聖女が勇者を倒して欲しいと、魔王(俺)の城にやってきた。

聖女が勇者を倒して欲しいと、魔王(俺)の城にやってきた。




「魔王さま、勇者を倒しに行きましょう!」


 ここは魔界。

 人間領とは別の、普段は人間が足を踏み入れることはない場所。


 王座に深く腰を据える俺に、彼女は――聖女はそう言い放った。


「いや……聖女が何言ってんだ」



 □



 十年前、俺は勇者率いる人間軍によって敗北した。

というか、一体一で勇者に挑んで負けたから俺以外に被害はなかったんだが。

 魔王討伐の使命を受け、勇者一行の一員であったのが、いま目の前で深々とお辞儀をしている聖女である。

 討伐時は確かめちゃくちゃ幼かったと記憶していたが、おそらく十歳そこそこの年齢だったんじゃないか?それがどうだ、今はこうも大きく成長を遂げている。


「人間の老いの速さは魔族と異なるが、驚いた。随分とデカくなったんだな、聖女」

「はい! しっかりと母の血を受け継いでいたようです!」


 そう言って、聖女は自分の豊満な胸を持ちあげた。


「いや、そこじゃねーよ。下ろしなさい今すぐに。普通に容姿の話なんだが」


 隣に控える俺の右腕、ヘッツがそこしか見ていないのであえて触れずにいたというのに、十年の歳月というのは恐ろしい。

 それも聖女であろう人間が勇者討伐を魔王の俺に持ちかける日がくるなんて、夢にも思わなかった。


 とりあえず理由を尋ねてみると、待ってましたと言わんばかりに聖女は口を開いて話し始める。その内容は正直、ドン引きするようなものばかりだった。


 俺を倒したのち、とある領土を賜った勇者はそこから国を築きあげた。あろう事か街にいる美しい娘や他国の姫君を登城させ、着々とハーレムを作り上げていったという。

 聖女もハーレム要員の一人だったようだが、今回勇者の目を盗んで魔界に来たらしい。


 おかしいな、俺と戦ったときの勇者って20代前半……いや後半に差し掛かっていたくらいか?

その頃から聖女に目を付けていたということだろうか。とんだ幼女趣味だなアイツ。


「幼女趣味だけじゃないですよ。上は熟女、下は幼女……あのハゲの変態具合を舐めないでください魔王さま」

「いや、舐めてるわけじゃないけど」


 つーか広っ! 勇者のストライクゾーン激広っ!! 本物の変態なのか!?


「そういえば、なんで勇者ハゲなんスか? 禿げたんスかアイツ」


 そこが初めから気になっていたヘッツは、とうとう我慢できずに尋ねた。確かに俺も気になっていた。まだ三十代なのに。


「前方からだんだんと侵略されつつありますね。もう手遅れです」

「よかったなあ、ヘッツ。俺たち魔族はその心配がなくて」

「そッスね」


 高齢魔族であったとしても、自分で剃らないかぎり禿げることはない。いつだってふさふさだ。


「って、勇者ハゲの話はいいんです。いえ、よくないんですけど……お話しましたとおり周囲はすでに勇者に見切りをつけています。ですが力で適う者は、人間領に一人たりともいません……ですから魔王さまに倒して欲しいのです!」

「俺も負けたけどな」


 あっはっは、と笑う俺を、聖女はぷくりと頬を膨らませる。


「違います……魔王さまの場合は、違うじゃないですか……」

「聖女?」

「魔王さま! 勇者なんてぶっ潰してやりましょーよ!」

「そうですよ! 女を侍らせるなんて羨ま……いやけしからん! 勇者の分際で!」


 聖女はどこか歯切れ悪い様子だったが、控えて話を聞いていた俺の臣下たちが「許すまじ!」と雄叫びをあげている。いやうるさいからお前ら。


「んなこと簡単に決められる話じゃねぇだろ。勇者と戦うってことは、その問題に国全体を巻き込むんだからな」

「だからって最近、魔王さまは怠けすぎですよ! 目覚めてお食事を摂られ、畑の様子を見て、城でお寛ぎっぱなし! これでは老後の生活そのものではないですかぁ!!」

「いや仕事してるから。書類整理たくさんあんだかんな魔王は」

「でも若干引きこもり気味ッスよね。行動範囲は城内だし」

「引きこもりだー!」


 臣下は大袈裟に嘆いている。本当にうるせぇなこいつら。要するに戦いたくて戦いたくてうずうずしてるだけだろ。この戦闘狂め。

 俺だってたまに相手してるじゃないか。先にへばって地面と長時間口づけしてる奴らに言われたくはない。

 言うに事欠いて「引きこもり」だの「まるで老後生活」だの俺を目の前に言い始め、さすがに鬱陶しくなってきた。

 すう、と息を吸って。


「――お前ら今から夕刻までお牛様の糞を肥やしに変えてこい!! 帰りは城門で待機しとけよ、俺が直々に糞まみれになったお前らがどれだけ貢献したか見てやるからな!」

「肥やし作業なんて、そんな!」

「鬼畜だ、魔王だ……」

「ああ、魔王だよ! 早く元気に糞を混ぜてこい」


 そうして蜘蛛の子を散らすよう窓から出ていく後ろ姿を見送った。誰も扉を使いやしない。


 最近、魔界でのブームは酪農である。長い時を生きる魔族にとって暇は最大の苦痛だった。その暇を埋めるため、こうして数年に一度は平和的なブームを起こしてえっさほいさと取り組むことにしていた。

