第4話-④ ヒヤリハットは水平展開しましょう

 徴税母艦 大鳳

 第一艦橋


「ああくそ。なんだってこんな古臭ぇプロトコルなんか使いやがって……覚えてねえよこんな骨董品! おいターバン、そっちに昔のET&Tのライブラリあっただろ!」

「そんな怒鳴らんでもええやん瀧山はん。周りの人めっちゃびっくりしてんで」

「うるせえ! あと司令部のほうはどうなってんだ!」

「オカンがうるさくてかなわんわー。これ、ガキから殺ったらええんちゃうの?」

「ああ? どうせ全部殺すんだから順番はテメェに任せる」


 世にも物騒な会話だが、これはターバンことラマヌジャンがイルシン防衛軍司令部のシステム防御を停止させているだけだ。傍から聞いていたら明らかに一家惨殺の現場である。システム構造を家族構成に例えるのはシステム屋のいにしえからの風習として知られる。


「で、ライブラリは!」

「もう送ったで」

「ならそう言え!」

「瀧山はんが防衛隊司令部はどないしはった? って聞くから答えただけやん」

「ターバンにオイルかけて燃やすぞ!」

「うわぁ、めっちゃ明るうなってええやん。香油とか使ったら香りもええで~」

「そうじゃねえ!」


 怒号と力の抜ける帝国方言が木霊する徴税母艦大鳳の第一艦橋。艦長の菊池は、ここの電子戦指揮官席を貸し与えたことを若干後悔していた。


「早く終わってくれないかな、これ……」


 艦長席斜め後ろのオブザーバー席に居たはずの秋山課長も、この怒号に胃が不調をきたしたらしく、薬を飲んでくると言って席を外してしまった。乗組員たちの目線も不安げにヤクザなのか役人なのか判別のつかない男と、ターバンに向いている。


 菊池はとりあえず、適当に彼らに与える指示でもないか、それとこの二人を今からでもどこか別室に移せないかと考えることにした。



 格納庫


「うう……」


 作戦実施の二時間前。超空間潜行に入る前に最後の搭乗訓練を受けていた斉藤は、やはりというか当然というか、青い顔をして手にしたエチケット袋を整備兵の持ってきたゴミ箱に放り込んでいた。彼の胃に収まっていた昼食は、当然のように全てがエチケット袋の中に投入された。斉藤君、迂闊。


「こんなので大丈夫なのかなぁ……」

「とりあえず堪えるぐらいは出来るようになったわね」

「そうなのかな……」


 若干だが満足げなゲルトルートの顔を見て、斉藤は褒められているのかどうなのか判断しかねた。


「実際の作戦時はもっと緩いわよ。周りに護衛もいることだし」

「その通り。いざというときには私が盾になりますから、ゲルトルート君と斉藤君は安心していてください」


 その様子を見ていたらしい桜田は、まだ気分の悪そうな斉藤を元気づけるように言ったのだが、それさえも斉藤にとっては吐き気を呼び戻すものだった。課長職ともあろうものがそんなにホイホイと自分が死ぬような行動を口走るというのは、正気の沙汰ではない。


「課長は盾にならなくても良いので敵機を落として頂ければ……」


 流石のゲルトルートも若干引いている。その様子を見た斉藤は、まだ自分の感性が正常なものだということに安堵した。


「ははは。部下の命を守るのも上司の役目です。ではまた、作戦まで時間がありますから、休憩しておいてください」


 桜田がその場を離れると、ゲルトルートは自分の機体で待機すると言って、コクピットへと戻っていった。斉藤は口をゆすごうと、格納庫の洗面所へと向かった。


 彼はふと、洗面台の鏡を見た。自分の顔とは言え、ここ数ヶ月の状況の変化は、彼の顔に明確な変化をもたらしていた。元々太いとは言いがたい彼の体躯はさらに痩せ、頬が若干こけていた。実はこの時点で彼の体重は五キログラムほど減少していたのである。



