第29話
天上が出て行ったのを確認すると、あなたは毛布を頭から被って丸くなった。いまは、自分の外側にあるすべてのものを切り離して孤独の殻のなかに籠もっていたかった。
天上と会ったあとには、いつもこんな気分になる。常に警戒心を発揮した代償として、身体じゅうの神経が過敏になって世界に襲いかかられたように錯覚してしまうのだ。それほどまでに、あなたにとって天上は端倪すべからざる男だった。天上の輝きの裏側にあるものを知りたいと思う反面、知ってしまうのがおそろしくもあった。
天上の、妙に冷たい光を放つあの目があなたは好きではなかった。ふだんは表面に優しさの靄がかかってカムフラージュされているが、ふとしたときにそれが晴れて、新月の夜のような暗い瞳があなたを見つめてくるのだった。その目に見られているとき、天上の視線はいつも鋭い刃となってあなたの肌に食いこみ、観念的な出血を生じさせた。
「あの方、ちょっと怖いんです」
天上と婚約してしばらく経ったころ、母に天上の印象を訊かれてあなたは率直に答えた。
「私にはとても優しくていい方に見えるけれど、いったいどこが怖いというの」
「天上さんに見つめられると、とても息苦しくなるの。眼差しは穏やかなはずなのに、その奥に冷たいものがあるような気がして、まるで監視されているみたい」
「天上さんはそんな人じゃありませんよ。きっと、大人の沈着さを冷たさと取り違えているだけです。そうでなければ、マリッジブルーね」
「そう……そうだといいけれど」
母から背けた顔に、当惑の色が浮かんだ。母を前にすると、あなたはいつも歯切れの悪い話し方になった。
「それとも、何か知られたくないことでもあるから、監視されている気分になるのかしらね」
母のナイフのような言葉があなたの喉元で閃いた。ハッとして母の目を見ると、相手もこちらを真っ直ぐ見つめていた。天上と同じ種類の眼差しだった。あなたは反論しようとして口を開き、しかし結局何も言うことができないまま俯いた。
あなたにとって、天上はただの婚約者ではなかった。あなたの母、つまりあなたの最大の敵でもある人が、あなたと彼との関係に感づき、あなたがたの絆を断ち切るために打ちこんだ楔。それが天上だった。
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