 世界を我がものにしてやる、なんて思想はもう古い。時代はいつだって平穏であればいいのだ。無駄な争いなんて嫌だね俺は。

 手合わせなら楽しいからいいけど。殺し合いなんてお互い負の感情しか生まないだろ。空気も悪くなるし、空気が悪いと水も不味くなる、水が不味いと作物に影響する。だから俺は魔界で穢れを出したくなかった。


「な、なんだか……とても平和なのですね、魔界って」

「それは〜、魔王さまが父親から政権奪って即位したからッスよ。それまではもう荒れに荒れ……」

「……おい、ヘッツ。なにお前は無関係みたいな顔して立ってんだ?」

「え?」

「お前が一番、俺の悪口言ってたのは聞こえてんだよ! お前も肥やし作ってこい!!」

「うわー!」


 そしてヘッツも窓から酪農園へ飛んでいった。


「……そういうわけだ聖女。悪いが勇者の件は」

「ま、待ってください! もう少し時間をください魔王さま。必ず、必ず魔王さまを説得してみせますから」


 説得してみせますって、本人に言っていいのかそれ?

 けど、おそらく聖女も必死なのだろう。人間領最強の勇者アイツが、最強の変態なんだもんな。

 だが俺も魔界を統治している身だ。民を変態討伐のために振り回すことはできない。魔界に影響が出なければよろしくやってくれ、という気持ちが強いのだ。

 聖女からしたら非情なやつだと思われるかもしれないが、仕方がない。俺は魔王なのだ。


「まあ、客人って扱いで通しておくから。部屋は好きに使ってくれ」


 数日もすれば諦めて帰っていくだろう。

 それまでは魔王城で寝泊まりすればいい。こんな年端もいかない女の子を放っておくのは危ないからな。聖女だし。


「はい! ありがとうございます!」


 聖女は嬉しそうにまた頭を下げた。


「礼はいらないって」


 ……この時の俺は完全に油断していたのだ。まさか聖女があそこまで執念を見せるとは、思いもしなかった。



 □



 執務に追われたその夜、俺は浴場で一人のんびりと湯に浸かっていた。

「いーい湯だ、な、ハハッ!」なんて人に聞かれたら恥ずかしい鼻歌を混じえつつ、もう一度身体を洗おうと湯船から立ち上がったとき……


「魔王さまっ、お背中お流しします!」

「ギャー!」


 ざぶん、と水しぶきを飛ばしながら俺は瞬時に体勢を低くする。

 湯気で多少視界が見ずらいものの、確かにそこにいるのは聖女だった。しかし、その格好が衝撃的なものだった。


「布一枚で何やってんだッ!」


 しかも丈が短い。あれでは少し脚を動かしただけでも見えてしまうのではとハラハラする。何が見えるって? 察しろ。

 というか、なんで男の俺の方が身体を隠して悲鳴をあげてるんだ!


「説得するって言ったではありませんか」

「こういう説得は予想外だよ! あっ、動くな! 一歩も動いちゃダメだぞ!」

「そうはいきません、魔王さ」

「ああもう!」


 俺は脱衣場に置いてある風呂用バスローブを浮遊魔法で取り寄せる。空中で広げ、そのまま聖女の身体を覆った。しっかりと紐も結んでやる。これで幾分マシだろう。

 聖女はきょとん、と不思議そうな顔で俺を見ていた。恥じらいも無く、ただこのような行動をとった俺が不思議で堪らないと言いたげな表情である。


 いったい勇者のところで何をやっていたんだよ。勇者も何やってんだよ本当に。俺と戦ったとき放った『絶神級魔法』で自分の理性も召されてしまったのか?


「とにかくだ、浴場には入ってくるな! わかったな聖女」

「……はい。わかりました」


 とぼとぼと聖女は踵を返して出ていく。

 一気に疲労がきた俺は、背を浴水槽の壁に預け、深いため息を吐いた。


「…………聖女、すげえな」



 その後、それだけでは終わらなかった。



「魔王さま、あーんしてください」


 夕食の席。

 なぜか聖女がこちらに体を寄せ、胸を押し付けながら俺に餌付けをしてきた。胸で腕は押されるし、キツいしで、せっかくの風呂上がりも台無しだ。


 きっとこれも説得に必要な小細工の一つなのだろう。激しくズレてるんだよなあこの子。

じっと目を細めがちに聖女を見ると、これも駄目なのかと言いたそうに肩を落としていた。


「……あの勇者変態によくやらされていたので、これなら大丈夫かと思ったのですが」

「俺と勇者変態が同じ価値観だと思わないで欲しいわ……とりあえず、行儀悪い。ちゃんと座れ」

「あ、はい……」


 聖女は「また失敗です……」と悔しそうに呟いた。まさか数日間、これが続くのだろうか。そう考えると明日を迎えることが少し億劫になってしまった。こんな考えだからヘッツから引きこもり精神とか言われるんだろうな。


