第8話-⑤ ドラゴンの尻尾

 帝都宇宙港

 装甲徴税艦カール・マルクス

 局長執務室


「ええええええええ? 今すぐ投資機構の案件を取りやめろ? 国税省から? ほんとに? なんで?」

「先ほど国税大臣から出された。帝都で派手に動きすぎたかな」


 心底残念そうな顔をしている永田に、笹岡が合成紙に印字された指示書を手渡した。


「まったく、どこから嗅ぎつけたんだか。大人しく尻で椅子を磨いてればいいのにね」


 合成紙を一瞥して破いて丸めてゴミ箱に放り込んだ永田は、不服そうな顔でタバコに火をつけた。


「どうする? 見なかったことにするかい?」

「どうもこうもないよ。すぐに徴税三課に撤退命令を出して。あーあ、色々面白くなりそうだったのになあ」


 永田にとって見れば、今回は特別徴税局の強制執行案件ではないし、暇つぶし程度にしか捕らえていない案件だった。しかし徴税三課がローテンブルク探偵事務所を使い、投資機構の脱税、粉飾が疑われ始めた時点でこの先の展開を数パターン想定し、一人で盛り上がっていた。


 しかしながら、その想定パターンの中でも一番つまらないルートに入ってしまって残念至極といった様子で溜め息をついた。同じように、笹岡も溜め息をついたが、こちらは永田の発言に呆れただけである。 



 帝国政策投資機構 四三階

 第四予備室(徴税三課臨時オフィス)

 

「調査中止、今後の捜査もしない……どういうことですか!? あともう少しで調査は完了するじゃないですか! 課長! ここまでネタは挙がっているんです!」


 斉藤にしてみれば、この調査終了命令は不服以外の何物でも無かった。多額の脱税が疑われる証拠を揃えておきながら、検挙に至らないのだから当然である。


「斉藤、抑えろって」


 放っておけばケージントン課長に噛みつくのではないかという斉藤の剣幕に、思わずアルヴィンが斉藤の肩を押さえた。


「これは六角の指示であると同時に、もっと高いところの意向でもある」


 葉巻を手で弄びながら口を開いたケージントンの声は、いつもより一段低かった。


「高いところ……?」

「我々の仕事は、野茨御紋の力があってこそ。しかし、それは我々の動きを縛ることも出来るということだ」


 斉藤もいくら今年入局したばかりとはいえ、その程度のことは理解していた。しかし、それは公正さを欠く行為ではないかと憤慨し、これが課長への態度として表れていた。


「誰がそんなことを……!」

「今はともかく、撤収を急ぐぞ。我らが局長は六角の小言くらい意に介さんだろうが、組織として逆らうのは現状では分が悪い」


 葉巻を吸いに行くと言い残して、ケージントンはそのまま退室した。


「そんな……!」

「斉藤、行くぞ」


 絶句した斉藤を尻目に、ハンナとアルヴィンはすでに臨時オフィスの撤収準備を終えていた。


「アルヴィンさん、こんなのってないですよ……」

「どうした斉藤。お前らしくもない」

「不正があるのなら正すのが当然のことです」

「ガタガタ言うな。俺やハンナと違って、お前は省キャリだろ」


 特別徴税局にいる人間は、キャリアによって大きく四つに区分できる。高等文官試験合格者で国税省に採用された本省キャリア。一般文官試験合格者で特別徴税局に直接採用された局キャリア。文官試験を受けず、事務職や技術職として採用されたノンキャリア。そして特徴局の大部分を占める犯罪者、刑期未了の囚人、軍法違反者などの囚人採用。斉藤は本省キャリアであり、本来であれば今後の出世が確約されたエリート中のエリートである。


「黙って従えということですか……」

「まあ、デカいところへの調査にはつきものだ。慣れておくこったな」


アルヴィンが事もなげに言うが、それでも斉藤の憤怒は収まらなかった。


「……許せない。こんなことが許されていい訳がない」

「お前、女になんか言われて血が上ってんだろ」

「そんなことはありません!」


 自分の憤怒を女がらみの低レベルな苛立ちと同レベルに扱われ、斉藤は思わずアルヴィンにつかみかかった。アルヴィンは眉一つ動かさず、斉藤の肩に手を置いた。


「だったら受け入れろ。お前らしくねえなぁ斉藤」

「……」

「特徴局ったって、正義の味方ってわけじゃねえってことよ。清濁併せ呑むだっけ? お前の地元にそんな言葉があっただろ」

「……すみません」

「いいってことよ。まだまだ若いねえ斉藤」


 ヘラヘラとしつつも、アルヴィンのほうが大人なのだと斉藤は気付いた。自分の憤怒は、役人としては青臭い正義感でしかないことに気がついて、興醒めした斉藤は自分の荷物をまとめ、アルヴィン達の後に続いた。



