第6話-① お酒は用法用量を守って正しく接収しましょう

 特別徴税局 総旗艦 

 装甲徴税艦カール・マルクス

 第一会議室


『続いてのニュースです。今年度の帝国政府補正予算執行の遅れは、記録的な長さになっています。帝国政府上院では現在も歳出法案の採決が完了しておらず、政府筋によると東部軍管区に対する予算について――』


 カール・マルクスでも最も広い第一会議室には、局長以下、特徴局部長クラスが集められていた。モニターに映し出されるのは、帝都中央放送、通称チャンネル8のニュース画面である。


「と、いうわけでまあ予算執行が大幅に遅れてるわけだ。暫定予算も底を突きそうだから早くしてほしいんだけどねえ」


 それまでニュース画面を見ていた永田は、面倒くさそうに椅子を回転させると居並ぶ部長達に向き直る。


「いざとなれば、何カ所か執行を早めなければいけませんな。六角には事後承諾になるでしょうが、まあいつものことでしょう」


 西条は手帳を開いて何事か書き付けていた。彼の手帳にはまだ正式決定していない強制執行の予定が記入されている。万が一の場合、強制執行で徴収した税金を特徴局の予算に充当する緊急処置である。帝国税法でもその特例は認められている。


「予算はともかく、食糧などの備蓄も不安です。そろそろ備蓄を使い果たす品目が出てくる頃合いです。徴税二課からは、不要不急の強制執行は控えてほしいと要請が出ているのを、お忘れなく」


 徴税二課長補佐、ハインツ・ラインベルガーはいつになく厳しい口調だった。徴税二課というとマッドサイエンティストのハーゲンシュタイン課長という印象が先行するが、特徴局全体の兵站管理も徴税二課が担当している。ハーゲンシュタインが研究開発のみを行うため、事務一切をラインベルガーが取り仕切っている。 


「補給を断たれて一ヶ月。弾薬その他はいいとして、食糧……特に、酒は消費が早いから、うち。まったく、面倒だなあ」


 テレビ中継はいい年をした政治家達が怒鳴り合い、殴り合う議場を映し出していた。帝国の実権は皇帝による親政と議会制民主主義とが渾然一体になった奇妙極まる意思決定システムが採られている。立憲君主制ほど君主の権能が制限されていないのだから、最終的に皇帝による勅令が下れば議会の決定など覆る。しかし予算執行については、当代皇帝バルタザールⅢ世は常に議会の決定を尊重する立場を貫いていた。


 その点について永田は含むところがあるのだが、おくびにも出さず、代わりに溜め息をつくのだった。



 徴税三課オフィス


『マルティフローラ大公殿下はこの事態について、憂慮すべき事態であり、帝国の安定のためにも一時も早い法案可決を望むとのお言葉を賜り、帝国議会上院議長が謝罪する事態となっております』


 徴税三課オフィスでも、テレビ中継を見ている人間がいた、斉藤一樹とハンナ・エイケナールの二名である。


「ああ、また遅れてるの。面倒だから勅令でババっとやってくれないかしらね」


 ハンナはテレビを見ながらも、キーボードを叩く手元を止めることはない。彼女は皇帝の親政だろうが、議会制民主主義だろうがあまり興味は無い。国が正常に動くのであればどちらでもいいし、動かないのであれば革命でも起こす輩はいくらでもいると思っているからだ。


