第4話 猫の記念日

 昼下がりの有栖川茶房。

 客のいない店内の奥の席で、てっさはふわふわの身体を丸めていた。外では花粉が飛び始めているという話だが、猫には関係ない。室内は丁度いい気温で、午睡にはもってこいの塩梅だ。

 弥生の気配はカウンターの中にあるも、相手をする客がいないので静かだ。時々紙を捲る音がするので、新聞か雑誌でも読んでいるのだろう。音がする度に耳が動いてしまうが昼寝に支障はない。

 もう一寝入り。

 寝返りを打って身体を丸め直したとき、てっさの耳はある音を捕まえた。その音はまだ遠くにあってそれなりの速度で近づいてくる。

 てっさは顔を上げて音の正体を探った。分析をし、音の正体に確信を持つと、てっさは起き上がって寝床にしていた椅子を降りた。

 向かうのはがよく座る席の隣のカウンター席。ひょいと飛び乗って、お座りの姿勢でがドアベルを鳴らすのを今や遅しと待っていた。

「お、どした、てっさ」

 てっさの動きに気がついた弥生が紙面から顔を上げた。

「ぶなー」

「誰か来るのか?」

「ぶなーな」

「そっかそっか。じゃあ、俺も休憩終わりだな」

「ぶンな」

「んだよ。サボってなんかねぇよ」

「ぶーなー?」

「うるせぇなぁ、もう。休憩なんだよ、休憩!」

 そんなやりとりをしている間に、りんりりん、とドアベルが鳴った。入店してきたのは想定通り正臣だった。

「ぶなー!」

「てっさ、お出迎え? ありがと」

「ぶにゃー!」

 尻尾を揺らしたてっさは、いつもの席に着いた正臣の腕に身体を伸ばして頬擦りした。いい感じに毛で真っ白になった。しめしめ。もっと真っ白にしてやる。

「一息ついたら遊んであげるから、ちょっと待っててね」

 そう言いながら、正臣はてっさをひとしきり撫で回した。撫でられている間、てっさは地鳴りのように喉を鳴らした。彼の手が離れたとき、ふわりと白い毛が少しだけ舞った。

「そろそろ毛の生え替わりじゃない? ブラッシングちゃんとしないと」

「やってもやっても抜けるんだもん。いやんなるぜ」

「ブラッシング嫌がらないんだからしつこくやればいいのに」

「俺が飽きるの」

「そこは堪えてちゃんとやりなよ、もう」

 呆れ気味に正臣は出された水を口に含んだ。

 そのコップが置かれると、

「で、今日はなんにする?」

 弥生の御用聞きが始まった。


   *


 てっさに見守られながら、正臣は少し考えた。考えた後に考えるまでもなかったと思いつつ、

「今日はダージリン。あと、なにか甘いものある?」

「ケーキながらシフォンケーキとチーズケーキ、あとはクッキーとフィナンシェがあるけど」

「そしたら、ダージリンとシフォンケーキをお願い」

「りょーかい」

 弥生がくるりと翻って準備をし始めた。

 注文が出てくるまでは暇なので、横にいるふかふかの猫を撫でることにした。首の辺りを構ってやると、喉を鳴らして袖に擦りついてくる。ゆらゆらと上機嫌に揺れる尻尾を見て、正臣は一つ思い出したことがあった。

 てっさから手を離し、反対側の席においた鞄を漁る。

「はい、弥生。これ、てっさに」

 取り出したのは猫じゃらしのおもちゃと猫用おやつだ。

「お、サンキュ。でも突然どうした?」

「だって今日、猫の日だから」

「猫の日?」

「二月二十二日は二が並ぶからにゃんにゃんにゃんで猫の日」

「あ。駄洒落ね。俺、そういうの疎いからな」

「疎いっていうより興味もないでしょ」

「ん~。まあ~」

 目を泳がせる弥生を見て、本当に興味がないのだと知った。同時に、弥生がポットにお湯を注いでいた。そのポットとティーカップがカウンターに置かれ、遅れてバニラのシフォンケーキがやってきた。

「砂が落ちたらどうぞ」

 最後に砂時計が置かれ、三分間のカウントダウンが始まった。

 砂が落ちていくのを見ているだけというのもなんだったので、正臣は別の話を始めることにした。

「ところでさ、てっさの誕生日っていつ?」

「え? 誕生日?」

 意外なことを聞かれたという顔をされたが、正臣にしては意外な反応が返ってきたという心地だ。

「そう。誕生日。文字通り生まれた日か、ここに来た日とか」

「……いや、そういうの、知らないな」

「知らない? っていうか、てっさってどういう経緯でここに来たの? 拾い猫って感じじゃないけど」

「いや、それも知らない。気づいたらここに居たし、てっさに限らず、なにもかも気づいたらこうだったって言うか……」

「なにそれ。じゃあ、今まで一度も誕生日のお祝いとかしてあげてないの? ひどいな」

「いや……それは、なんていうか、その……。はい、してないです」

「うわぁ……」

 たぶん今自分はひどい顔をしている。そう思いながら正臣は目を細めていた。

 目の前にいる男はこんな商売をしているのに世の中のイベントに鈍感で、記念日や誕生日にアンテナの低いヤツだった。こんなことで有紗との交際は大丈夫なんだろうか、とか、余計な事まで心配になってくる。

「もー、じゃあ、仕方ないな。今年からてっさの誕生日は二月二十二日」

 正臣はてっさの両脇に手を差し入れて、身体を持ち上げた。猫の身体は当然のように伸びるので足が椅子から離れるほど持ち上げることはできなかったが、それなりに持ち上げた気分になる程度にはてっさとの目線を合わせることができた。

「てっさ。今日は誕生日だよ。おめでとう、てっさ」

「ぶなー?」

「誕生日。お祝いの日。猫おやつ食べていい日」

「ぶなっ! ぶなぶな!」

「ぜってー猫おやつにだけ反応したよな、今」

 弥生が腕を組んでてっさを見下ろしている。激しく尻尾をぱたぱたとさせているてっさを見ながら、それでもいいんじゃないかと正臣は思っていた。

「これでちゃんとお祝いできるな。長生きしろよ、てっさ」

「ぶーなー」

「食べ終わったら遊んでやるからな」

「ぶうなー」

 伸ばしきったてっさの身体を元に戻そうとしたとき、ドアベルの音がして店内に入ってくる足音もした。

「あっ、正臣さん! こんにちは!」

 振り向く前に声で有紗だとわかり、正臣は振り返りながらてっさを持ち上げ、猫と一緒に有紗の方を向いた。

「こんにちは、てっさです。今日、誕生日です」

 てっさの頭の後ろで正臣はそう言った。

「えっ!」

 有紗は弾かれるようにして声を上げると、

「正臣さん、弥生くん、ちょ、ちょっと待っててね。すぐ、すぐ戻るから!」

 そう言って今来た道を戻るべく駆け出していってしまった。

「あれ。なんか悪いこと言ったかな」

「多分『プレゼント!』って思っただけだろうから、そんなに心配はないと思うけど」

「それは悪いことしたな」

 気付けばとっくに砂時計の砂は落ちきっていた。正臣は抱えたてっさをそのまま膝の上に乗せて、ティーポットから紅茶を一杯、カップに注いだ。ふわりといい香りがして、膝の上の猫があくびをした。


2022/02/22(2022/02/27)『猫の記念日』

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有栖川茶房 四季 タカツキユウト @yuuto_takatsuki

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