第16話-① 局長付・斉藤一樹
四月四日
惑星ロージントン
ラグランジュ5 第4892大型船錨泊エリア
特別徴税局 装甲徴税艦フリードリヒ・エンゲルス
臨時局長執務室
「うーん。なんかこう、しっくりこないなあエンゲルスの局長オフィス」
本来特別徴税局をはじめとして、今年の帝国省庁の新年度は平日の四月最初の開庁日を起点としていて、業務も行なわれている予定だった。しかし、カール・マルクスは先の特別執行で受けた損傷の修復のためドッグ入り。修復が終わるまでの間は、カール・マルクスのバックアップである準旗艦フリードリヒ・エンゲルスが総旗艦として用いられる。そのための移乗作業などに時間を取られ、特別徴税局の新年度は遅れに遅れて四月四日となった訳だ。
「多分、カール・マルクスの局長室より綺麗だからだろうね。あまり汚すなよ、永田」
徴税三課 臨時オフィス
「造りは同じといっても、なんだか違和感があるわね……」
「そうですか?」
カール・マルクスからフリードリヒ・エンゲルスに移乗したところで、斉藤達には大した違いがない。机の上の端末も個人設定ファイルが共有されれば同じ使い心地だし、資料類はそもそも全徴税艦で閲覧可能だから問題ない。強いて言うなら、最低限の荷物で移乗した為、オフィスや私室の私物はカール・マルクスのオフィスに置いているので殺風景に見える。それにオフィス内にロード愛飲の葉巻の香りが染みついていないところだ。
「斉藤君は入ってから日が浅いからよ。なんだかしっくりこないわ」
「課長の葉巻の煙が染みついていないからじゃないですか?」
「人を麻薬中毒者みたいにいわないでちょうだい! まあ、あなたが入局するまでは副流煙を僅かでも吸ってたわけで、はてさて……ねえ斉藤君、来週締めの調査ってどうなってる?」
「アモーレ・プロダクツはもう調査部にも送付済みです。ビセーの件はどうなりました?」
「ああ、課長の最終確認待ち」
「そうですか……」
「そうね……」
ハンナと斉藤の目線が、一人の男に注がれる。
「ん? どした?」
「いや、あなたは艦のメインフレームに同期してるんでしょ? なんで手作業でレポートなんか作ってるのよ」
トリスタン・アルヴィン・マーティン・ウォーディントンはせっせとキーボードを叩き、電子印をぺたりぺたりと押しながら書類作成を進めていた。彼の体は今や生身時代のものは脳と脳幹部程度で、それ以外の部分は実務課で運用されている戦術支援アンドロイドと同等になっている。つまり、手作業でレポート作成などしなくてもいい、はずだった。
「いやハンナさんよぉ、考えたことあるか? 頭の中にめっちゃデカイ図書館が詰め込まれててさ、そこに放り込まれるような感覚だぞ、あれ」
「どうせ補助脳がやってくれるんでしょ。わざわざ手作業なんて効率悪いったらありゃしないわ」
「そうはいうけどよぅ。あんなの無理だって。常人が耐えられる代物じゃねえって」
「まあハンナさん、いいじゃないですか。今まで通りアルヴィンさんは仕事をしてくれてるんですから」
「だったらヤニが切れたっつって離席するのもやめてくれればいいのに」
「いやー、こんな身体になってもタバコが吸えるたあ驚いた。まあ味はしねえんだが、いいんだよまあ、雰囲気だから」
タバコについては発声機構の吸排気システムを通して吸う動作だけは可能。脳と脳幹部の維持は定期的にハーゲンシュタイン博士のラボにて行なうこととなっている。いずれは風味まで理解出来るようにすると博士は息巻いていたが、果たしてそれは彼の合理性と整合するのかなど斉藤は疑問を持ってはいたが口にしなかった。
「まったく……」
溜息を吐いたハンナのつぶやきにかぶせるように、艦内放送スピーカーから号笛の音が響いた。
『あー斉藤君? ちょっと局長室までよろしく』
艦内放送は確実な伝達のために発言者と内容を明確にしろというのが規則だが、カール・マルクスといえどもこんな適当な放送をするのは一人しかいない。特別徴税局局長、永田閃十郎その人である。
局長執務室
斉藤が局長執務室に入るや否や、そこには永田とロード・ケージントン、笹岡徴税部長、ミレーヌ・モレヴァン総務部長の姿があった。
「あの……これは一体」
