第8話ー③ ドラゴンの尻尾

 ホテル・ベルヴェデーレ

 五階 五〇二号室


 一八世紀に造られたベルヴェデーレ宮殿から歩いて三分。中級クラスのホテルであるホテル・ベルヴェデーレ。帝都にカール・マルクスがいるなら外に宿を取る必要は本来無いのだが、アングブワ統括官の計らいにより、すでに徴税三課の人数分のシングルルームが手配されていた。


 セミダブルサイズのベッドに、簡単な調理が出来るミニキッチン、広めのバスルーム。行き届いた清掃と長期滞在にも便利な収納の多い客室だが、斉藤はホテルのレストランで食事を取った後、部屋のトイレで嘔吐していた。

 

「うう……」


 ここ数週間ほど、大した高G機動も、凄惨な執行現場も見ていないのに、斉藤の胃は意図しない胃液の逆流を繰り返していた。夕飯として胃に入れたパスタは、トイレの排水音と共に消え去った。これはホテルの食事の衛生問題ではなく、斉藤の身体面の問題である。


「薬飲まないと……」


 さらに斉藤を悩ませていたのは、睡眠障害である。カール・マルクスの医務室長ヤコブレフによると、ストレスによる神経性のものだということで、真っ当な精神安定剤を処方されていた。見た目と言動は明らかに狂人のそれだが、診断結果と治療と薬の処方は比較的真っ当というのが、カール・マルクス医務室長の人となりである。


 時刻はまだ夜の二〇時を回ったばかりだというのに斉藤は早々に寝る決心をつけた。どうせ起きていてもやることなどないし、テレビなど見ても時間の無駄である。健康な成人男性であればペイチャンネルの一覧でも見るところかもしれないが、斉藤にその気力は残っていない。


 とはいえ、眠りにつくまでの僅かな時間、テレビの音声くらいなら聞く耳は持つ。ベッドに横たわったまま、サイドボードのパネルに指を伸ばすと、仰向けになった目線の先にテレビの立体映像が投影される。斉藤はニュース番組に切り替えるようにとつぶやいた。


『――続いてのニュースです。東部軍管区ラカン・ナエ直轄領において、大規模なデモ活動が続いています。直轄領における居住税の増税に対するもので――』


 いつもの通りのきな臭いニュースが読み上げられるが、そのうちに薬が効いてきたのか、斉藤の意識は急速に遠のいていく。照明もテレビもつけっぱなしのまま、斉藤は眠りについた。



ホテル・ベルヴェデーレ

 一階 ロビー


「おっと……ロビーまでお出迎えとは。なんだい、俺に再戦の機会でも与えてくれるってか?」

「バカね。あんたとヤるくらいなら、斉藤君に一服盛って襲うわよ」

「そりゃ言えてる。俺だってそうする。で、どうした」


 はっきり言って、アルヴィンの本日の釣果はゼロである。そうでなければ態々ホテルに戻ってくる理由などない。彼としては自分の話術が完璧なものとはまだ思っていなかったが、これほど不調だとさすがの彼も落ち込むものである。腕時計の針が一〇時を指した時点で、アルヴィンは撤退を決意した。


 対するハンナであるが、元々男漁りをするつもりもなく、バルを探したものの気分的に一致するものがなく、結局ホテルに向かう道すがらのチェーンのレストランで済ませ、ホテルのバーで酒を呷ろうとしたところ、アルヴィンがとぼとぼとホテルに入ってくるのが見えたので、声を掛けたのである。


「ちょっと気になることがあるのよ。どうせその様子じゃ不発でしょ? 一杯付き合いなさいよ」


 ホテルのバーの片隅、カップルシートに入った二人は、とりあえずと地場産のビールを頼んでから仕事の話に入る。客室ではなくバーを選んだのは、ハンナの深謀遠慮だ。客室は誰が入室するか調べることも可能だし、盗聴の危険があることを危惧していた。隣室から集音マイクを使われればいくら警戒などしても無駄だ。


 しかし、仮にもホテルのバーはパブリックスペースであり、目立つ動きを取れば警戒される。周囲にそれらしい人影もない。店内に流れるジャズピアノのBGMに声もかき消されるので、小声で話す分にはよほどの近距離でなければ解析も出来ないだろう。