「そうですね……」


 調査部から依頼のあった調査を進める斉藤は、気のない返事をした。徴税三課というのは、拳銃で相手を撃ち殺すのが本分では無く、普段は地道な情報収集が仕事だ。


『これについてはギムレット公爵殿下も同日帝国議会を訪問、予算案の問題であればその洗い出し、修正案を早急に提出するよう首相に申し入れがあったとの情報が――――』


 深紅の軍服にマントという出で立ちの公爵殿下が、首相を叱責している映像に画面が切り替わる。相変わらず、ハンナは手を止めること無く、キーボードを叩いていた。


「斉藤君どうする? 次の給料繰り延べなんてことになったら」

「……そうはいっても、使う間もありませんけどね」

「休みの日もカール・マルクスに閉じこもってるの? それは不健康よ」


 そこで初めてハンナは手を止め、斉藤の顔を見た。最近、斉藤一樹は常に顔色が悪い。それを彼に指摘しても、疲れているだけだと言うだけで、彼女も問題を軽視していた。


「……なんだか外が騒がしいわね。何かしら」


 怒号や数人の足音が通路に響いて、ハンナは再び顔を上げる。徴税三課の通信端末がシグナルを鳴らし、斉藤が反射的に応答した。


「こちら徴税三課、斉藤です」

『斉藤! よかったそこにいるのか!』


 通信相手はトリスタン・アルヴィン・マーティン・ウォーディントンだった。斉藤は先輩である彼の声が、いつになく緊迫した者に気付いていた。何せ端末のモニターには、防弾チョッキにヘルメットにアサルトライフルと、今お前はどこにいるのだという出で立ちのアルヴィンが映し出されている。背景では明らかに、銃撃戦が繰り広げられているようにも見える。


「ハンナさんもいますが。何かあったんですか?」

「なになに?」


 斉藤の表情が瞬時に緊張したのを見て、ハンナも画面をのぞき込む。


『いいか、二人ともそこを動くんじゃねえぞ! 渉外班の囚人共が酒保の酒切れを理由に暴れ出してる! 鎮圧に実務四課や残りの渉外班が動いてるが、艦内うろついてると間違って撃たれっぞ! いいか、俺が行くまでじっとしてろよ!』


 通信が切断され、端末のモニターには特徴局の紋章が映し出されるだけになると、ハンナと斉藤は状況を理解しかねて顔を見合わせた。


『こちら艦長! 艦内全一般職員に達する。現在渉外班員の一部による暴動が発生。各区画の隔壁を閉鎖するので、通路にいる職員は手近の室内に待避! 在室時も含めて拳銃携行を徹底せよ! 万が一の場合は発砲を許可する!』


 カール・マルクス艦長の入井令二課長補の指令がスピーカーから響き渡ると、ようやく二人は状況を理解した。


「囚人兵の暴動? 穏やかじゃないわね」

「銃か……」


 斉藤は、最近あまり違和感が無くなってきた腰のホルスターに手を当てた。中身は特徴局正式執行拳銃、メッセレルE38である。


 基本的に、特徴局員には常に銃の携行が許されている。渉外班員を構成する囚人兵、懲罰兵からの護身はもちろん、特徴局への反感を持つものからの襲撃対策を名目としているが、帝国艦隊の艦艇乗組員でさえ、艦長以外は拳銃携行が許可されていないことを考慮すると異質である。


「抜くことは無いでしょうけど、お守りよお守り。ドアのロックはよし、と」

「課長はいいんですか?」


 相変わらず空席の課長席。ロード・ケージントンは愛飲の葉巻を片手に席を離れて、もう三〇分は経とうとしていた。


「喫煙室にでも籠もってるんでしょ? 部屋に入った途端、並の人間ならバタンキューよ」

 

 それもそうだと相槌を打った斉藤は、早くも暴動が起きていることなど忘れて、自分の仕事に戻ることにした。



 第一会議室


「こちら笹岡です。入井艦長、状況は?」

『現在状況を確認中です。カール・マルクス渉外班員は総員丙武装。その他局員にも拳銃携行を厳命してあります』

「わかった。カール・マルクス内の指示は君に任せるよ。よろしく」

『心得ました』


 会議中だった為、永田をはじめとする幹部はそのまま第一会議室に待機していた。笹岡は徴税部長、そしてサー・パルジファルの代理として各所に指示を下している。普段の置物振りは消え去っていた。


