第4話

 夏のM市は朝が早いので、日光に閉じた瞼を切開してもらうのが日課のあなたは必然的に早起きとなる。隣に眠る彼の首筋にキスをすると、あなたはカーテンを閉め、髪型を整えるために洗面室へと向かう。長い髪は夜の魔の手にまさぐられて乱れ、櫛を当てても言うことをきかない。あるいは、夜通し髪をまさぐっていたのは彼の手のほうであったか。いずれにしても、あなたはこの少々癖のある髪の毛が好きではなかった。


 結局、櫛ではだめだと判断したあなたは、寝汗を洗うのも兼ねてシャワーを浴びることにした。この朝いちばんのシャワーも好きにはなれなかった。まだ肉体が世界に慣れないうちに熱い湯を浴びると、存在そのものまで洗い流されてしまいそうで不安だった。


 バスタオルを身体に巻いて寝室に戻ると、彼がベッドに横たわったまま煙草をくわえていた。


「あら、起きていたの」

「うん、ついさっきね」と言って、彼は吸い始めたばかりの煙草をもみつぶした。「シャワーの音がいい目覚まし時計になった」

「ごめんなさい。起こすつもりはなかったのよ」

「いいんだ。もう少し長ければ、ぼくもご一緒しようと思っていたんだけどな」


 彼はバスタオルであなたの身体を優しく拭き、濡れた髪にドライヤーを当ててくれた。朝のこの時間、彼はあなたの召し使いになる。昨日はこのあと手足の爪を切ってもらい、一昨日は口移しでサイダーを飲ませてもらった。冬場には冷え切った足を吐息で温めてもらうこともある。あなたは彼を意のままに操ることのできるこの時間がたまらなく好きだった。


「ありがとう。何かご褒美をあげなくてはね」


 まだ血色の戻らない彼の頬を撫でながらあなたは言った。


「だったら、ぼくの子どもを産んでよ」

「何度も言っているでしょう。あなたにすべてを投げ出す覚悟ができたら、産んであげる」

「覚悟ならもうできてる」

「嘘をつく子は嫌いよ」


 そう言って、あなたは彼と睨みあい、互いを罵り始めた。これもまた、あなたがたにとっては日課のようなものだった。あなたがたはあらゆる高貴な論理とあらゆる下品な言葉を用いて相手を攻撃しあうが、それはやがて死ねだの殺してやるだの、大した意味を持たない言葉の応酬へと落ち着いて、最後にはどちらからともなく笑い始めるのだった。


「私、お腹が空いちゃったわ」

「ぼくもだ。早く朝ご飯をいただこう」


 彼はあなたの頬にキスをすると、朝食を部屋へ持ってきてもらうようフロントに連絡を入れた。

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