第4話-① ヒヤリハットは水平展開しましょう

 特別徴税局 総旗艦

 装甲徴税艦 カール・マルクス

 徴税三課 オフィス


 斉藤一樹さいとうかずきが特別徴税局に配属され、早一ヶ月ほど経っていた。


「おう斉藤。次の現場の資産候補リスト、六角ろっかくに送ってくれたか?」

「六角……ああ、本省ほんしょうですか。今送るところです」


 アルヴィンの問いに、斉藤は自分の操作するパソコンの画面を一瞥した。帝国国税省、通称六角。庁舎自体が六角形であることから、いつの間にか帝国官僚達の間でそう呼ばれるようになっていた。物覚えのいい斉藤はすでにアルヴィンからいくつかの業務を仰せつかり、手早くこなしていた。税務大学校の教育が行き届いている証左である。


「頼む。あーあ、次もまた剣呑なニオイしかしねえんだもんな。たまには美味い酒と綺麗なねーちゃんの居る、リゾート惑星の仕事とかねえもんかねぇ」

「アンタは放っておいても歓楽街に繰り出すでしょうが。斉藤君にヘンな遊び教えないでよ」


 ハンナは呆れたような顔でアルヴィンに釘を刺す。アルヴィンという男の数少ない楽しみの一つ、つまり歓楽街でのワンナイトラブというのは、彼が楽しむ分にはともかくとして、斉藤一樹という未来ある若者に教えていい類いのものではないと考えていた。


「なあに、女遊びと賭け事は男の甲斐性だよ。なあそうだろ? 斉藤」

「いや、それは……」


 斉藤は言いよどむ。当然である。彼の貞操観念はかなり強固だからだ。


「そういえば、斉藤君は彼女とかいないの?」

「……」


 ハンナの問いに、斉藤はどう答えるか迷った。言ったところでそれをネタに弄くり回されるのが目に浮かんだからだ。


「あっ、目が泳いだ」


 ハンナはそれまでキーボードの上で忙しなく動かしていた手を止め『こいつぅ』などと茶化した。


「なんだお前、カノジョいんのか。どうなんだ? ベッピンか?」


 とかくアルヴィンの言語表現というのは下衆なものが多いが、それをイヤミに感じさせないのもまた、彼の人となりのなせる技だが、下品なのは避けようがない。


「オッサン臭いわよアルヴィン……でも、気になるわね。斉藤君、写真とかないの? どうせ隠してるんでしょ、大人しく出しなさい」

「あ、いやダメです! やめてくださいそこ、あっ!」

「うふふ、あなたがどこに写真を隠すかくらい、この一ヶ月でお見通しなのよ。銀時計でしょ? ここかな?」


 実のところ、ハンナは初めて自分の下に配属された斉藤という男を、弟のように見ていた。何せ上はロード・ケージントン、下はアルヴィンという状態。特徴局の男性職員と言えば、論理のネジがダース単位で外れるか紛失するか、あるいは元々ネジがない人間が多く、斉藤のような真人間は極めて希有、いや、存在しないと言っても過言はなかった。


 しばし斉藤の上半身を弄ったハンナは、斉藤のジャケットの内懐から真新しい懐中時計を引っ張り出した。今時珍しい全機械式ハンドメイドのもので、同じモデルの市販品だと数百万帝国クレジットは下らないものだ。


「実物見るのは初めてだわ。銀時計組の知り合いなんていなかったし」


 銀時計組とは、帝国大学卒業時、成績優秀者に対して帝国皇帝より下賜される記念品である。一兆人近い帝国人口の中でも、存命の保持者は千名程度しか居ないと言われている、いわゆるエリート中のエリートの証である。ハンナはしげしげと細かな筋彫りの施された銀時計を見たあと、蓋を開く。


「あら……」


 銀時計の蓋の裏に貼られたツーショットの写真には、斉藤のガールフレンド、クリスティーヌ・ランベール嬢がにこやかに並ぶ。やや背伸びしている斉藤が微笑ましいな、などとハンナは見ていた。


