第23話
偶然なのか、それとも記憶に導かれたのか、あの夏の日、憂希たちがあなたがたを盗み見ていた木陰にあなたは立っていた。そこからは葉叢を透かして入り江の様子が垣間見られるが、向こうからはちょうど陰になって見えないようになっていた。
砂浜にはこちらに背を向けて立つ憂希の姿があった。コートも羽織らず、鞄も持たず、ぼろぼろの学生服を着て海を見つめる少年の髪が風を受けて暴れている。その後ろ姿は、やはりあなたに狼を連想させた。銀色の豊かな毛を翻し、死の季節に立ち向かう孤独な狼。だが、美しい毛並みの下には数え切れないほどの傷が刻まれ、足下には血が滴っている。
腕時計の文字盤を見ると、約束の時刻をとうに過ぎていた。あたりには、いつの間にか雪が降り始めていた。
憂希は胸を張るようにして息を吸うと、瓦礫が崩れるかのような、激しい波音を立てる海に向かって叫んだ。
「ぼくはこの海に殺される」
狼の遠吠えを思わせる、真っ直ぐな声がした。
「海が、雪が、寒さがぼくを殺すんだ。それがぼくの運命なんだ。この町で生まれ、この町に縛られて、この町に殺される。それがぼくという人間の人生だ。でも、そうはさせない。どうせ死ぬなら、ぼくはあなたのために死んでやる。美夜子のために殺されてやる」
そこで、あなたは憂希の叫びがほかでもないあなた自身に向けられていることに気づいた。憂希はいま、この世界のどこかにいるあなたに対して叫んでいる。それが届くと届かざるとにかかわらず、たった一人の人間のために、愛と死の宣誓を捧げているのだ。
暗闇のなかでざわめく海が、黒い大きな波を砂浜に寄せて憂希の命を賭けた叫びを呑みこもうとする。その愛を殺そうとする。憂希の言っていたことは、決して間違ってはいない。憂希を取り巻くものすべてが、憂希をこの町に閉じこめ、真綿で首を絞めるようにじわじわと追いこんでいる。少年の途方もない未来を着々と食い潰し、緩やかな死を強要している。
そのあまりに悲しすぎる運命に、憂希は文字どおり一命をなげうって、一矢報いるつもりなのだ。
「たとえぼくが死んでも、この愛だけは死なせやしない」
憂希は海に向かってゆっくり歩き始めた。
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