「まあまあ斉藤君、お茶でも飲んで、さ、さ。お菓子もあるよぉ」
「では私はこれで。斉藤、うまくやれ」
「まったく……いいわね斉藤君、気を抜かないでね」
「え、え?」
斉藤が入室する前に何事か言い渡されたのか、ロード・ケージントンとミレーヌはそれぞれ一言ずつ言い残してその場を後にした。
「……」
「さてさて、それじゃあ話なんだけどね、あ、タバコ吸うけどいい?」
そう言ったときには、すでにタバコに火を付けていた。ロード・ケージントンの葉巻も大分慣れてきたせいか、普通のたばこの煙くらいでは斉藤はどうとも思わない。
「ふぅ……徴税三課、イステールでは大変なことになってしまって、僕としても反省しているんだ。申し訳なかったね」
「あ、いえ……そんなことは」
よく考えれば、斉藤は永田と直接話すのは入省式の日以来だった。業務上のやりとりはあっても、雑談などしていない。斉藤が永田を避けているとか、永田が斉藤と距離を置いているわけではなく、純粋にそんなヒマがなかっただけだが。
まさか自分のような下っ端を呼び出して茶飲み話でもするのだろうか、と斉藤は永田の目的を探ろうとしていた。
「唐突なんだけどさ、斉藤君。僕の秘書やらない?」
「はっ……? ひしょ?」
予想外の言葉が耳朶を叩いて、斉藤は思わず身を乗り出した。
「うん、秘書」
こちらも身を乗り出して、ことさら声を低めて言う永田。
「これがホントのひしょひしょ話、なんつってさ」
「……」
「ああ、まあ、はい。それは置いといてだね。いやー斉藤くん昨年入ったばかりなのに、かなり頑張ってくれたし、昇進もかねてね」
昇進と聞けば嬉しいもので、斉藤は思わず背筋を伸ばした。
「あ、ありがとうございます! しかし……なぜ秘書なんですか?」
少なくとも特別徴税局の組織図に秘書などと言う役職はなかった。ないはずだった。
「最近みんな忙しそうでしょ? 僕もあちこち出張が多くなるだろうし、個人的にお願いしたい仕事もあるんだよ」
いかに永田閃十郎という男が帝国官僚の型に嵌まらない変人とはいえ、伝え聞く話や休眠状態だった特別徴税局を再編し、これほどまでの武装艦隊にまで仕立て上げた手腕はただ者では無いことくらい、斉藤でも理解している。
その永田から直々に頼みたい仕事と言われれば、久しく斉藤の中でさび付いていた功名心もうずくというものだった。
「それは構いませんが……しかし僕には徴税三課の仕事もありますし」
「部署替えはしない、僕の秘書と兼務だ。君の仕事についてはロードに頼んで他に回すように指示をしてあるし、仕事内容は変わんないと思うよ。ただ、僕からの直接の調査指示が増えるんだけど」
短くなったたばこを揉み消した永田は、斉藤に笑みを向けた。
「どうかな?」
徴税三課 オフィス
「斉藤君昇進ですって!? おめでとう!」
コーヒーを飲み終えてえオフィスに戻ったハンナは、斉藤を見るやいなや抱きすくめた。
「く、苦しいですハンナさん」
ハンナからすると斉藤は弟のような歳だからか、時折彼女は斉藤を子供扱いする。アルヴィンに至っては下手をすればキスをしていたかもしれない。なにせ女装した斉藤でもイケると評した男である。
「ああ、ごめんね。思わず……」
すでに特徴局内外に斉藤の昇進について公示されているらしく、アルヴィンが合成紙に印刷してきた官庁公報にもそれが記載されていた。
「帝国暦五八八年四月一日付。斉藤一樹、国税省特別徴税局、局長付高等主任補佐事務官を命ず……だとさ」
秘書と永田は言っていたが、実際の特別徴税局の官名としては特別徴税局局長付高等主任補佐事務官が正式な表記となる。
「略して局長付ってとこかしら」
「後ろの方を取っ払っただけじゃないですか」
「まあそうともいうけど。だって斉藤君、毎回こんな長い官名名乗るの嫌じゃない?」
「まあ……面倒ではありますが」
改めて斉藤は官報の自分の官名を読み直す。確かに長い。ハンナの言うとおり、局長付がしっくりくると感じていたし、響きも悪くないなどと考えていた。
「ああ、さっきソフィちゃんが
それまで使用していた名刺と打って変わり、長い役職名が追加された名刺を、斉藤はじっと見つめていた。