「もう、強引なんだから……」


 時計を取り戻した斉藤は、しばし写真を見つめ、銀時計を懐にしまい込んだ。


「あの顔どっかで見覚えがあるな。どこの風呂屋だったか」

「バカ!」

「あだっ!」


 不穏なことを言うアルヴィンの頭を、ハンナは近くにあったA4バインダーで引っぱたく。威勢のいい音と共にアルヴィンが頭を抱えてうずくまるのと、徴税三課オフィスの扉が開かれたのはほぼ同時だった。


「おい! さっき六角にデータ送信したヤツぁ誰だ!」


 ピンストライプのスーツにスモークの入った眼鏡、テッカテカのオールバックは徴税四課長の瀧山寛たきやまひろしのトレードマークである。


「は、はい、僕です」

「お前斉藤っつったか。ちょっとツラ貸せや」


 斉藤の首根っこを掴んだ瀧山は、そのまま斉藤を引きずるようにして部屋を出て行く。


「おい瀧山さん。何だよ突然、斉藤が何かしたのか?」


 アルヴィンも仕方なく、彼らを追いかけた。



 徴税四課 電算室


「テメェの送信したデータ。ものの見事に平文ひらぶんじゃねえか! これを見ろ! バラし終わったデータが情報屋の連中で取引されてやがる!」

 

 瀧山が指し示したのは、帝国裏社会では有名なポータルサイト。既に斉藤が送信したメールは超光速回線経由で全帝国中で閲覧できる状態になっていた。


「ちょっと待ってくれよ瀧山さん。平文? バカ言うなって。カール・マルクスからの通信は全部暗号化されてるはずだろ? 簡単にバラせるようなもんじゃあない」


 アルヴィンが反論するが、瀧山はスモーク入り眼鏡越しに睨み付ける。


「本省とうちの直通回線なんて使いやがって。あんなもん一日中暇人が張り付いて出歯亀でぱがめしてんだぞ。こんな機密データを流すところじゃねえ。どうオトシマエを付けてくれるんだ? ああ!?」


 言うやいなや、瀧山は斉藤の胸ぐらをつかみあげる。斉藤はつま先立ちになってかろうじて身体を支えている状態だ。


「も、もうし、わけ」


 恐怖と不安定な体勢に斉藤の声は途切れ途切れになる。彼は今、何故自分がこのような理不尽な仕打ちを受けているのかを自問自答していた。


「聞こえねえなぁ!? どうオトシマエ付けるんだ、えぇ!?」

「おい止めろ瀧山さん! ちょっ、なんだテメェら! 放せ!」

「堪忍なぁアルヴィンはん。課長の命令やさかい」


 無論、徴税四課員も心苦しいが、瀧山の無言の命令には従わざるを得ないのであった。瀧山の目配せによりアルヴィンを羽交い締めにしているのは、四課課長補、スブラマニアン・チャンドラセカール・ラマヌジャンである。独特のイントネーションの訛り――帝国本国西部方言――とターバンが印象的にすぎるこの男は、見てくれはともかく、くせ者揃いの徴税四課においては比較的コミュニケーションの取りやすい、それでいて技術力の高い男だ。


「ちょっと何の騒ぎ……瀧山君! 斉藤君を離しなさい!」


 偶然徴税四課電算室前を通りがかったミレーヌは、部屋に入った瞬間叫んだ。斉藤は胸ぐらをつかみあげられ、つま先だけでかろうじて床に立っている有様で、端から見ればどう考えてもヤクザが純情な青年に対して恐喝を行っている現場にしか見えない。


「え!? あ、いや違うんです、違うんですミレーヌ姐さん。これは――」


 瀧山が弁明の言葉を吐こうとした瞬間、ミレーヌは愛用のマグナム銃を腰から引き抜き、発砲。重たい破裂音と共に銃弾が吐き出され、瀧山のこめかみをかすめてその向こう側にあった徴税四課員のモニターを撃ち抜いた。


