第38話

 昼過ぎから降り始めたみぞれは夕方には雪に変わり、あなたと天上がホテルに着くころには一寸先も見えないほどの吹雪になっていた。まるで分厚い壁のように立ちはだかる雪の幕の向こう側にエントランスの明かりがぼんやりと浮かんでおり、あなたは天上に手を引かれ、深く積もった雪に足をとられながら光のある方角へと歩んでいく。


「天上さんが来てくれてよかったわ。こんな吹雪のなかを運転なんて、私には無理だもの」

「あまりあてにされても困るよ。ぼくだって雪国の人間ではないから、雪道に慣れているわけではないんだ」

「それでも腕は私より確かだわ」


 あなたは雪に足が掬われるのをおそれて、天上の腕にしがみついた。


「少し身体が冷えてしまったみたい。一階のカフェで温かいものでも飲んでいかない?」


 いつの間にか打ち解けたような口調になっていたが、あなたはふと天上にしなだれかかるような体勢になっていることに気がつき、羞恥心のために顔を熱くした。あんなにおそれ、警戒し、ときには敵視さえしていた天上に、いまこうして絡みついている変わりように呆れた。雪ではなく、あなた自身から絶えず垂れ流されるどろどろとした恥に足を掬われているのではないかという気がした。


 心変わりが起こってしまった背景には、先般の会話によって、天上に対して抱いていた誤解の多くが解消されたという事実がある。あなたは天上を母の手先か何かだと思っていたが、そうではなかった。天上は多くの男たちがそうであるように、婚約者の親に気に入られようと立ち回ったに過ぎない。ただ、母があなたに対して多くの事実や感情を秘めており、その一部を知ったために板挟みになっていたというわけである。


 今回、母の言いつけを破り、彼の来訪を伝えに遠路はるばるM市までやって来た天上の選択は、板挟みの末に母ではなくあなたを選んだ証であり、少なくとも天上という男のなかであなたが母に勝った証でもあるように思われて、あなたは天上のことを好もしく感じた。


「やっぱり私、彼のことを忘れたいんだわ」


 頭のなかで考えていたことが口から漏れ出して、あなたはハッとなった顔で天上を見つめる。


「ごめんなさい。私ったら、何てこと」

「本心じゃないのはわかってる。きっと、探すことに疲れてしまっただけだ。ゆっくり休んで、元気が戻ってきたら、また探そうという気分になるよ」


 天上はあなたの肩に手を回した。恋人にするような甘ったるい手つきではなく、夫が妻を支えるような力強い抱擁は、あなたにこの男が婚約者なのだという自覚を急速に芽生えさせた。


 あなたは雪にもつれる足取りのままに天上とカフェ『パミーナ』へ滑りこんだ。そこで熱いホットチョコレートと、夜の営業時間だけ酒類を提供しているのでカクテルを数杯飲んで部屋へ戻ったが、財布を取り出そうとする天上を無理やり退けてあなたは支払いを済ませた。


 彼という支えを失ったことで、あなたの心は絶えず揺らいでいる。支えを求め、かつては憂希に傾き、そして今度は天上に傾こうとしている。ひとりでは真っ直ぐ立てない軟らかさと、誰にでも寄りかかってしまう都合の良さが恥ずかしかった。だからこそあなたは、天上に借りを作らないという決意で足下を固め、傾きかけた心を引き戻そうとした。

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