第8話-④ ドラゴンの尻尾
帝都中央宇宙港
装甲徴税艦カール・マルクス
局長執務室
「えー? 増援? 渉外班の?」
「はい。徴税三課長名で申請されましたが……」
帝都は他の自治共和国や領邦国家のセンターポリスと訳が違う、と言いたげな秋山の目線を受け止めつつも、差し出された実務部長が捺印した申請書を一瞥した永田は、あっさりと局長印を押した。
「いいんですか?」
「いいよ。出しちゃって」
「帝都上空を強襲徴税艦が飛ぶのはさすがに」
「あとで僕が申請出しとくから」
なお、実際の申請が為されたのは一時間も経ってから、帝都交通管制局から国税省経由で総務部に苦情が入って、ミレーヌが永田を冷たく睨み付けてからのことになる。
帝国政策投資機構 四三階
第三予備室
「税務署の監査、いつも長いのは当然だけど、今回は凄いのね。一日中だもの」
税務署に加えて特別徴税局が来るとなれば、それなりに対応が増えるのだろう。斉藤の真正面に座ったクリスティーヌは、辟易とした様子で髪をかき上げた。
「中央税務署が出るくらいだからね。大口案件ではよくあることらしいけど。しかし驚いたよ。僕と君が、こんなところで話すことになるなんてね」
「そうね……立場が違うと、見えるものが違うもの」
「クリス、君は僕が見えてないものがあるというのかい?」
「そうじゃない。私が言いたいのは、国税省のやり方が強引じゃないかってこと。叩けば埃が出るとばかりに乗り込んでくるのはどうなのってこと」
「違う!」
クリスティーヌの言葉を聞いた斉藤が机に拳を打ち付け立ち上がる。斉藤らしからぬ動きに、二年の付き合いがあるクリスティーヌもさすがに驚いて身をすくめた。
「君こそ実態を理解していない! 公正な納税は公正な国家の礎だ! 一部の大企業や資本家の脱税、横領の類いを放置した国家は内部から腐って崩壊する……ごめん、大きな声を出して」
「……あなたの恩師のジェルジンスキー先生そっくりね。あの先生もそう言っていたわ」
斉藤やクリスは同じ帝国大学経済学部に在籍し、そこで教壇に立っていたアントン・チモフェーエヴィチ・ジェルジンスキー教授を師と仰いできた。帝国大学経済学部内でも変わり者と言われていたが、ジェルジンスキー教室と言われる勉強会のメンバーは、これまで幾人もの帝国高級官僚や大企業のエースを生み出してきた。深い皺の刻まれた教授の顔を思い出しながら、斉藤は椅子に腰を下ろした。
「そうさ。僕はあの先生の言葉を今でも信じてる。だからこそ国税省に……結果として、特別徴税局配属にはなったけど」
「……話したいことはそれだけかしら」
「……引き留めて悪かったね。仕事に戻っても大丈夫だよ」
ここ数ヶ月の激務は斉藤から生活感を奪い去っていた。恋人との数ヶ月ぶりの対面だというのに、極めて事務的な態度で斉藤は取り調べの終了を告げた。
「そう……では、失礼します」
かつて、大学時代はこんな斉藤ではなかったとクリスティーヌは興醒めしていた。無論、彼女とて特別徴税局が過酷な場所と知らないわけではないのだが、しかし恋仲にある男女の再会がこのようなものであっていいのだろうか。彼女は自問しながら、果たして自分から歩み寄るべきだったのか、パートナーの素っ気なさを批判すべきなのか迷い、結局事務的な言葉を紡いだだけだった。
「……なんなんだよ!」
誰も居なくなった部屋で、斉藤は一人叫んでいた。自分の中にある処理しきれないストレスが、恋人に対する態度の硬化という最悪の形で現出していたのが彼には理解できていない。何故あのような言葉しか彼女に掛けられなかったのか。何故もっと世間話でも何でも出来たはずなのに、自分の思想を表明しただけで終わってしまったのか。何故と繰り返しても、今の彼にはそれだけの余力が無い。行き場のないストレスだけが、拳を机に打ち付けるエネルギーとして僅かばかり消費されただけだった。
帝国政策投資機構 四三階
第四予備室(徴税三課臨時オフィス)
「あー……斉藤君、女心が分かってないなあ」