 ちなみにヘッツは、聖女に食事を食べさせてもらう(未遂)俺を見て、羨ましそうにしていた。お前ぶれねぇな。




 □



 聖女の計画はまだ続く。


 魔王城に滞在して数日経過し、さすがの俺も聖女が居ることに慣れ始めていた。

 日中はことある事にアタックされたがそれは可愛いもので、俺は難なく交わしたのだが。


 珍しくこの日、それだけでは済まなかった。


「あー疲れた。今日は早めに寝るか」


 明日は月に一度の謁見会が行われる。

 俺への報告を一人一人、書類を通しながら聞くのでかなり根気のいる時間だが、それぞれの街の代表の民と顔を合わせる良い機会でもあるので必ず月一で行っていた。


 ベッドに身体を預け、明日の流れを確認しながら瞼をゆっくりと下ろしていく。

あと数秒もすれば眠れそう……というところで、


「魔王さま!」


 聖女 が あらわれた ▼


 それもスケスケのネグリジェ姿という強烈な召物で寝所に忍び込んできたのだ。

政務に疲れていた俺は、もう意識を手放したい想いでいっぱいになっていた。


「こんな夜中に、嫁入り前の女が男の寝床に忍び込むな」

「え? ひやっ」


 聖女が高い声をあげる。

 俺は寝所にある適当なシーツを浮遊魔法で聖女の身体に巻き付け、そのまま彼女の滞在部屋へと飛ばした。廊下から微かな叫び声が聞こえるが、一刻も早く寝たかった俺は気にせず枕に身を委ねた。


 次の日の朝。

 聖女は懲りずに俺の寝所へ忍び込んできた。


 朝なら問題ないですよねっ、じゃない。

 それも今度は服の上からでもデカいとわかる胸が、顔に落ちてきて危うく窒息しそうになった。殺す気か。

 正直なところ、寝起きがお世辞にも良いとは言えない俺は、朝からまたスケスケのネグリジェ姿を見せられイラついていた。

 本当にこの娘は分かっているのだろうか。

 ここ数日、誘っているようにしか思えない行動の数々。確信犯だとしてもタチが悪い。まさか、これも勇者のところで覚えてきたのか……。


 寝込みを襲われかけ、寝起きを襲われかける。とんでもない話だ。

 俺だって長年生きてそう簡単に理性が揺らぐことはない、と思う。

 ただ、今はそういう問題ではない。

 聖女があまりにも……


「魔王さ――」

「いい加減にしろ!」


 聖女の言葉を俺は遮った。

 ビクリと震える身体と、初めて見る怯えたような顔。

 俺の肩に触れようとしていた小さな手は宙で空振り、下へ下へと降りていく。


「滞在は許したけどな、限度がある」

「あ、あの」


 後退しようとする聖女の両肩を、俺は勢いよく鷲掴んだ。ビクリとも動かない。無理に動かそうとしても困難で、聖女の力など俺からしたら赤子も同然だった。


「もっと自分を大切にしろ! そんな肌着で城中をうろつくな! あといちいち素肌を見せて誘惑しようとするなよ見え見えなんだからな。とにかく、体をぞんざいに扱おうとするな!」

「す、すみませんでした……」


 今まで届いていなかった俺の言葉が、ようやく彼女に響いたような気がした。

 丸く大きな瞳を何度も瞬かせ、ただ黙ってこちらを見詰め返している。

 まずい、怖がらせてしまっただろうか。いっそこれで人間領に引き返してくれるなら有難い気もするが。聖女がそんなことで諦めるとはもう思えなかった。


「少し声を荒らげ過ぎたな。ほら、俺の上着、着てっていいから部屋に戻って着替えな。侍女に替えの服を用意させるから。そもそもあんたの服は布が少ないんだよ」

「それは、勇者あの変態の城で勝手に用意されていたもので……」


 結局てめぇのせいかよ! あの勇者ロリコンが!!



 ……

 ………


 魔王から上着を拝借し、聖女は魔界滞在中に借りている部屋へと引き返していく。

 日が昇り始めた時間帯なだけあって、静まり返った回廊はどこか冷たい空気が流れている。


 けれど、今の彼女にとっては都合がいいのかもしれない。


「あれ、聖女さん? 起きるの早いッスね」


 曲がり角で鉢合わせしたのは、魔王の右腕と呼ばれる男、ヘッツだった。

 お調子者で女好き、聖女と会うと必ず一度は胸を凝視する清々しい態度の男ではあるが、実は好きな魔族の女の子がいるという話だった。意外と一途(?)なのかもしれない。


「あれ……」


 ヘッツは聖女の様子がいつもと違うことに気づき、疑問に思いながらその顔をのぞき込んだ。


「――え!? 顔が真っ赤ッスよ!? 熱でもあるんスか!」

「違います……」


 聖女は火照った自らの頬に両手を添え、今もなお高鳴る鼓動に耳をすませる。

 

 ――魔王の顔が、頭から離れない。

 いくら自分の体を武器にしても靡かなかった魔王が、今朝ついに感情をあらわにした。

しかもそれは、聖女自身を気遣っての言葉で。幼い頃に聖女として教会に連れられ、勇者一行と共にいるときは決してなかった、初めての扱いに戸惑いが隠せない。


 本当は、あの日から忘れられなかったのかもしれない。

 十年前、魔王討伐で訪れた魔界で――聖女は魔王に命を助けられていた。




 後日。


「魔王さま、羨ましいッス」

「は? 何がだよ」

「何がって、聖女さんの胸に顔を埋めたんでしょう!? なんスかそれ! なんなんスかそれぇ!!」

「ヘッツ。お前には脂肪に押し潰されて窒息死寸前が羨ましく感じるのか。初耳だな」

「ちがう!! オレは!! お胸か、おっぱいか、乳に埋もれて幸せを感じたいんスよおおお!!」


 本当にブレねぇなこいつ。



 □



 俺が微妙にキレてしまったあの朝以来、聖女は行動を自重するようになった。

計算されたものではなく、素直な笑顔も見せるようになり、それに影響され徐々に魔王城の雰囲気も変わってきているような気さえした。


「なんだ……?」


 ふと、俺は通路の真ん中で立ち止まる。

 いつもと変わらない城の中に違和感を覚え、四方八方と確認して見るが、特におかしな所はない。


 なんだ? なにが違うんだ〜?

