第4話-③ ヒヤリハットは水平展開しましょう

 徴税母艦 大鳳

 格納庫


「……コレに乗るのか」


 当然のことながら、斉藤は戦闘機はおろか、重力制御と慣性制御の行われない小型航空機に搭乗したことはない。格納庫の見学をしていた斉藤は、目の前に鎮座する白地に赤帯――特別徴税局所属機を示す――という派手なカラーリングの戦闘攻撃機を見上げていた。


「あんたが私の機体に乗るの?」


 斉藤の後ろから、パイロットスーツ姿の女が声を掛けてきた。先ほどの会議で、意見具申をしていた声と同じだと斉藤は気づき、振り向いた。


「え、うん。そうだけど」

「さっき通達があった。私があんたを運ぶパイロット、ゲルトルート・アウガスタ・フォン・デルプフェルト」

「徴税三課、斉藤一樹です。よろしく」

「……大丈夫?」


 斉藤の頭の天辺からつま先まで、ゲルトルートは不安げに見やった。戦闘機パイロットというのは体力勝負であり、見るからに体力のなさそうな斉藤を心配に思ってのことだったが、斉藤は別の受け取り方をした。


「君とそんなに変わらないよ……」


 斉藤一五二センチメートルに対して、ゲルトルートは一六五センチメートル。若干ゲルトルートが斉藤を見下ろす形になっていた。


「戦闘機乗ったことある?」

「ない」

「ちょっとこっち来なさい」


 グイと斉藤の手を引いたゲルトルートは、パイロット用の更衣室へと向かった。



「はいこれ、着替えて」

「なにこれ」

「なにこれって、パイロットスーツでしょ」

「え? なんで?」

「察しが悪いわね! 戦闘機ってのを肌身で理解させてやるってこと!」

「あ、ああ、なるほど」

「ほら、そうと決まったらさっさと着替える!」

「……」

「な、なによ」

「出てってくれないかな?」

「あっ、ごめん」


 押しは強いが天然が入っているのではないか、と斉藤は感じた。この時知る由も無いが、彼女と総務部のソフィは同期で友人。類は友を呼ぶ、とも言えた。


 着替え終えた斉藤とゲルトは、再び格納庫へと戻った。


「おー! なんだなんだゲルトちゃん、カップルでタンデム飛行かい?」

「ひゅうー、お熱いねえ」

「あー! 仕事中に不純異性交遊は内規違反じゃないのかぁ~!」


 暇を持て余し、格納庫で余暇を過ごすパイロット達にとって、若い男女が仲睦まじく手を取り合い――この場合、斉藤は引っ張り回されているだけなのだが――歩いているのだ。冷やかしの一つや二つ飛ばさなければやっていられないと、彼らは考えていた。


「うっさい! 戦闘機一機借りるわよ」

「うわー……すごい、戦闘機だ」


 斉藤らしからぬ、気の抜けた感想であった。ちなみに特徴局で採用されているのは、SU-38T戦闘攻撃機。帝国軍でも広く用いている傑作機である。基礎設計から一〇〇年近い時を経て、改良は実に二〇回に及ぶ。


「そんなの当たり前でしょ。ほら、これヘルメット。シートベルト締めておいて」

「……?」

「シートベルト分かんないの?」

「え、う、うん」


 斉藤にとっては戦闘機のシートベルトは全く触れたことがない。この時代でも自動車などにはシートベルトが安全装備として設けられているが、戦闘機のそれとは構造が大きく異なる。


「ほら、とりあえず座って……他の連中と身体の大きさ違うからな-。あれ、ここか?」

「ちょっ、あの」

「何よ」

「い、いや、そういうことではなくて」

「だぁーっもう何よ、女の子が近くて気になる? あたしなんてそんなのと関係ないじゃない」

「い、いやそんなことはない!」

「はぁ!? な、なに言ってるの!?」


斉藤としては気が気ではなかった。ほぼ同年代の女性が自分の胸元やら股ぐらのあたりを無遠慮に触れるのだから無理もない。彼女がいる身とはいえ、斉藤はまだまだ初心うぶであった。これは彼が非童貞であろうとなかろうと変わらないのである。つまり性格。元々彼には女性に対する免疫が不足気味だった。


「何やってんすか、アレ」


 暇を持て余しているのは彼も同様であった。トリスタン・アルヴィン・マーティン・ウォーディントンは自分が乗る予定の機体の整備でも手伝おうと、格納庫を訪れていた。すると、ギャアギャアと言い合う斉藤とゲルトルートが見えたのである。


「斉藤さんの訓練だとかで。飛行長から許可は出てるらしいっすよ。新人らしいけど案外手が早いんすね、斉藤さんって」


 一緒にエンジン整備をしていた整備員が、茶化すような調子でいうのを、アルヴィンは黙って聞いていたが、懸念事項に思い当たって斉藤達の乗る戦闘攻撃機に駆け寄った。

 

