第8話ー② ドラゴンの尻尾
帝国政策投資機構 四三階
第四予備室(徴税三課臨時オフィス)
「ただいまっと」
「いい子はいたかしら?」
ハンナの問いに、アルヴィンは肩をすくめて見せた。
「なあに、一度でダメなら二度行くまでさ」
「ナンパしに行ってたんですか……」
呆れた、という斉藤の本気の軽蔑に近いまなざしに気付いたアルヴィンは、ちっちっちっと指を振る。
「
「あんたはナンパのついでに盗聴器仕掛けてるんでしょ?」
ハンナの痛烈なイヤミに、アルヴィンは肩をすくめて見せた。
「盗聴させてくれなんて正面からいう訳にはいかないだろ?」
ただ、斉藤はアルヴィンの技術そのものについては感心していた。自分であれば、盗聴器を仕掛けていることを感付かれることなく済ます自信は無かった。そんなことをするくらいなら、一人ずつ呼び出して尋問した方が早いなどと考えたところで、それ以上の思考を止めた。これではまるで実務四課のボロディン課長ではないか。
「さてさて……よしよし、感度良好ぉ」
「首尾は上々のようだな」
仏頂面のケージントン課長が愛飲の葉巻を銜えたまま臨時オフィスに戻ってきた。
「あれ、課長? もう尋問は終わったんで?」
「後のことは中央税務署に任せて問題あるまい。それに、あとは虫共の監視でいいだろう。戻ってくるときにトイレと重役室と審査部のオフィスに撒いてきた」
「……目の前で撒いてきたんですか? さすが元公安警察庁の内国公安課長」
内国公安課といえば、国内不穏分子の監視が主任務である。当然、盗聴の類いは日常茶飯事だ。トイレというのはプライベートスペースに近く、ついつい内密の話をしてしまうというのが、ロード・ケージントンの読みだった。
「褒めても何も出んぞ? 私はその公安に用がある。あとは任せる」
「うへえ、ショートク・タイシでも呼んでこねえとな、こりゃあ」
一挙に倍増した仕事量にアルヴィンがうなだれた一方で、ハンナは自分のラップトップで通信ウインドウを開くと、帝都宇宙港にいるカール・マルクスを呼び出した。
「ターバン? 首尾はどう?」
『こっちでは妙な動きはあらしまへんけど……さっきから、急にデータベースのアクセスがめっさ増えてるけど、何かした?』
酒保で買ってきたらしいスナック菓子をゴリゴリとかみ砕きながら、ラマヌジャンは答えた。
「ああ、それね。こっちで無秩序にデータを出すように言ってるの」
『はあ?』
「鈍いわね、斉藤君は二秒で理解したわ』
むっとした顔のハンナに、それまで緩みきった表情をしていたラマヌジャンが、多少は仕事用の顔を作った。
『きっついわーハンナはん。あれやろ? データベースアクセスの挙動見てんねやろ?』
「そう。どのデータがどこから引き出されてるかはこちらでも監視できてるでしょうね?」
『見とるで。今のところはメインデータバンクからちゃぁんと下ろしとるみたいやけど』
「もう一万件くらい同じことをしてみて、動きがなければ本命を出させるわ」
『はいはい、任しとき』
通信が切断されると同時に、ハンナは斉藤に振り向いた。
「斉藤君、どう?」
「……単なる額面だけの問題ではありませんね、これ。人物関係から洗い出したほうが良さそうです。ただ、うちのデータベースの情報は少ないですね」
そもそも、帝都中央税務署のお膝元の案件など、本来なら斉藤達特別徴税局が触れる必要など無いはずのもので、情報収集の精度としては、曰く付きになっている企業に比べれば落ちることは否めなかった。
「そうね……でもどうかしら。領邦国家周りの人物情報に詳しい人間……」
「ヴィルヌーヴ子爵の脱税情報を持ってきた探偵はどうですか?」