「整備班長、何です? 斉藤袋って」


 斉藤袋とあからさまに目立つように書かれたゴミ箱をみたアルヴィンは、近くを通りかかった整備班長を捕まえていた。


「エチケット袋。あいつくらいしか使わないからな。誰かは知らんが、いつの間にか斉藤袋って呼び出したんだよ」

「つーことは言うことは、また吐いたのかあいつ」

「ヘルメット内で吐いたら窒息の危険もあるからな。吐くならこれに吐けってデルプフェルトが用意したらしい。あいつがそんな気遣いをするとはな」


 ガハハと笑う整備班長の姿を見たアルヴィンも、今頃洗面所で青くなっているであろう斉藤の姿が目に浮かんで、少々の哀れみを抱いていた。


「なりは小さいが頑丈なヤツだよ。ゲルトの操縦する戦闘機に乗るなんて、俺はごめんだね」

「あのまま軌道航空軍に居れば桜田課長くらいのエースになっていたかもしれんヤツですよ。斉藤袋ね、覚えておきます」

『全艦に達する。こちら艦長。間もなく超空間より浮上する。全艦第一種執行配備。各課員は所定の持ち場にて待機。航空隊は浮上後直ちに発進できるよう、搭乗機にて待機!』


 大鳳艦長菊池の声がスピーカーから流れると同時に、警報音がけたたましく鳴り響いた。アルヴィンは斉藤のことも気がかりだったが、とりあえずは自分の搭乗機へと向かった。



 第一艦橋


「間もなく通常空間へ浮上します。五、四、三、二、一。浮上完了」


 艦艇の出す超空間潜行の痕跡には、光学的に観測できるものと重力波や電磁波などで観測できるものがあるが、大鳳のような大型艦はどちらも桁違いに大きな反応を示す。全長一キロメートルもある巨艦が随伴艦共々浮上したのなら、今頃イルシン自治共和国の航路管制局辺りが、予定にない浮上艦艇に対して誰何の通信でも入る筈だった。しかし今回に限ってはその気配はない。


「こっちは終わった。俺は部屋に帰って寝る」


 電子戦指揮官として艦橋に詰めっぱなしだった瀧山は、ブリッジのシートであぐらをかいたまま背伸びをした。流石に口にくわえたタバコに火を付けるのは思いとどまったようだが、凝り固まった肩と首の筋肉を解きほぐしつつ、彼は戦闘態勢のブリッジから退出した。


 彼の仕事は現状、ほぼ完璧なまでにイルシン自治共和国防衛部隊、周辺ET&T中継局など主だった通信・警戒網を叩き潰していた。つまり、彼のこの現場での仕事は終わっていたのである。実戦部隊がどうなろうと、自分は自分の仕事をしたのだから、彼としては睡眠を要求するのは当然だった。


「突入隊発進開始!」

『では、突入隊行ってきます。留守はお願いしますね、菊池艦長』

「心得ました」


 仮にも戦闘だというのに、ちょっとコンビニ行ってきますとでも言うような桜田の声音は、菊池にとってようやく慣れたとはいえ、出鼻を挫かれるものであることには変わらない。十数機の少数編隊が惑星夜側へ向けて最大加速を開始したのを確認し、菊池は続けて陽動部隊の発艦作業を開始させた。


「艦長、突入隊、イルシンの夜側に回り込みました」

「よろしい。ではこちらは派手にやるとしよう。雷撃戦用意! 光子魚雷、目標資源衛星IL-3482。光子魚雷着弾後、航空隊は敵拠点への空襲を行え」


 近隣星系の帝国軍部隊から徴発した光子魚雷は、巡航徴税艦インディアナポリス、デ・ロイテルのミサイル発射管から射出された。


「着弾!」


 まばゆいばかりの光が放たれたると、資源衛星は跡形もなく消え去っている。高精度なセンサーを使用すれば、むしろ着弾後の方が空間が綺麗になっていることに気がつくだろう。光子魚雷とはそれほどの恐ろしい兵器なのだが、特徴局はこれを単なる陽動の第一段階。派手な花火程度に使うのである。はっきり言ってしまえば正気の沙汰ではない。



 惑星イルシンⅢ

 特徴局実務三課 大鳳航空隊

 SU-38T 五六番機


『全機通信は回復しましたか?』


 桜田の声がヘルメットのスピーカーから聞こえることを確認した斉藤は、前席に座るゲルトルートの反応を見ようとするが、後ろ姿だけでは彼女がどのような顔をしているのかも分からない。


『そろそろ我々はセンターポリスからの可視圏内に入ります。ここからは高度を下げて、低空で政庁ビルに接近します。途中対空砲火などはあるでしょうが、適当に避けてください』


