第1話-② 天翔る徴税吏員達


 木星近傍空間

 特別徴税局 総旗艦 装甲徴税艦カール・マルクス 

 局長執務室


「ほんじゃまあ、改めて自己紹介。僕が特別徴税局局長の永田閃十郎ながたせんじゅうろうだ」


 艦内の自室の手配や書類関係の処理を終えた斉藤は、再び局長の前に引き出されていた。


 装甲徴税艦カール・マルクスは、現在木星近傍空間。太陽系から辺境宙域への超長距離超空間潜行――超光速航法、所謂SFアニメのワープ――を行う艦艇は、太陽系で中心星の太陽に次ぐ高重力源である木星からの重力干渉を受けないために、一度木星近傍への短距離潜行を行ってから、木星を通り越したあとで太陽系外へ超長距離潜行を行うのが基本だった。


 斉藤にとっては、初等学校の修学旅行でエウロパの海中ホテルに宿泊して以来の木星だった。


斉藤一樹さいとうかずきです。至らない点ばかりですが、ご指導ご鞭撻のほどお願いいたします」

「うん、良い返事だ。僕が入省した頃とそっくり……ミレーヌ君、その目はなに?」


 懐かしむような永田の姿を、ミレーヌ・モレヴァンは訝しげな目で見つめていた。それはまるで得体の知れない化け物でも見るような、そんな目つきだったと斉藤は後年振り返っている。


「いいえ、よくもまあバレバレの嘘を言うんでしょうと思っただけです」

「つれないなぁ……」

「私がミレーヌ・モレヴァン。特別徴税局総務部長です。前線のことはよく分からないけれど、そこに居る昼行灯ひるあんどんのあしらい方とか、そういうことならいつでも聞いてね」


 局長はつかみ所がなさ過ぎて、斉藤としてはまだまだその人物像を把握するに至っていないが、ミレーヌ・モレヴァンに対しては好印象しか抱いていなかった。


「は、はあ。ありがとう、ございます」

「そんなに緊張しなくて良いのよ? どうせこんな出世の袋小路、国税省の動く孤島なんだから」

「ミレーヌ君、せっかく新人さんが来たのにそういう言い方しちゃあ可哀想じゃない」


 斉藤はここに来て、自分の思い描いていた人生設計が崩れ始めているのではといささか不安になっていた。どう聞いても、誰が聞いても、出世の袋小路、動く孤島とは穏やかな表現ではなかったからだ。


 しかしながら斉藤も迂闊だった。国税省本省勤務になるものと決めつけ――彼は知る由もないが、当初はそうなる事が本省内でも確実視されていた――その外局などという出世街道の脇道など、調べもしていなかった。それほど彼の自己評価は高く、確固たるものだった。


 とはいえ、通り一辺倒の特別徴税局の知識は斉藤にもある。しかし、彼はこのあとその知識が本当に上辺のみをさらった薄っぺらい、よく言えば一般人と同等程度だったと気づかされることになる。


「あら、事実を言ったまでです……まあ、ともかく。斉藤君は徴税三課配属が命じられているわ。今、東部辺境のクリゾリートⅧに出向いてるから、合流してからあなたの同僚とはご対面ってことね」


 徴税部第三課。ほんの数時間前、国税省で告げられた自分の配属先。その全容は未だ明らかではないが、自分が配属されるのであれば、それは適性を考慮したものはずだ。当然だ、一切の隙も無く、遅滞なく国家を運営するためには無駄は極力排除されるべきであり、適材適所は基本中の基本。


 斉藤は自らの属する国家のありように、この時点では寸分の疑いも持っていなかった。でなければ、半径一万光年におよぶ帝国の版図が維持できるはずはないからだ。

 

 しかし斉藤は、このあとその自分の認識が大きく食い違っていたこと。いや、むしろ適材適所にも限度というものがあるのを思い知ることになるのだが。


「はい……クリゾリートⅧというと、最近巨額の脱税で話題の?」

「ご明察。よくご存じだ斉藤君。僕と仕事変わる?」

「局長」


 ミレーヌの冷たい視線が永田を射る。斉藤にはまるで氷のナイフが突き立てられているように見えていた。


「冗談だよ……まあ、現地に着くまでたっぷり時間はある。その間に他の部署への挨拶回りを済ませてきて」

「はっ、はい!」

「ミレーヌ君、斉藤君がうちのゴロツキ共に食べられないように頼んだよ」

「た、食べられる……!?」


 斉藤は、ここはサファリパークか何かかと舌先まででかかったのを飲み下した。食べられるとはどういうことだ。ここは帝国の誇る軍事技術の結晶の中ではないのか。


「あはは、ジョークだよジョーク。比喩的表現、文学的修辞」


 比喩にしてもそんな剣呑な例えがあるものか。しかし斉藤はこの比喩が冗談でも誇張でもなく、現実だと思い知ることになる。



 総務部 オフィス


「さて……私達特別徴税局は、さっきも言ったけれど特定の庁舎を持たず、このカール・マルクスをはじめとした徴税艦が動く庁舎として使われているの。仕事の都合上、帝都にどっかり構えとくなんてことも出来ないし」