斉藤は、以前の現場の情報を持ってきた探偵の噂を覚えていた。あの永田局長が手放しで褒めそやしたという探偵なら、業界裏事情に通じているのではないか、という期待があった。
「そうね、その手があったか……課長は? ってさっき出てったわね。ったく。肝心な時に……まあいいか。名前は使っていいと言われてるし」
増援、もしくは外部協力の類いは課長を通すのが通例だが、ハンナは再び課長名でカール・マルクスへ要請を出した。
帝都国際宇宙港
装甲徴税艦カール・マルクス
局長執務室
帝都北部。かつては農地だった場所は今や帝都の玄関口として大規模な宇宙港が広がっている。官民共同で運用されていて、敷地の半分ほどは近衛艦隊が駐留するヴィルヘルミーナ軍港と、隣接する工廠が占めている。数百隻の船舶が同時に発着可能なスペースの一角に、鮮やかな白と赤帯の艦体を晒すカール・マルクスが停泊していた。半舷休息となった艦内は閑散としていたが、局長の永田は自室で足の爪を切っていた。
「え? ロードが?」
「ローテンブルク探偵事務所を、今回の調査に使いたいとのことです」
総務部長のミレーヌ・モレヴァンはあからさまに胡散臭そうな表情で、徴税三課長名の電文を見つめていた。
「あー、ヴィルヌーヴ子爵のネタ持ち込んできたところね。いいんじゃない」
またも詳細確認をすることなく、永田は許可を下した。
「よろしいので……?」
「予算の制限はないんでしょ?」
「常識の範囲内であれば」
以前の仕返しとばかりに、にんまりと笑って見せた永田に、ミレーヌは憮然とした表情で返した。
帝都 旧市街
ベイカー街221番地
ローテンブルク探偵事務所
ローテンブルク探偵事務所はドナウ川西岸、帝都旧市街の中にある。雑居ビルの二階に位置する事務所は来訪者を拒むかのように、路地裏に面した階段を上った先に玄関が設けられていた。
「ちょっとハンス! 食いさしのラーメンなんかすぐ捨ててって言ったじゃない!」
「お前が調査調査ってうるせえから、俺はメシ食うのも後回しにしてやったんだぞ! そっちこそ、そのアイドルグラビアなんて出しっぱなしでニヤついてるんじゃないっての!」
「あーっ! 言ってくれちゃって! あんただってそこの週刊誌のグラビア見て股の下なんか伸ばしちゃって!」
「残念でしたーこれは調査用の資料ですー! 俺を性欲旺盛な女の裸くらいですぐにおっ起つようなティーンエイジャーみたいに言うなっつーの!」
斉藤達が足を踏み入れると、お互いを罵り合いながらゴミを袋に詰め込み、積み上げられた書籍を部屋の片隅にハノイの塔のごとく積み上げなおす二人の男女がいた。
「あのー。特徴局のものですが……」
斉藤が声を掛けると、それまで言い合っていた声がピタリと止まり、二人とも斉藤の方を振り向いた。
「あっ! あれ!? 予定より早いご到着で、散らかってますけどどうぞどうぞ、おかけください。ハンス、お茶出してお茶」
「はいはい」
数分前まで何かに埋もれていたらしいソファに腰を掛けた斉藤とハンナを前に、さすがの探偵コンビも無言のまま超特急で掃除を済ませた。
「ご依頼のあった政策投資機構の案件に関わる、人物関係の調査の結果です」
提出された資料を、ハンナは内容をざっと捲って唸った。
「早いですね。これを本当に、電話してから今までの二時間で揃えたんですか?」
「こちらでも気になっていたので調べてたんですが、いやあ、運がいい」
斉藤も同じ資料を見ながら驚いていた。特別徴税局に入局する以前から、帝国の経済誌などは見られる範囲内でチェックをしていたはずだが、それだけでは分からないような細かい内容がそこには記されていた。
「どうですか? 怪しいのがないのであれば、私達はお手上げなんですが」
「まあまあお客さん、そう焦らず。まずはヴィシーニャ候国領ノヴィ・レスコの太陽光発電衛星整備事業」
