第20話
翌日、約束の時間が着実に迫っているのを感じながらもあなたは未だ迷っていた。拒絶を寄せつけない憂希の口調に促されるまま承諾してしまったが、果たしてあの誘いに乗るべきなのかあなたは決めかねていたのだ。
昨夜に憂希が見せた、抑制された輝きを放つ瞳。その奥には、しかし赤々と燃える決意の炎が確かにあった。
憂希が何をしでかすつもりなのか見当がつかず、もしも入り江に向かえば、そこでおそろしいことが起こる気がした。しかし入り江に行かなければ、もっとおそろしいことが起こる気もまた、あなたにはしていた。
今度こそ、ぼくの愛を証明してみせます。
憂希が最後に放った言葉がふたたび脳裏に響き渡り、あなたは傷だらけの狼の姿を思い浮かべる。痩せ細った体躯。暗闇のなかで光る濡れた瞳。雪の香りのする髪。真空の月夜を裂くような、鋭くも温かい、生きている男の声。そのすべてをあなたの脳は正確に描写し、憂希の幻を眼前に作り上げた。
もともと、この部屋はあなたと彼だけのものであるはずだった。あなたがたの言う、二人だけの世界というものに、この部屋は確かに帰属していたのだ。しかし、いま、あなたがたが数え切れないほどの情念を交換したあのベッドには憂希の幻影が横たわり、彼の姿もにおいもどこかへ消え去ってしまった。瞼を閉じれば心のなかに彼が存在し、あなたの最も脆弱な領域を護ってくれているのを感じられるが、目を開けて身体の外側に注意を向けると、憂希の存在がすぐそこまで迫っているのがわかった。
彼の存在が消えることはない。この点にかんして、あなたは絶対的な自信を持っていた。しかし、あの憂希という少年には、その自信を打ち砕くだけの潜在的な力があるように思えてならない。正直に告白すれば、あなたは憂希を不幸のために少し他人と違ってしまっただけのただの少年であると侮っており、その少年に彼の影を背負わせることで、彼との思い出に浸るという目的を達成しようという思惑があった。しかし、あなたの認識は間違いであり、思惑は打ち砕かれてしまったことを認めなければならない。あの少年のなかにはあなたの想像の及ばない何かが潜んでおり、そのことを明確に感じ取ったのが昨夜であったにしても、あなたは自分でも知らないあいだにその何かに魅了されていたのだろう。浴室で互いの身体に触れあったとき、本来ならばあなたは憂希と彼の類似しているところを探すべきであったのだ。しかし実際には二人の相違しているところばかり確かめて、彼の影を取り払った、裸のままの憂希と、その奥に潜む何かを求めてしまっていた。
そしていま、その何かが彼の幻影を殺してしまうことはないのだと、あなたは断言することができない。
憂希のなかに眠る強力な感情。それにあなたはおそれを抱きながら、同時に心を惹かれていた。憂希の感情が彼の幻影とぶつかりあうとき、はたして何が起こるのか。彼が憂希の感情を殺してしまうのか、それとも憂希の感情が彼の息の根を止めてしまうのか。いずれにしても、想像を超えるおそろしいことが起こるだろう。にもかかわらず、それを見てみたいという欲望がめらめらと湧き上がった。
あなたがた三人の賭けは、まだ終わっていなかった。
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