「ボロディン君、どうだい?」

『暴動の発端は実務二課、ソヴィエツキー・ソユーズの酒保です。すでに鎮圧部隊を強行突入させました。各艦については一時間ほどいただければ』

「くれぐれも死傷者は出さないでくれよ。血の掃除は大変だからね」

『承知しました、笹岡部長。ところでもう一つ報告があるのですが――』


 笹岡の一通りの指示と、ボロディンへの状況確認を終えたところで、何かを思い出したように永田が頭を掻いている。


「まずいなあ。アルコール切れとなると、カミンスキー君が動けない」


 実務二課長のゲオルギー・イワノヴィチ・カミンスキーは重度のアルコール依存症で、常にウオッカを飲んでいる。酒を飲ませておけば特徴局一真人間とまで言われるが、裏を返せば、実務二課長はアルコールが切れると廃人と化し、部署そのものが機能不全を起こす。今回の暴動も、そもそもカミンスキーがアルコール不足で部署の統率が出来ていないため、規模が拡大したのだ。


「実務二課にはピヴォワーヌ伯国の観艦式に出てもらう予定だし、酒を早く仕入れないことには……」


 ピヴォワーヌ伯国とは、帝国東部軍管区に存在する帝国でもっとも新しい領邦国家である。数年前には辺境惑星連合などの賊徒による攻撃で、国軍が大打撃を被りつつも、民間軍事企業、近衛艦隊の支援で撃退している。今年はようやく艦隊の再編が完了したこともあり、観艦式は東部軍管区の各艦隊や近衛艦隊、さらには特徴局も招待され盛大なものとなると話題になっている。


「二課が出られないなんてことになったら困るなぁ。ヴィオーラとかフリザンテーマは受けといて、ピヴォワーヌだけ断るのも変だし」


 帝国省庁としては異例の軍備を持つ特徴局が、領邦国家の観艦式に出席することは単なる広報にとどまらず、領邦国家が帝国本国に対しての納税義務をきちんと果たしている、というアピールになる上、領邦に対しての威圧にもなるので、永田は毎回領邦国家からの観艦式の招待を快く受けていた。


「それどころの話ではありません! 叛乱となれば、首謀者は厳しく罰するべきです!」

「まあまあ西条さん、落ち着いて」


 永田の暢気な悩み事に、西条が憤慨し立ち上がるが、笹岡がそれを押さえて座らせた。


「実務三課あたりじゃダメですか? 航空隊も含めれば、結構見た目は派手じゃない?」

「実務二課ブラスバンド部は目玉だよ。二課が動かせないのはまずいな」


 ミレーヌの提案に、笹岡が首を振る。特徴局に音楽隊は本来存在しない。しかし、暇に飽かして実務二課員が作った大編成のブラスバンド部は、いつの間にか特徴局音楽隊として、各地での広報イベントなどに出張している。


「笹岡部長! あなたまで何故そんなに暢気なのですか!」

「まあまあ……元はといえば、任務に忠実である限り、福利厚生を保障するというのが囚人兵に対する我々特徴局の義務です。原因は酒切れで、酒保の品物を補充するのは福利厚生の一つでしょう?」

「むう。笹岡部長にそう言われては、某も大きく出ることはできませんな」


 不承不承といった様子で矛を収めた西条を始め、しばらくの間は幹部一同、この対策をどうするか考えることになった。



 徴税三課 オフィス


「アルコール切れ?」


 ようやくカール・マルクス艦内が落ち着いた頃、陸戦装備に身を固めたアルヴィンが徴税三課オフィスに戻ってきた。そこで斉藤とハンナはようやく騒動の全容を知ることになった。


