第3話 海苔とごはんの旨いもの

 ベルを鳴らして忠臣が有栖川茶房のドアを開けると、すぐ目の前のカウンター席で玲が海苔巻きを食べていた。どちらかと言えば太巻きで、具材は入り口からではわからない。何切れか皿に載ったうちの一つを箸で挟んで、玲がそれを頬張ったところだった。皿の様子からして、既にいくつか彼の胃袋に落ちたあとのようだ。

 店主は、というと、その様子を微妙な表情で眺めている。

「一体いつからここは寿司屋になったんだ……」

 言いながら忠臣は、玲が座る席からひと席空けて椅子に腰掛けた。

「それがさぁ、ここに来るなり『海苔巻き食わせろ』って言ってきかなくってさ。あり物で作ったので一旦大人しくなってくれたんだけど……」

 ハの字眉で弥生が言う。

 元々そんなものを出す店ではないのだ。急拵えとはいえよく作ってやったとさえ思う。

 ひと切れを一口で次から次へと頬張っている玲の手元を見てわかるのは、黄色い何かと白っぽい何かと茶色の中にかが巻かれていることくらいだ。

「具材は?」

「卵焼きとカニカマとウインナ」

「まるで遠足だな」

 そんな会話を横でしているのもお構いなしで、玲は最後のひと切れをやはり一口で頬張り、箸を置いた。

「はーっ! 旨かった!」

 満面の笑みで啜っているのは驚いたことに緑茶だった。よく見れば小さな湯呑だ。恐らくこれも弥生にせがんで出してもらったのだろう。

「で、忠臣。注文はどうする? 今だったら変なおむすびも作れるけど」

「いや、流石に昼前だし……む……昼飯にしてしまうという手もあるか……?」

「おまえの昼飯とか何個握ればいいんだよ」

「大きめで五個くらいあれば」

「おし。具材はお任せでいいな!」

「あ……ああ。任せる」

 半ば自暴自棄に腕まくりを始めた弥生を見て、少しだけ悪いことをしたようなに気になった。

 ――ま、昼の宛ができたということでよしとしよう。

「ところで――」

 と、忠臣は玲に向き直った。

「なんで突然海苔巻きなんて言い出したんだ?」

「いやだって、今日、節分じゃん?」

「そうだな」

「節分って言ったら、恵方巻きじゃん?」

「関西ならな」

「えっ? 関東、違うの?」

「恵方巻きは関西の風習だろう。関西のどこら辺かは知らないが、関東では元々そんな文化ないぞ?」

「えー、そうなんだー。コンビニでのぼり見るからてっきり全国区だと思ってたぁ」

「なんの思惑か、だいぶ前からその文化、関東にも輸入されたがな。個人的にはまだ馴染んでない。というか、だいたいさっきおまえが食べてたの、恵方巻きと言うより太巻きじゃないか」

「流石に一本まるごと恵方を向いて食べるのはここじゃお行儀悪いかなって思ってさ」

「今年の恵方ってどっちなんだ」

「さあ」

「知らないで恵方がどうのとか言うな。そもそもおまえ、行儀とか気にするんだな」

「オレのことなんだと思ってんだよ!」

「野生児」

「即答!」

「さっき箸を使ってる時点で驚いてた」

「箸も使えねぇって思われてんの?」

「野生児の鉄則は手掴みだろう」

「野生児前提で話すんじゃねぇ!」

 玲がぷりぷりし始めたところで、向かいから湯呑が差し出された。玲のところにあるものと違い、大きな湯呑らしい湯呑だ。茶柱は残念ながら立っていない。

「そうか、節分か……」

 玲との会話の冒頭を思い出して、忠臣はなんとなく言葉にした。

「豆撒きなんて長いことしてないな。最後にしたのは……高校のときに環と生徒会メンバーとやったやつかな」

 そう独り言を漏らすと、カウンターの向こうで熱そうにおむすびを握っていた弥生が、何故か硬直して忠臣を見た。

「環と豆撒き……? ……殺し合い?」

「そんな物騒なことがあるか」

 ただし、後片付けは大変だった。ついでに教師にもしこたま怒られた。

 そっか、と弥生は言って、安心したのかしないのかおむすびを握る作業に戻っていった。

 炊飯器から白米が取り出されている。恐らく、玲に無理を言われて米を炊くところから準備したのだろう。炊きたての米のいい匂いがする。

 弥生は一度奥の厨房に入って冷蔵庫を閉める音がするとまた戻ってきた。手には陶器のタッパーがいくつかあったので、詰める具材かなにかだろう。

「ってかさ、弾丸マメ? マメマキっていったらあれでしょ。鉛玉撃ち合うやつっしょ」

 お茶を飲み干した玲が何か言い始めた。

「おまえが言ってるマメって完全になんか違うと思うぜ……」

 弥生が少し前にしていた渋い顔をまたしている。そんな顔をしたくもなる。

「一番物騒な奴がここに居たな」

 ひとりわかっていない玲を横目に、忠臣はまだ熱いお茶を啜った。

 少しして、

「はい、お待たせ!」

 と、弥生が出してくれたのは、秋刀魚を載せるのに丁度良さそうな長い皿に整然と並んだ五個のおむすび。どれもコンビニで買うそれの二倍くらいの大きさがある。そして、皿の端には沢庵が数切れ載っていた。

「豪華だな」

「具材、どれがなにか言う?」

「いや、食べての楽しみにする。大体、ひとつは答えが出てるしな」

 上手く収められなかったのか、真ん中のおむすびの頂点から、半分にした明太子の断面が姿を見せていた。唐辛子とたらこの粒が白米の白に映えて食欲をそそってくる。

 ひとつ目を手に取ろうとしたとき、空席を一つ挟んだ向こうで大仰に音を立てて立ち上がった男がいた。

「ええーっ! なにそれ旨そう! オレもそれ食べたい!」

「なんだよおまえ、子供かよ。だいたい、忠臣に作った分でごはん終わりだよ」

「じゃあもっかいごはん炊いて!」

「駄々こねるなよ。さっき海苔巻き食べたじゃん」

「オレのは海苔巻き。忠臣のはおむすび」

「形状が違うだけで全部一緒じゃん」

「おーむーすーびー」

 なんだか隣が騒がしいが食事を止める理由にはならないので、忠臣は構わずに一番手前のひとつを手に取ると、

「いただきます」

 がぶりと食いついた。一口目で具材に到達したようで、覚えのある独特の青菜の味がした。

「高菜か。旨いな」

 すぐに二口目を食べ進めていると、やはり隣が騒がしい。

「高菜ぁ。オレの海苔巻きには入ってなかったじゃん。食べたいー。おばあちゃんの味ぃ〜」

「おばあちゃんの味?」

「今捏造した」

 怪訝な顔をした弥生の前で、玲はケロッと嘘をついていた。

 ゆっくりした昼食には程遠く、まして節分とはまるで関係ないが、ひとの作るおむすびは美味しい。忠臣は文字通り噛み締めながら、あっという間にひとつ目を完食するとふたつ目に取り掛かった。

 具材が唐揚げだったので、当然のように玲が騒ぎ出した。聞こえないふりをした。



2022/02/02『海苔とごはんの旨いもの』

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