 キョロキョロとつい周辺を見回してしまう。


「魔王さま、いかがなさいましたか」


 そんな俺の奇妙な行動に、通りがかった侍女長が声をかけてきた。


「いや……なんか城の中がいつもより綺麗じゃないか?」


 清掃は毎日行われている。今日が特別、気合い入れて掃除をしたというわけでもないだろうに、なぜか新鮮に見えた。


 すると、なにが面白かったのか侍女長はくすくすと口を手で隠し静かに笑い始めてしまう。


「おそらく、花や飾り物が増えたからでしょう。近ごろ聖女さまがお手伝いをなさって下さるのですよ。お世話になりっぱなしも悪いからと、予算内で少しでも魔王さまの気分が軽くなるようにと」


 最近、政務で疲れていたのを聖女は知っていたらしい。

 城の内装や、装飾の配置など、細々としたことは侍女たちに任せてしまっている。そこに聖女が手伝いに入ることに何の問題もないのだが。


「そうか……なんか、嬉しいな」


 聖女を思い出し、つい顔が緩んでしまう。


「あらあら、まあ……」


 侍女長が何やら物珍しげに俺を見ていたが、たぶん悪い意味ではないので気にしないでおいた。なんか温かい目で見られてるし。

 そういえば、今日はまだ聖女の姿を見ていないな。俺は朝食を摂らずにやる事をやっていたし、城の中では行き違いになっていたようだ。


「あ、魔王さま!」


 そんなことを考えていたからだろうか。聖女が廊下の曲がり角から姿を現した。


「お仕事お疲れさまです。お体は大丈夫ですか? なんだか最近お疲れの様子なので気になっていたんです」

「ああ、大丈夫だよ。侍女長から良い話も聞いたことだしな」

「良い話、ですか?」


 聖女は小首を傾げていた。

 べつに掘り返すこともないだろうと、もう話題には触れずに、ふと聖女の目の下に隈があるのを発見し一歩前に足を動かした。


「ま、魔王さま?」

「ここ、なんか隈になってないか? どうしたんだ?」


 つい気になって、親指の腹で触ってしまった。


「こ、これは……昨日の夜に女中さんたちのお部屋にお邪魔して……縫い物を手伝っていたものですから」


 おずおずと聖女が顔を俯かせてしまった。隈を見られるのが恥ずかしいのだろうか。そんなの俺だって徹夜すれば濃いのが出来るぞ。気にしなくていいと思うけどな。


「女中たちとうまくいってるなら安心だな」


 なんかうちの女性使用人ってみんな我が強いというか、男の俺たちは逆らえない空気感がある。

 身分とか力関係なく、女ってのは強い生き物だ。捲し立てられると腰が引けてしまう情けない有様。

 聖女がその我の強さに染まらないことを祈ろう。


「けど、無理はしないようにな?」


 ポンっと頭に手を乗せる。

 さらりとした髪が指に絡まるう。うわ、聖女の髪ってサラッサラだな。手触りがよくてつい撫でたくなるが、そこはグッと堪えた。


「……ま、ま、ま、ま、魔王さまっ!!」

「……聖女?」

「私、ちょっと、し、しふれいひます!」


 突然、ガタガタと古びたネジ巻き人形のような動きをしだした聖女は、呂律が回らない口調で来た道を引き返してしまった。


「なんだ? どうしたんだ聖女は。よくわかんねぇな」

「――今のはあんまりですわ魔王さま!!」

「うわっ」

「聖女さまがお可哀想ですよー!」


 知らず知らずのうちに俺の周りには侍女たちが集まっていた。侍女長も訳の分からないため息をこぼし、不憫そうに聖女が走った方向を見守っている。


「乙女にあんなに気軽に触れるなんてっ!! 魔王さまはデリカシーに欠けていますわっ」

「はあ!? 触れるって、少し頭に手を置いただけだろ!」

「頭だけじゃないです! 頬を指でなでなでと撫でまくったではありませんか!」

「撫でまくった!? 軽く隈を突っついただけだ!」


 そんなことを言ったら、この間侍女の肩に付いていた埃を取ったことや、侍女長の髪にくっ付いていた虫を取るために触れたこともデリカシーに欠けるっていうのか。

 しかし、それはどうやら違うらしい。終いには「私共と聖女さまも同等に考えないでくださいまし!」と息巻かれる。


 よく理解できないまま、俺はそれに頷くしかできなかった。

 ……はあ、本当にこの城の侍女たちは強い。



 □



 そういえば、最近になって聖女は「勇者ハゲを倒してください」と言わなくなった。

 城の農園で栽培している野菜の様子を見ながら、草むしりをしていた俺がふと思ったことである。

最初の頃は何かにつけて「あの勇者ハゲを――」と言葉を続けていたというのに、どうしたのだろうか。

なにか企んでいる素振りはないので害はないと思うが、城に乗り込んできた当初を思い返すと、かなり聖女も変わったなと思う。

 