「役職名が付いたのはうれしいんですが、こう……漠然としてません?」
「確かにね。局長付……部付とか局付なら聞くけど……胡散臭いわねぇ」
「胡散臭いとか言わないでください!」
「まぁまぁ、局長付。落ち着いて落ち着いて。ささ、粗茶ではございますがコーヒーでもどうぞ」
「まったく……アルヴィンさんまで。粗茶なのにコーヒーってどういうことですか」
揉み手擦り手愛想笑いのフルセットのアルヴィンに苦笑を返す斉藤だが、同時にこんな無駄な動作をさせるのに帝国でもここにしかないサイボーグ技術が使われている
そんなやりとりをしている間に、ロード・ケージントンがオフィスに戻ってきた。
「ああ、居たか局長付」
「課長までそう呼ぶつもりですか」
「冗談だ。局長から聞いているだろうが、局長付の仕事がないときは徴税三課の仕事を引き続きしてもらう。アルヴィン、ハンナは斉藤が局長からの特命を受けた際は引継ぎを頼む」
「了解」「ういーっす」
特別徴税局がイステール自治共和国で受けた損害の復旧や年度初めの処理を済ませ、カール・マルクスの復旧が終わって通常業務体制に移行したのは四月も半ばになってからだった。
第一食堂
「メニューもカール・マルクスとほぼ一緒ですね」
「そうねえ。味も一緒だし、もう少し変化があると思ったんだけど」
斉藤とハンナは昼食を取っていた。カール・マルクスと同型艦、スタッフも横滑りで増援に入っているせいか、ほぼカール・マルクス第一食堂と同じだったので肩すかしを食らったような気分だった。
「いいよなあ。オレも喰いてえなあ。担々麺定食……」
「今食べても素通しになるだけじゃないですか」
「あと二年もあれば博士が人工消化器系をものにするっていってたぞ」
「それホントですか?」
生体化学工場とも喩えられる消化器系は、広大な敷地を擁する複雑なプラントと同レベルの機能を果たしているとされており、これを機械的に再現するのは不可能とされてきた。しかしここ特別徴税局には帝国が誇る極彩色の脳細胞ことハーゲンシュタイン博士がいた。
彼をして数年単位で完成すると言えば、本当に実現するのでは無いか、と斉藤はアルヴィンのサイボーグ手術の結果を目の当たりにした後は考えるようになっていた。
「あっ、ハンナさん。隣良いですか?」
「斉藤、ちょっと詰めなさいよ」
ソフィとハンナが来たところで、話題はアルヴィンについてのことだった。
「あの、アルヴィンさんホントにサイボーグになっちゃったんですか?」
「おう。スゲーだろ!」
「……ゲルト、ホントにこれアルヴィンさん?」
「このややアホっぽくて子供っぽい返答は間違いなくアルヴィンさんだわ」
「おうおうおう、黙って聞いてりゃひでえじゃねえの! なあ斉藤!」
「僕もそう思うよ、ソフィ、ゲルト」
「おいぃぃぃぃぃっ! ハンナぁ! なんとか言ってやってくれよぅ!」
「アルヴィン、諦めなさい。三人の認識は正常よ」
「うう、ソフィちゃんと斉藤の命を、文字通り身を盾にして守った俺っちの立場ってばどこにいったんだってばよ~」
その瞬間、斉藤とソフィの表情が暗いものになる。
「アルヴィンさん、それ言われると、僕ら何にも言えないです……」
「すみません、アルヴィンさん……わ、私、そんなつもりじゃ……」
斉藤はそのまま黙りこくり、ソフィは声を震わせ涙を流す。周囲の目線がサイボーグアルヴィンに注がれる。
「あー! 泣ーかしたー泣ーかしたー、ミレーヌさんに言ってやろー!」
まるで幼年学校の生徒である。ゲルトの歌に併せて遠くからも同じような声が聞こえだした。やはり幼年学校レベルだったが、アルヴィンは土下座に入った。平謝りである。ここで徹底抗戦するのはあまりに不利だということは明らかだった。
「茶化すなよゲルトちゃん! いや、俺が悪かったよ! すまん! この通り! だからミレーヌ部長に言うのは許して! ね? 頼む! 一生の頼み! もう死んでるけど」
「だーかーらー! そういうことを当事者に言うんじゃあない!」
樹脂製のトレイにひびが入るほどの勢いで、ハンナはアルヴィンの頭部を叩いた。
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