「なるほどね。あの探偵、さすがうちの局長に取り入ろうって考える奴だ、嫌なところを調べ上げたな」


 ハンナの携帯端末に表示された資料を読み込んだアルヴィンは、呆れたように溜め息をついた。


「あんたもあるんでしょ、ネタ」

「経理部と審査部の盗聴データ、こっちが居ないと思って喋ってくれたんでね。隠語が出る出る」


 アルヴィンから使い込まれたメモ帳を手渡されたハンナは、開かれたページを見る。読みづらい癖のある字を読み取ると頭痛がする。それを誤魔化すようにハンナはビールジョッキの残りを飲み干した。


「地下倉庫、C資料、それにE号案件……呆れた。今時こんな初歩的な手で」


 国税当局に限らず、企業などへの調査に赴く部署に居る人間は、古今東西様々な隠蔽工作について調べて知識として身につけている。帳簿や資料に対する隠蔽工作をおおっぴらに発言は出来ないので、隠語を使うというのは古典的に過ぎて近年でも珍しい事例だった。


「初歩であればこそ、だろう? うちがデータベースまるごと浚って調査するなんて、どこの業界でも常識だ」


 税務署の行う調査は定期的に行われる分、直近案件の調査に絞られる。それに対して特別徴税局の調査は、不定期、もしくは単発なだけに過去の案件も遡り、カール・マルクスをはじめとする徴税艦のメインフレームを通し、膨大なリソースを惜しげも無く投入する力技で一切の不正を見逃さない。


「斉藤君には、もう少し絞り込んで調査を進めてもらうわ。探偵さんにも人物関係洗い出してもらわなきゃ」

「こっちは隠語の方から探りを入れるか。ところで、ここらで仕事の話は止めにして、飲み直さないか?」


 空になったジョッキを掲げて見せて、洒落たバーだというのに雰囲気もへったくれもないものだと思ったが、ハンナは自分のジョッキも空なことに気がついた。


「……しょうがないわね。アンタのおごりよ」

「おいおい、誘ったのはハンナだろ?」

「細かいこと気にしないの。キール・ロワイヤルを」

「じゃあ俺はブラッディ・メアリーで」


 


 帝国政策投資機構 四三階

 第四予備室(徴税三課臨時オフィス)


 帝国標準時九時ちょうど。帝都中央税務署と特別徴税局による税務調査は二日目に突入した。


「斉藤君、昨日の続きの調査だけど」

「はい、今グボノーガヤ・ムノガノーシカの案件に絞って調査を進めてます」


 ハンナから指示を出される前に、斉藤は高額案件の精査に入っていた。斉藤は昨日までの体調不良も、服薬による強制的な睡眠により多少は回復していた。


「あら、早いのね。探偵さんには深掘り進めてもらってるから。昼くらいにまた途中経過を出してくれるって」

「わかりました」

「課長、今日のご予定は?」

「一〇時から中央税務署の連中と、審査部の人間の事情聴取だ。今日は長そうだ、こちらのことはハンナに任す」

「了解……おはようターバン。今日も頼むわ」


 一通りの課内の予定を把握した後、ハンナはカール・マルクスへの通信回線を開いた。立ち上がった立体映像ウィンドウには、いつもの浅黒い顔のターバンが映し出された。


『よっしゃ任しとき。またダミーの案件大分落とさせてるんやなぁ。動きは昨日と一緒やで』

「今から審査部と経理部に本命のデータを出させるから、よく見といてね」

『はいな』

「斉藤君、グボーノガヤの案件を審査部と経理部に出させて」


 カール・マルクス側で監視体制が整っていることを把握してから、ハンナは斉藤に指示を下した。


「わかりました……今、申請を出しました」

「ターバン、どう?」

『あれ、動かへんよ? オートでデータ吐き出しとるんと違うの?』


 昨日、アルヴィンにより無秩序に選ばれた案件のデータはほぼ瞬時に提出されていた。しかしグボーノガヤ・ムノガノーシカのデータはいつまで経っても処理待ちのまま応答がない。