 そんな無茶な、と斉藤は唖然としたが、桜田以下実務三課航空隊の面々はその程度のことで動じるようでは務まらないとばかりに高度を下げ始めた。


「斉藤。行くわよ」

「え、ああ、うん」


 この時点でゲルトルートはおろか斉藤自身も気づいていなかったのだが、現在までに斉藤がこなしてきた搭乗訓練は無重力下であり、一G重力下のものではなかったのである。


 大気圏突入からの減速を最小限に抑え、ソニック・ブームを引きずりながらイルシンのセンターポリス外縁に辿り着く頃には、目視、もしくは電子妨害から復旧したシステムによる対空迎撃、および戦闘機隊の迎撃を特徴局航空隊は受けることになった。


『目標はあくまで政庁です。雑魚には構わず、早く仕事を済ませましょう』


 涼しげな声で言っている桜田だが、既に三機ほど撃墜している。他の航空隊も同様だが、それを尻目に、突入班の要であるゲルトルート機とアルヴィンの乗る機体はさらに高度を下げていくが、いよいよ対空砲火も苛烈。ミサイルやレールガンではなく、至近距離の対空機関砲が打ち上げられるほどである。


「斉藤! そろそろよ!」


 回避のために右に左に上下にと忙しない操縦のゲルトルートが叫ぶ頃には、政庁ビルが地平線の彼方からせり上がるようにして見えてきた。斉藤はといえば、実はそれどころではなかった。猛烈なGにより三半規管が根こそぎシェイクされて嘔吐中枢に過大な刺激を受けているのである。


「政庁周辺は流石に防御が固い……! 斉藤! 首相の執務室は何階!?」

 

 だから斉藤はそれどころではない。彼は襲い来る嘔吐感を理性と尊厳でなんとか堪えつつ、あらかじめ調査部よりもらっていたデータを機体のHUDに反映させた。


「二六階南側! あそこか!」


 それまで亜音速で飛行していたものが、突然速度ゼロ。VTOLも可能なSU-38Tはそのまま政庁ビルを舐めるように上昇する。HUDの表示に従えば、ちょうどそこが政庁のなかでも首相の執務室に当たる部分だ。ゲルトルートは機体を二六階のフロアとほぼ同じ高さで静止させると、若干機体を後退させた。


「ちょっと! 何する気!?」

「あんた、いちいち屋上のヘリポートに乗り付けて行くとでも思ってたの?」


 斉藤の返事より前に、機体に加速度がかかり、機首は太陽光を反射するカーテンウォールを突き破った。

 

「無茶だ!」

「無茶も何もできたでしょ! ほら降りなさい。ほら、仕事仕事」


 ゲルトルートが颯爽とコクピットから降りたあと、斉藤はステップや翼を伝ってようやく床に降り立って、ヘルメットのバイザーを上げた。その瞬間である。斉藤の胃が反転し、内容物をイルシン自治共和国首相の執務室にぶちまけたのである。


「げっ、吐いた」


 なまじ先ほどまで会話していたものだから、ゲルトルートは飛び退いた。


「……特徴局……徴税三課、斉藤一樹」


 床に跪いてあえいでいた斉藤は、しばらくしてようやく、よろよろと立ち上がった。


「あ、あの、君、大丈夫かね……」


 自治政府首相は、自分のハンカチを斉藤に差し出した。


「あ、すみません……」

「水も飲みなさい……体調でも悪いのかね」

「いえ、あまり戦闘機には乗り慣れていないので」


 あまりに非日常的な光景に、むしろ自治政府首相は冷静だった。目の前の青年が突然嘔吐したのに、床が汚れたのも、自分のハンカチがゲロ塗れになって使い物にならなくなったのも顧みなかったのは、彼の善性が幾許か残っていたことの証左であったのだろう。


 ただし、この男は国家の税金と資産を自らの野心のために流用した悪党であるという点に代わりはない。


「ところで……こ、これはなんだね? 戦闘機が突っ込んできたのはなぜ」


 ようやく自治政府首相はその点に思いが至ったらしい。目の前に戦闘機が突っ込んでくるなどという非現実的な出来事よりも、まだ若い青年が突然嘔吐したという、まだ現実味のある事象への対処のため、確認が後回しになっていただけである。あまりにも暢気すぎる言葉だが、それほど常識の埒外にある出来事なのだから無理からぬことだった。


