第2話


 光輝星らいとは目を見開いて『みどり』と名乗った女性を見つめた。

 そして思い起こす。


 ――確か、一か月前のK市の広報サイト。

 介護認定を受けている家庭に『介護ロボット』がお試しで派遣されると書いてあった。

 

 ただ、まさかこんなに早く、自分の家に「人間に近いロボット」が来るとは思っていなかった。光輝星らいとはもっと可愛らしいロボットをイメージしていた。動物型ロボットが癒し目的で支給されると思っていたからだ。


「ただいまから、河端こうはたあおい様の介護のお手伝いをさせて頂きます! あおい様の状態はもうインプット済なので、ご安心ください」


 一見、どこからどう見ても人間そのものの、ロボットの『みどり』。


「あの……本当にロボットですか? 福祉課の人では無くて?」


 すると、みどりは自分の左手首を掴んだ。そしてひねると、細かい精密機械が腕の間から覗く。

 驚く光輝星らいとに、微笑むみどり。


「任期は半永久的……。あおい様が寿命をお迎えするまでこちらのお宅でお世話になります。ちなみにロボットに対する質問・要望・返品・交換などは福祉課にお願い致します。介護に対する質問は私におっしゃってくだされば、可能な限りお答え致します」

「は、はあ」

「では、とりあえずお家に上がらせてください」


 みどりはそう言うと、光輝星らいとをスルリと避けて、質素なスニーカーをきちんと丁寧に脱ぎ、すたすたと中へ入って行った。

 突然部屋に現れたみどりに、あおいは目を見開いた。みどりは微笑み、少し茶色い髪を揺らしてあおいへ顔を近づけた。


「初めまして。私は本日よりあおい様を介護するロボットのみどりです」

「……姉ちゃん? あんた、みどり姉ちゃん?」

「そうですよ」


 みどりの大嘘にあおいの顔は、ぱあっと華やいだ。

 光輝星らいとは思い出した。

 確か、あおいには「みどり」という姉が居た。ただ、みどりさんは40代の時、自然災害で亡くなっているそうだ。


「姉ちゃん! お団子作ったよ。これ持ってどんど焼きに行こう!」

「はいはい。行きましょうね」

「姉ちゃんはトウモロコシの団子ね!」

「はいはい」


 またあおいはおむつを破いていた。みどりは話し相手をしながら、素早く破けたおむつを取り、新しいおむつに替えた。

 その迅速で巧みな技に、光輝星らいとは驚く。

 みどりはプロの介護士では無い。

 ロボットなのだ。

 いつの間に、こんなにロボット技術が進化していたのか。みどりの実力に目を見張った。


 日本人の本質は、真面目で勤勉で一途だ。

 頻繁に起こる大震災だって、数十年前に起きた疫病の時だって不幸に見舞われた時、一丸となって協力する種族なのだ。

 老後の危機にもきっと涙ぐましい努力を重ねた多くの開発者達が居たはずだ。

 その結果がこの『みどり』だろう。

 

  みどりは「では、台所をお借り致します」と言うと、持参した緑のエプロンをつけて、豆腐の味噌汁、鮭の塩焼き、納豆、カボチャの煮びたしを作った。

 光輝星らいとは出来上がったメニューを見ておずおずと言った。


「あの、母はカボチャは……野菜全般は食べないと思いますが」

「そうですか!」


 光輝星らいとの忠告をまったく気にしてない返事を寄越すみどり。それをお盆に乗せて葵の方へと戻っていく。

 その間、あおいはご機嫌に「キラキラ星」を歌っていた。

 朝食は光輝星らいとの分もあり「私が食べさせるので、光輝星らいと様は食事をなさってください」とベッドの隣にローテーブルに同じ物が置かれた。

 その間にもみどりは昇降式ベッドを操作し、あおいの上半身を起こした。


「はい、どうぞ」


 みどりがベッドに取り付けたテーブルにご飯を置くと、あおいは険しい顔をして「カボチャ嫌い」とそっぽを向いた。


「そうですか。では」


 みどりはカボチャを潰した。そしてそれを丸く捏ねた。


「お団子はどうですか?」

「お団子は好き!」


 あおいは喜んでみどりがスプーンで運ぶカボチャを食べた。光輝星らいとは目を丸くして、みどりとあおいを見た。

 みどりは言った。


「さあ、光輝星らいと様もゆっくり召し上がってくださいね」



 ◇◇◆



 介護ロボット『みどり』は完璧だった。

 料理に、洗濯、掃除、下の世話、葵の話し相手……。テキパキと世話をこなした。

 光輝星らいとだって一年間母親の介護をして、ある程度はみどり同様の介護は出来る様になっていたが、彼女と自分が決定的に違うのは「みどりは疲れない」事だった。


 彼女はロボット。疲れ知らずに21時間働く。葵は夜も起きては大声で歌を歌ったり、光輝星らいとを呼びつけたり、排泄物で体を汚したりしていた。その度に光輝星らいとは起きて、睡眠を削られ、ストレスを蓄積させていた。