「尻尾を出したか。念のためにリストアップしてた高額案件も申請出してみて」

「出しました」

『こっちはシステム上で処理されたで』

「こちらでも確認しました」

「なるほどね……斉藤君、最初のデータはどうなってる?」

「処理中のままです」

「じゃあ経理部と審査部を突っつきに行きますか」



 一二階 経理部オフィス


「すみません、そのデータはこちらでも確認しているんですが、まだ出ませんか?」


 ハンナと斉藤の前に立つ経理部係長の胡培寿(こばいじゅ)は、白々しいまでのとぼけた顔で、首を捻った。


「はい、お手数ですが急ぎますので」

「そうですか、弱りましたね。その案件については経理部長が聴取に出られておりますので……」

「データの提出に経理部長さんの許可が必要ですか? 他のデータは自動なのに?」

「規程ですので」

「そうですか。それじゃあよろしくお願いします」


 涼しい顔で言ってのけた経理部係長をそれ以上追求するのは面白くないと判断したハンナは、斉藤を連れて次なるターゲットを審査部に定めた。



 帝国政策投資機構 地下三階


 斉藤とハンナが経理部のオフィスを襲撃している頃、アルヴィンは地下フロアにいた。

 

「ひぃー、うかつに来るんじゃなかった。どこに何があるかまるで分かりゃしねえ。こりゃあ新人とか遭難するんじゃねえかな」


 ぼやきながら、アルヴィンは注意深く通路に並ぶドアを開け、中を確認していく。地下倉庫のC資料、というワードが何を指しているのか確認するためだ。しかしながら、それが比喩表現だった場合、アルヴィンの調査はまったくの空振りということになる。


「あんまりうろついてっと、警備員がすっ飛んで来そうなもんだが……」


 それなりの修羅場をくぐり抜けたアルヴィンは、監視カメラの位置を確認しながら歩いているが、それでも仕方なく映り込むことは少なくない。そもそも死角が生じては監視カメラの意味が無い。


「まあ、それ自体が相手方の動きってことでもあるしなあ……ん?」


 どこまでも変わらない風景の通路の奥から何人もの話し声や足音が聞こえたアルヴィンが、柱の陰に身を隠す。


『ついに来ましたね、E号案件。ありゃあ骨ですよ』

『遅かれ早かれさ。これでごまかせりゃいいが』

『しかし、もしバレたらエラいことになるぞ』

『俺らの証言は決まってるだろ。上司の命令で仕方なく、だ』


 輸送用のターレットに乗った二人の職員の声やモーター音を頼りに、アルヴィンはその後を注意深く進む。


(おーん? 確かこの辺の部屋だったはずだが)


 同じドアが並び、いずれも無機質な連番が振ってあるだけの倉庫区画。また一つ一つ開けるのは効率が悪い。そろそろ撤退の潮時かとアルヴィンが考えた時だった。


「うわっ!」


 突如開いたドアから飛び出してきた男が、アルヴィンにぶつかって二人はもつれ合うようにして倒れ込んだ。


「おいおい、前見てから出てくれよ」


 アルヴィンは自分の上に覆い被さった男に不満げに言う。これが女性だったなら、まして妙齢の女性だったら優しく抱き起こしてさしあげたのに、と思いつつ、ドアの向こうを見る。


「し、失礼を……」


 男は慌てて立ち上がってその場を立ち去り、ドアは勢いよく閉められたが、アルヴィンは構わずドアを開く。


「こんちわー、特別徴税局ですがー」

「な、何の御用ですか?」


 野茨御紋を掲げてみせられては無碍に押し返すわけにもいかず、中に居た職員達は困惑したままだった。


「いや、ちょっとエレベータ間違って乗っちゃってここまで来ちゃいまして、ロビーってのはどこまで戻ればいけるんですかね?」


 白々しい嘘だが、何か後ろめたいことをしていなければ迷惑そうに、あるいは呆れて、もしくは親身になって帰り道を教えるのが普通だ。


「そこの角を曲がって、ダーッと行って突き当たりを右に曲がればエレベーターホールですよ」

「そうでしたか、どうもどうも」


 アルヴィンの視界を塞ぐように経つ責任者らしい男は、アルヴィンが肩越しに部屋を覗こうとすると、あからさまに身体を動かしてアルヴィンの視界を遮る。


「ああいやいや、どうもどうも。ところで、ここの部署って何してるんです? こんな地下で。倉庫ばかりだと思ってましたけど」

「ここは資料室です。特に外部にお見せするものはありません」

「へえ資料室。じゃあ機構史なんてあったりしません? 俺ああいうの見るのが好きでして」

「機構史でしたら受付で電紙版をお配りしていますので」

「そうですか……ああお忙しいところ失礼しました~」


 あまり無理に居座って、上層階の監査に響いても仕方がない。愛想笑いを顔面に貼り付けたまま、アルヴィンはこっそりと盗聴器を取り付けてから退室した。



 三一階 審査部オフィス


「審査部はこちらでよろしい?」

「は、はい……」


 周囲の職員とは異なる、洗練された印象を与える女性が、ハンナが首から提げているビジター用セキュリティカードと、スーツの襟につけた特別徴税局の徽章に、やや狼狽えた様子で頷いた。そして、ハンナの後に控えている斉藤を認めて、戸惑いのような表情を浮かべた。


