第1話-① 天翔る徴税吏員達


 帝国暦五八八年 四月一日

 地球帝国帝都ウィーン

 メリディアン通り 国税省庁舎 講堂

 

「私は、帝国全体の奉仕者として帝国の弥栄いやさかのために勤務すべき責務を深く自覚し、法令及び上司の職務上の命令に従い、不偏不党ふへんふとうかつ公正に職務の遂行すいこうに当たることをかたく誓います。帝国暦五八八年、四月一日、入省者代表、斉藤一樹さいとうかずき


 今まさに、国税省官房長の前で服務宣誓を行った青年。斉藤一樹。彼は今まさに、自らの使命を確信し、夢と希望と、そしてちょっとした野望をもった目をしていた。


 誰よりも小柄な体躯は身長一五二センチメートル、体重五二キログラム。保健衛生省発行の白書によれば、斉藤ら二三歳男性の平均体躯は一七〇センチメートル、六三キログラムだからかなり小柄と言える。顔立ちは整っているが、美男子というかは人によって評価が分かれ、大凡、子供っぽいと言われるか、母性をくすぐられるといった評価が大半を占めるようだった。


 ただ、目つきは案外鋭く、人から見下ろされるのを決して受け入れない強い意志を湛えていた。


『つづいて、辞令交付に移ります。名前を呼ばれた方は壇上に上がってください』


 宣誓を終えた斉藤が席に戻ると、司会が式次第を次に進める。幾人かの事例が手渡された後、斉藤の番が回ってきた。


「斉藤一樹君。本日付で……本日付で、帝国国税省特別徴税局、徴税部第三課勤務を命ずる」


 官房長の言葉と共に、講堂の空気が凍り付き、誰もが壇上の彼を見つめていた。官房長自身は苦悶にも似た表情を浮かべている。


 とうの斉藤一樹は国税本省ではないのかと落胆していた。彼は自分の能力に一切の疑問を抱いていなかったし、周囲の反応を見るまでもなく、彼は自分の能力に些かも疑問を抱いておらず、自分が国税本省に配属されないことは不思議というより他ないと考えていたからだ。


 しかも、よりにもよって特別徴税局だ。彼の落胆はひとかたならぬものだった。


「おい斉藤、気を落とすな……って言っても無駄か……」

「お前が本省に行かずに、俺たちが本省とはな。わからんもんだ」

「ああ、六角で再会できる日を楽しみにしているよ」

「まあ、すぐにそっちに行ってみせるさ」


 斉藤は気丈に振る舞ったつもりだったが、同期達は斉藤の落胆ぶりにそれ以上の言葉を継げなかった。斉藤と同期の帝大組が、それぞれの配属部署に向かったあとも、斉藤はただ一人講堂に取り残されていた。


「どうもこんちは、斉藤一樹君だね?」


 斉藤に声を掛ける男がいた。自分を呼ぶ声に振り向いた斉藤が抱いたその男の第一印象は『どこにでもいる普通の官僚』だったという。


「特徴局のものです。ほら、ミレーヌ君、ご挨拶は」


 にこやかに微笑んだ男を前に、斉藤はどう対応すれば良いか分からなかった。果たしてこの男が課長なのか部長なのか、はたまた係長なのか主任なのか分かりかねたのである。


「子供じゃないんですから……私は特別徴税局総務部長のミレーヌ・モレヴァン、こちらは――」


 まず名乗ったのは、男の横にいた女性だった。斉藤の第一印象は『優しくて綺麗なお姉さん』だった。


「あ、それはあとにしようよ。とりあえず特別徴税局配属おめでとさん」


 お前は名乗らないのかと不服そうなミレーヌの目を受け流し、男は斉藤に手を差し出した。


「ありがとうございます」


 斉藤は男の手を強く握り返した。初対面だ。第一印象は重要だ。斉藤は受けたくもないのに受けさせられたビジネスマナー講習のことを思いだし、模範的な新社会人としての態度に終始した――とはいえ、彼自身が思うほど、斉藤一樹という人間は範から外れた人間ではなく、至って普通の好青年だったのだが。少なくともこの時点では。


「ところで、特徴局のオフィスはどちらでしょうか。こちらから出向こうと思ったのですが……」


 一人取り残されていた斉藤は、その事を気にしていた。もしかすると、自分の配属された特別徴税局へは自分の足で向かうべきだったのではないかと不安になっていたのだ。


「ああ、ウチはここじゃないんだ。まあついてきてもらえる?」


 気軽に言ってのけた男のあとをついて行く斉藤。やがて三人は国税省屋上に駐機されていたコミューター機に乗り込むと、そのまま空高くへと舞い上がった。ミレーヌの横にいる男はその間も他愛ない質問ばかりしていた。