「魔王さま? こんなところで何をしているんですか?」


 と、考え事をしているとタイミング良く聖女が通りかかった。

 空の洗濯籠を抱えた聖女は、それを地面に置いて俺の元へと走ってくる。


「草むしりだよ。ここの農園は俺が育ててるからな」

「ふふ、そうなのですね。……土いじり、なんだか懐かしいです」


 聖女は、近くに植えられたトマトの苗の葉に優しく触れた。

 しかし不意に、聖女は寂しそうな顔をした。

 

「私が聖女になる前、母と兄、妹の四人で暮らしていたんです。畑仕事で誰が一番草を多く取れるか競争をして、一番だとその日の夕飯のおかずが少しだけ増えたりして……なんだか思い出しちゃいました」

「そうだったのか」


 聖女は教会で育てられたと聞いていた。家族と離れて暮らすようになり、心細かったに違いない。


「あ、暗くなるような話でもないんですけどねっ。今は手紙だけですが、家族とは連絡も取っていますし。ただこういうの久しぶりに見たなぁと思って」


 と言いつつ、聖女はチラチラと農園に目を向けている。素直じゃないなと軽く笑ってしまったが、それなら話が早い。


「なら、少し草むしりを手伝ってくれないか?」

「え? い、いいんですか!?」

「こっちがお願いしてるんだけど」

「あっ、そうですね……ええと、もちろんお手伝いさせていただきます!」


 嬉しそうに聖女は俺の隣にしゃがみ込むと、手が汚れることも気にせず草をむしり始めた。

 ……今更だけど、年頃の女の子に草むしり手伝えってのは無神経過ぎたか? この前も侍女たちに「デリカシーがない」と一方的に小言を言われ続けたというのに、こんな場面を見られでもしたらどんな顔をするか。

 いや、なんで俺がそんなに気を使わないといけないんだ。一応、城主は自分なんだぞ。……いや、でも女を敵に回すのはのちのち絶対に痛い目を……。


「魔王さま?」

「……あ、ああ」


 いきなり黙ってしまった俺の様子が気になったのか、聖女は不思議そうにこちらを見ていた。

 その手にはこんもりと、今しがた抜き取ったばかりの雑草が集められている。


「えへへ、こんなに抜いちゃいました。もうこの辺りの土はスッキリですよ」

「はは、本当だ」


 こんなに生き生きとした聖女を見るのは始めてかもしれない。

 俺は杞憂だったかと、聖女の柔らかな笑顔を見返して思った。


「……って、夢中になるのもいいけど、それじゃ暑いだろ?」


 晴天となった今日、作物には良いかもしれないが、人にはちょっとばかし暑すぎる。

 それなのに聖女は帽子すら被らず直射日光に当たりっぱなしだった。


「これ、格好悪いけどないよりマシだと思うから、ほら聖女」

「わわ、もう魔王さま。いきなりびっくりしますっ」

「ごめんごめん、でも似合ってるじゃないか。その麦わら帽子」

「……それ、褒め言葉として受けとっていいんですか?」

「何言ってんだ当たり前だろ。可愛らしいよ」

「……!」


 つばの広い麦わら帽を被った聖女は、お世辞抜きで可愛らしいと思う。

 聖女として教会に連れて行かれなければ、こんな風に農作業に勤しむただ一人の女の子として生きれた人生もあったのかもしれないな。

 極薄の聖女服装備で俺を説得しようとしていた当初より、何倍も好感が持てた。まあ、俺の好みの問題だけど。


「にしても、その帽子だけじゃさすがに腕までは隠せないよな。せっかくの白い肌が焼けるのは勿体ない」

「そ、そんな……べつに普通だと思いますけど」

「いや、かなり違うぞ? ほら、俺のと比べるとさらに違いが」


 白い腕に、自分の腕を寄せて色の違いを比べてみた。透明感のある陶器のような肌と、俺とじゃ雲泥の差だ。


「うわ、聖女の腕は細いな。これでよく侍女たちの手伝いについていけてるよ」

「わ、私だって力はあるほうなんですよ。魔王さまが言うほど細くもないですし」

「うーん、そうなのかな」


 もっと寄せて大きさ比べをしようとすると、腕同士がトンっと軽く当たる。


「あ、わる――」

「……」


 だが、俺が言葉を言い終えるよりも早く、聖女は立ち上がっていた。


「聖女? うわ、顔が赤いぞ!? まさか暑さのせいで」

「違います! 暑さのせいではありませんから問題ありません! あの、わ、わわわ私……侍女長さんに呼ばれていたのを忘れていました。お先に中に入らせてもらいますね。魔王さまも暑さにはお気をつけてーー!!」


