䜌くんの魔法陣

第1話 䜌くんの魔法陣

小学1年の長沼䜌くんは、今日も一人寂しくグラウンドの隅っこの百葉箱とソテツが目の前にある場所で、学校の森から拾ってきたであろう、名も分からない高木から落ちた老いた枝を器用にざらざらと地面に奇妙な文様を描いている。

ただ、私が声をかけると隠すようにその文様を緑色の運動靴で無造作のように消し去るのである。

私だって教師である以上、䜌くんには友達を作れる環境をできるだけ整備してあげたい。そういう気持ちだけは持ち合わせている。ただ、子どもは自分の意思で作るものであって、無理矢理繋げてもその仲良しの魔法が適用されるのは最低でも、1〜5分ってところだろうか。

私だって小学1年生のころは、あらゆる手を使って友達作りに勤しんだ記憶を保管してある。これからも活き続けるからだ。

大体、なぜ私ばかりに行かせるのだろうか。最初に言っておくけれど、これは私の意志で行っている声掛け運動ではない。

職員室での朝礼時、校長、教頭と続き連絡事項のある教師陣の端的かつ繊細なお話を拝聴したのち後付けで教頭から私にいつもの慣れ親しんだ口調で、


「あ、先生」


「はい、何でしょう?」


「䜌くんのこと、今日もお願いしますよ」


「了解、了解」


「了解は一回」


「了解です」


という流れがあっての運動である。

ただ、䜌くんが嫌だというわけではない。むしろ大好きである。他の子とは一線を画すほどの優しい子どもで、私に見せる笑顔はあどけなく、穢れもなく、無垢であるのだ。ただ、同年代の子たちとはなかなか合わないようで、彼らが入学してもうすぐ6ヶ月が経過しようとしているのに、遠足のときも、プールの授業のときも、運動会の時も誰とも話そうとしないし、遊ぼうともしない。ただ一人、自分の世界の殻に閉じこもったように無表情を決めこみ、交流の扉を溶接しているように感じる。

私のクラスは1年5組。大学を卒業してこの学校に入って教師になって最初に受け持ったこのクラスの1番後ろの席の窓側に座っていたのが、䜌くんであった。そのときからあの子は、一線を画して他の子たちを受け入れないようにしている空気が微かに私の鼻を突いたのだった。

最初のあいさつ、ドラマでよく見る黒板に名前を書くやつ。いよいよできるのかと半ば童心のようにワクワクしていた。男女合わせて35人のこの1年5組の熱い視線を背中に受けながら、新品の白いチョークを手に持ち、体内を流れる汗を想像で拭い取りながら、気持ちの良いサウンドを奏で、颯爽とカッカッカッカッと名を刻んでいく。


「私の、名前は、、なかたけ、、れなです!よろしくね〜」


とても優しい子どもたちで良かった。名前を発すると、女の子たちからはかわいいとの歓声が銃弾のように私の褒められたい気持ちを貫く。

男の子たちは、さすが貫禄がありすぎる。拍手と本当は女の子たちと同様に撃ちたい気持ちが見え見えの広角の引き攣った微笑をかましている。

一方の䜌くんは、窓の外をじっと眺めたまま視線をこちらに向けようとは一切、あ、してる。

ちらっ、ちらっと眼球が私の方を向いているのが遠目からでもうっすら分かる。どうやら私に興味はあるようだが、それ以上のアクションは全く持って感じられない。一部分だけ動かせるロボットのようであった。

質問攻めにあったあとは、みんなの名前を聞く番だ。前の席から順に男女男女と一列に座っている。廊下側の席から順に学校自己紹介の名前、趣味、みんなに一言の三原則を言ってもらうことにした。となると、今まで恥ずかしそうにしていた男子勢がチャンスとばかりに我の話を淡々と流暢に小学校低学年らしい言葉を連ね自身をさらけ出すのであった。