斉藤の精神の荒廃ぶりが分かっていないのはハンナとて同じだった。ここしばらくは顔色が悪いとはいえ、見慣れてしまうと異常に気付かないのである。まして斉藤の内面のことなど、たかだか半年程度しか斉藤と交流のないハンナに分かるはずもなかった。盗聴器の不活性化コマンドを送ったハンナは、再び席を外したアルヴィンを呼び出した。
「カチコミ部隊、アルヴィン、聞こえる?」
『アイアイコチラ成都亭アルヨ、今ならマーボードーフがオススメアル!』
コール三回で音声通信がつながると同時に、アルヴィンのわざとらしい甲高い声がハンナの聴覚に飛び込んできた。
「誰が出前頼むつった! いいから現状報告なさい!」
『ユーリンチー! バンバンジー! チンジャオロースー! タイワンラーミェン!』
「アルヴィン!」
仕返しとばかりにインカムに怒鳴りつけたハンナに恐れをなしたのか、さすがのアルヴィンも次は普通の声色だった。
『あー、今例の部屋に居るんだが、担当者をメリッサが締め上げてる』
通信機からは、アルヴィンの報告と共に若い女の声で『虚偽申告なんてしてみろ、家族もろとも奴隷市場に出してやる』だの『耳の穴から脳みそかっぽじって奥歯ガタガタ言わせたろうか』などと剣呑な言葉が聞こえてくる。メリッサ・マクリントック渉外班長の声だろうが、果たしてこれが政府機関の人間の取り調べの言葉なのだろうかとちょっとした不安を感じたハンナだが、よく考えればいつものことであり、すぐさま次の一手について考え始めた。
「口を割らないってこと?」
『この部屋の端末も調べてはいるが、多分経理部や審査部と大差ない。ここだけにあるデータってのも可能性は薄そうだな」
「あの、これは可能性の話なんですが」
『おう、どうした斉藤』
しばらく隣の部屋で呆然としていた斉藤だったが、ハンナとアルヴィンが漫才を始めた辺りですでに臨時オフィスに戻っていた。ハンナとアルヴィンの会話を聞きながら、斉藤はある可能性に思い至っていた。
「実は記録自体が全て手書きで、データを出力する場合は、手打ちでシステムに入れているとかありませんか?」
斉藤の言葉に、ハンナは口をぽかんと開けたまま硬直し、アルヴィンはおぞましい発想を聞いたとばかりにうめき声を発した。
『そんな原始人みたいなことやってほしくはないんだが』
帝国官公庁の文書主義は、電子データ、合成紙製の紙を組み合わせたそれは、実態としては西暦二〇〇〇年代の頃と大差は無い。しかしながら手書きなのは当人のサインくらいで、数字や文章そのものを手書き、手打ちすることはほぼあり得ないことだった、
「とにかく、こっちは斉藤君と探りを入れてみる」
『りょーかい。他の連中に紙媒体も調べさせる。どっかに隠しやがったかな』
「こちらの調査態勢を全て開示して、追い詰めてみるのはどうですか?」
「うーん、どうかしら。手の内明かすと根回しされそうで嫌なのよ」
斉藤の発案にハンナは難色を示した。相手がそこらに転がっている企業ならともかく、政治力という点で政策投資機構はかなりの力を有している。下手な行動は調査妨害につながることを危惧したのだが、この危惧はいわば虫の知らせだった。
「それもそうですが……あっ、追加の調査結果が来たみたいです」
斉藤は自分の端末で開いたローテンブルク探偵事務所の第二陣の調査資料を、ハンナのラップトップにも転送する。投影ディスプレイに表示されるデータの量はかなりのもので、とても一日で調べられる量ではなかったが、ローテンブルク探偵事務所では興味本位で依頼の無い情報まで集めていたため、こういった至急案件の際に特急便で資料を提出することが可能となっている。そのために所長の助手であるハンス・リーデルビッヒには多大な負担が掛かっていたのだが、それは斉藤達に知る由もない。
「これ、工事費用の計算書……こっちは契約書です。どうやって手に入れたんでしょう……」