「あ、ちょっと待った! あいつマジでド素人なんだけど、おい! ゲルトちゃ……行っちゃったよ」


 エアロックの向こうに消えた機体に声を掛けたところで、もはや手遅れ。アルヴィンは重々しい音を立てて綴じられた装甲シャッターを前にして、斉藤の無事の帰還を祈ることしか出来なかった。



 特徴局実務三課航空隊

 SU-38T 四五番機


 大鳳から電磁カタパルトで射出された機体は、そのままの勢いで慣性飛行中だった。SU-38Tは帝国軍でも使用される大ベストセラー戦闘攻撃機であり、癖の少ない操縦特性に高い防御力を誇る。そんなことなど露知らない斉藤は、後席で完全に呆けていた。


「結構凄いね……」

「そりゃそうでしょ。船みたいに慣性制御とか重力制御効いてないから」

「……宇宙だ」


 あまりにと言えば、あまりな斉藤の感想に、ゲルトルートは大きくため息をついた。この時点で斉藤のIQには大幅な低下が見られたが、実務に影響が出ていないものであり、この知能指数低下をもたらしている斉藤の心身の疲労が初めて特徴局内で認識されるのは、もう少し先のことになる。


「あったり前でしょ! 寝ぼけたこと言ってないで、行くわよ」

「え?」


 ループ、つまり宙返りから始まりエルロンロールからシャンデル、スライスバックにインメルマンターン、スプリットSにクルビット、曲技飛行から実戦機動まで食べ放題おかわり自由のオンパレード。機体各所のバーニアが忙しなく火を噴き機体を回転させる。


 一通りの空戦機動を試した直後であった。後席に座っていた斉藤は顔を青くして喘いでいた。


「うっ……あ、あの、トイレ」

「あ、ちょっと待った!」


 惨劇である。ヘルメットがなければ即死であった。主にゲルトルートが。


 

 徴税母艦大鳳

 格納庫


 帰艦したゲルトルートの戦闘機には、マスクとゴム手袋を装備した整備員が群がっていた。斉藤が迂闊にもヘルメットのバイザーを上げたまま、リバースしてしまったからだ。おかげでコクピット内は嘔吐物塗れで当分使い物にならない有様である。


「あらー、やっぱり」

 

 アルヴィンは当該機から一〇メートルは離れていたが、それでも僅かながらニオイを感じていた。近づけばさらに強烈なニオイを感じられるであろうことを予期して、無意識に彼はそこから一歩も動こうとしなかった。


「スティーブ、すまん。うちの斉藤の分のメットとパイスー、一式新しいの用意してくれや」

「はいっ!」


 近場に居た整備員に声を掛けたアルヴィンは、暇で暇でしょうが無いといった感じで、そのまま整備風景をぼんやり眺めることにした。


 一方その頃、格納庫隣接の搭乗員用のシャワーブースに放り込まれた斉藤は、整備員愛用のシャンプーとボディソープで身体を入念に洗浄していた。一ヶ月機械油に漬け込まれていても落とせるという触れ込みのそれは、斉藤の柔肌としなやかな髪に染みついた嘔吐物のニオイを、本来あるべき皮脂諸共そぎ落としていた。なお、パッケージには徴税二課謹製と記されていたが、斉藤は気づいていなかった。


「私だって最初の頃はそうだったもん……ごめん」


 ゲルトルートは先にシャワーを浴び終えて、斉藤が出てくるのをブースの外で待っていた。斉藤が身ぎれいになって出てくるなり、彼女は頭を下げた。


「えっ?」

「素人にこんなことさせちゃうなんて」

「いや、別にいいよ。デルプフェルトさんは僕の乗務経験を心配してくれただけじゃないですか」

「……はい、これ」

「……なにこれ?」

「化粧水とリンスとコンディショナー!! あのシャンプーとボディソープは肌が荒れるから」


 酒保で買ってきたのであろう、ビニール袋に詰められた美容品を押しつけられた斉藤であった。ゲルトルートも申し訳ないと思っている様子ではあった。


「デルプフェルトさん、その、ありがとうございます」

「ほとんど同い年でしょ? ゲルトでいい」

「へっ?」

「いいから! とにかく、ちゃんと化粧水つけときなさいよ! じゃあ、私はこれで。ゆっくり休みなさい!」


 ゲルトルートはそう言うとその場を後にして、斉藤だけが残された。



 通路


「おお、斉藤君。ゲルトがすまんな」


 斉藤があてがわれた自室へ戻る道すがら、第一課長の秋山が斉藤に声を掛けてきた。既に彼は、斉藤君逆噴射事件の顛末を聞き及んでいるらしい。


「秋山課長、お疲れ様です。これは僕が慣れてないからでして……」

「あいつの操縦に慣れてる人間がいるなら、俺が見てみたいものだ。ただまあ、君とアルヴィンは突入班に編制されている。ゲルトルートには少し操縦を丁寧にするよう言っておくよ」