負けじ劣らず女子勢もこれからの6年間をより良いものにしていこうという熱烈な状況が教卓で見守る私の眼からも感じ取れるくらいのオーラでまるで演説のごとく、そして三原則ならぬ四原則、五原則と内なるパワーを全面にプッシュしてくる。

心の声がうるさかった。申し訳ない。

一つ言えること、みんなかわいい。

34人目が終わりついに䜌くんの番となった。今までのうるささがどこへやら、世界が静止したかのように空気が吸収されてしまったかのような、そんな気配に支配された。

静かに立つ。床を削る椅子の脚音だけが静寂を切り裂く。

固唾を飲んで見守っているのは私だけのようだ。その支配を感じていたのも私だけであった。子どもたちは純粋だ。まだ何が悪で何が善かよく分かっていない。私も通って来た道である。


「早く言えよ!」


野次を飛ばす。


「そうだそうだ!早く言って」


釣られて心無い言葉を浴びせる。

これが子どもだ。仕方ない。

やめてほしいな。やめてほしい。そんな言葉を浴びせるのは。やめて。


「先生、何で泣いてるの?」


何で私は泣いているんだろう。あの感情だけは捨てたはずなのに。

顔を上げた視線の先には、半べそすら我慢する頬を求肥に移った苺の汁のように薄く赤らめた少年がそこにただ静かに救いを求める視線がぶつかった。


「今、みんなが言った言葉は悪い言葉です。謝りなさい」


小学1年生というのは、純粋なものでまだ先ほども言ったように分からないのだ。社会のことは何も分からない。


「䜌くん、何描いてるの?」


「あ、絵、です」


「へぇ〜、どうな絵描いてるの?」


ノートには俗に言う魔法陣らしきものが描かれていた。魔法とかRPGとか好きなのかな。


「䜌くんは、魔法とか好きなの?」


「あ、はい」


「そっかそっか、私も魔法使えたらなー」


からのグラウンドである。あの文様はまさしくノートに描いていた魔法陣である。

毎日声掛けに行くのは面倒は面倒なのだが、䜌くんの心が少しでも開いてくれればという気持ちもある。平日に限らず土日でも䜌くんはグラウンドにいる。ただ土日だけはグラウンドの真ん中でいつもの数倍の大きさで描いている。ただ、所詮魔法のないつまらない大地だ。何も起こらない。

某魔法陣アニメで観たように描き終わりからの置いた枝をトンと真ん中に挿す。結果は同様である。何もない。


12月に入ってから観測史上最大の大雪に見舞われた。1週間続いた大雪はこのエリア一帯のあらゆる交通を麻痺させたが、子どもたちにとっては遊びが一つ増えたようなものだ。昼休みになるとみんな長靴を履いてグラウンドへと駆け出し、雪だるまや雪合戦、絶大な人気を誇る通年遊戯の鬼ごっこやけいどろ、田んぼをして遊んでいる。

一方䜌くんはというと、寒いせいか教室に篭ってノートに魔法陣を描いている。

少し嬉しそうだった。何かあったのだろうか。まぁ、子どもの思う嬉しいことだ。何か褒められたとかそういうことだろう。そっとしておこう。


小学校は冬休みに入った。ただ、新卒の教員だ。彼氏なんかいない。もうすぐクリスマスなのに、サンタクロースのいじわるーっとドラマ飲み過ぎ感満載の妄想を膨らませながら今日も1人寒空の下、まだ溶けない積もった雪をシャカシャカと踏み鳴らしながら横目を過ぎる車を追うように走る。いつも通り学校を通り過ぎようとしたとき、グラウンドの真ん中に䜌くんが魔法陣を描いているのが見えた。

せっかくのクリスマスだが、これといって特に予定はない寂しい私は、いつもはしないドッキリを仕掛けようと企んだ。とは言っても後ろから気配を消して忍んでワッと驚かすタネも仕掛けもない非常にシンプルイズベストなものである。

