第17話
ほどなくして憂希が部屋へとやって来た。あなたは憂希を招き入れると、コートの肩についた雪を払いながら言った。
「三十分の遅刻よ」
憂希は何も答えることができずに、寒さと興奮で紅くなった顔をあなたに向けた。あなたは口の端をわずかに吊り上げて笑うと、コートと学ランの上着を預かった。
「いいの。気にしないで。それより、寒かったでしょう。お湯を沸かしてあるから、温まってくるといいわ」
「あの、本当にするんですか」
憂希はやや怯えたような声で言った。
「もしかして、したくないの」
「したいです」
「なら、言われたとおりにしなくてはね」
あなたに促されて、憂希は脱衣室へと入っていく。衣擦れの音、何かを落とした音、それを拾いあげて元の場所に戻したときの音。あなたはドアに背をぴったりとつけたまま、それらの音に耳を澄ました。扉一枚を隔てた向こうから聞こえてくるのは単なる音ではない。女どころか母の温もりすら知らぬ少年の心が弄ばれる音なのだ。それがあなたを昂ぶらせた。
この昂ぶりにすべてを委ねるのだと心に念じた。それこそが、あなたが賭けに勝利するための条件なのだから。
やがてシャワーの音が聞こえてくると、あなたは脱衣室に忍びこみ、静かに服を脱いで制服の隣に畳んで浴室の扉を開けた。そこには年頃の少年にしては華奢な身体があって、痩せた背中の中心に、背骨が鋭利な山脈のように浮かび上がっていた。いまにも薄い皮を引き裂いて骨が飛び出してきそうな痛々しい背中を目の当たりにして、あなたは声を押し殺した。
二人の親に祝福されて、この町に生まれたはずだった少年が、いまはこの痛々しい背中で孤独に耐えている。ただこの町にいるというだけで、母を奪われ、父を奪われ、夢も、未来さえも奪われた。そして、そこからさらに奪おうとする者が背後にいた。あなたは激しい後悔に酔いしれながら、細い背中に抱きついた。
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