「放しなさい、でないと撃つわよ」


 既に撃っていた。ミレーヌはマグナム銃の照準を瀧山の頭部に合わせた。


「い、いや、とりあえずその銃はしまってくれませんでしょうか、モレヴァン部長」

「まず斉藤君から手を離しなさい!」

「あ、はい。すまねえな新人。熱くなっちまった」


 ようやく瀧山から解放された斉藤は、咳き込みながら息を整える。


「で、事情を聞かせてくれるかしら?」


 ミレーヌは手にしたマグナム銃を軽やかに手の中で回転させ、腰のホルスターに仕舞い込んだ。


「事情聞いてから撃って欲しいんだよなぁ……」


 瀧山のぼやきに、ミレーヌの鋭い視線が飛ぶ。


「何か言った? 瀧山君」

「いっ、いえ! それが――」


 瀧山はごく簡潔に、現在の事態を説明した。


「なるほどね……でもねえ、瀧山君。そもそも直通回線でデータが流されると困るなら、なんでそれを制限する機能が付いていないの?」

「へ? 付いてますぜ。見りゃあ分かるでしょ?」


 現代における超光速通信ネットワークは、帝国領内に多数設置された中継局を経由して、目的地にデータを送り届ける形式になっている。これは超空間内にまで影響を及ぼす恒星や、白色矮星や中性子星、ブラックホールなど恒星残骸の重力の影響を回避するためである。


 特徴局の場合は帝国省庁が使用する回線網は使用せず、独自に設定した秘匿回線も活用し、情報屋などがデータを盗み取ることのないようにしていたのだが、この設定は自動設定ではなく各部署、各個人の蓄積したデータと経験により構築されているものであり、まったくの素人に対しての配慮は一切されていない。


「見れば分かる? じゃあなんでこんな事故が起きてるの? 見りゃあ分かるってのはあなたが組んだシステムで、他の局員は古株だから分かってるだけでしょ? キチンと新人にこのシステムの研修させたのかしら? 私言ったわよね。研修は徴税四課で行うように、と」

「いや、でもこの程度のインターフェースも使えねえくせにコンピュータ触る方が悪いというか」


 瀧山の意見は尤もらしいものだが、万人に通用するものではない。ミレーヌがバンッ、と机を叩くと瀧山が首をすくめた。


「何か言った? そもそも公式には帝国省庁の直通通信回線は難攻不落だと言ってるし、本省の連中が気づいてないのも知ってるでしょ? うちの通信システムだって、基本設定で使えば官公庁回線で送信することになるんだし」

「ああいやその……おいアルヴィン! なんでお前が斉藤に教えてねぇんだよ」

「瀧山センセが『うちでビシッとやるから、手ェ出すな』って言ったんだろうがよ」


 形勢不利な瀧山は、アルヴィン、つまり斉藤の教育担当に顔を向けたが、とうのアルヴィンは涼しげな顔をして答えた。


「……瀧山君?」

「すぁーっせんした! 研修のこともすっぱり忘れてました!」


 瀧山を責めるのは簡単であるが、そもそも特徴局の新規局員というのは九分九厘が実務課渉外班の、所謂犯罪者集団であり、斉藤のように総合職の新規入局者というのはほぼ初めての事だった。ゆえに、新人研修そのものの必要性を瀧山が認識していなかった。瀧山の欠点は、自分が分かるのだから他人にも分かるという、自分の知識レベルと他人の知識レベルが同一であるという前提で話を進めようとするところだと言われる所以だ。


「まあ、送っちゃったものはしょうが無いわね。で、どこ?」


 とはいえ、このような事故が過去になかったわけではなく、ミレーヌもその点は認識していた。ただ、流出したデータがどこのものであるか、という点がこの後の対処を決める基準となる。


「来月強制執行予定だったイルシン自治共和国ですが、ここはちっとばかし厄介なとこで」

「ああ、反帝国の分離主義どころか、反辺境惑星連合までぶち上げたっていう、あの」

 