 装甲徴税艦カール・マルクス

 局長執務室


「六角のお歴々はどうだった?」


 タバコを燻らせながらソファに掛けていた笹岡徴税部長が、部屋の主の帰還に気がついた。


「いやあ、大臣顔真っ赤だし官房長も政務官も事務次官も頭てっかてかだし、よっぽど肝が冷えたんだろうね。随分な言われようだったよ、まったく」


 省令だけでは飽き足らず、帝都に居ることをいいことに国税省本省に呼び出された永田は、大臣、官房長、政務官、事務次官の四名から叱責という名の八つ当たりを受けていた。それも仕事のうちと考えて、脳内では今週末にロンバイ自治共和国で行われるソーラーヨットレースの着順予想をしていた。


「あーあ、うっかりドラゴンの尻尾を踏んじゃったみたいだ。こりゃあしばらく大人しくしておかないとまずいかな」

「ドラゴン、か……そうだね。今はまだ連中を相手に戦うのは得策じゃないさ」

「そうだね、今は」


 意味ありげに笑って見せた永田に、笹岡は苦笑した。


『局長、ケージントンです』

「はいどーぞ」

「局長、笹岡部長。私をお呼びと言うことは、例の件ですか」

「うん。ロードにはいろいろ骨を折ってもらっててすいませんねぇ」

「永田の人使いは荒いからな」

「いつものことです」


 ケージントンは永田と笹岡の言葉ににこりともせず、机の天板に指を走らせた。天然木の天板の一部が回転し、タッチパネルが現れる。


「頼まれていた内国公安局の最新版監視者リストです。当然我々の名前も入っていましたよ」


 デスクの上の投影ディスプレイに出されたデータは、ケージントンが古巣の内務省内国公安局にいる部下から入手したものだった。政治犯候補、地球本国にも潜伏する辺境惑星連合シンパなどが名を連ねる中、永田や笹岡、ケージントン、そのほか特別徴税局の幹部の名前も存在していた。


「おお、そりゃあ恐ろしいねえ。大宇宙のど真ん中でも監視員がついてるのかねぇ」


 わざとらしく首を巡らせた永田を放っておいて、ケージントンは説明を続けた。


「今のところ監視は帝都と、主要惑星に居るときだけですが、監視レベルはパラディアム・バンク関係の連中と同じです」


 パラディアム・バンクとは認可外非合法な銀行組織の総称で、テロ組織などへの資金提供に用いられたり、非合法取り引きや脱税にも利用されていると言われている。特別徴税局ではそれらの摘発も行なうことがあるが、その幹部が非合法組織の関係者と同じ扱いとは皮肉なものである。


「本国や主要都市でうろつくときには背中に気をつけた方がいいでしょう」


 内務省内国公安局は、必要となれば監視対象者の暗殺も請け負うが当然内務省としてはではそのような事実はないとして、事故死として発表される。


「ロードから見て、誰がこの指示出してると思います?」

「さすがにその点は内公の連中も口を噤みました。あまり憶測だけで推定するのもよろしくないかとは思いますが――」


 さすがのロード・ケージントンも、その名前を出すのは若干憚られたのか、無言でキーを叩き、フレデリク・フォン・マルティフローラ・ノルトハウゼン。当代マルティフローラ大公であるノルトハウゼン家の当主で、次期皇帝の最有力候補の一人である。現役の皇統貴族が内務省内国公安局に命じて暗殺候補者をピックアップさせるのは珍しいことではないが、決して褒められたものではない。まして現役官僚を選ぶとなると、皇統貴族が皇帝陛下の政府機関の人間を殺すと言うことである。


「はあ、やっぱり」


 予想は付いていたとばかりに、永田は溜め息をつきながら新しいタバコに火をつけた。


「大分睨まれてますな。近頃故郷の私の屋敷の周りも、公安がうろついているそうです。身の振り方に気をつけろ、ということでしょう」


 そもそもケージントン帝国伯爵家は、マルティフローラ大公の直参であった歴史が長いのだが、先代当主の頃から疎遠になり現在に至る。


「あははは、地球に家族を置いてる幹部は西条さんくらいかな? いやあ、うちの幹部は独身が多くてこういうとき楽だねえ」


 かくいう永田も、本省時代に幾度かあった縁談も断り続けた挙げ句、特別徴税局に島流しになってからはそういった話の一つも来なくなり、独身である。


「徴税五課に依頼を出しては?」

「それはいざという時の保険だね。僕の知り合いが内務省に居るから、そこから手を回してもらうよ」


 その名前を出した瞬間、永田は一瞬動きを止め、何事かを考えていた。徴税五課は特別徴税局内でも永田のみ実態を把握している特務部隊で、課長以下のメンバーも永田しか素顔を知らない。