ハンナの言葉に、エレノアはもったいぶった仕草で資料の説明を始めた。
「発注者はヴィシーニャ候国政庁。惑星ノヴィ・レスコは植民から一〇〇年ほど経過していますが、ここ数年の恒星活動の活発化により、多数の発電衛星が損傷しています。これの再整備事業ですね」
「……まあ、真っ当な金額、契約内容ですね」
「はい。まああんまり面白くないんで次いきましょうか」
面白いかそうでないかで案件を判断しているのか、と斉藤はゾッとしたのだが、確かにこれ以上見る必要が無いほど真っ当な案件だったので、これが彼女のセンスなのだろうかと納得することにしておいた。
「続いては東部軍管区、フリザンテーマ公国領惑星アル・サリーヌのセンターポリス再開発、事業を請け負ったのはフリザンテーマ公国に本社を置くユミルギア・デベロッパー。これはあんまり人間周りも金の流れもおもしろくないんですけど、まだ聞きます?」
「いえ、次を」
ハンナも慣れてきたのか、あっさりとページをめくった。
「では東部軍管区、ピヴォワーヌ伯国の第三衛星鉱山開発。これはピヴォワーヌ伯自ら、伯国内の全鉱山業者を動員しての事業の模様です。すごいですよねーあの人。自分一人であれだけの事業を振り回すなんて」
「問題は無いんですか?」
「発注者一人で、しかも戦災復興に近いものですから。これはこれで面白いんですが、それは本題じゃないので次、次行きましょう」
心底楽しそうだなと斉藤は感じた。今時探偵なんて、好きで楽しくなければやっていられないかとも思うが、このエレノア・ローテンブルクという女性は、楽しいのは大事だがそれ以上に、自分で謎を解き明かす快感と、危険にさらされるスリルを楽しんでいる節がある。もっとも、斉藤はその点など知る由もないのだが。
「で、コノフェール候国惑星グボノーガヤ・ムノガノーシカの極地加熱用の集光パネル建造事業なんですが」
「……予算規模、なんか妙に大きい額ですね」
そもそも予算規模が一般企業の案件とは桁違いなのが、帝国政策投資機構の案件の特徴だが、その中でも輪に掛けて額が大きい。斉藤は自分がリストアップした案件とは言え、めまいがしてきた。
「まあ両極分ですからそんなもんですよ。開拓がうまくいけばいい惑星になりそう。氷が溶かせれば、いい海が広がるかも」
「……詳しいんですね」
あっさりと額が大きい理由を言ってのけたエレノアに、斉藤は素直に感心した。
「この商売、広く浅くだけじゃなくて、狭く深い知識も必要でして」
「調べたのは、俺だけどな」
得意げなエレノアに、横でコーヒーをすすっていた助手のハンスが茶々を入れた。
「私も分析したでしょ!」
「はいはい。で、この事業なんですが、ちょっと不自然なのが、惑星開拓庁が関与していないってこと」
ハンナと斉藤は知らなかったが、ローテンブルク探偵事務所でハンスが説明を始めるときは、大抵事情が込み入っている場合である。
「珍しいことなんですか?」
「帝国の惑星開拓は、基本的に国家事業ですからね。ここ数十年は派手にやらなくなりましたけれど。まあ、まだ緑化も完了してないところも多いですから、今は整備の時代というだけかもしれませんがねえ」
「まあ、それはともかく、コノフェール侯国が開拓を発注したのは、モーリ・コングロマリット――」
「そこ、確かマルティフローラ大公家が大株主ですよね」
ハンスから説明の主導権を取り返そうと口を挟んだエレノアだが、台詞の続きは斉藤が引き取った。
「ご明察。斉藤さん、でしたっけ? ピンと来ました?」
ただし、エレノアもその程度は予測済み。気を悪くするでもなく、小さく拍手をしている。