「特別徴税局のハンナ・エイケナールと申します。先ほど申請させてもらったデータ。まだ出ないのかしら?」

「確認しますので、お待ちいただますか?」

「あれが斉藤君の彼女のクリスティーヌ・ランベールさんか。写真よりずっと美人ね」


 小走りでオフィスの奥へと引っ込んだ後ろ姿を見ながら、ハンナは感心したように呟いた。以前斉藤の隠し持っている写真でその姿に見覚えがあったハンナは、失礼なこととはいえ、斉藤と並んだ姿を想像して微笑ましく考えていた。


「え、ええ」


 複雑そうな斉藤の顔を見たハンナは、口角をつり上げた。


「ふふっ、いいこと思いついちゃった」

「すみません。審査部長が現在離席中です。お時間を頂きますが」

「あ、そう。なら大丈夫。あとあなた、少し伺いたいことがあるので、同行してくださる?」

「は、はい……」



 帝国政策投資機構 四三階

 第三予備室


「さて、これでよし」


 徴税三課臨時オフィスの隣の空き部屋を勝手に占拠したハンナは、カバーが掛けられたままの椅子や机を勝手に動かした。二人ほど腰掛けられるスペースを造ったところで、不安げな顔をしてついてきたランベール嬢に向き直った。


「さて、クリスティーヌ・ランベールさん。あなたが呼ばれた理由は分かりますか?」

「……何故ですか?」


 心底気味が悪いという顔をしたランベール嬢に、ハンナは冗談冗談、と手を振った。


「ああ、ごめんごめん。脅迫とかそういうんじゃないのよ。ただカップル二人に時間を作って上げようと思っただけ」


 目を丸くしたランベール嬢は、斉藤と目を合わせた。斉藤にも予想外の事だったので、ハンナをみて呆然としている。


「じゃ、二人ともしばらくごゆっくりコーヒーでも飲んでなさい」


 適当に言い残したハンナは、風切音がするようなウィンクをして、退室した。


「さて、心苦しいけれど、監視はさせてもらうわよ。いっそ口が滑って、何か情報出してくれないかしら」


 臨時オフィスに戻ったハンナは、早速盗聴器の動作を確認し、ヘッドフォンを片耳に当てて、会話内容に聞き耳を立てていた。


「人が悪いなぁ、ハンナさんよぉ。恋する二人の逢瀬を盗み聞きとは関心しませんなぁ」


 マグカップにコーヒーを注いだアルヴィンが、ことさら意地悪くハンナに言った。


「アルヴィンに言われたくないわ。逢瀬とかロマンティックな言葉使う資格があるの? っていうか、あなた今までどこにいたの?」

「地下倉庫区画。どうも連中、あの辺りでなんかごそごそやってんだよな。昨日のE号案件といい、気になってな……もしかして、あそこに別の帳簿でもあるんじゃないか?」

「ええ? ターバン、どう思う?」

『んー、そんな見え見えのスケスケな手ぇ使うか?』


 何故か天地逆さまのまま写されているターバンの姿を、ハンナは一瞬だけ不思議に思ったが、それは本筋とは関係が無い。実際のところ、現在監視はほぼ自動で行われており、ターバンは日課のヨガに勤しんでいた。


「そうよねえ……まあ、そのうち分かるでしょ。ターバンはデータの出所を探って」

『はいな』

「アルヴィン、地下に何かあるのは確かよね?」

「んー、九割ってとこだな」

「渉外班追加で出して調べましょう。課長名で増援を出させるわ。あなたは渉外班と地下を漁って」


 ターバンとアルヴィンに一通り指示を出し、三度徴税三課長名で申請を出し終えると、ハンナは再び隣室に仕掛けた盗聴器の監視に戻ることにした。

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