校門を入り、雪混じりの砂利道を進む。春になると藤の花が咲き枝垂れる子どもたちの休憩所を抜けるとすぐそこがグラウンドである。

ほぼ運動会でしか使用しない鉄製の宣誓台に身を潜める。息を半殺し、台脚部から様子を伺うと首を傾げながら大きな魔法陣の中心へと進んでいく。

私の存在には気づいていない。抜き足差し足忍び足で䜌くんの元へと近づいていく。小さな背中が残り数mに差し掛かる。䜌くんはすでに真ん中に肩幅ほど股を開き、老いた枝を両手で天に振りかざし、勢いそのままに地面へと突き落とした。


「ワッ!」


ビクッとしたかは分からなかった。私の声が合図かのように魔法陣から太陽光のように鋭い光が私たちを覆い尽くした。その光は何の感触もないまま瞬間的に消え去った。何が起こったのか茫然と立ち尽くしていると、太もも辺りに異物感を察知した。下を向くと顔を埋めて聞こえないがおそらく泣いている。ジャージから太ももにかけて水以外の何物でもない感覚が皮膚を伝う。

私の好奇心が䜌くんの何かを崩してしまったようだ。私は䜌くんの肩を持ち、押して太ももから顔を離した。ジャージの部分がやはり黒く変色している。鼻水も付着している。

私は目線が合う高さまでしゃがみ、䜌くんの涙でクシャクシャになった眼を見つめて問うた。


「何で泣いてるの?びっくりしちゃった?」


肩を震わせ静かに泣いてはいるが、私の問いかけが聞こえていないのかもしくは返事をするつもりがないのか無反応である。


「泣いてちゃわからないでしょ?びっくりしちゃった?ごめんね、まさかこんなことになるなんて先生思ってなかったから。ごめ...」


「...せいだ」


「え?」


「...生のせいだ」


何か言っている。


「あのね、先生はね、䜌くんの笑顔が見たくてあんなことしちゃったのね。だから...」


「先生のせいだ!」


寒空、魔法陣型に溶けた雪、灰色の空間に響く䜌くんの大声、走り去る面影。

私はあの小さな背中を立ち尽くしたまま目で追いかけることしか出来なかった。

冬休みが明けて学校も始まったが、䜌くんはあの日以来、私が近づいても、話しかけても拒絶するように避けつづけた。人に無視されることの辛さがこれほどまでに辛いのかと再認識した。

私はそれから学年が上がって䜌くんと出会う確率が低くなっても廊下ですれ違ったり、保健室でたまたま会ったり、運動会の予行練習など謝れるチャンスがあるたびに呼び止めようと声をかけ続けたが、結果は見事に全スカであった。

私は嫌われてしまった。のだろうか?考察にしこりを残したまま、あの子は小学校から巣立っていった。あのいわくの付いたクリスマスの日、魔法陣の記憶をその後の四季にも色濃く焼き付けて、私のいたたまれない刻とともに残して、年月だけが積もっていく。


今まで過ごしてきた生徒のことのほとんどはもう記憶には残ってはいない。人の記憶というのはあまりにも杜撰で醜い。

ただあの子のことだけは未だに鮮明な映像で脳裏に焼き付いている。

先生のせいだという嫌いとはまた違った感覚とそう思った曖昧な直感が時々私の心を虐める。

私はあの子と出会った日、なぜだか同じものを汲み取った。

コミュニケーションに弊害をもたらす悪行を受けた受けたというただならぬ雰囲気というものを無意識のうちに汲み取ることができた。

私もその悪行を執行された内の可哀想な範疇人種である。

小学生の時は言葉の暴力に生存否定、中学ではあだ名が平安貴族と呼ばれ、無理矢理告白を幾度となく大衆に晒され、高校では人間不信から誰とも話さなかった。無口の愛称で親しまれてきました。