「ああ。酒保のアルコール類はもうすっからかんだ。あとは自前のものだけだとよ」

「あらやだ。部屋のワインだけは死守しないと」

「マジか。ハンナさんよお、ちょこーっとだけ分けてくれない?」


 猫なで声でじゃれついたアルヴィンを、ハンナは机の上のA4バインダーで叩いた。


「あんたはブレーキオイルでも飲んでなさいよ。酔えりゃなんでもいいんでしょ」

「冷たいなあ。俺はちったぁ味にはこだわるよ?」

「酒は内製してないんですね、さすがに……密造になりますもんね」


 斉藤は、特徴局をあらゆる無法の巣窟だと思っていた節があり、酒くらい造っていて当然だと考えていたが、さすがの特徴局もそこまで非常識では無かった。


「案外そういうとこはマメだよな」

「マメとかそういう問題じゃないでしょ、法に触れるでしょ法に」

「あたっ」


 ハンナがアルヴィンをバインダーで叩いた。密造酒製造は三年以下の懲役、または一〇〇〇万帝国クレジット以下の罰金と定められている。


「二課の博士なら密造酒のプラントくらい作れるだろう? アレで茶を濁すってのはどうだ」

「……飲んだら二度と人間としては生きられない気がするんですが、それは」


 ハーゲンシュタイン印の酒など飲むのは、人間を辞めるのと同義だと斉藤には思えた。



 局長執務室


「ダメじゃ」

「ええー、博士冷たい。そんなミレーヌさんみたいなこと言わないで、酒くらい合成できるでしょ?」


 目下、特徴局最大の危機であるアルコール飲料の入手について、永田はもっとも当てに出来そうなハーゲンシュタイン徴税二課長に頼み込んだところ、一蹴されていた。


「小一時間もあれば設備も作れる。特徴局で消費する酒なんぞなんぼでも作れるわい。しかし、アルコールは脳細胞を破壊するだけの愚かなもの。いくら局長の頼みとはいえ、それはできん」


 あらゆる非常識の塊のようなハーゲンシュタインだが、こと健康管理については意外と良識派であった。ただし、それは彼の中での基準が、偶然にも世間一般のそれと合致していただけである。


「そこをさあ、ね、今回だけですから。何なら予算も色をつけますし」


 博士の研究には特徴局でも少なくない予算が充てられている。それにより開発された装備が、実際に特徴局の任務に役立っている点は、誰も否定できない。そして研究開発こそ、ハーゲンシュタインが特徴局に在籍する唯一の理由であり、その予算を増額するというのは、永田にとってハーゲンシュタインへの切り札に等しかった。


「ダメじゃ。第一、仮にも特別徴税局ともあろうものが、酒の密造などに手を出したら、どう説明するつもりかな? 酒税諸々真面目に収めておる帝国臣民に申し訳がたたんのではないか? 法に則る帝国官僚がそんなことはできんじゃろ」


 またもダメの一言である。そして奇跡的にも、ハーゲンシュタインが正論で永田に反論していた。


「すごい、博士が正論吐いてる」


 ミレーヌが驚いていた。普段は非常識な人間のほうが、案外常識を弁えているのではないか、あるいは常識を知っていてこそ非常識に振る舞えるのか、感慨を抱かずにはいられなかったようだ。


「このままだと懲罰房が先に足りなくなるでしょ?」

「それはワシの関知するところではない。以前接収した資源衛星とかバルクキャリアーにでも詰め込めばよろしい。それでは、他に用がなければこれで失礼する」


 自分の出番は終わったとばかりに、博士は白衣をはためかせながら局長室を後にした。


「さあて、どうしようかなぁ……西条さん」

「はっ!」

「何かない?」

「北天のR&Tボトラーズは、エネルギープラントの余剰電力の売却益を隠している形跡があります。エネルギー売却税滞納ですから、もう少し泳がせてからでもよかったのですが」


