」
徴税四課長、
一方は強面とヤクザのような物言い。もう一方は奇妙奇っ怪な帝国方言とターバンの影に隠れてあまり知られていないが、この二人、実は同じアイドルグループの熱烈なファンである。瀧山もターバンも鉢巻きに法被にペンライトという古式ゆかしい伝統的アイドルファンスタイルでこのライブに臨んでいた。
「あれ? アル中の同志書記長はどこに行ってん?」
「外のドリンクスタンドだろ。あのスキンヘッド、酒が飲めねえのによくライブに来る気になったな」
「ええことやん。はあー! それにしてもマリカちゃん今度もめっちゃ良かったでぇ」
「せやな。先月出した新曲の【蜂蜜を閉じ込めたシンドローム】とかめっちゃええやんけ」
「せやろ? でも【ミカエルちゃんの狂想曲に腰掛ける教授】もよかったで。ワイ涙腺大決壊やわ」
「せやろ?」
なお、レギオン・シスターズに帝国中部沿海方言を話すメンバーがいるせいで、ライブ直後の瀧山とターバンはどちらも同じ訛り方である。
「おお、同志瀧山、同志ターバン、こっちだこっち」
実務二課長ゲオルギー・イワノヴィチ・カミンスキーは会場外のドリンクスタンドのそばに居た。タダでさえ図体のデカい彼が、片手にはビールを入れたコップ、もう一方にはペンライトである。目立たないわけがない。
「早速飲んでんのかい。あんたも好きだな」
「ははは、ライブの後の一杯がまたたまらんのだ」
ライブ物販で購入したTシャツをパツンパツンに張り詰めさせて、ドリンクスタンドで珍しくビールを購入していた。ライブが終わって一〇分だが、すでに三杯目である。
「ビールなんてアンタに取っちゃ水だろ、水」
「ふふ、まあな。ところで同志瀧山、入場前に渡し忘れていたが、限定物販のホログラフィースタンドだ」
「おお! 恩に着るぜぇ二課長さんよ」
「しかし何だ。私がこんなライブに来るようになるとは思っていなかった」
「せやなあ。面白半分で連れてきて、まさかこんなにハマってくれるとは思わんかったわあ。布教した甲斐もあったってもんやで、なあ瀧山はん」
「せやせや」
瀧山の知能指数が若干下がっているようにカミンスキーには見えたが、ライブ後はいつもこうなので気にしていない。とうのカミンスキーでさえ、ライブの興奮と疲れからか、ビールごときのアルコールが身体に酔いをもたらしているような気がした。
「さーて。じゃあ感想会もかねてメシだな」
「いつもの店押さえといたで。酒もぎょーさん用意してくれはってん」
「おお、でかしたぞターバン。それでこそ俺の舎弟だ」
「うむ。では行くとするか」
ライブ後の心地よい疲労感の中、三人は夜の町へと繰り出していった。
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