だからかもしれない。あの䜌くんのことが忘れることができない。悪行行為の中で無視も経験してきた。罵りも経験してきた。あんな子にまで私は相手にされないのかと失望したのだ。

過去の自分と照らし合わせた結果がこの焼き付けを招いているのだと感じている。

あのクリスマスの日からもうすぐで16年経とうとしている。䜌くんは私と出会ったときと同じ年齢になっているのだろう。

懐かしい。

もう私なんてもうすぐ40歳だよ。

なのに、呪いがかかっているのだろうかと自分を疑うのも正と思われてもおかしくはないほどに、16年前と変わらない体力と見た目をしている。自他共に認める。何一つ変わらない。

あの魔法を、あの魔法を知る必要がある。あれしか思いつく節がない。

ただ、あの子の消息は掴めない。私は今でも同じ小学校に勤務しているが、公立中に入学したのちに東京へ引っ越したと風の噂で聞いたことだけしか知らない。

家庭訪問で1度だけ訪れた長沼家はすでに別の家庭の表札となっていた。

引越し後での䜌くんの状況を把握している者はこの学校には誰一人としていなかった。

もう彼に会うことはできないのは分かっていた。なぜ彼に固執する必要があるのか。やめよう。

矢先のことだった。来月行われる校内バザーの販売品募集のチラシをデスクライトに照らされパソコンに向かって作業していたとき、スマホの着信がなった。また母親からの心配電話かと思ったが、非通知であった。深夜の非通知、不安を抱いたが大事な電話かもしれないと電話に出ると、少しあどけないけど隅に成人男性特有の低声も感じられる声で、


「グラウンドに来てください」


気がつくと私は椅子を引いて立ち上がっていた。返事をするのもお構いなしに通話中のスマホを片手にグラウンドへと走った。

魔法陣の強い閃光が、大人になった䜌くんを照らしている。

私は無我夢中で䜌くんの元へと駆けた。


「先生、あの、実は謝りたいことが...」


「こんなに大きくなって」


「はい、もうすぐ23です」


もう嬉しさのあまり抱きつき、顔を埋めていた。

優しく髪を撫でる䜌くんの大人の手は冷たくも暖かい。


「あの、先生実は16年前の魔法陣なんですけど」


「歳を取らない魔法なんでしょ」


「知ってたんですか?」


「いいえ、途中で気づいたの」


顔を埋めたまま会話をする。まるで恋人同士のようで芳しい。


「僕は先生が好きでこの魔法をかけました。この魔法は周囲の時代は進みますが、先生の時代は僕が先生の年齢に追いつくまで止まったままなんです。だからまだ先生は23歳なんです。39歳ではありません」


もうどうでも良かった。この子の元気な姿を見られて。こんなに大きくなって。優しい名残そのままで。


「そうなのね。ありがとう。今でも好きでいてくれてたなんて。嫌われてなくて先生安心した」


䜌くんは私を歳を取らない年齢に止めるための魔法陣を作動させてしまったことを後悔し、若気の至りからあのような行動をしてしまったというのだ。

引越し後も、あのときの行動を反省し、いつか謝りたい。そして、いつか思いを告げたいと考えていたようだ。

この先の質問は分かっていた。

私は何も言わずに䜌くんの目を見上げた。

今まで良いことのなかった私がこんなにも好かれていたなんて。まさか教え子に恋心を抱かせていたとは思いもしなかったが、今この瞬間、負をリセットしようと䜌くんの眼を捉え続けた。


「どこが好き?」


「優しいところです」


「ありがとう。䜌くんも優しい。名前がそう言ってる。意味は絶えることなく続く」


「母も実は魔法使いで、魔法使いが絶えることのないようにって僕にこの名前を付けてくれました」


「素敵ね」


「あの、先生」


「れなでいいよ」


彼の涙が私の顔に降り注ぐ。その涙雨はどこかあどけなさを残していた。その雨に紛れ、固結びの紐が緩んだように笑みを覗かせた。

私は確り焼き付けた。

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