「あまり評判のいい話は聞きません。シルトクレーテ中央税務署が税務調査に入る度、かなり苦戦する企業だと聞いてます」
「モーリ・コングロマリットは代々マルティフローラ大公家のお抱えですからねえ……ここと同じくらいきな臭いのが、ご存じマルティフローラ大公国、首都星シルトクレーテの軌道エレベータ建造事業……軌道エレベータなんて、今更建造してどうするんですかね」
ハンナと斉藤も、エレノアの疑問にはうなずくしかなかった。ともかく巨大事業として軌道エレベータというのは、今や惑星規模のランドマーク程度の意味合いしかないのである。
「これはもう、各領邦国家とかマルティフローラ大公国の接してる西部軍管区のデベロッパーやら何やらが入り乱れてて、もう少し調査に時間が欲しいです。ただ、この参加企業のリストと特別徴税局のデータを組み合わせると、色々見えてくるかも」
「どこも色々やらかしてるところが多いからなあ。ゼネコンとしては株式会社システィヴァディで、サブコンもほら、これ」
株式会社システィヴァディという名前が、斉藤の記憶にあった。調査部からの依頼で財務帳簿の洗い出しを何度か行っているが、その際にも色々と問題があったことを覚えていたからだ。
その後も、各種調査結果の説明が、エレノアとハンスによって続けられた。
帝国政策投資機構 四三階
第四予備室(徴税三課臨時オフィス)
「あーあー、俺だけ留守番とはついてない……どうせなら帝都の女の子のナンパにでも行きたかったなぁ」
ぼやいたところで、適当な相槌を打つ斉藤も、ツッコミを入れてくれるハンナも不在。アルヴィンはビル中に仕掛けられた盗聴器の管理に一人いそしんでいた。探偵事務所に出向いた二人が戻ってくるまでは、まだ小一時間ほどある。アルヴィンは休憩がてら、美人の物色でも行こうかと考えていた。
『失礼します。お茶をお持ちしました』
「どうぞ」
渡りに船とはこのことか。ぱっちりとした大きな瞳、パステルカラーのスカートから覗くすらりと伸びた足は白磁のように輝いている。胸こそ控えめだが、彼女の顔立ちとのバランスを考えれば黄金比とも言うべきだった。アルヴィンは特徴局員としての顔を作ってから、部屋へ訪れた美人に歩み寄った。
「ああ、こりゃどうも……素敵なスカーフだね」
「ありがとうございます」
「良くお似合いだ。経理部の方?」
「いえ、私は審査部です」
「ありゃ、そうか。どうりでさっきは顔を見なかった訳だ……どうしてお茶なんて持ってきてくれたの?」
単にナンパをしているようにしか見えないが、それはそれ、これはこれ。態々調査に入り込んだ特別徴税局の臨時オフィスに入ってくるというのは、敵情視察ということもあり得る。無論、見られて困るものなどないが、一応の警戒はしている。
「あ、いえ……実は、特徴局に知人が」
「ふーん。うちは宇宙に出たらしばらく戻ってこねえからなあ。ちなみにお嬢さん、お名前を聞いてもいいかい?」
「クリスです。クリスティーヌ・ランベール」
「ははあ、いい名前だ。やっぱり名は体を表すってね。素敵な響きじゃないか……ん、どこかで聞き覚えが。どこかでお会いしたことがあるかな?」
とはいえ、目の前に極上の美人がいては、アルヴィンとしては口説かないわけにも行かない。うまくいけば今夜の食事の約束くらいは取り付けたいなどと考えていた。
「ふふっ、帝都ですれ違いましたか? では、私はこれで」
「はい、どうも~」
絶妙なはぐらかし方で躱された。アルヴィンもこれは一筋縄ではいかないと察し、どうも今回は打率が悪いと項垂れた。
「さて……一応毒味しとくか、うん」
運ばれてきた全員分のコーヒーを、手持ちの検査薬で調べて毒物の混入など無いことを確認してから一口。うまい、これはコロンビアかキリマンジャロ? などと一人コーヒー通ぶってみるが、やはり誰も居ないので虚しいものである。
