第2話-④ 徴税艦隊(タックス・フォース)

 装甲徴税艦 カール・マルクス

 徴税三課 オフィス


「疲れたろ、ほれ」


 差し出されたカップを、斉藤はまじまじと見つめていた。果たしてコレは何だろう。黒い液体がカップの中で揺らめいている。


「何だ、怪しいもんじゃねえよ。コーヒーだコーヒー」

「ありがとうございます……」

「何だ、疲れたか? そら疲れるよなぁ……悪かったよ、そういえばお前は、普通の生活を送ってきたんだもんな」

「……アルヴィンさんは違うんですか」

「俺か? 俺はほら、ムショ上がりだからな」

「……すみませんでした」


 他人の過去を詮索しないというのは理解していたし、今のはアルヴィンから言い出したことだ。それでも斉藤にとっては、なんだか聞いてはいけないことを聞いた気がして、謝ることしか出来なかった。


「謝るこたあねえよ。俺みたいなのは珍しかねえ、ここではな……俺なりの正義ってやつを行使してみたんだが」

「正義……」

 

 自分なりの正義の行使。斉藤にとって、その考え方は今まで思い至らないものだった。


「まあ、追々話すこともあるだろうさ。今日はゆっくり休め。寝だめ食いだめは特徴局員の仕事のうちってね」


 その日の残務処理を終えた斉藤は、一足先に業務から開放された。


 

 

 斉藤の自室


「……とんでもないところに来てしまった」

「おぁんおぁん」

 

 どこからともなく聞こえてくるサー・パルジファルの鳴き声に、斉藤は首を巡らせた。

 

「……部長? どこですか?」

「あーん」

「あっ、ベッドの下か……ほら、出てきてください」

「おあーん」

「はいはい……部長、僕はここでやっていけるんでしょうか」

「ごろごろ」

「……答えてくれないですよね、そりゃそうか、猫だもんな」

「おあーん」

「あっ……そうだ、晩ごはん、まだ食べてないな……」


 実はここに至るまで、斉藤はカール・マルクスの食堂というモノを使っていなかった。居室の近くに無人販売機コーナーがあったし、酒保に行けば大抵のモノは揃っていた。何より、他人しかいない空間で食事をするというのは、斉藤にとってあまり愉快なモノでは無かったのであるが、ここで勤務する以上いつまでも孤立するわけには行かない。やや重たい足取りで、斉藤は通路の案内表示に従い、ひとまず第二食堂とやらへ向かうことにした。


 

 第二食堂


「残したやつァ懲罰房突っ込むぞ! モタモタ喰うなぁ! そこぉ! 米粒が残ってるぞ! 囚人共に飯を残す権利などない!」


「なんだこれは……」


 斉藤は唖然として見やるだけだった。食器の返却口では食堂のおばちゃんならぬ看守のような男が怒鳴り散らしていた。入り口で立ちすくむ斉藤を、邪魔とばかりに丸刈り頭の人の波が押しのけていく。


「斉藤君? 何してるの?」


 壁際まで追いやられた斉藤の方が、突然叩かれた。誰だと振り返る斉藤は、この場に唯一、見知った顔を見つけ出せた。


「エイケナール主任……ここはなんですか?」

「なにって、食堂」

「食堂……てっきりまだ戦闘中なのかと」


 そこはカール・マルクス最大の定員数を誇る艦内食堂の一つ。斉藤はまだ知らなかったが、ここは刑期中の囚人や軍紀違反を犯した軍人上がりの実務課や渉外班員――まとめて囚人兵などとも言われる――のための場所だった。併せて六〇〇人の腹を満たす場所。ソースと醤油の小瓶が宙を舞い、割り箸とフォークとスプーンがミサイルのごとく飛び交い、罵声と乱暴な言葉が機関銃のように放たれている。


「良いセンスしてるわね、斉藤君。ほら、こっちこっち」


 

 第一食堂


「一般職はこっちの食堂を使いなさい。あそこは落ち着かないでしょ?」


 エイケナールに連れられて斉藤がやってきたのは、先ほどの食堂のちょうど真上の甲板にあるもう一つの食堂。こちらも賑やかさでは負けていないが、まだ常識の範疇だった。第一食堂はカール・マルクスで働く一般職と総合職の局員が利用する場所である。