 特別徴税局の性質上、そうでなければ仕事がしづらいというのは当然だ。斉藤は戦闘艦特有の狭い通路を、ミレーヌから離れないように距離を詰めて歩いていた。


「それじゃあ、僕たちは地上に戻ることはできないんですか?」

「そんなことないわよ。その代わりに休暇時はうちの連絡艇使って本国やら近場の惑星に遊びに出かけてもオッケー。徴税艦もその辺の大きな惑星に停泊するし。もちろん次の仕事までには帰ってきてもらうけど……」


 ミレーヌはそこで言葉を句切ると、足を止めた。目線の先には、軍艦に似つかわしくない木製のドア。入り口のプレートには総務部と記されていた。


「ここが私の持ち場、総務部よ。さ、入って」


 ミレーヌに促されて室内へ入ると、中等学校の教室ほどの広さのオフィスが広がっていた。ここが戦艦、もとい装甲徴税艦の中とは思えない光景だと、斉藤は思った。


「みんな、手を止めずに顔だけこっちに向けてちょうだい。今年の新規入局者、斉藤一樹君よ」

「きゃー! かわいい! 男の子!」

「ちっちゃい! 髪の毛さらさら!」


 それはむしろ、人間に向けられるモノと言うより、愛玩動物へと向けられるものだった。斉藤はまだ知る由も無いが、彼のような小柄で、大人しそうな若い男性というのは特別徴税局内において超がつくほどの希少価値があった。


「ねえねえ今夜開いてる? 私達が艦内案内してあげる!」

「あれ? 緊張してる? びっくりさせちゃった? ごめんね!」


 広いオフィスによく通る声と共に、顔どころか体まで向け、何人かは斉藤に飛びつかんとする勢いで意識を向けてきた。たじろぐ斉藤を、何人もの女性事務員の声が包む。


「あ、あの、えーと」

「ほら、落ち着きなさい。顔は向けろって言ったけど手を休めろとは言ってないわ。はい、斉藤君からも一言」

「至らない点ばかりですが、よろしくお願いいたします」


 テンプレート通りの挨拶だったが、それもまた、彼女たちには新鮮なものだった。


「きゃー!」

「あのウブな感じがたまんない!」

「部長! 独り占めなんてズルい!」

「はいはい、独り占めなんてしないから安心しなさい。それじゃあ各自仕事に戻って」


 ミレーヌが手を叩くと、ジリジリと斉藤に向けて距離を詰めていた総務部員達が自分のデスクへと戻っていった。


「ごめんなさいね。この通り若い女の子が多くてフワフワしてるけど、仕事はよく出来る子達なのよ」


 総務部を出ると、呆れたようなミレーヌがフォローを入れていた。斉藤としては、好印象に捉えられたのは結構なことだと思っていたが、局長の説明で聞いた荒事専門の愚連隊、という表現とは当てはまらなかったので安心していた。



 監理部 オフィス


 次にミレーヌが足を止めたのは、監理部と書かれたプレートの前だった。


「ここが監理部。まあ有り体に言えばうちの内外をつなぐ広報と交渉、それに局内の取締を行う部署ね」


 総務部と同じく、瀟洒な木製のドアを抜けると、総務部と同じような風景が広がっていた。だが、こちらは総務部ほどの姦しさはなさそうだった。斉藤から見れば、平均年齢も総務部よりも大分上に見えていた。


「あら、珍しいですね。ミレーヌから監理部にお越しになるなんて」


 こちらの姿を認めた金髪を三つ編みにした女性が、ゆったりとした所作でこちらに歩いてくる。身につけているのは普通のスーツながら、美術館に展示されている彫刻のような均整の取れたスタイルで、斉藤としては見とれるばかりだった。


「セシリア、今年の入局者を連れてきたわ。彼女はセシリア・ハーネフラーフ。監理部部長よ」

「斉藤一樹です。至らない点ばかりですが、ご指導ご鞭撻のほどお願いいたします」


 今度は黄色い歓声が起きることもなく、こちらを見ていた監理部員達はこちらを一瞥し、軽く頭を下げるだけだった。ハーネフラーフ監理部長はそれらとは違い、斉藤のことを親戚の子供でも見るかのような目で見ている。


「あらあらまあまあ。こんな華奢な男の子が……また局長の気まぐれなのですか?」

「さあどうかしらね。あの局長だから」


 世間話モードのセシリアとミレーヌだが、斉藤はふと、目線を下げた先にあるものの不自然さに気づいてしまった。


「あの……ハーネフラーフ部長、質問が」

「あらあら、どうしました?」


 控えめに声を出した斉藤の声は、若干震えていた。そのトーンに気づいたセシリアは心配そうに斉藤の顔をのぞき込む。


「その、腰に下げているのはなんですか」


 斉藤の目線の先には、スレンダーなセシリアの腰回りには似合わない、金属質の光沢を放つ長銃身のレーザーライフルと、鞘に収められたおそらく刀がぶら下がっていた。時代錯誤にもほどがある。


「これ? これはうちの家に代々伝わる刀と、いざというときのための護身用の銃よ? 監理部は滞納者との最終交渉も担当しているの。だから荒事になっても大丈夫なように、ね」