 きっと、介護の辛い所の一つは寝たい時間に寝れない所だろう。

 しかし、


光輝星らいと~!! 光輝星らいと~!! どこ行った~!?」


 あおいが叫ぶと、横に座っていたみどりが立ち上がる。


光輝星らいとー!!」

「はい、光輝星らいと様はただ今、お出かけしていますよ?」


「……へえ、そうか。……………光輝星らいと~!! 光輝星らいと~!!」

光輝星らいと様は、今お出かけしてますよ」


「そうか。……………光輝星らいとー!!」


 みどりは夜の間、ずっとこうしてあおいの相手をしていた。そして、手持ち無沙汰のあおいがおむつなどをいじらない様に、注意深く見てくれるのだ。

 光輝星らいとは一年ぶりに長い時間眠れる様になったのだ。(しかし、体があおいの声に反射して飛び起きる事も多々あったが)


 それだけでも、光輝星らいとの気持ちに余裕が出来た。そして、みどりは午前の8時~11時の間だけ充電をする。

 背中に付いたコードを伸ばし、家のコンセントに差し込むと、静かに目を閉じて眠るみどり。

 電気代がドライヤーの五倍かかるそうだが、みどりが行っている仕事量を考えれば安いものだった。



 光輝星らいとの生活がガラリと変わった。

 みどりがほぼ介護をしてくれるので、時間が空いて、心許こころもとなかった生活費を稼ぐため、午後から入れる清掃のアルバイトを始めた。

 ずっとあおいとだけの生活が、アルバイトを始めた事で他の人間との会話も増えた。

 以前は他人をどこか避けていたが、こうやってあおいの事を忘れて没頭する時間がとても眩しかった。そして仕事が終わっても、帰る事は憂鬱では無かった。

 みどりがあおい甲斐甲斐かいがいしく介護してくれて、二人はいつも笑顔で会話をしている。

 暗かった部屋が、女性二人(老人と中年女性だが)がかしましくお喋りするだけで、パッと華やいで見えた。

 みどりの存在は、あおいの介護の質を上げてくれた事に加え、光輝星らいとの人生に再び光をともしてくれたのだ。


 余裕が出来た事であおいにも優しくなり、光輝星らいとはいつも母が好きなプリンを買って帰り、みどりには花や観葉植物を買って帰った。

 みどりはロボットだったけれど、植物を見ているのが好きだった。

 母の日に光輝星らいとあおいに鉢植えのカーネーションを買った。そして、みどりにも似合いそうな花を選ぼうと思った。

 すると、彼女の事を思いながら色とりどりの花を見ていると不思議と心の高揚を感じた。


 昔から女性にあまり興味がなかった光輝星らいとには、その高揚感が何なのか分からなかった。

 赤い雛菊ひなぎくの鉢植えを見つけて、慎ましいみどりにぴったりだと光輝星らいとはカーネーションと共にレジへと持って行った。


「ラッピングしますか?」


 光輝星らいとと同年くらいの女性店員が尋ねた。「お願いします」と頼むと「こちらは母の日ですよね? こちらはどうしましょう?」と雛菊の方を指差した。

 光輝星らいとは少し考えて「可愛らしい感じにしてください」と答えた。

 

 マチの広い紙袋に並んだカーネーションと雛菊。ピンクの包装紙に包まれた雛菊を見て、みどりは喜んでくれるだろうかと心弾ませて家へと急いだ。



 帰りの途中、車道に沿った歩道を歩いていると「そこの人!」と急に光輝星らいとを呼ぶ声がした。

 振り向くと、中学生ぐらいの年頃の少年が光輝星らいとを呼び止めた。


「その人、捕まえて!!」


 少年は、光輝星らいとの前にいる前屈みでスタスタと歩く老人を指差す。

 その老人の男は今にも歩道から車道へと飛び出そうとしていた。

 光輝星らいとは持っていた紙袋を放り出し、老人を背後から抱き留めた。その目前を黒いワゴン車が横切った。

 ワゴン車が激しくクラクションを鳴らす。

 光輝星らいとは直面した命の危機に手が震え、心臓の音が頭のこめかみまで響いた。

 少年は光輝星らいとが投げた紙袋を拾い上げ、歩み寄って来て頭を深く下げた。その間にも、老人は静かに暴れて、何かブツブツと言っている。


「ありがとうございます! じいちゃんを助けてくれて……」

「……君のおじいさんは認知症なのか?」

「はい、まだ六七歳なんだけど、若年性の認知症で徘徊が酷いんです」


 それを聞いて驚く。この老人は光輝星らいとと二歳しか違わないのだ。


「君が見ているのか? 介護ロボットは外は助けてくれないのか?」と尋ねると少年は光輝星らいとを呆れた様に見上げた。

「そんなの! 俺の家に来る訳がないじゃない」


 そう自嘲する少年に、光輝星らいとは目をしばたたかせた。

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