「で、問題はこの動きへの対処だ。まさか白昼堂々、公安を叩きのめすわけにはいかないだろう?」


 笹岡の言葉はもっともだったが、永田としても特別徴税局が内務省内国公安局に生殺与奪の権利を奪われたまま引き下がれるわけがない。


「ロードはどう思う? いっそ内務省の実働部隊をマフィアとかテロ屋に金渡して襲わせる?」

「今は動かぬ方が賢明でしょう。ただでさえ我々への警戒を強めているでしょうし、六角のお偉方も我々への心証が底値を更新していますから」


 永田のとんでもない対案はさておき、ケージントンはより現実的な対策を提示した。いや、対策ではなく知らんぷりを決め込むというものだが、少なくとも内国公安局を刺激しないという点では最善であった。 


「じゃあまあ、精々尾行されてないフリをするとしよう。ご苦労様……ああ、内務省への出入りは気をつけてね。僕は君の元部下達は信頼してないから」

「内務省は魑魅魍魎が跳梁跋扈する伏魔殿ですから。元部下とはいえ、私も覚悟はしています。局長も、私をあまりご信用なさらないことですな」


 ロードにしては珍しいジョークだと永田は受け取ったが、笹岡には本気で自分を信用するなと言っているように見えた。


「怖いことをいうなあ、ロードは。気を悪くしないでね」

「分かっております。それも込みで私の経歴を買ってくれた局長には感謝していますよ。それでは、また何かあればお呼びください」


 ケージントンが退室した後、永田は机に放りっぱなしのタバコを手に取り、火をつけた。


「ありゃヤク切れの時間かな」


 へらへらと笑っている永田だが、彼にしても伏魔殿という点では内務省に引けを取らない国税省を渡り歩いた猛者である。その挙げ句が、特別徴税局局長への流刑なのだが。彼が前任の局長と異なったのは、それを左遷と思わず、むしろ楽しんでいる点にある。


「いいのかい。内務省もうちが連中を嗅ぎ回ってる事くらいは勘付いてるだろうに」

「それ自体が牽制になるよ。うちに手を出すなら、政治家と内務省官僚の首がグロスで吹き飛ぶからね」

「帝都ごと吹き飛ばせるのに随分と控えめだね」


 特別徴税局は脱税者に対して強制執行が出来るが、中には脱税していることが分かっていても手を出さない場合がある。政治家や一部高級官僚に対してはこれが交渉カードになることは誰の目にも明らかで、だからこそ特別徴税局などという、一省庁には過大すぎる武装艦隊の維持が出来ているし、犯罪者の登用や恩赦の請求が通る。相手は不正が明るみに出ればこれまでのキャリアが吹き飛び、人生の終焉を迎えるのを恐れている。それを笹岡は帝都ごと吹き飛ばせるという表現にしたのだ。もちろん、特別徴税局の全艦艇が何も考えずに砲爆撃をすれば、物理的に帝都を消し去ることも可能ではある。


「それにしても、西条さんが最近疲れてると思ってたけど、また何か調べさせてるのかい」

「あはは、まあね。そうそう、斉藤君のレポートは読んだ?」


 永田は徴税三課の共有フォルダから、斉藤が作成したレポートを取り出した。帝国政策投資機構の不正額は特別徴税局で扱う案件でもトップクラスのもので、六角からの中止命令さえ出ていなければ、帝国の揺るがす一大スキャンダルとして向こう半年はワイドショーがネタに困らない特ダネである。


「ああ、お蔵入りになったやつかい? 軽く目は通したけれど、いいネタが詰まってるよ」

「先輩の教え方がいいのかなあ。それにエリーちゃんの事務所は小さいけどいい仕事をしてくれるよ。斉藤君も自分でよく理解して書いてくれてるから、読みやすいったらない」


 永田は、ふと自分の執務机に首を巡らせた。山積みの紙資料に決裁待ちの申請書。自分はこういうのに向いていない――面倒だから放置しているだけである――のだから、適任者を横に置けばいいのでは? と永田はひらめいたのである。


「いいなあ、僕のそばに置いといたら、僕の仕事一〇分の一くらいになったりしないかなあ」

「ゼロは割ってもゼロだよ」

「きついこと言うねえ、笹岡君は。僕だって仕事をしてないわけじゃないんだよ?」

「分かってるよ」


 笹岡は残り少なくなったタバコを灰皿で揉み消すと、執務室を後にした。一人残された永田は、溜め息と共に自分の仕事をすることにした。

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