「あの、彼女は僕みたいに新規入局だったのですか?」


 もし特徴局入局後にああなったのなら、それはとんでもないことだ。軍隊と何ら変わらないじゃないか。自分もそうなるのではないかという疑問が、斉藤の口を動かしていた。


「いや、彼女は元軌道航空軍のパイロットだ。自分から特徴局に飛び込んできた変わり者……まあ、手が早いヤツでな。暴力沙汰で実戦部隊を外されるということで、売り込みに来たところを俺が拾ったというわけだ」

「そうなんですか……道理で」

「まあ悪いやつではない。手が早いってのも、売られた喧嘩を言い値で買うってだけの話で、自分から手を出したわけじゃない。悪い奴じゃないからまあ、歳も近いし仲良くやってくれ」

「は、はあ」

「君もまあ、大変なところに放り込まれたな。これも特徴局員の通過儀礼みたいなもんだ。しばらくは彼女の操縦に少しは慣れてもらうためにも、到着まで何度か訓練飛行に付き合ってくれ」


 秋山は斉藤の方を軽く叩いてその場を後にした。



 第一食堂


「あ、斉藤はん、斉藤はん。いまから飯?」

「はい。えーと、ラマヌジャンさんもですか?」

「ええねん、そんな固っ苦しい。皆チャンドラとかセカールとか適当に呼んでんねん」

「い、いえ、仮にも他部署の方にそんな」

「おいターバン。お前うちの斉藤になにか用か? あ゛?」


 ド直球な綽名に流石の斉藤も眉をひそめるが、特徴局内において、ラマヌジャンの通称ターバンは一〇〇パーセント通じると言っても過言ではない。そもそも、ターバンを巻いてるような人間はラマヌジャンただ一人である。彼も瀧山共々、事態の責任を負う形で大鳳に乗り込んでいた。


「まったまたぁ、そんなケンカ腰にならんでもええやん。仲良うしようよぉ」

「良いか斉藤、こいつはホント適当だから、言ってること信用しちゃならねえぞ」

「は、はあ」

「ひっどいわぁ、心外やわぁ、めっさ傷つくわぁ」

「よく言うぜ。あの瀧山のオッサンの下で働けるような人間が、俺みたいなチンピラの一言で傷つくもんか」

「せやで」


 ラマヌジャンの一言にアルヴィンは「うるせえ!」と手にしていた書類束でターバンの頭を叩いた。暇な時間に食事を済ませようという人間でごった返す食堂に入った三人は、どうにか空席を見つけて食事に入る。


「ここは落ち着いてますね」


 おおよそ官公庁の食堂らしからぬ喧噪の中で食事をしているのだが、斉藤もいよいよ感覚が麻痺している。比較する対象が実務四課旗艦のガングートなのだから無理もない。カール・マルクス第一食堂に比べれば数倍騒々しい。


「下のパイロット用食堂も面白えぞ。って、おいターバン。お前それカツ丼じゃねーか。豚肉いかんのじゃないか」


 自分は四五八帝国クレジットの牛丼を掻き込んでから、手にした箸でラマヌジャンの手にしたどんぶりを指す。指し箸はマナー違反とハンナ・エイケナールが居れば注意しただろうが、斉藤はそこまでの余裕がなかった。ちなみにラマヌジャンは生まれ育った土地の土着宗教の信者であり、伝え聞くところに寄ると豚肉は戒律により食べられない――というのがアルヴィンの認識だった。


「ちゃうねんアルヴィンはん。これはとんかつ。豚肉じゃないやん。めっちゃサクサクに揚がってるやんこれ。サックサクやでサックサク」

「水が凍ったら氷だからH2Oじゃありませんって言ってるようなもんだろ!?」


 アルヴィンのツッコミにしばし沈黙後、何かを思い出したようにラマヌジャンは立ち上がった。


「あーせやせや、そろそろ礼拝せなあかんねん」


 彼一流の回避行動。面倒ごとが起きると彼は礼拝の時間だと言ってその場で五体投地し出すのである。


「おまえんとこの聖地はどっちだよ! お前地球の方向見えてんのか?」

「大丈夫大丈夫、うちの神様寛大やさかい、よそ見して礼拝してても許してくれはる」

「ほんま都合がええやっちゃなぁ……」


 ラマヌジャンの方言が若干伝染しているアルヴィンであった。斉藤はそのやりとりを見つつ、何故自分がここにいるのか自問自答しようとしたが、あまりに無意味なことなので手にしたどんぶりの中身を味わうことだけに集中した。



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