なお、西暦年代に採算が取れる鉱物資源および化石燃料のほとんどを掘り尽くした地球大気圏内の産業は、主として情報通信産業や農林水産業が主体であり、地球産の作物というのは各開拓惑星でも珍重されている。コーヒー豆、茶葉などはその最たるものとして帝国の初等教育の地理などで教えられている内容の一つだ。
「どこの菓子屋のやつだか知らねえが、うめえなこれ」
一緒に添えられていたクッキーを囓っていると、糖分を補給されたアルヴィンの明晰な頭脳が、先ほどの女性の名前と紐付く情報を思い出した。
「ああっ! しまった、あれ斉藤のオンナか!」
帝都 旧市街
ベイカー街 221番地
ローテンブルク探偵事務所
「……とりあえず、いただいた資料で調査を進めてみます。追加で依頼してもいいですか?」
一通りの調査報告を受けたハンナは、とりあえず調査継続を依頼することにした。目の前に居る探偵が胡散臭くないといえば嘘になるが、今は信頼に値するだろう。
「なんでもどうぞ。当事務所は顧客満足度ナンバーワンを目指してますんで」
「うわ、うちの事務所の経営方針胡散臭すぎ……?」
得意げに胸を張ったエレノアに、ハンスが白い目を向ける。
「ハンスうっさい。請求書は特徴局のせんちゃん宛で送付しときますんで」
「せんちゃん……?」
「おたくの局長さんだよ。ったく、どうしてこう、うちの周りはみんな胡散臭いヤツばっかりなんだ」
「否定できないのに悔しくないのは何故でしょうか」
自分の所属する組織の長が胡散臭いとカテゴライズされるのは、些か複雑な心境だった斉藤だが、続くハンナの言葉にはうなずくしかなかった。
「うちの局長が胡散臭いからじゃない?」
帝国政策投資機構 四三階
第四予備室(徴税三課臨時オフィス)
斉藤達がローテンブルク探偵事務所を出た頃、アルヴィンは再び盗聴器の管理にいそしんでいたのだが、その中の一つが注意を要するワードを吐き出した。アルヴィンはその一つに耳を澄ます。設置場所は自分で仕掛けた審査部のものだ。
『E号案件は』
『まだ何も』
『見逃してるか……あるいはわざとか』
『あれだけの案件量です。さばききれる訳がありませんよ』
『しっ、税務調査中だ。言葉を慎め』
『E号案件が請求される場合は、ケースDに従い地下倉庫のC資料を出すように』
『承知いたしました』
「ばっちり聞こえてんだよなぁ。なんだE号案件って……地下倉庫、ねえ……地下に倉庫なんかあったかなー」
建物の見取り図をモニターに出してみて、
「地下も広いな……ぼやいても始まらねえか。よし、いっちょ調べてみっか」
アルヴィンが退室するのと入れ替わるようにして、斉藤とハンナが探偵事務所から帰ってきた。
「あら、お茶菓子。誰かしら、アルヴィンがそんなに気が利くはずないんだけど」
「さっきメッセージが届いてて、ちょっと散歩に行ってくる、だそうで」
「散歩、ねえ……盗聴監視ほっぽり出して? まあいいか。録音は出来てるみたいだし」
「今回は長期戦になりそうですね」
「ええ。三日程度はかかるらしいから。それまでに決定的な証拠を押さえておきたいわね」
斉藤とハンナは引き続き資料と提供されたデータの突き合わせ作業を続け、アルヴィンはビル内をさまよい歩いて構造把握。途中何度か警備員に誰何されても、すっとぼけて難を逃れている。臨時オフィスに戻ってからは、やはり盗聴器の監視を続けていた。
斉藤にとっては初めての超大規模案件であり、これまでの税務調査とは違った意味での疲労が溜まっていく。ハンナも途中から手詰まりになったのか、目線が遠く帝都新市街へと向いていた。