「今日は疲れたでしょ? うちじゃあんなの珍しくないけど、いきなりドギツい現場だったわね」

「いえ、慣れないと……」

「あのね斉藤君。初めにこれだけ言っとく。あんな状況に慣れたら終わりよ? 局長とか課長みたいになるわよ」

「は、はあ」


 その瞬間のハンナ・エイケナールの顔は、斉藤にとって二度と忘れられないものになった。後にも先にも、彼女があんなに怒気を浮かべたのはこれっきりだった。


「ほら、好きなの頼みなさい。今日は私のおごりよ」

「いえ、そんな」

「いいの。後々私があなたにタカるんだから」


 悪そうな笑顔だと斉藤には見えた。


「おおっとぉ、主任殿にあるまじき発言ですなぁ」


 メニューを見ていた斉藤とハンナの後ろから、調子の良い声と共にアルヴィンが現れた。


「アルヴィン、あなたも夕食? 珍しいわね、いつも下で食べるのに」


 一般職の使う第一食堂は、局長や部長クラスも顔を出す。それが窮屈なので、アルヴィンは第二食堂で食事を取ることが多い。


「斉藤が見えたんでな」

「お疲れさまです、アルヴィンさん」

「おう。そんじゃま、俺も主任殿のご相伴に」

「あんたは自腹」

「冷たいねえ……」


 メニューごとに分けられた配膳口から料理を受け取ると、四人掛けテーブルに腰を落ち着けた斉藤、アルヴィン、ハンナは夕食と相成った。


「そんじゃま、いただきますっと」


 アルヴィンが箸をとり、勢いよく中細麺を啜る。ラーメン定食五六二帝国クレジット。艦内食堂では最安値に位置する。餃子、漬物、ライス大盛りは無料となっている。


「今日の肉じゃが、味が染みてるわね。はぁ、これよこれ」


 ハンナが注文したのは日替わり定食Aセット。八四九帝国クレジット。リーズナブルな値段帯ながら、おかずと小鉢に汁物とごはん、それなりのボリュームだ。


「斉藤君、食べないの?」

「あ……いえなんでもないです」


 A定食に箸を付けない斉藤を訝しんで、ハンナが不安げな顔になる。


「何だ斉藤。食欲ねえのか? 俺が喰っちまうぞ」

「やめなさい」

「あだっ」


 斉藤の手元の小鉢に橋を延ばしたアルヴィンの手を、抜く手も見せずにハンナが叩く。


「まだ実感が湧かなくて」


 斉藤の言葉に、ハンナとアルヴィンは顔を見合わせ、納得したように唸った。それもそうだろう。斉藤はほんの少し前まで、汚れなき真っ当な官僚になるはずだったのだ。それが今や、特別徴税局などという、実態もよく分からない現場に放り込まれていたのだから。


「まあ、なんだ。斉藤、住めば都っていうしな、うん」

「そ、そうよ斉藤君。さっきはあんなこと言ったけど、ええ」

「……お二人は、僕がここで続けられると思いますか?」

「え? うーん、そりゃあお前次第だな」

「こらアルヴィン」


 アルヴィンのあまりに突き放した答えに、ハンナが目を顰める。


「主任殿だってそうだろう? イヤだってやつを引き留める訳にもいかねえしな」

「アルヴィンさん……」

「最初は自信が無くて当然よ。なにせ特別徴税局に新卒で入る人間なんてめったにいないし」

「まあそうだなぁ……いや、俺はある意味新卒入省だぞ?」

「あんたは刑務所上がりでしょうに」

「お互いにな」


 しまった、という顔をしたハンナに、斉藤は愛想笑いを浮かべるしかなかった。


「ち、違うのよ、私はちょっとしたハッキングでね……」

「主任、ハッカーだったんですか!?」


 斉藤はかなりの驚きをもってハンナを見つめた。


「まあ、あなたに黙っておくこともないけど、私、職業ハッカーだったのよ。銀行システムとか、あの辺専門の。いつまでも上手く行くわけがなく、このザマって訳。まあ、それを買われてここに居るんだけど。司法取引ってやつね」

「斉藤は身ぎれいなんだからな。あんまり悪いこと教えんなよハンナさん」

「お互い様、でしょ」

「ははは、言えてらぁ」

「ま、まあ……ともかく、あまり肩肘張って仕事する場所じゃないということだけは理解してもらえたかしら?」

「は、はい、主任……」

「ハンナで良いわよ。ともかく、今後ともよろしくね、斉藤君」


 

 斉藤の自室


「……食べた気がしない」


 アルヴィンとハンナは斉藤のことを気に掛けてくれているのだが、いかんせん斉藤の人生ではおおよそ出会うことのない人種なので、現実味がなかった。自分の居る部屋でさえ、ここが宇宙空間を航行する戦艦、いや、装甲徴税艦だとは、外に出て見ない限りは分からない。


 斉藤にとって、人生で初めて味わう感覚だった。それまでの斉藤の人生は、言うなればより高い成績を目指す登山のようなものだった。しかし今斉藤がいるのはそういったものだけでは通用しない場所。


 銃撃を受けて血を噴き出しながら倒れる人間、頭蓋骨を打ち砕かれて倒れる人間、それらを思い出した斉藤はトイレで夕飯として食べたものを全て吐き戻していた。


「どうなるんだこれから……」

 

 そのままシャワーを浴びた頃には、時計が既に二三時を指していた。


 斉藤はベッドを占領しているサー・パルジファルを少し横に避けると、仕事の疲れに押し潰されるように睡魔に身を任せ、意識を閉じた。

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