「へぇ、帝大修士卒、税務大学校卒、しかも両方首席でおまけに高等文官試験合格だもん。エリート中のエリートってとこだねえ」


 驚いたように男は細い目を見開いた。それでも細いのだが。驚くのは当然で、帝都にそのキャンパスを構え、帝国の最高学府としての権威を誇る帝国大学は、総人口一兆人にさしかかろうとしている帝国内において、定員はたったの三六〇〇名。その中でも斉藤は経済学部行政経済学科を経て、経済学研究科修士課程行政税務卒。つまりは帝国国税省や財務省官僚やそれに類するエリートの中のエリートの道を歩む人間というわけだ。


「いえ、そんな」


 謙遜はして見せたが、斉藤自身はこの経歴に絶大な自信を持っていたし、彼の寄って立つところでもあった。運動がさほど得意でもなく、絶世の美男子というわけでもなく、実家が帝国貴族というわけでもない、ごく平凡な出生の彼にとって、自分の経歴はこの先の立身出世の大きな力となるのだから。


「もっと誇って良いんだよぉ。世の中には馬鹿でも上に担がれる人がいるんだから。おまけに銀時計組とはねえ」


 斉藤のスーツのポケットに収められた銀時計。それは帝大成績優秀者に卒業時、皇帝陛下より下賜される恩賜おんしの銀時計そのものだった。斉藤一樹の名は帝大史に残るものである。男の言葉に対して、斉藤は愛想笑いだけを返していた。無論である、斉藤一樹はそのためにこそ、入試戦争をくぐり抜けてきたのだ。


「あの、ところでまだあなたのお名前を」


 斉藤はいい加減、この男の名前を聞きたかったのだが、男は再び話を逸らせようとしていた。斉藤は食い下がろうとするものの、機内が暗くなるのに気を取られてしまった。


「おお、見えてきた。あれがウチの本部」

「戦艦……?」

装甲徴税艦そうこうちょうぜいかん、カール・マルクスよ」


 帝都から伸びる第一号軌道エレベーターヴィルヘルムの低軌道ステーション、その船舶係留桟橋に近づいたコミューター機からは、手を伸ばせば届くかのよ距離に浮かぶ巨大な軍艦が見えた。斉藤のつぶやきを拾ったミレーヌが、補足で説明を入れた。


「特別徴税局は固有の拠点を持たないの。強制執行のためには帝国の版図内を動き回らなければいけないし」


 政府船舶らしい、目立つ白色塗装に国税省所属を現わす赤色の帯、艦首には帝国官公庁用の野茨紋が誇らしげに輝いている。その両側には、斉藤の乏しい軍事知識でも分かるほどの大口径の砲が据え付けられていた。おおよそ、特別徴税局などという名前には似つかわしくない厳めしい艦影と共に、斉藤の耳朶にはという四文字が生々しく響いた。


「斉藤君。特別徴税局は、形式上は国税省の下部組織だけれど、他の局とは大きく違うから。覚悟しておいてね」


 ミレーヌの次の言葉に、斉藤は困惑の度合いが深まるのを感じた。


「ウチの仕事はね。税金滞納者……それも大口のね、そういうとこに殴り込みにいく仕事なの」

「殴り込み……?」

「おっと電話だ。ちょっと待ってね」


 そのとき軽やかなベルの音がシャトルの中に鳴り響く。


「はいはい、こちら高麗軒こうらいけん……あー、いいよ、ぶっ放しちゃって」

「今のは」

「え? ああ、殴り込み艦隊からの連絡」

「……殴り込み艦隊? あなた、一体何を言ってるんですか?」


 斉藤の疑問が解消されることはなく、シャトルは小揺るぎもせずカール・マルクスの艦尾第二格納庫へと着艦した。


「ほら、、行きますよ」


 操縦席でハーネスを外しているミレーヌの言葉に、斉藤は思わず横に居た男に目を向ける。


「局長……?」


 局長というのなら、この場にいるはずの局長とは、特別徴税局局長に他ならない。今日入省したばかりの斉藤でも、その程度の察しは付いた。


「あ~あ、バラしちゃった。こういうのはあとで知る方が面白いのになぁ」

「馬鹿言ってないで行きますよ。あと斉藤君にキチンとご挨拶してください」

「子供じゃないんだからさぁ、ミレーヌ君……」


 項垂れた局長は、斉藤に笑みを浮かべて向き直る。


 そして、その顔をに斉藤は見覚えがあった。国税省幹部のリストで、一人だけ官公庁の公式データとして出す風体ではない、ダブルピースをしていた男が、まさに眼前の男だった。まさか特別徴税局などという外局に配属されるとは露とも思っていなかった斉藤は、その記憶を取り戻すのが遅れていた。


「ようこそ特別徴税局へ。僕が局長の永田閃十郎ながたせんじゅうろうだ。よろしく」


 にこやかに手を差し出した永田の顔を、後に斉藤は『何を考えてるか分からない、底なし沼のようだった』と述懐している。

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