第2話

 海水浴場まではもう十分ほど車を走らせなければならなかった。チェックインの時間にはまだ余裕があり、急ぐ必要はなかったが、あなたは普段よりも多めにアクセルを踏んでレンタカーを飛ばしていた。もう二時間近くもハンドルを握っており、疲れが肩に重くのしかかっていた。とにかくどこかに車を停めて休みたい気分だった。


 左手に見える海は底に暗い色を沈め、その上を白い波が走っている。鋭い形の波はまるで海面を切り裂くナイフのようで、ただ横目に見ているだけであなたの心は凍えた。この土地を何度も訪れたことのあるあなたも、こんなに冷たい顔をする海を見たことはなかった。あなたが知っているのは、夏の生ぬるい海。降り注ぐ日差しを屈託なく反射する、少年のような海だった。それが冬になると、とたんに排他的な男の横顔に変わり、見知らぬ女を追い返そうと白い波の皺をいくつも寄せるようになる。


 ようやく目的地に到着すると、あなたはがら空きの駐車場の、隅の区画に車を停めて外へ出た。


 彼の行方を捜して、M市の海水浴場を訪ねていた。毎年、八月の二週間をM市のホテルで過ごすのがあなたがたの恒例行事となっていて、この夏も数え切れないほどの秘密を波と波の間に隠してきたばかりだった。


 だが、あなたの隣にもう彼はいない。思えば、ひとりでここへ来るのは初めてだった。海がいつもより広く感じられるのもそのせいかもしれない。世界が崩れるような音を立てる波は、思い出の詰まったこの場所を異国の知らない風景へと変貌させた。彼の面影も、彼との思い出もそこにはなかった。あなたはコートの襟を立て、海岸沿いをホテルまで歩いた。まだチェックインまで時間があるが、頼めば手続きをとってくれるだろう。


 高台にあるホテルはこのあたりでは最も大きく、夏場は海を目当てにやって来る客で常に満室になるが、冬のこの時期は時が止まったように静かだった。あなたはロビーのソファやテーブルに多少の埃が残っていることに目を瞑り、フロントへと向かった。


 フロントにはあなたより少し年上らしい青年が立っていた。あなたが口を開こうとすると、青年は歯を見せないようにそっと微笑み、チェックインの手続きを始めてくれた。


「あの」手続きを終えたあなたは青年に訊ねた。「このホテルには、私以外に宿泊客がいるのでしょうか」

「ええ、お客様のぶんを含めて四部屋のご予約があります」


 予約数のあまりの少なさにあなたは驚いたが、知りたいのはそんなことではなかった。


「その予約客のなかに、この名前の人はいますか」


 あなたは彼の名前をメモに書いて渡したが、青年は首を横に振った。


「いいえ、その名前の方はありません」

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