「本日の調査は終わりだ。中央税務署はもう少し粘るらしいが、我々は一旦引くぞ」
帝国標準時で一八時。すでに日は暮れていた。
「まあ、すぐにどうこうできるものでもないですからね。アルヴィンは……? あれ?まだ戻ってない?」
ハンナが言うと同時に、アルヴィンがドアを開いた。
「あれ? もう帰り支度?」
「どこほっつき歩いてたのよ? 釣果はいかが?」
「帝都の女は身持ちが堅くてねえ、いやそれはいいんだ。地下にちょっと変な部屋があったんでな、明日また調べるさ」
「明日もこの部屋を使う。アルヴィン、念のためにここにも盗聴器とカメラをセットしておけ」
「うっす」
ケージントンの指示はつまり、自分達が退室した後、機構側がこの部屋に入り込むことを想定しているものだ。当然施錠はするが、そもそもここは彼らの本部ビルなのだから、気休めにしかならない。もちろん、一般常識としてこのビルで機器類の紛失や盗難、無断での操作などあった日には、政策投資機構側の信用問題につながるのだから、確率としては低いのだが。
「……斉藤、ちょっといいか?」
「はい」
「お前の恋人、確かクリスつったな? クリスティーヌ・ランベール。背の高い、金髪の」
「え、ええ」
アルヴィンの口から出てきた自分の恋人の名に、斉藤は驚いた。アルヴィンは写真でしか見たことがないはずなのに、だ。
「ここにいるだろ?」
「何故それを……」
「昼間、茶を出しに来てくれたんでね……彼女は参考人だ。お前も分かっているだろうが、当局の人間が税務調査中の企業の人間に――」
「無断で会うのはタブー、ですよね」
斉藤も徴税吏員の端くれ。その程度のことは分かっていた。機構側の人間と国税省側の人間が密会するなど、調査情報の横流しと思われても不思議ではない。ランベール嬢が斉藤に会いに来た理由は、当然恋人の様子を確かめに来ただけにも思えるが、もし彼女と斉藤の関係が機構側では周知のもので、それを利用した工作など行われては、国税省特別徴税局の看板が廃るというものだ。
もっとも、その程度の低レベルな工作が行われたとして、斉藤がそこまで脆いものだとは、アルヴィンは思っていなかったが。
「分かってるならよし。まあせっかくの帝都の夜だ。夜遊びなら俺に任せろ」
人間が集まる場所は、当然様々な店舗が集まる。そしてアルヴィンが夜遊びというのなら、それは女性とのワンナイトラブと相場が決まっている。
「いえ、少し具合が悪いので……」
無論、斉藤は実際に体調が優れていないということもあるが、恋人がいる身で他人と性交渉を結ぶなどと言うことを、斉藤は理解していないしするつもりもなかった。
「あら、じゃあ早く宿に戻りなさい。アルヴィンは一人で旧市街の置屋にでも行ってなさい」
ハンナはちらりと斉藤の顔を見やったが、その言葉が嘘ではないことはすぐに分かった。というよりも、ここ数週間の斉藤は常に血色が悪い。
「ちぇっ、行くところまで読まれてやんの。まあ、斉藤、またの機会にな!」
アルヴィンも無理に斉藤を連れ回すような無理解な人間ではない。荷物をまとめたアルヴィンは、颯爽と夜の帝都へと繰り出していった。
「で、課長はどうされます?」
「帝都中央病院に行ってくる」
「ああ、補給ですか。どうぞどうぞ」
重度の薬物依存症であるケージントンの愛飲の葉巻は、帝都中央病院で処方されるものを、地球産のタバコ葉とブレンドして整形したものである。ケージントンは帝都に戻る度に、これを処方してもらっている。
「……残された私は、一人で近所のバルを探すのであった」
施錠を任されたハンナは、部屋の照明を落とすと、帝都の旧市街へと向かった。
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