「私は特別徴税局徴税三課、斉藤一樹。現在イルシン自治共和国には多額の税滞納が認められ、度重なる催告にも関わらず、現在も未納です。我々特別徴税局は、帝国税法第六六六条に則り、強制執行に入らせて頂きます。既に軌道上と首都上空は封鎖させて頂きました。間もなく庁舎にこちらの陸戦部隊も到着します」

「逃げ場はないわ。大人しくなさい」

「……」


 差し押さえ令状を掲げた斉藤とゲルトルートの最後通告に、自治政府首相は言葉を失っていた。実は彼の元には、まだ特徴局が強制執行に入る予定があるという情報がもたらされていなかった。あと一日突入が遅ければ、彼は今頃帝国辺境のどこかへ逃げおおせていたに違いない。


「あ、フリーズしてる」

「その気持ちは分かるよ……」


 ゲルトルートが興味本位で胸のあたりを小突くと、そのまま自治政府首相は崩れるように倒れ込んだ。彼なりに極秘裏に進めていた計画が、見事に看破されていたのだからむりもない。


「おー、派手にやりやがってまあ」


 こちらは正規ルート、つまり政庁屋上のヘリポートに強行着陸したアルヴィンが、暢気な顔をして執務室に入ると、床に広がる吐瀉物、破壊された窓、鎮座する戦闘機、そして床に倒れ込んだ首相という、よくわからない光景が広がっていた。


「首相は?」

「崩れ落ちました」



 装甲徴税艦 カール・マルクス


「あー、そう。うまくいったんだねーご苦労さん。それじゃ後片付けして帰ってきてね」


 局長執務机の上に鎮座する古めかしい電話の受話器を置くと、ちんとベルの音が鳴る。古風なものだが機能は現在主流の通信端末と大差ない。


「終わったんですか?」

「うん。うまく片付けてくれたみたいで結構毛だらけ猫灰だらけってね」


 イルシン自治共和国にいる秋山徴税一課長からの報告に、永田は満足そうにうなずいていた。


「何言ってるんですか、気楽そうに」

「あー、そんなに僕が楽そうに見える? じゃあミレーヌ君、変わる?」


 永田の軽口に、ミレーヌは軽く眉を顰めた。


「結構です、その気も無いくせに。はい、これ今日中に目を通しておいてくださいね。徴税二課から新装備開発の計画書、調査部から次の強制執行先の候補リスト、実務四課から今月の恩赦請求リスト。それに次の局員慰安旅行の行き先候補、六角からの諸々」


 無造作に置かれた合成紙の書類束の山を見て、永田は若干狼狽えた。


「え、これ全部今日中?」

「はい。予想紙に目を通す前にお願いしますね」


 永田の机に置かれていたロージントン・エアロダインカップの予想紙を取り上げて、ごみ箱に放り込んだミレーヌがこれ以上はないというほどの笑みを浮かべる。


「あのー、ミレーヌさん。これ明日じゃダメ?」

「ダ・メ・で・す」

「はい……」


 有無を言わせない否定の言葉。ミレーヌにこれを言われては、たとえ天下の特徴局長といえどもうなずくしかなかった。



 徴税母艦 大鳳

 格納庫


「おう、斉藤」

「瀧山課長……」

「まあなんだ。俺のほうでも不手際だった。おめえみたいな新人にも使いやすいシステム組んでやるからまあ、今後ともよろしくってな」


 少々慣れない様子で手を差し出した瀧山を、斉藤はまじまじと見つめたあと、握手を求めていることに気付いた。握り返した手は中々にゴツゴツとしていた。


「じゃ、ま、これで一件落着ってことやな。斉藤はん、まあうちの四課長はこの通りぶっきらぼうやさかい、許したってーな」

「うるせえぞターバン!」


 ここに、メール流出に端を発する強制執行は幕を閉じた。なお、現物徴収は最小限に抑えられ、徴税額の大半は秘匿されていた自治共和国保有の帝国クレジットにより納付された。また、イルシン自治共和国首相は直ちに更迭および本国へ召還され、星系自治省より代理の首相が派遣される運びとなった。

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