 相槌を打つ間もなく、聖女は置いていた洗濯籠を持ちあげると、城の中へと一目散に走っていってしまった。


「……なんなんだ? まあ、あれだけ走れる元気があるなら大丈夫なのか」

「あまーーーーい! 甘酸っぱいッス魔王さま!!」


 聖女の走る後ろ姿を見送り、ぼけっと突っ立っていると、物陰からヘッツが編みカゴを抱えて飛び出してきた。いつからいやがったお前は。


「もう甘酸っぱくてオレの舌がおかしくなりそうっス!」

「酸っぺぇのはてめーがバクバクつまみ食いしてるラズベリーのせいだろうがっ!!」


 収穫の手伝いを任せていたはずだというのに、カゴの中にあるラズベリーの数は手に収まるほどしか入っていなかった。



 □



 ある満月の夜のこと。

 光の妖精たちが、ルナタュラという花の上で密やかに祭りを催していた。

 ルナタュラは月光を浴びて光り輝く春の花である。その光が好物な光の妖精は、こうして年に一度か二度、集っては光り輝き楽しく飛び回っているのだ。


 せっかくだからと、侍女たちに聖女を連れてご覧になってはと提案され、俺は彼女を誘い庭園に訪れていた。

 侍女たちのあの必死さ……狂気にも似ていて恐ろしかった。


「わあ、とっても綺麗です」


 光が踊る神秘的な光景に胸を打たれた聖女は、感激した様子で眺めている。


『ふわふわ〜』

『ふわわ〜』


 聖女の存在に気がついた光の妖精たちが、綿毛のようにふわふわと浮いて一斉に近寄ってきた。


「あれ? どうしたんですか? ふ、ふふ。なんだかくすぐったいです」

「光の妖精は聖女の魔力が好きなんだ」

「魔力にですか? 人間領で妖精を見かける機会はなかったので、会えて嬉しいです。それに凄く可愛いですっ」

「ただの光の玉だけどな。可愛いように見えて、ちゃっかり魔力を吸い取ってるし。特に角を出しっぱなしだともう……群がってくるからな。光の妖精に限らず」


 俺には角があるが、普段から出さずにいる。魔王にとって角は魔力の核となる部分。心臓の次にそこを突かれたらただでは済まなくなる。

 また、角は常に魔力が微弱に漏れ出しているため、嗅ぎつけた妖精が食べようと寄ってくるのだ。


「魔王さま、角があったんですか? 全然知りませんでした」

「角は出さなくても困らないからな」

「そうでしたか……でも、少し見てみたい気が……い、いえ! なんでもありません」


 ほぼ言ってるけどそれ。べつに角を見たって面白いことなんてないんだけどな。


「ほら、角」


 俺は頭部にある二本の角を出して、聖女に見せてみる。


「え……? いつのまに!?」

「な、大したことないだろ」

「そんなことありません! えへへ、なんだか角が生えた魔王さまって、ちょっと可愛らしいです」

「それは初耳だな……可愛くはないだろ」

「可愛いんです!」

 

 いつにも増して強情だな。男に可愛いって、こっちからしてみれば素直に喜んでいいのかわからないんだけど。それもこんなごつい角で。


「本当に可愛らしいですよ? 魔王さま」

「可愛い可愛いって、俺からしたら聖女のほうが――」


 光の妖精に照らされた聖女は、魅入るほど美しく、綺麗で。そんな光の妖精たちを見つめる慈愛に満ちた微笑みは、とても愛らしく感じた。


「私が、どうかしましたか?」

「いや……」


 いつもなら考えずに思ったことを言ってしまうのに、なぜか今はそれができなかった。

 夜だからか? 雰囲気に呑まれてか? こう、心臓あたりがむずむずと痒くてじれったい。


「はい、角は終了」

「しまうのが早すぎます!」


 異論は認めない。

 俺は少しの間、聖女の顔を見ることができなかった。



 しばらく光の妖精たちの踊りを眺め、お互いの間に心地よい沈黙が訪れた。


「――最近、勇者変態を倒せって言ってこないんだな」

「え……?」


 聖女は目を丸め、花から俺に視線を移す。


「……今も、倒して欲しいという気持ちに変わりはありません。叶うならば魔王さまのお力を借りたいと、思っています」


 でも……、と聖女は続けたが、その先が言葉として紡がれることはなかった。

 彼女はただ、俺の顔をじっと見つめたあと、目を細めて笑うだけだった。


「……なあ聖女。訊いてもいいか?」

「? なんでしょう」

勇者変態の城に、お前も住んでいたって言ってたが……その、えっとだな」


 自分から切り出しといてなんだが、少し言うのが躊躇われた。

 すまねぇ、侍女軍団。

 やっぱり俺はデリカシーの欠片もない男だ。


 俺は意を決して、聖女問うた。


「聖女は、無理やり勇者アイツに……夜を共にと強制されたりしていたのか?」

「へ……?」


 うわー! 言ってしまった! ちくしょう言わなきゃよかったッ!

 言ったそばから俺の心は激しく後悔の渦に引きずり込まれている。こんな話、聞きかないほうがお互い気分も悪くならないというのに。

 夜を共に……それはつまり閨事が交わされていたかどうか。

 女を囲ってハーレムにするぐらい欲深いという話だった勇者が、聖女に手を出さずにいられていたのだろうか。

 滞在日数がまだ浅かったとき、平気で肌を晒し、俺を説得しようとしていたあの行動。それらを思い返すとどうしても何も無かったとは考えられない。


 だが、聖女は勇者をハゲだの変態だのと嫌悪感を表すほど毛嫌いしている。

 そんな相手に、もし無理やり手篭めにされていたのだと、聖女の口から聞きでもしたら俺は……。


 ――俺は? なんだっていうんだ?