ローテンブルク探偵事務所からの資料は、実際に契約の際に提出されたのであろう様々な書面データだった。これが本物である証拠はないが、それは契約企業などへの聴取を行えば明らかになることだった。
「ちょっと待って。額が全然違うじゃない。こっちのデータだとこの半分よ?」
「これは……!」
斉藤とハンナは目を合わせた。これで連中の不正を暴き出せると勢いづいた。
「カール・マルクスにデータ送って解析頼みなさい。過去の類似案件と照らし合わせれば、どんだけちょろまかしてるかの概算も出せる」
「はい!」
「尻尾をつかんだかな……?」
帝都 メリディアン通り
国税省 大臣執務室
『尻尾を踏みつけられて、こちらも驚いているのだよ』
帝国国税省は帝都ウィーンを東西に貫くメリディアン通りに面した古風な庁舎に居を構えており、同省の異名である六角は、国税省ビルの特徴的な屋根の形状から名付けられている。その一室、大臣執務室は異様な緊張に支配されていた。
『中央税務署と特徴局、もっとうまく御することはできないものかね』
国税大臣オットー・シュタインマルクのデスクには、三次元ディスプレイの映像スクリーンが立ち上がっていたが、その画面はSOUND ONLYと表示されたまま動かない。しかし、シュタインマルクにはまるで、自分を睨み付ける双眸がそこにあるような気分だった。
「分かっております……」
拭ったはずの汗が額からぽたりと執務机の天板に落ちる。手にしたハンカチは、汗でぐっしょりと濡れていた。彼は緊張すると発汗が激しくなる体質だった。
『分かっていないから言っているのだ。あまり今の時期に事を荒立ててくれるな』
「……こちらで何か不手際が」
『惚けているのか、現状把握が出来ていないかのどちらだね?』
「大臣、先ほど特別徴税局渉外班が、帝国政策投資機構に突入したと報告が……どうも地下で暴れ回っているとか」
国税省官房長の李博文(りはくぶん)が、遠慮がちに大臣にメモを手渡した。あまりの内容に震える筆跡で書き記された時刻は、今から三〇分も前のことだ。
「何故それを言わん!」
『事務連絡は後にしたまえ……次の代替わりも近い、といえば君でも理解できるかね? 最近はギムレット公の動きも五月蠅いからな。余計な手間を増やしたくないのだ』
声の主の声のボリュームが落とされた。ここまで言われて状況が理解できないほど、シュタインマルクは愚かではなかった。
「わ、わかりました。直ちに手配いたします」
『あまり私の手を煩わせることのないように……そういえば、次の選挙、君も改選議員だったな』
「はっ……殿下の応援を期待するところ大でありまして……」
『君が今後も、うまく国税省を動かしてくれると思っているうちは、応援させてもらうよ』
それと、とシュタインマルクの正面のモニターの通信相手は続けた。
『今、私を殿下と呼ぶな。それがルールだろう? では、よしなに』
通信が切れると同時に、シュタインマルクは深い溜め息をついた。とりあえずは今自分の首の皮がつながったことに安堵していた。
「大臣、どうなさいますか?」
国税省政務官デレク・ハスケルが、不安げな顔でシュタインマルクにお伺いを立てる。
「仕方があるまい。直ちに中央税務署と特別徴税局を下がらせろ。また、今後の追求についても禁ずるとな」
「本当に下がらせますか? 後から何か難癖をつけてくるとか。永田はそういう男です」
国税省事務次官の羽田健三(はねだけんぞう)は、特別徴税局局長の顔を頭に思い浮かべながら、苦虫顔で注意を促した。
「同じだ。下がらせろ」
「永田が言うことを聞きますか?」
「アレも帝国官僚の端くれ。逆らえばどうなるかくらいは、痛いくらい身にしみているだろう」
ハスケルが不安げに聞いてきたのを、シュタインマルクは強い語調で制した。
「わかりました。直ちに」
大臣執務室で下された決定は、瞬時に中央税務署と帝都宇宙港に停泊中の装甲徴税艦カール・マルクスへと伝えられた。
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