 乱暴な問いだが、西条は愛用の手帳を捲り、局長に答えた。


 R&T、レッスル&タイソンボトラーズ社は帝国北天軍管区にある帝国有数の飲料メーカーで『R&Tのロゴを見ないのは棺桶の中だけ』というジョークさえ存在する。


「ああ、あそこねー……じゃあ、現物徴収と行きますか」

「吾輩、そこまで気乗りしませんな」

「まあまあ。これで実務二課稼働にめどが付くなら安いでしょ? 理由はあとでいくらでもでっち上げられるし、強制執行を――」

「ダ・メ・で・す」


 永田が言いかけたところで、しかしそれをミレーヌが制した。


「そんなぁ、ミレーヌさん冷たい」

「冷たいも何もありますか。暫定予算が尽きたら、他の役所みたいにうちだって業務止めないといけないんですよ? もし重要な執行する必要があったらどうするんです? 弾薬、推進剤、局員の給与、手当、諸々その他、どこから捻出する気ですか?」

「そこをなんとか」

「ダメです。お酒が無いのが問題なのは理解しますが、そのために適当な会社を襲撃するなんて作戦、許可できません」

「ケチ……」


 子供のような永田の言いがかりに、ミレーヌが眉を上げた。特徴局員なら誰でもその動きを見ただけでデフコンレベルがひとつ上がるとさえ言われているものだ。


「何ですって?」

「い、いえなんでもないです」

「ともかく、戦闘を伴わない作戦でしたらいくらでも許可します」

「ふ-ん……」

「言っておきますけど、もう笹岡部長にもサー・パルジファル以下実務部にもこのことはお伝えしてあります。いくら局長が裁可しても、実務、徴税の両部が動きませんよ?」

「なっ……」

「では、私はこれで。臨時予算のやりくりで経理課が悲鳴を上げていますので手伝わないと」


 ミレーヌの退室により、会議は一旦解散となった。



 医務室


「医務室長、どうしよう」

「実務二課長は重度のアルコール依存症である。これを治療するには長期にわたって、アルコールを断っていただかなければならぬ」


 ヤコブレフ医務室長が、壁面のカルテ画面を監視カメラの映像に切り替えた。カール・マルクス隔離病棟に収容された実務二課長は、ベッドに横たわったまま譫言うわごとを発しているだけである。


「そんなことしたら、彼死んじゃうよ」

「それは生物学的な死ではない。しかし彼はアルコールを摂取することでこそ、人間性と優れた采配を発揮する。それを断つということは、彼の人間性の死を意味する、ということか。なるほど、局長は詩人の才能もある」


 大きく頷いた医務室長に、永田は二の句を継ぐのが遅れた。いかな永田といえど、この医務室長のような独自の世界観を脳内に構築し、独特な表現で口にする相手とは相性が悪かった。


「いやあそれほどでも。で、そうじゃなくて」

「いかに我が医務室といえども、アルコール依存症をたちどころに治す方法はない。古来より医学者の目指した妙薬は、未だその姿を見せておらぬ」

「渉外班員も酒がなくて気が立ってるし……そこの消毒用アルコールを飲ませたらいいんじゃない?」

「これは怪我人用であるし、量が足りぬ。この上は早く彼らにウオッカなりテキーラなりビールを補充してやることですな」


 当然の突っ込みに、永田も口をつぐんだ。



 第一食堂


「ねえ、サー・パルジファル。ここにね、ポンとね、押していただくだけでいいんですよ」


 永田は、第一食堂の片隅にもうけられたサー・パルジファル専用のスペースにしゃがみ込み、期日、内容、立案者の全てが未記入の作戦計画書に判を押させようと交渉を続けていた。


「フーッ!」


 サー・パルジファルは常にはない警戒した様子で、永田に向かって威嚇していた。


「ほら、笹岡さんはダメだって言うけど、ほらマタタビ、ね、いいでしょ?」

「うあう!」


 サー・パルジファルは永田の猫なで声に牙を剥く。次に何か口にしようものなら、お前のそのニヤけ面をひっかいてやると言わんばかりである。


「ダメですかね? ほら、ちょっとそのかわいいおててを拝借」


 永田は強硬手段に出た。判さえもらえばこちらのもの。ミレーヌが相手とはいえ、局長自ら徴税、実務のサインさえもらってしまえばあとはどうとでもなる。予算など、いくらでも捻出する手段はあるのだ。永田はサー・パルジファルの右前脚を無理矢理インク台に乗せようとする。