 

「あ、あの」


 俺の問いに刮目する聖女は、ほんのりと顔を赤くしていた。

 ……どういう意味での赤面なんだ。

 その顔に、苛立ちを感じた俺は堪らず腕を引き寄せたくなった。


「……魔王さまが思われているようなことは、ありませんでした。とはいえ、私が成人したあたりからですと、勇者あのハゲはそれしか考えていないようでしたが」

「本当に、何もなかったって?」

「私は聖女です。そう簡単にいかないということは、勇者変態も知っていますから。あとはお酒で酔わせたりして……代わりに私は鑑賞目的で生地の薄い衣服を着せられていましたが」

「そう、なのか」


 やっぱりあいつただただ最低野郎だな。

 再確認したところで、聖女はずいっと俺に一歩近づいた。


「魔王さま、なぜそんなことを訊かれるんですか?」

「それは……」


 実を言うと俺もよくは分からない。

 なにか期待のこもった目を向けてくる聖女に、うまく言葉が出てこなかった。


 ただ、


「数日で帰ると思っていたけど、聖女がここへ来てからかなり経つ。城のやつらだってお前がいることが当たり前になってるし。侍女たちなんか最近は俺よりお前に従ってるし。聖女の存在が当たり前になってるみたいなんだよ。…………俺もそれは同じなんだ。だから、当たり前になってるやつが、好き勝手に弄ばれてたなんて気分が悪いからな」

「ええと、つまりどういう事なんでしょう……」

「単純に腹が立つ」


 うん、そうだ。答えは簡単だ。

 聖女が勇者に好き勝手されるっていうのは、腹が立つんだ。

 もう知らないなかでもないからな。


「魔王さま……それは」

「どうした?」

「腹が立つなんて、どうしてそう思われたか考えました?」

「ああ、聖女は……魔界俺たちにとって大切な客人人間だってことだよ」


 もじもじと両手を組む聖女に問い返せば、聖女はぱちくりと瞳を瞬かせ固まった。


「……魔王さまの、ばか」

「え、なんて?」

「なんでもありません!」


 聖女は拗ねたように、また光の妖精たちに目を向けてしまった。もう俺の顔を見ることはない。


 ……ああ、良かった。

 もうこれ以上、見られていたら危なかった。


「……」


 どうやら、俺にとって聖女は――。



 □



 その日は、朝から慌ただしかった。

 その理由は、ヘッツから渡された書状にある。


「第一正妃が魔界にいるのは分かっている。魔王よ、すぐにこちらに引き渡せ。さもなくば、貴様にもう一度敗北の二文字を刻んでやろう……だってさ、つーか第一正妃ってどういうこと?」

勇者あの変態は、特にお気に入りの女性を第一から第七まで決めて、正妃にしてるんです」

「節操ねぇなあの変態!」


 そう、それは勇者から、魔王である俺に宛てた手紙だった。

 聖女の居場所はすでにバレていて、どういうわけか俺が攫って来たことになっている。


「すみません……こんなことになっているなんて。お城に書き置きを残していたんですけど」

「なんて書いたんだ?」

「魔界へ行きますと」

「正直すぎるな」


 しかし、どうしたものか。

 こうなると勇者は完全に俺を目の敵にしているだろう。

 まさか、乗り込んでくるつもりじゃないよな?

 やめてくれよ。もう魔界の空気が戦で穢れるのはごめんなんだよ。


「本当に、申し訳ありません……魔王さま。せっかく魔王さまが、苦労して今の魔界を作り上げたというのに」

「聖女? なんの話しをしてるんだ」

「……私、知っているんです。なぜ魔王さまが、十年前の戦いで勇者変態ハゲに負けたのか。それに、魔王さまは人間領を脅かしていたどころが、争いが起こってしまわないように奔走していたことも」