 その説明を聞いてもなお、斉藤はその違和感を拭えずにいた。そもそも監理部の部長がレーザーライフルと刀が必要になる場面とは一体何なのだ。


「お守りみたいなものよ、深く考えなくても大丈夫。あとであなたにも執行拳銃が支給されるわ」


 帝国においては、警察官と帝国軍人以外だと税関職員、麻薬取締官、刑務官、そして徴税吏員に拳銃携行が許可されており、各局それぞれ制式拳銃が定められていた。しかしミレーヌが腰のホルスターから抜いて見せた拳銃は、明らかにクラシックなリボルバーだった。


「じきに慣れるわ。監理部と徴税第三課は一緒に仕事をすることも多いから、何かと話す機会も多いはずよ。よろしくね、セシリア」

「もちろんよ」


 斉藤としては、できるだけお近づきになりたくない人間リストというものが脳内で構築されつつあったが、セシリアもその中に入れたくなっていた。リスト筆頭は、無論永田局長に他ならないのであるが。



 調査部 オフィス


「ここが調査部。税務調査を主として行う部署ね。ちょっと変わった部長だけど、仕事熱心よ」


 三度同じような扉をくぐると、今度は雰囲気が違っていた。名前の通り、ここは滞納者の調査などをしているのだろう。斉藤としては、ここに配属された方がよかったのではないかと考えていた。


「西条さん、いる?」


 近くに居た調査部員を捕まえたミレーヌが、この部屋の主の名を告げると、暫し考えた部員は苦笑いを浮かべた。


「あっ、ミレーヌさん……今はちょっとまずいかなぁ」


 その瞬間、バン! と机を大きく叩く音と共に斉藤の耳朶を大音量の音声が乱暴に殴りつけた。


「つまり! この連中は陛下の御心を理解せず! ただいたずらに! 自らの私腹を肥やしている! なんと卑劣! なんたる非道! これは帝権に対する反逆行為だ! 儂はこれら滞納者を許すことはできない!」


 前言撤回。斉藤はここに配属されなかったことを深く感謝した。甲高い声でヒステリックに演説をぶっている男がそこにいたからだ。チョビ髭にメガネ。生え際は大分後退している。歳は永田とおなじくらいなのだろうが、やけに時代がかった言葉遣いと、甲高い声が耳に残る男だ。カール・マルクスの艦首から艦尾まで響きそうだと斉藤は感じていたが、これは誇張であっても虚構ではなく、軽合金と特殊樹脂製の壁をすり抜け三部屋隣でも聞き取れるほどの音量だった。


「ああ、いつも通りね。大丈夫よ」

「あれでいつも通りなんですか!?」


 思わず斉藤は、驚きを隠せずに叫んでいた。叫ぶ必要は無かったのだが、演説中の男の声にかき消されそうで、思わずボリュームを上げたのである。


「西条さん、今年の入局者のご挨拶にまいりました」


 対するミレーヌは、男の声に負けない通る声を発した。特に怒鳴るとか、力んでいる様子はないと斉藤は感じた。


「ん!? おお総務部長よく来てくれた。実は吾輩の調査でまた新たに巨額の脱税を行っている企業が出てきてから――入局者?」

「はい。斉藤君、こちら調査部の西条昌樹さいじょうまさき部長よ」

「さ、斉藤一樹、で――」


 それまで青筋を立てて演説していた男が、その声のトーンを不意に落とした。自分の方に目線が向いたので、斉藤はこれまで通り、キチンと着任の挨拶をしようと口を開いた。


「なーにー!? 男ならもっと腹から声を出しなさい!!!!!」


 耳が遠いのか、自分の声で聴覚が麻痺してるのか、多分後者だと斉藤は踏んでいた。


「斉藤一樹です! 至らない点ばかりですが誠心誠意自己の職務を全うする所存であります! どうぞよろしくお願いします!!!」


 斉藤一樹がこれほどの声を出したのは、実に一〇年ぶり。中等学校の体育の授業以来であった。


「うむ!!!! よろしい!!!! 見込みのありそうな若者だ! 私が調査部部長の西条昌樹さいじょうまさきだ。ところで君はどこの部署に?」

「徴税部第三課です!!!!」

「そうか! うむ、うむ。我輩の調査部と第三課の職務は実に密接に連携しておる。斉藤君、君の活躍に期待する」

「はっ、はい!!!!!」


 期待されているのは理解できるが、こちらとしてはできるだけ近づきたくない。人としては悪くないのかもしれないが、毎度この調子では心臓に悪い。斉藤のあまりお近づきになりたくない人リストに、物理的距離で近づきたくない人の項目が追加された。


「斉藤君、大丈夫?」

「い、いえ……あんな大声、何年ぶりかだったので……」

「真面目な人なのよ。声がデカいだけで。 もし彼とミーティングするなら、耳栓を持って行きなさい。酒保で売ってるから」


 いつの間にはめていたのか、自分の耳から外した耳栓を見せたミレーヌに、それなら早めに言って欲しかった、と思う斉藤であった。

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