「おあんっ!」


 サー・パルジファルの爪が一閃。永田はしゃがみ込んだままひっくり返って転げまわる。サー・パルジファルは話はそれまでだとでもいうように、食堂を後にした。


「局長、どうしたんです、その傷」

「ダメだって」


 暴動鎮圧やら事後処理に奔走していたカール・マルクス艦長の入井令二は、顔にひっかき傷を作った局長を見て、まあどうせろくでもないことなのだろう、と遅めの昼食を取ることを優先した。



 第一会議室


 永田は秘密裏にミレーヌ以外の人間を再度集めて、状況確認と打開策の検討を行うことにした。


『こちらボロディンです。とりあえず最後まで抵抗していた巡航徴税艦アヴローラの制圧も完了しました……局長、その顔のひっかき傷は?』

「気にしないで。それにしても随分かかったねえ」

『笹岡部長より射殺者は出すな、とのことでしたので。テイザーガンと拘束ワイヤーだけで制圧するのは骨でしたよ』

「うんうん。犠牲者が無いことはいいことだ。とりあえず暴動の参加者は空いてる格納庫にでも押し込んどいてね」

『わかりました』


 第一会議室には、主立った特徴局幹部が集められていた。この混乱の収束と、今後の対応について話し合うためだ。


「さて……秋山君、どうしよう」

「どうしようとおっしゃいましても……実務課の正面戦闘を伴わない執行案で行くしかないでしょう? というか、そもそも我々特徴局はそれが本来の仕事の進め方ではありませんか」


 あまりに漠然とした永田の問いに、秋山徴税一課長は一瞬返答に窮した。もし仮にここでなどと口に出せば、ミレーヌが即時に否定するのが分かっていたからだ。秋山には、この場にいないミレーヌの「ダメ」の一言が聞こえた気がした。


「大砲撃ち込んで酒樽供出させるほうが早くない?」

「それがダメだと言っておるんです……」


 秋山の溜め息も当然で、特徴局の赴く現場は大抵強制執行に対して武力を持って抵抗を示すところが大半である。しかし今回は、事前調査の段階でも構内警備員しかいない、飲料メーカーの工場に乗り込もうというのである。


「局長、ここは吾輩とハーネフラーフ部長に任せてはもらえないだろうか」

「いいの!? うんうん任せる任せる! じゃああとのことはよろしくー!」


 永田はそう言うと、驚くべき早さで会議室を後にした。


「あっ、局長……行ってしまわれた。まったく、面倒ごとを押しつけられたな……」


 西条は、会議室に残された人間を見渡して、とりあえず指示を下すべく脳内の調査プランを整理した。


「吾輩とハーネフラーフ部長、つまりは調査部、監理部が主体となって、R&Tボトラーズ、クヴァドラート工場への税務調査を行う。ただし、今回は発砲は禁止。まあ相手は帝国でも随一の大企業、夜逃げ前の輩のごとく、荒れた対応はないものと期待したい。笹岡部長、よろしいか?」

「はい、どうぞ」


 西条からの確認に、笹岡徴税部長は一も二もなくうなずいた。


「随行は実務一課、徴税三課」

「西条部長、言っておきますが」

「秋山課長、分かっている。あくまで虚仮威しだ。発砲その他戦闘行為は一切禁じると言われてはおるが、移動手段として使う分には制限は受けておらんだろう?」

「それは、まあ……」


 艦艇の推進剤や反応炉の燃料など、放っておいても軌道維持のために使われるし、戦闘機動でもしない限り消費量など高が知れている。食糧なども動いていようがいまいが消費されるのだから同じ。ミレーヌは納得せざるを得なかった。


「では、これで行こう。各部署、一時間後には出発できるよう準備を進めてくれ」


 この会議から一二時間後、特徴局が惑星クヴァドラートに降下。西条らが調査を開始した。

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