 聖女はすべてを知っていた。


 そもそも、なぜ魔界と人間領が戦を起こすまでに最悪の関係になっていたか。それは前魔王の俺の父親が元凶だった。

 親父は血を血で洗うような、激しい殺し合いを好む真の戦闘狂で、その欲求の対象になっていたのが人間だったのだ。

 誰もが親父に逆らえなかった。

 魔界で、魔王の力を押しのけられる魔族など存在しなかったから。


 そうしてあっという間に数十年と時間は流れていた。人間領も、そして魔界の魔族たちもすでに限界が近かった時期。


 人間領では勇者が誕生した。

 魔界では子である俺が、親である親父をころした。

 政権を奪い、即位し、すぐに事態の緩和に努めどうにかして混乱を収めようと必死に動き回ったんだ。


 だが、それはもう手遅れだった。

 俺が即位する頃には、もう勇者の影はそこまで迫っていたのだ。

 勇者一行という、最強の矛を手にした人間軍の士気は最高潮に達し、話し合いすら持ちかけられず、せめて被害を抑えようと俺は魔界の手前で勇者を待ち受けた。


 一体一で戦いに挑むこと。それが被害の最小だと考え、それに相手も応じ戦いの火蓋は切られた。


 だが、相手は馬鹿だった。

 ほかの仲間がそばにいるにも関わらず、最終決戦だと感極まり、あろう事か俺に向けて打とうとした必殺技が『絶神級魔法』。


 あれは禁じられた魔法のなかでも、一番使っちゃいけないもので。使い慣れていないと敵味方関係なく使用者以外を消滅させる恐ろしい魔法だった。

 扱っていい場所もかぎられる。

 まず別空間を出現させ、その中に入ってからでないと被害が国一つにもなり得るもので、空間魔法を使えない馬鹿が扱ってはいけない魔法だった。


 恐らく教会の人間が、その威力も理解せずに、ただ魔王を倒せると言って勇者に教えたのかもしれない。

 俺は絶神級魔法の陣が空に出現したと同時に、すぐに空間魔法の準備をしていた。

 人間も一緒に助けたのは、魔族だけ区別する余裕があまりなかったのと、彼らは親父の犠牲者でもあったからという罪滅ぼしの気持ちがあったのかもしれない。


 そして、その絶神級魔法が放たれた際に、一番危険な位置にいたのが当時、九歳だった聖女だ。

 やむを得ず聖女を俺のもとに引き寄せ、自分を盾に魔法から守ったが……衝撃は強く俺はかなりの重症を負った。

 それが、十年前の敗北だった。


 人間が魔界を統治することは不可能。俺に勝ったらさっさと人間領に引き返して行ったあの頭の軽さには感謝したが、結果的に俺は負けたのだ。


「……聖女を助けたのはあの一瞬だ。まさか覚えていたなんて知らなかったな」

「私の体にはあなたの魔力の残り香がありました。それから気になって、魔界のことも独断で調べたんです。人間領に被害を及ぼしていたのは前魔王で、魔王さまは関係なかったと」

「いや、関係はあったさ。俺が親父をもっと早く止めてれば、被害は抑えられたんだからな」


 それでも、聖女は首を横に振る。


「私、あの時から魔王さまを忘れられませんでした。本当はずっと会いたかったんです。勇者ハゲを倒してもらうことも目的でしたが、本当は口実だったのかもしれません」


 聖女なのに、悪い女ですよね……と、弱々しく笑う彼女は、決意を秘めた目を俺に向けると。


「だから、私は人間領に帰ろうと思います」


 聖女は、真っ直ぐな眼差しで言った。


「な、に、言って?」


 どくりと、心臓が大きく跳ねる。

 聖女の言葉の意味がすぐに理解できなかった。


「魔界で生活して分かりました。ここはとても温かくて、優しい場所です。私が起こしてしまった問題で巻き込んでいい場所ではないんです」


 聖女はゆっくりと、こちらに近づいてくる。

 俺の手にある、今朝方送られてきた書状に触れ、それをそっと奪った。


「大丈夫です。まだ、私が帰れば間に合います」

「……聖女」

「私、ここにいる皆さんが大好きです。侍女さんたちも、兵士さんたちも、街にいる魔族の皆さんも……あ、ちょっといやらしいけどヘッツさんも」


 それに、と聖女は間を空けて、俺を見上げる。


「私……魔王さまが一番大好きみたいなんです」


 ここへきて、聖女は花のような笑顔を見せた。

 ああ、馬鹿だな。

 手は震えてるし、堪えてるけど涙まで浮かべて、そんなに必死に我慢している。そこまでして無理に出て行こうとしているんだ。


 ……本当に馬鹿だ、俺は。


「聖女……行かなくていい」


 俺は、そっと聖女の頬に触れた。

 思わず瞬きを落とした聖女の瞳からは、大粒の滴がほろりとこぼれた。


「聖女が行く必要はない。こんなに震えて、本当は怖いんだろ? 帰ったら何されるか分からない。一人で不安で、そんな女を簡単に行かせる大馬鹿者に俺はなりたくない」

「でも、でも魔王さま……」

「なに、心配すんな。勇者が魔王と戦うために生まれるなら、魔王っていうのは、勇者と戦うために存在してるんだろ? なら俺は、その役目を存分に利用させてもらうだけだ」

「言っている意味がよく分からないですよぉ……」

「はは、俺も」


 ボロボロと泣き始めた聖女の濡れた頬を何度も手で拭ってやる。

 どこからか「そこは抱き締めるところッス!!」「そうですわ!」「これだから魔王さまは!!」という野次馬の声が聞こえたが、無視だ無視。


 ――だって。


「魔王さま、私はここへいてもいいんでしょうか?」

「いいんだよ、聖女」


 抱き締めたら、この愛らしい笑顔が見られないじゃないか。





 □ 〜おまけ〜もしもハーレムだったら〜




 さて、これから勇者への対策を考えないとな。

 といっても、すでに打つ手はあるんだが。


「ちょ、ちょ、魔王さま!」


 俺が執務机で人間領に送る書状の内容を考えていると、ノックもせず無作法に扉をぶち開けたヘッツが青い顔をして入ってきた。


「おっ前ぇ……なんだよいきなり」

「きゃ、客人ッス!! また人間!!」

「はあ?」


 この展開、どうしてだかデジャヴュなんだが。



 ……

 …………




「魔王、一緒に勇者を倒しに行きましょう!」


 玉座に腰をかける俺に、そう強く言い放つのは……。


「はあ……女剣士が何言ってんの?」


 聖女の次は、女剣士。

 俺の受難はまだまだ続くようである。

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聖女が勇者を倒して欲しいと、魔王(俺)の城にやってきた。 @natsumino0805

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