 アルヴィンの渋い顔に、瀧山も眉をひそめた。


「ただ、帝国からの介入があるとなれば、いろいろ厄介になるかもしれません」

「……とりあえず、情報漏洩は確実?」

「まあ、間違い無いです」

「斉藤君。とりあえず今回の件は先輩と四課長のポカということにしておくけど、あなたが扱う情報は、かなり重要なものなの。その事だけは覚えておいて」

「は、はい」


 斉藤も深い反省を込めた面持ちで答えた。


「あと瀧山君。空いた時間に斉藤君へシステム研修するように。担当はラマヌジャン君がいいんじゃないかしら。マニュアル作成後、私に見せてちょうだい」

「はっ!」


 当然、このマニュアルは玄人用であり、ミレーヌからの修正は実に五回に及んだのだが、それは後のことである。



 局長執務室


「私の指導不足でした。面目次第もない」

「あらぁ……そうかぁ、イルシンの強制執行予定、漏れちゃったんだ」


 ミレーヌ、瀧山、アルヴィンからの報告を受けた徴税三課長、ロード・ケージントンはすぐさま永田局長に事の次第を報告した。報告を受けた側の永田はといえば、週末に行われるロージントン・エアロダインカップの予想紙に目を通している最中であった。


「まあ、出ちゃったものはしょうがないよねぇ」


 周囲の深刻さに比べれば、永田の反応は極めて軽かった。恐らくヨットレースの出場者変更のほうが彼にとっては深刻な問題になる。ソーラーヨットにより行なわれる公営ヨットレースは、機体についてはほぼ同規格だから操縦者の腕やレーススタイル、出身地や誕生日などもレース展開を左右すると言われているからだ。


「秋山君、今すぐに動ける実務課は?」

「実務三課のみです。実務一課、二課ともに昨日強制執行を行ったばかりで現場から戻ってませんし……これでは対艦攻撃力が大幅に不足しています」


 別件で呼び出されていた秋山徴税一課長は、実務課の現在の稼働状況を諳んじてみせた。一年の中でも四月から九月までの上半期は、強制執行件数も多く、実務課においては過密スケジュールの運用が続いていた。


「あんまり働かせすぎても囚人兵の皆が黙ってないかなぁ。じゃあ実務三課に休息が終わってる四課の強襲徴税艦三隻くらいつけて、航空作戦で片付けちゃおっか」

「しかし、航空作戦のみではイルシンの防衛軍を無力化できるかどうか」


 秋山は、強制執行の作戦立案中だったイルシン星系の防備状況について記憶をたどっていた。自治共和国の防衛軍とはいえ、イルシンは帝国最外縁と言うに等しく、その防備状況はかなりのものであり、下手に手を出せば返り討ちにあうということで彼の頭を悩ませていた。


「要は本丸落としちゃえばいいんでしょ? 作戦案は任せるから、二日以内に強制執行完了してね。移動も含めてだよ」

「二日!? 移動も含めて!?」


 そんな無茶な、と秋山は目をむいた。現在ロージントン近傍にいる特徴局本隊からは、イルシンまで超空間潜航でも一日かかる。部隊編成、作戦立案などを考慮して、実質半日程度しか作戦に使えない。


「二日ならギリギリかなぁ。三日あれば星系首相達が逃げ出すついでに、資産の処分まで完了しちゃうでしょ。だから二日で終わらせてね」


 永田は気楽そうな声で言ってのけた。相変わらず予想紙に目を向けていたが、その目に光はなく、予想紙越しに秋山を射貫いているようにロード・ケージントンには見えた。


「分かりました。徴税一課も実務三課に随行し、移動しながら細かな作戦計画を立てます」

「うん、よろしくー」


 相変わらず軽い返事だが、秋山は全件を自分に任せてくれたのだ、という信頼から来るものだ、と捉えた。もっとも、彼の解釈が正解なのかどうかは、当の永田以外知るよしも無い。


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