第11話
あなたは少年のふるえる肩のうしろに、女の幻影を見た。すべてを包みこむような、暴力的に豊かな肉体を持つ女が背後から少年を抱きしめている。女の顔には目も鼻も口もない。肌のうえに白いもやがかかり、匿名性という化粧を施すそれは存在というよりも概念に近い気がした。
母だ、とあなたは思った。母という概念、母という言葉に宿る魔力が、少年を絞め殺そうとしていた。
かつて彼からこんな質問を受けたことがある。
「母と聞いて、きみはいったい何を連想する」
愛しあったあとの、切実な疲労感に蝕まれた会話のなかで起こった質問だった。いつもあなたと向かいあって話す彼が、このときだけは背中を向けて横になっていた。
「何よ、いきなり」
「今日、そんな質問をしてきたやつがいたんだ」
「ふうん。で、あなたは何と答えたの」
「絆」
あなたはやや上体を起こし、彼の顔を覗きこんだ。半ば夢に落ちこんだ目が、窓の外をぼんやりと見つめていた。
「きみは何を連想するんだい」
「呪い」とあなたは答えた。「私のすべては母親のなかでつくり出された。その事実をもって、あの人は私を支配しようとする。呪いでなくて何だというの」
「おそるべき考えだね。もしそうだとしたら、どうやってその呪いを解くのさ」
「自分も子どもを産んで呪うほうに回ることで、呪いを受け入れる。あるいは、産まないことによって呪いを否定する。私にはいくらでも方法がある。でも、男のあなたは死ぬまで呪われたままね」
その続きを思い出しているあいだに、ケーキと飲み物が運ばれてきた。ウェイターは少年の異変に気づき、何か声をかけようとしたが、あなたの鋭い視線に射抜かれてそそくさとその場をあとにした。ケーキは日替わりで、今日はあなたの好きなティラミスだったが、とても手をつける気にはなれず、結局ミルクティーを少し飲んだだけで口元を拭いた。
時計の針はすでに十時を回っていた。あなたは少年を家まで送ることにした。
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